2014年06月25日

ドレミの「ド」は Dominus(主イエス・キリスト)の「ド」

Facebook の「教文館出版部」からの Good News をシェアします。
前に「トランプのキング、クイーン、ジャックの絵柄はモデルがいる」という情報を載せましたが、それと同じくらいのトリビアな情報です。

『聖ヨハネの日』

 今日6月24日は聖ヨハネの日です。プロテスタントではあまり耳にしない日ですが、洗礼者ヨハネがイエス・キリストの半年前に生まれたということで、クリスマスの半年前、つまり6月24日が誕生日と定められました。
 この日に歌われていた中世の賛歌「聖ヨハネ賛歌(聖ヨハネの夕べの祈り)」はイタリア式階名「ドレミ」の元となっていることで知られています。ですから6月24日は「ドレミの日」でもあるのです。
 イタリアの修道士で音楽教師でもあったグィード・ダレッツォが「聖ヨハネ賛歌」のドからラまでにあたる部分の1節の歌詞から、Ut、Re、Mi、Fa、Sol、Laを取り出して階名にしたということですが、最初のUtは歌いにくいことから「Dominus」(主)からDoをとって置き換え、ラの次のシは「Sancte Johannes」の頭文字から SJ=Siとしたとのことです。
 つまり「ド」は主イエス・キリストの「ド」というわけです。主音と呼ぶのに相応しい語源ですね。ちなみにフランスの階名ではDoではなくUtを使っているようです。


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2014年06月14日

ホワイトボードにキットパスビューがオススメ

毎週金曜日に清泉女子大学に行って「宗教科教育法」をおしえにいく。受講している学生はわずか2名であるが、この時間がとても楽しい。
昨日それを学生に打ち明けた。
「毎週ここに来るのがとても楽しみなんだ。それは君たちと会えるから」といったら、学生たちはとても喜んでいた。

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 ところで、昨年の秋からこの大学のホワイトボードは「キットパスビュー」というペンを使っている。
 ふつう、ホワイトボードマーカーといえば揮発性のインクのフェルトペンであるが、これはすぐにインクがなくなってかすれてしまうし、なんか書き味がよくなくて字もうまく描けない。
 それに比べてこれはクレパスふうのタッチで、白墨に近い感じである。揮発してかすれるということもない。
 消すのはハンドタオルにおしぼりふうに水をしみこませたもの。これで拭くと消える。だがあまりきれいに消えないで、拭いた跡が残ってしまうのだ。
 最近ようやくこれをうまく使えるようになり、きれいに消せるようになった。コツはきれいに折りたたんで一面ずつ使うこと、ヨコ真一文字に拭き取ったら、タオルの新しい面を使ってまたヨコ真一文字に拭き取る。
 こうすればうまくきれいに消すことができる。

 これはまもなくホワイトボードマーカーの主流になると思う。清泉女子大学はなかなか目が早い。

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2014年05月22日

愛する妻清子さんの「天に召された日」

こんな歌を清子さんの訃報を知った友人が送ってきた。涙なしには読めない聞けない見られないそんな詩で歌でアニメだった。特に今の私には。
まさに今の私のために作られたんじゃないかと思った。



歌:JULEPS 作詞:秋元康 作曲:井上ヨシマサ

ある朝目覚めたら 神さまが待ってた
命に終りがくると そっと知らされた
どうして僕だけが 旅立つのか?
運命のさざ波に 声は届かない

一番近くの大事な人よ
しあわせだったか? それが気がかり

もしも僕がいなくなったら
最初の夜だけ泣いてくれ
君と僕が過ごした歳月を
思い出しながら見送って…

いつかは誰もみな 迎えが来ると
わかっていたはずなのに 他人事のようで…
夕陽がいつもより美しくて
知らぬ間に溢れ出す 感謝の気持ち

今まで一緒に歩いた人よ
残して行くこと 許して欲しい

君と会えて幸せだった
朝の空見上げ微笑んで
僕はきっと日差しになって
見守っているよ 君のこと

もしも僕がいなくなったら
最初の夜だけ泣いてくれ
君と僕が過ごした歳月を
思い出しながら見送って
思い出しながら見送って…


 愛する妻の清子さんが5月3日急逝した。
 前の日はまったく元気で「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」と「ラララミュージック マスネー『タイスの瞑想曲』」のビデオを見たあと、「もう寝よう」と言ってそれぞれの寝室に別れた。
 翌朝6時40分頃、「朝だよ!」って起こしにいったら清子さんの反応がない! すでに事切れていた。
 まったく「信じられない! 昨日はあんなに元気だったのに、こんなのうそだよ! 清子さん、起きて!」何度も呼べども返事がなかった。
 こんなことってあるのか。神さまが突然清子さんを連れていっちゃった。何の前触れもなく、別れの挨拶もしないうちに。
 「神さま、ひどい! むごい!」泣きながら神さまにくってかかったけれど、清子さんはもう戻ってこなかった。

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 5月6日に、カトリック鶴見教会で、お通夜。7日に葬儀ミサ、告別式。そしてそのまま火葬場へ。
 たくさんの方のご会葬があった。
 通夜の時には英隆一朗神父(イエズス会)告別式では晴佐久昌英神父(東京教区)の弔辞があった。

 あれから20日がすぎて、ようやくこのブログと Facebook で公表することにした。お知らせが遅くなってしまってもうしわけなく思っている。この「像の背中 −旅立つ日」を見て、ようやく発表する気になった。

 ともかく清子さんへの生前のご厚誼、ご厚情、本当にお世話になったこと、私たち夫婦を支えてくれたことに心から感謝を申し上げたい。ありがとう。
 おかげで私は清子さんとの、神さまに祝福された幸福な結婚生活をおくることができ、そして清子さんを神様のもとへお返しすることができた。本当にありがとう。

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2014年05月13日

試験の時に何を祈るか? 宗教科教育法3-2

「宗教科教育法」第3回目授業の「祈りをどう教えるか?」の続きです。「試験の前に何を祈るか?」という問いかけを生徒たちにしてみました。この問いかけは祈りとは何かを知る上にとても良い問いかけだと思っております。
 ちなみに「試験の前の祈り」というので検索したらここここにありました。これも一つの参考になると思います。
 このことについて、私は「心のともしび」で書いたことがありますので、それを転載します。本来ならば「心のともしび」のホームページにリンクを張るべきなのですが、残念ながら最近のリニューワルに伴い読めなくなってしまったので、ここに全文を掲載させていただきます。

「心のともしび」原稿「祈りの時」
テストの前の祈り
土屋 至  

 私が勤めていた学校では朝礼の時間に祈りと歌が全校放送される。決められたお祈りを唱えたあと。歌をはじめる前に1分くらいの短い沈黙の時間があり、それぞれが自分の祈りをすることになっている。
 あるとき、生徒に
「試験の日の朝礼の祈りの時に、どんなことをお祈りしている?」
と、聞いてみた。
「そんなの『いい点を取れますように』っていのるに決まっています。」
このこたえをかわきりにいろいろな答えが続いた。
「わたしは昨日勉強したところがでますようにってお祈りします。」
「私はこう祈ります。自分のしてきた勉強の成果があらわれて努力が報われますようにと」
「わたしはあまり勉強しないので、いつも試験の前には努力した以上の結果が出ますようにと祈っています。これってムシがよすぎるでしょうか?」
 生徒の質問の矛先が私の方に向けられてきたが、それには直接答えず、生徒に聞き返す。
「さあ、どうかな? みんなはどう思うかな?」
「神さまが喜ばれるお祈りというのがあると思います。あんまり自分勝手なムシのいい願いは神さまのご機嫌を損ねちゃいます。」
「神さまは寛大な方だから、たとえムシのよい願いだとしてもきっと聞いてくださいます。イエスさまもわたしの名のもとに祈ることはきっとかなえてくださるっていわれていま〜す」
「聞いてくださることは確かだけれど、その願いどおりになるわけではないですよね。たとえ試験で悪い点だったとしても、その人のことを考えてその人のためになるようにとりはからってくださっているはずです。よく『みこころが行われますように』というお祈りするけれど、それってこういう意味ですよね。先生」
 この生徒は私の言いたかったことをみんな言ってしまった。だから優等生は嫌いなんだ。

これを読んで何を考えますか?

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2014年05月10日

宗教科教育法3時間目「祈りについて」

 カトリック学校が生徒に与えることのできるもっともいいものは、きっと「祈り」だと思う.生徒たちが祈ることを身につけていたら、それによってどれだけ救われるか、「祈りが私を自由にする」「祈りの持つパワー」を体験出来ることの幸せをカトリック学校だけが教えられるじゃずである.ところが今の「宗教」の授業ではこれを知識ではなく体験としてどのくらい教えているのか、まったくもってもったいないと思っている。
 それで、これから3回くらい「祈りをどのように教えるのか」についてかんがえる。

 まず「日本人の祈り」について次のような問いかけをする。
 問1 日本人のもつ祈りのイメージは? 思いつくことばやイメージを自由にあげてみよう.

合掌 ぬかづく みずごり 滝に打たれる 念じる 願う 苦しいときの神頼み 念仏 お題目 お経 ロザリオ ひざまづく 黙祷 無心になる


  問2 日本人はどのようなときに祈る

初詣 墓参り 葬式のとき 病気のとき 神社やお寺で 除夜の鐘 建前のとき
合格祈願 安産 お祭り…………


 無宗教といいながら日本人は結構祈っています。
 さらにどちらかと言えば、初詣、お宮参り、結婚式などの始まりのおめでたいことは神社にいき、葬式や除夜の鐘、専属用などの終わりに関することで教示はお寺に行くことが多いのはなぜか?と問いかけたりします。

 問3 日本人は何を祈るのか?

家内安全 健康無事 商売繁盛 五穀豊穣 安産祈願 合格祈願 旅の安全 病気の回復…………


 「亡くなった人のためには何を祈るのか」「冥福を祈るというけれど、あれは何を意味するのかな?」とも問いかけます.
 この日本人の祈りには「世界の平和」や「災害の復興」「飢餓のこどもたちのために」みたいなのがないよねといいます。日本人の祈りは自分のご利益が多いのですね.こういうと反発する人が出るかもしれないけれど。

 問4 祈りの道具、スタイルなど

合掌 ロザリオ 数珠 お経 写経 座禅 ひざまづく ひれふす 絵馬 おまもり お百度参り 


 「ロザリオ」が出てきたときには、実際にロザリオを見せて「これを使ってどう祈るのかを誰か知っているか?」ときいて、ロザリオの祈り方を教えます。

 もう1つとてもおもしろい問いかけがあります。「定期試験の前に何を祈りますか?」という問いかけです.との問いかけはとてもおもしろい応えが出てきます。そしてそれは祈りの本質に触れるような応えが生まれるのですが、これについてはこの次に書くことにしましょう.
 今日はこの辺で。
 ごきげんよう!

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2014年04月30日

カジュ祭に行ってきました。感動的でした。

第9回「鎌倉路地フェスタ」「カジュ・アート・スペース」で開かれた「カジュ祭」に行きました。とても感動的なイベントでした。まちで行う「おとなの文化祭」という感じでした。



清子さんと私はここで
清見ミカンのジュースを飲み、マーマレードのために皮をたくさんもらい、
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上勝晩茶を飲み、
ラスクを買って、
陶器のアクセサリーを2こ買い、
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石焼きピザを食べ、
「かんたん工作・科学遊び教室」の「くりのき倶楽部」の代表の方と「おもしろ科学」について話し、
ここの主催者であるたなか牧子さんと「十二所黙想の家」について話し、
45期の吉澤さんとシェアハウスについて話しました。
ちなみにたなか牧子さんは私の勤めていた学校の美術の先生でした。

とても賑やかで活気があって、温かみに溢れていて、感動的で実り豊かな時間と空間でした。
こういう地域活動がこれからのまちを変えていくんだと思います。

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2014年04月25日

「道徳」「倫理」と「宗教」の授業の違い

今日(4月25日)の清泉女子大学の「宗教科教育法」の時間は「宗教の授業で何を教えるのか」というテーマで行いました.
今年の履修生は実は2名でした。この科目を担当して今年で6年目ですが、今回がもっとも少なかったです。1年目は5名、2年目は10名、3年目は14名、4年目は8名、昨年は6名でしたが、いまだ「宗教」を担当する教員になった人がまだでていないというのが現状です。
あまりに受講者が少なくはりあいがないので、できるだけブログと Facebook で公開することにしました.

まず、中学「道徳」と高校公民科「倫理」の「学習指導要領」を読み合わせました.
中学の「道徳」学習指導要領には、「内容」の3に

3.主として自然や崇高なものとの関わりに関すること。
⑴ 生命の尊さを理解し、かけがえのない自他の生命を尊重する。
⑵ 自然を愛護し、美しいものに感動する豊かな心を持ち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深める。
⑶ 人間に弱さや醜さを克服する強さや気高さがあることを信じて、人間として生きることに喜びを見出すようにつとめる。


というのがあります。この「人間の力を超えたものに対する畏敬の念」というのが「神様を賛美する」ことになるのだと説明をしました。

そのあと学生たちに問いかけてみました.そのやりとりを再現してみましょう。実際よりもよく書かれているのですが…………。

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「じゃあ、公立でする「道徳」「倫理」の授業とカトリック学校の「宗教」の授業の違いは何だろうか? 宗教系の中学校では「宗教」の授業を「道徳」の授業として扱うことが認められているけれど、やはり違いはある」
学生たちの応え、
「まず第一に、聖書を読むということ」
「神様の話が出てくる所」
「祈りを教えるところ」
「そうだね。この3つがもっとも大きなところだ。では内容的にはどうかな? この3つの特徴の故に教える内容にはどのような違いがあるかな? わからないかな?」
「そういえば『宗教』には学習指導要領がないね.教科書もないし」
「道徳では愛の大切さは教えるけれど、キリスト教ではアガペ(無償の愛)をとくところかな。」
「よくわかったね。他にはこういう違いはもっとたくさんあると思うけれど」
「道徳では『いのちがもっとも大切である』と教えるけれど『宗教』では『いのちよりも大切なもの』を教えます。星野富弘さんみたいに。」
「おお、それはいい所に気がついた。『永遠のいのち』の話はもっとも宗教的だと思う。」
「福音の逆説性というのもあるよね.『貧しい人は幸い」「泣く人は幸い」なんて道徳の授業で教えたら訴えられてしまうけれどね。それに『汝の敵を愛せよ』もそうだよね。常識的には考えられないことでも『宗教』の授業でなら『偏向』といわれずに教えられる」
「じゃ『道徳』の授業では教えられても『宗教』ではほとんど教えていないことがあるけれど、気がつくかな。教えている所もあるだろうけれど、きわめて少ないと思う.」
「なんだろう? わかんな〜い」
「『愛国心』だろうね。国を愛するよりもより普遍的な人類愛は教えるけれど.国家に体する忠誠心みたいなものは教えないよね.」
「そういわれると『道徳』では社会批判みたいなことも言わないよね.社会の矛盾とか社会が持つ構造的な悪みたいなことも教えないね。『宗教』の時間ではしっかりと教えるよ.」
「『道徳』というとやはり、国が教える教科なんだよね。どうしてもそこから抜け出すことができない。」
「じゃ、次の質問だ。いま文部省では『道徳の教科化』ということを画策しているけれど、『道徳』が『教科」になるとどこが違ってくるのだろう?」
「学習指導要領と検定教科書が出現する。これまでは道徳には副読本はあったけれどね。」
「評価が付く。つまりテストをするということかな?」
「教員免許状も必要になるよね.道徳を教えることがより専門的になる。これまでは教員免許を持っているものなら誰でも教えることができた。」
「つまり、道徳を○と×で教えるようになる.善と悪を峻別するようになる。本当は善と悪の灰色状態が問題なのだろうけれどね」
「なんか、授業がつまらなくなりそう。価値観の押しつけばかりが多くなってしまいそうだから。いろいろな意見が出て活発に話し合う所が面白かったのに、これではなかなかそういう『対話』は生まれそうにないね.」
「そういう対話の中で気がつくこと、教えられることが『道徳』の授業の場合とても大切なんだよね.」
「前に述べたような『宗教』の授業でしか教えられなかったことが教えられるなくなりそう。ということはミッションスクールの存在理由にも関わってくる大切な問題なんだ。カトリック学校にはこの危機感が薄いような気がすることも問題だ」


とまあ、こんな展開がありました。
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2014年04月23日

パンダのチョコレートボールのパッケージの奇抜さ

大井松田のブルックスで「パンダのチョコレートボール」というのを買った。パンダの表情がかわいかったからである。
これを食べてちょっとおどろいた。パッケージのなかには白いチョコボールが二つ入っていた。ということは表情豊かなパンダの姿は実はパッケージのほうに印刷されていて、中のチョコボールは白いままなのであった。
印刷されたパッケージは全部で11種類あって、どれも表情が違っていた。
さらにKALDI では「母の日のプレゼント」仕様で販売されていた。

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シェアハウスのはじまり、はじまり〜。

 私の家は、70坪ほどの借地に2軒の家が建っています。1軒は築25年ほどのヘーベルハウスで私たち夫婦が寝起きしています。もう1軒は築50年ほどの両親の家でしたが、両親ともに他界してしまい、住む人がいなくなりました。私たちは仕方なくそちらの家で食事をすることにしていましたが、食堂と台所以外の部屋はだんだんと物置となりつつあったのです。
 これではあまりにももったいないと思っていたので、一人の若者を居候させようと画策していたら、友人が自分の息子も居候させてほしいと懇願するので、ついに二人の若き男性を居候させることにしました。
 しかし、そのためには部屋をきれいにしなければなりません。物置となりつつあった「もの」の処分をしなければなりませんでした。父と母の遺品も多くありました。
 父の遺品はボランティア協議会事務局をしていたときの書類集、写真好きだった父のアルバム、数理パズル関係の本が多くありました。特にボランティアの書類は実に見事にファイルされていました。
 母の遺品は手芸教室をやっていた関係からの手芸の本、手芸の材料の端布、そして司馬遼太郎をはじめとする歴史小説が多くありました。
 それから私の「おもちゃコレクション」もたくさんありました。
 それらの処分の奮闘が始まりました。粗大ゴミは2回に分けて11点のほか、一般ゴミや紙ゴミの時に45リットルのゴミ袋を8つくらい出していきました。これ以上出すと持って行ってくれないだろうなというぎりぎりの量でした。
 父母の遺品を整理している中で見つけた多くの Good News はおいおい紹介していこうと思います。
 ともかく、二人の居候師にも手伝ってもらって、なんとか住めるようになりました。

 これは一つのシェアハウスなんだなと思っています。私たちと二人の若い居候男性たちとのシェアハウスなのですね。どういうライフスタイルにするか、どういう生活のルールをつくるかは、どれだけの「家賃」をいただいたらいいのかなど、これから話し合いながら、試行錯誤していきます。
 一人は「宗教」を教える教員をめざしています。一人はプロのギタリストです。それぞれの夢の実現をサポートできるシェアハウスにしようと思っています。
 私の場合には「宗教倫理教材集」「宗教倫理ワークブック」の作成や、 Good News データベースと科学おもちゃデータベースづくりなどを手伝ってもらおうと思っています。

 ともかくもこのシェアハウスのはじまり、はじまり〜。さてどうなることか。いつまでつづくか。

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2014年04月11日

ゾウの描く絵

Facebook に流れてきたものをシェアしています。
すごいですね。ホントに見とれます。




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台所でたまたま見つけたこんな現象

台所でドレッシングの瓶のラベルをはがそうとしてみずにつけようとしたところ、水が流れている水道の蛇口の下に入るとこんなローリング現象が起こりました.
これをどのように説明したらいいですかね? ベルヌーイの定理の現象かな?



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2014年03月23日

イタリアでウルスラ会のシスターが一夜にしてスターに

ここのところカトリック教会の関係する Facebook を賑わしているニュースがある。テレビ局の歌のオーディション番組でウルスラ会のシスターが登場し、圧倒的な人気を博したそうである。

 イタリアのオーディション番組「ザ・ボイス(The Voice)」に出演したクリスティーナ・スクッチャ(Christina Scuccia)さん(25)は、黒の修道衣と十字架のネックレスをつけ、アリシア・キーズ(Alicia Keys)の「ノー・ワン(No One)」を歌った。観客からは大きな歓声が起き、審査員4人は信じられないといった表情を見せた。
 ウルスラ会(Ursuline) の修道女のスクッチャさんは、「神から与えられた才能があるからここに来ました。その才能を分かち合えればと思って」と述べた。審査員の1人のラップ歌手、J-Axさんは、「感動して涙が出た」と語った。
 スクッチャさんは、修道院から「外に出て」神の御言葉を広めなさい、と言ったフランシスコ(Francis)法王に触発されて番組に出場することにしたという。
 別の審査員が、法王庁は彼女がオーディション番組に出たことをどう思うだろうかと尋ねると、スクッチャさんは「法王からの電話を待っています!」とジョークで返した。


どうやら教皇フランシスコに刺激を受けられたようである。



こういうのが生まれるのも、今のカトリック教会のおもしろさであろう。こういうシスター、日本にもけっこういますよ。

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2014年03月07日

自殺を予防するTALKの原則

カウンセラーの友人がFacdbook でシェアしたものを私もここでシェアします。
医者がつくる、医療と医学がわかる情報サイト「医知場」からシェアしました。


TALKとは、Tell、Ask、Listen、Keep safeの頭文字をとったものです。

T:あなたの様子をみていると、とても心配になるという点をはっきりと言葉に出して伝える。

A:自殺のことをうすうす感じているならば、はっきりとその点についてたずねる。真剣に対応するなら、それを話題にしても危険ではなく、むしろ自殺予防につながる。

L:傾聴する。励まそう、助言しよう、叱ろうなどと思ったり、気分転換のためにどこかに連れて行こうという気持ちがわき上がるかも知れないが、最初は、徹底的に聞き役に回り、相手の絶望的な気持ちを真剣に聴く。

K:危ないと思ったら、その人をけっしてひとりにしないで、安全を確保したうえで、必要な対処を行う。周りの人からの協力も得る。危険だと考えられる人、とくにはっきりと自殺を口にしたり、自分の体を傷つけたりした人は、確実に精神科医の診察を受けさせる必要がある。

自殺の危険が高い人は、周囲から手を差し伸べられても、それを拒絶して、孤立を深めていくケースが多い。

日本では、精神科を受診することに抵抗がある人が多い。

相手に自殺の危険を感じたら、TALKの原則で対応し、できるだけ早く、精神科の診察を受けさせるべきだ。


う〜ん。精神科の医師はこれにちゃんと対処できるのかな? という不安がありますが………。

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2014年03月03日

「スピリチュアル・ケア」ノート

「聖書におけるスピリチュアリティ・スピリチュアルケア」(キリスト教カウンセリング講座ブックレット6 大柴譲治、賀来周一著 キリスト新聞社 2011年刊)を読んだ。なかなか参考になることの多かった本であった。
以下、そういうところを抜粋して記そうと思う。おもに後半の賀来さんの書かれた第2部「スピリチュアルケア−臨床牧会の立場から」というところに興味を覚えた。

 スピリチュアリティとは、従来意味されてきたような特定の宗教に基づくというのではなく、また神秘主義的な傾向によるものでもなく、きわめて成熟した宗教性とでも言うべき者が求められるようになった。
 宗教という言葉からは特定宗教、既成宗教のイメージが連想されるところから、宗教性という用語を使用するに抵抗感を持つ向きもありますが、ひとは「生き死に」の根源に関わる究極性を概念的にではなく経験的に求めているという意味で健全かつ成熟した宗教性という意味をスピリチュアリティという用語に込めることは許されることではないでしょうか。(106ページ)

 死の看取り現場から見えてくるもの
 危機的実存的問いとスピリチュアルペイン
 「こうなったら生きていてもしょうがない」「なぜ私はこんな病気になったのか」「もう諦める以外に道はない」「何かの祟りではないのか」「これから先わたしはどうなるのか」「私の人生はこれでよかったのか」
 科学の知の限界
今まで科学の発展の背後に隠れて光を浴びることのなかった対極としてwの個別性、非合理性、主観性に実は人間の問題を解明する大きな応えが潜んでいる。(111ページ)

3種類のスピリチュアルペイン
1.存在論的問い「なぜ存在するのか」(いるだけでは怠け者、存在するだけでは意味がない、こうなったら死んだ方がまし。)
2.目的論的問い 「何のために存在するのか」(役に立たないなら無駄飯食いだ、早く死にたい。何のために生きているのか。今は死ぬに死ねない、まだし残したことがある、私の人生はこれでよかったのか)
3.不条理の問い 「なぜ、私にこんなことが」(なぜ、こんな不幸な目に遭うのか、なぜ今なのか、なぜ他の人ではないのか、何もわるいことはしていないのに、正直に生きてきたのに、神はいるのか)

スピリチュアルペインと聖書

1.存在論的問いと創造の出来事
 「何かをする」ということを重視する現代社会の価値観は、ただいるだけで何もしない人はだめで役立たずとしか見ないのです。この社会における人の営みは、好意と存在から成り立ちます。しかし、社会は、行為つまり「する」ことに価値の基準を置いて人間を見るのです。「いる(存在)だけでは意味がない、この価値観は現代社会に生きる私たちの中に染みついています。(117ページ)
 神学者バルト(1886〜1968)は、自殺する人に語りかける言葉は「生きなければならない」ではなく、「あなたは生きることが許されている」でなければならない、と言います。(120ページ)

2.目的論的問いと終末の出来事
 人は命の終わりにさしかかれば、必ず何もできなくなるにちがいありません。それこそ「いるだけ」の世界に身を横たえなければならなくなるはずです。(131ページ)
 スイス人医師のポール・トゥルニエ(1898〜1986)の著作「老いの意味」(邦訳ヨルダン社)に「老いるということは、未完了の仕事を受け入れていくプロセスである」とあります。(133ページ)
 明日死を迎えるとしても、なお先を望んで、今日を淡々と生きるためには、死のかなたに、死にゆく「私」のすべてを受け取られて、究極の完成へと導かれていく、と言う宗教的世界が提示されねばなりません。ここには終末論的な意味を持つ、スピリチュアルケアの重要性が問われるのです。信仰があれば大丈夫、死ねば天国に行くという安易な言葉ではくくることのできない、深刻な苦悩や悲しみの最中にあってもなおその向こう側に究極性や永遠性、絶対性を希求する人間の実存がかかっているのです。
(134ページ)

3.不条理の問いと十字架の出来事
 ドイツの女性神学者ドロシー・ゼレ(1929〜2003)は、その著「苦しみ」(邦訳、新教出版社)という本の中で一つのエピソードを紹介しています。
 第2次世界大戦のユダヤ人強制収容所の中である出来事が起こりました。過酷な状況に耐えきれず、脱走を図った子どもたちがいました。二度とことを起こさないように見せしめのために、収容所の中の子ども全員を集めて一列に並ばせ、五番目ごとに銃殺したのです。
 ゼレはこの出来事を紹介するにあたって、こんなことを言っています。このようなときに、愛なる神、全能なる神はどこにもいない。もし神が愛であり、全能であるなら、すぐにやってきて五番目ごとに並んでいただけで銃殺される子どもを助けにきてくれるはずだ。しかし、そのような神はどこにもいない。もし神がいるとすれば、銃殺される子どもと一緒に殺された神がいるだけだ。そういう神はともに苦しむ神であり、それが十字架のキリストに他ならないと言います。
 キリストは十字架上で果てられるとき、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」とさけばれたとあります。
 神の子が神から見捨てられたのです。これほどの不条理はありません。キリストは不条理の極みにご自身をおかれたのです。キリストご自身を不条理の極みに置かれることで、私たちが不条理の極みに立つとき、共にいてくださるお方だということを、十字架上のキリストを通して私たちを知ることができるのです。(127ページ)
 究極のカウンセリングは「共にいること」(WITHNESS)であるといわれます。苦難の中にいる人と共にいることは辛く難しいことです。しかし、共にいてくれる人がいれば、問いだけあって答えがないところでも、人はなお前に向かって生きることができます。(127ページ)
 


 引用ばかり長すぎてしまった。
あとは見出しだけですませることにしよう。本当はここがもっとも大切なところかもしれないけれど。

第4章 スピリチュアルペインに対するケア
1.存在論的問いに対するケア 存在の肯定と安心感の付与
2.目的論的問いに対するケア 究極の世界にゆだねる決断
3.不条理の問いに対するケア 意味のあるプロセスの共有者の存在

私の物語
 スピリチュアルケアの最終目標は、当事者がどれほど成熟した「私の物語」を作ることが課題となります。その物語の質はスピリチュアルペインの克服の程度によって決定されます。援助する側からみれば、その「私の物語」が慰めや希望をもつ物語となるように援助することが求められています。

 こんな「物語」が紹介されていた。

 手元に一冊の本があります。三児の母、そして49歳にして「がん」と向き合う日々を生きた一人の信仰者田坂祥子さんの死の看取りの記録です。この本は「安らかな死」と題して1994年に日本キリスト教出版局から上梓されました。
 1992年の5月9日の朝、祥子さんは愛する夫と32人の子どもたちに見守られ、自宅のベッドで召される時を迎えた。最期の言葉は「あなた、ありがとう」とのご主人への感謝であった。納棺の時には「みんなの席を天国で取っておくからね。椅子取りみたいに。いい席にハンカチを置いておくよ………」と数日前に彼女がユーモアたっぷりに言い残した言葉通り、棺の中にはハンカチをたくさん入れた。音楽の好きな祥子さんにとって、天国は音楽会だったからである。

 私もこんなすてきな物語を死ぬ間際につくれるだろうか。
 私は「死にたくな〜い。もっと生きていた〜い」と絶叫して息絶えるのではないか。その往生際がわるさに神さまもあきれるだろうが、「こんな絶叫する元気があるなら、もう少し生かしておくか」と神さまに思わせてしまうのがねらいの物語である。

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2014年02月21日

宝くじCMのコピーはどう考えたらいいのか?

電車とバスの中にあった「宝くじ」の広告ポスターが目についた。何とも不思議なコピーである。

「お金持ちが幸せとは限らない」とお金持ちになって実感してみたい。

だって。
これは駅のポスター。

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こちらはバスの中の広告。

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2014年02月13日

「ありがとうの児童画展」の43年前の子どもたちの絵

 私のSIGNISの友人の鈴木浩さんは、今から43年前の1969〜1970年に自転車で日本全国の小学校をまわり、子どもたちの絵を集めました。約125校から500点余の児童画を集めました。
 彼はそれを集めて東京で児童画展を開くのが夢でした。その夢は1970年10月に実現します。

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そしてそれは新聞記事にもなりました。

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 Facebook で少しずつ発表されてきましたが、ここで一挙に全作品がみられるウェブサイト児童画展「ありがとうの絵」が開催されるようになりました。
 どの作品もじつに生き生きとその時代を反映して描かれています。
 彼はこの絵を当時小学生だった作者に返却したいのだそうですが、返却するすべがありません。この絵を見て描いた方たちと連絡が取れたら幸いです。

 それにしても全国を自転車で回って、子どもの絵を集めたというのは、今では考えられないことですね。それをあつめた青年時代の鈴木さんと快く絵を提供してくださった学校と子どもたちに頭が下がる思いです。

こちらにもあります
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2014年02月09日

「シニアの霊性」体験プログラムの提案

 私の卒業した高校である栄光学園同窓会には「栄光同窓カトリックの会」という支部みたいなものがあります。カトリックの信者の卒業生の集まりです。私はここの13期生なのですが、私がもっとも若くて、古くは1期生からいます。
 このたび「栄光同窓カトリックの会」のメンバーのための黙想会を3月15日〜16日に鎌倉の十二所黙想の家で行うことになりました。
 ただし、今回は同窓会メンバーのための黙想会なので、参加のご希望をいただいてもお応えできませんが、いつか一般の方々の参加できる「黙想会」として企画できたらいいなというのが私の夢です。
 もしもこのプログラムに参加してみたいという方がおられたらコメントにお寄せください。そうしたら実現できるでしょう。
 その黙想会のために、黙想指導の神父さんに書いた提案書をこの私のブログで紹介します。黙想指導のプロである神父さんにこんな生意気な提案をすることの失礼は重々認識しておりますが、あえて提案させていただきました。

 このたびは「栄光同窓カトリックの会」の黙想会指導をお引き受けいただきありがとうございます。
 実は、私はこれには出席できないのですが、この同窓会幹事のひとりとしてこの「シニアの霊性」というテーマの黙想会を提案しました。
 黙想指導のプロである神父さまに、この黙想会に参加できない私が、こんな生意気なことを申し上げる失礼もおゆるしください。
 今度の黙想会は、ぜひ神父さまのやり方でおすすめください。
 でもどうしても神父さまにお聞きいただきたく、メールいたします。
 実はこの種の黙想会は、高齢化が進むいまの教会に必要なことだと思うのです。教会の中だけでなく、一般の人びとにも有効だと思うし、なによりも福音宣教の最も有効な手段となり得るとさえ思っています。信者でない一般の人たちにこのような「シニアの霊性」体験プログラムを提供できたら、きっと信者となる人が増えるでしょう。
 十二所の黙想の家は、これからそういうプログラムを体験できる場として、地域にそして一般の人びとに開かれていく場となるように提案したいと思っているので、今回の黙想会はそのテストケースになるかもしれません。

1,この黙想会のスタイルについて
 私は、東京で行われている「カトリック学校教員養成塾」のスタッフを務めて5年目になりますが、毎年年末に合宿を致します。そこで「自分の教員生活を振り返る」ということをします。
 たとえば「教員になったきっかけやその学校に勤めることになったきっかけ」「自分に影響を与えた先生たち」「生徒との交わりの中で得たこと」「同僚たちとの交わりの中で」「これから私のめざすこと」というテーマのもとに5つのセッションを行います。
 それぞれのセッションは、スタッフのひとりの自分の経験についての簡単なプレゼンテーション(15分程度)、1時間の個人の振り返りの時間、そして1時間の5〜6人グループでのわかちあいによって構成されています。
 1時間の振り返りの時間は沈黙でそれぞれの部屋や聖堂、あるいはその集会の部屋で行います。思いつくことをノートに書いていく人もいれば、書かないでひたすら黙想する人もいます。
 分かち合いは、その振り返りの時間で何を感じ、何に気づき、何を考えたのかということを分かち合います。先ず順番にひとり5分くらいの報告をしほかの人は聞き合います。それを一巡したら、ほかの人の分かち合いを聞いて感じたこと考えたことを今度は順番を決めずに第2ラウンドを行います。分かち合いなので、他の人の分かち合いを批判したり、注釈をくわえたり、説教をしたり、助言をしたりするのはすすめられません。
 グループのまとめをしたり、全体への発表や報告をしたりすることは必要ありません。
 じつは今度の黙想会もこのスタイルをとったらいいとおもって、スケジュールを作りました。
 スケジュールには1時間の講話、1時間の黙想、1時間の分かち合いとなっておりますが、講話に1時間必要ないと思われます。テーマの解説と具体的な作業の指示、その作業をしてみて神父様ご自身のケースについての話をしていただければいいと思います。これはあくまでも自分の振りかえりを助けるための「呼び水」みたいなものです。
 教会の黙想会の多くは、講話と黙想だけで構成されていることが多いのですが、ひどいときには「黙想会」といいながら講師の講話を聞くだけというのもあります。ここでは講話が中心というよりも、個人の振り返りが大事なのだと思います。講話はそれを助けるためのものであってほしいのです。

2.各セッションのテーマについて
 この黙想会の全体のテーマは「シニアの霊性」です。おそらく参加者の中でも私がもっとも若い世代となり、参加者の多くは70代となるはずです。いまふうにいうならば「終活」ですね。そんなシニアのためのテーマは次の三つになるのではないかと思うのです。
 ひとつは自分のライフストーリーを振り返る。人生の総決算とでも言えるかもしれません。
 他のひとつは「死の準備と永遠のいのち」ということでしょう。
 そして3つめは「残りの生をどう生きるか」
 黙想者はそれぞれのテーマについて、もっとも応えやすい問いかけを選んで、それについてあれこれと思い巡らしてみて、神さまと対話してみるというのが振り返りの時間です。思い浮かべたことや気がついたこと、感じたことなどをノートにメモしておくといいでしょう。

1)自分のライフストーリーを振り返る
自分に与えられた恵みと逃してしまった恵み
自分の人生のラッキーだったこととアンラッキーだったこと
私がこれまでにやってきたこと、やってこれなかったこと、あるいは成功と失敗をふりかえる
私の人生のターニングポイント、選択の歴史
クリスチャンとして信仰をもって生きてきて、損をしたと思うこと、得をしたと思うこと
どういう呼びかけにどう応えてきたのか、あるいは応えてこなかったのか?
人生を生きてきての誇りと悔い
自分の自慢、手柄、功績のリストづくり
自分の遺産のリスト 残しておきたいもの、何を遺産として残したいか、誰かに受け継いでほしいこと、自分の記念館を作るとしたら、何を展示し、自分の生涯をどう紹介するか。
自分の「ライフワーク」や自分史の目次づくり
もっとも愛する人へ、毎年命日になると配信される手紙を書く。
自分の人生の意味を考える。ライフストーリー、人生シナリオ。このストーリーやシナリオの作者である神さまは、主人公のあなたをとおして何をお伝えになりたかったのか?

2)死の準備と永遠のいのち
 私は個人的にこのテーマを黙想するのにもっともいいのは、デ・メロ神父の提唱する「臨終と葬式のエクササイズ」だと思っています。ご存知だと思いますが、これは「東洋の瞑想とキリスト者の祈り (アントニー・デ・メロ 著 裏辻 洋二 訳 女子パウロ会刊)に掲載されています。「幻想を用いて祈る」という章に紹介されている一連の黙想です。

●生命(いのち)その真価 
●視力を失う自分を想像する
●全身麻痺でベッドに横たわっている自分が、徐々に麻酔から覚めていく自分
●病院で入院中の自分
●体よ、さようなら
●あなたの葬式と埋葬

 私はこのエクササイズをCLCのなかまとともに過去に体験したことがあります。素晴らしいエクササイズでした。とくに「体よ、さようなら」でイエズスがそこにおられて「体の各部分に、至(注・私の名前)の手よ、至のためによく尽くして働いてくれた」と手に感謝している部分を想像したときに涙が止めもなく流れてきたのを思い出します。
 この黙想会では聖堂で実際にこれをガイドしてくださるのが一番いいのではないかと思っています。もっともこのエクササイズに抵抗して祈れない人も出てくるでしょうが、そこをうまくガイドしていただいて、このエクササイズをしたあとに分かち合うのは素晴らしい信仰体験になるはずです。
 ここに現代的でほんものの『霊操」のエッセンスが込められているような気がしますが、いかがでしょうか?

3)残りの生をどういきるのか?
 これも具体的なリストをつくる作業として行えばいいと思います。
●死ぬまでにやっておきたいことのリストづくり ともかく思いついたことを箇条書きにしてどんどんあげていきます。行きたいところ、会っておきたい人、体験しておきたいこと………などを思いつくままにあげていきます。できるだけたくさんリスとしたら、それを読みかえしてみます。そのなかで何を優先するのか、明日にでもすぐにできることは何か、何から手をつけていくか、順番をつけてみましょう。これは簡単にできそうということ、これはムズカシイということ、後まわしにしそうなことに印をつけてみてください。
●今からでもいや今だからこそできる、あるいは私だからこそできる「人のため社会のために今の自分にできること」をあげてみる。
●遺言として、信仰を子どもや孫たちにどう伝えるか

 ながながとお読みいただいたことを感謝いたします。これをお読みになって、お感じになられたこと、お考えになったことを伺えたら幸いです。
 黙想指導のプロである神父様にこんな生意気なことを申し上げる失礼をかさねがさねおわび申し上げます。
 今度の黙想会はどうぞ神父さまのお望みどおりにおすすめください。実りある黙想会になるようにお祈りしています。

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2014年02月08日

デ・メロの「臨終と葬式のエクササイズ」のオススメ

 インド人のイエズス会士アントニー・デ・メロ神父の著書に「東洋の瞑想とキリスト者の祈り (アントニー・デ・メロ 著 裏辻 洋二 訳 女子パウロ会刊)という本があります。そのなかの「幻想を用いて祈る」という章に紹介されている一連の黙想として「臨終と葬式のエクササイズ」があります。
 このエクササイズを私は20年近く前に体験したことがあります。これは別にクリスチャンでなくても体験できるエクササイズですが、やはり信仰をもって生きることのすばらしさも体験できるプログラムです。
 その一部を抜粋して紹介してみましょう。

●生命(いのち)その真価 

先日あなたは精密検査をうけました。今日その結果が出るのでそれを聴きに行きます。………待合室にいます。周りを見渡してみましょう。………診察室に入りました。ドクターと向き合いました。………ドクターは「検査の結果、あなたは不治の病におかされている、普通人としての活動だできるのはあと2か月でしょう」とわたしに告げました。
突然のこの宣告を受けて、あなたは何を感じますか? 胸の内に湧いてくる思いにしばらくとどまってください。………
外に出ました。この気持ちをどうしますか? 誰かにあって話したいですか?


●視力を失う自分を想像する
●全身麻痺でベッドに横たわっている自分が、徐々に麻酔から覚めていく自分
●病院で入院中の自分 夜も更け、ひとりぼっちでいると想像してください。

●体よ、さようなら

 息をひきとる前に、みなに別れを告げようとしていると想像してください。あなたに、1,2時間のいのちが残されているだけです。この最後の時を、あなたは自分自身と神のために使おうととっておいたのです………。
 では、自分に語りかけてください。体の一つ一つの部分に、手、足、心臓、脳、肺に語りかけます………。ひとつひとつにさようならと告げてください………。
 おそらくこのとき、生まれてこの方はじめて、まさに死なんとしているのだと意識するでしょう。
 体の一つ一つの部分をいつくしんでください。左手にそっと右の手をのせ、今まで自分のために骨身をおしまず、尽くしてくれたことを感謝しましょう………自分にとってじつに貴重な存在であったと話してください………今どれだけいつくしみを持ってこの右手をながめているかを話してください………ほどなくして塵に帰ってゆくこの右手に、心からの愛情と感謝をささげましょう………体の各部分、各器官についてひとつひとつ、そのようにします………終わりにあなたの体全体、この固有の姿、かたち、容貌、肌の色、上背、造作を持った体について同様にします………。
 イエズスが傍らにおいでになると想像してください。あなたの体の各部分が、あなたの生涯に尽くしたことに、イエズスが感謝の言葉を述べておられるのを聞いてください………イエズスがその愛と感謝で、あなたの体を満たしておられるのを見つめてください………。
 イエズスがあなたに語りかけられる、そのみ言葉に耳を傾けます。


●あなたの葬式と埋葬

 ………あなたの遺体をよく見てください………ことにその表情に注目しましょう………あなたの葬儀に参列している人をながめます………葬儀ミサの説教を聞いてください………この司祭はあなたについて何を語っていますか………それを聞いてあなたは何を感じますか?………
葬儀が終わりました………ひとりひとりが家路につきます………道すがらあなたについて話していることに耳を傾けてください………それを聞いて何を感じますか?………
葬儀が終わって、あなたの遺体が埋葬されたお墓の前に立っています。家族や友人があなたの墓の前で手を合わせて祈っています………あなたは家族や友人たちが墓の前から去っていくのを見送っています………何を感じますか………ここにたたずんで、あなたの生涯とさまざまの体験を振り返ってください………生きるに値した人生でしたか………?


 私はこのエクササイズをCLCのなかまとともに過去に体験したことがあります。素晴らしいエクササイズでした。とくに「体よ、さようなら」でイエズスがそこにおられて「体の各部分に、至(注 私の名前です)の手よ、至のためによく尽くして働いてくれた」と手に感謝している部分を想像したときに涙が止めもなく流れてきたのを思い出します。
 もっともこのエクササイズに抵抗して祈れない人も出てくるでしょうが、そこをうまくガイドしていただいて、このエクササイズをしたあとに分かち合うのは素晴らしい信仰体験になるはずです。
 ここに現代的でほんものの『イグナチオの霊操」のエッセンスが込められていると思います。

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2014年02月07日

若山牧水の歌の抒情

若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。宮崎県生まれ。
1920年より沼津に住む。沼津に若山牧水記念館がある。今度訪れてみよう。

旅を愛し、旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に歌碑がある。大の酒好きで、一日一升程度の酒を呑んでいたといい、死の大きな要因となったのは肝硬変である。ちなみに、夏の暑い盛りに死亡したのにもかかわらず、死後しばらく経っても死体から腐臭がしなかったため、「生きたままアルコール漬けになったのでは」と、医師を驚嘆させた、との逸話がある。自然を愛し、特に終焉の地となった沼津では千本松原や富士山を愛し、千本松原保存運動を起こしたり富士の歌を多く残すなど、自然主義文学としての短歌を推進した。


代表作はなによりもこの三つであろう。

白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ
いざ行かむ 行きてまだ見ぬ 山を見む このさびしさに 君は耐ふるや
幾山河 越え去りゆかば 寂しさの 果てなん国ぞ けふも旅行く


これは作曲:古関裕而で藤山一郎が歌っていますが、YouTube に見つけましたが、これは歌詞が入っていない。

他にも鮫島有美子が歌っています。


上記の歌以外でもこんな歌がいいですね。

0903wakayama
 わが行くは海のなぎさの一すぢの白きみちなり尽くるを知らず
 山に来てほのかにおもふたそがれの街にのこせしわが靴の音
 はるばると一すぢ白き高原のみちを行きつつ夏の日を見る
 わがこころ静かなる時につねに見ゆ死といふもののなつかしきかな
 海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり
 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ
 終りたる旅を見かへるさびしさにさそはれてまた旅をしぞおもふ
 秋かぜや日本の国の稲の穂の酒のあぢはひ日にまさり来れ
 なすべきをなさざる故にこの如くさびしきものとなりしやわれは
 いつか見むいつか来むとてこがれ来しその青森は雪に埋れ居つ
 めいめいのこころそれぞれに向きてゆくこの友どちをとどめかねつも
 いまいちどあひておかねばならぬごときおもひは苦しいつ逢ふべしや
 それほどにうまきかと人のとひたらばなんと答へむこの酒の味
 酔ひぬればさめゆく時のさびしさに追はれ追はれてのめるならじか
 おだやかに妻にものいふやすらけきこころをわれの持たぬものかも
けふもまた こころの鉦を 打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれて行く
山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花
とほ山の峰越しの雲のかがやくや峰のこなたの山ざくら花


師の尾上柴舟は、牧水の死を悼んで、「そのかみの西行芭蕉良寛の列に誰置くわれ君を置く」と詠んだ。
さて、あなたはどの歌がお気に入りですか?

ちなみに若山牧水の歌はここにある。

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2014年02月06日

福島の子どもを描いたアニメ「アビタ」アニメ国際賞

 FBで知った短編アニメ「アビタ」です。



 この短編アニメはドイツに在住する日本人学生が作ったアニメだそうです。アニメのタイトルは「Abita(アビタ)」で、福島原発事故の放射能汚染で苦しむ子供が主人公になっています。
 いろいろなところでアニメの国際賞を受賞しているのだそうですが、不思議なことに日本ではほとんどそのことが報道されないし、知らされていないということです。

・Awards:
Best Animated Film, International Uranium Filmfestival, Rio de Janeiro, 2013
Special Mention, Back-up Filmfestival, Weimar, 2013
・Coming Competitions:
Eco-Filmtour, Potsdam, 2014 (nominated)
Winter Film Awards, New York City, 2014 (nominated)

 このアニメをみて感じたこと、考えたことを教えてください? 特に子どもたちがこれをみてどのように反応したかをお聞かせください。

 ちなみに、これを作った日本人学生とは、ドイツのルートヴィヒスブルク(Ludwigsburg)在住の Shoko Hara さんというかたで、1988年に岡山県で生まれ、1998年にドイツに移住しています。大学ではメディアデザイン研究科に在籍、2012年にバーデン・ヴュルテンベルク州立フィルムアカデミー、モーションデザイン学科で学びました。

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2014年01月19日

パスカルの「賭け」

パスカルの「パンセ」に』こういうくだりがある。有名な「パスカルの賭け」についてのくだりである。これは「はじめてのゲーム理論」(講談社ブルーバックズ 川越敏司著)に紹介されていた。この考え方が「ゲームの理論」の本に紹介されていたというところがおもしろい。

 それではこの点を検討して「神はあるか、またはないか」と言うことにしよう。だがわれわれはどちら側に傾いたらいいのだろう。理性はここでは何も決定できない。そこには、われわれを隔てる無限の混沌がある。この無限の距離の果てが賭けが行われ、表がでるか、裏がでるかなのだ。君はどちらに描けるのだ………さあ、考えてみよ………。選ばなければならないのだから、どちらのほうが君にとって利益が少ないかかんがえてみよう………神があるという方を表にとって,損得を計ってみよう。次の2つの場合を見積もってみよう。もし君が勝てば君は全部もうけられる。もし君が負けてもなにも損しない。それだから、ためらわずに神があると描けたまえ………ここでは無限に幸福な無限の生命がもうけられるのである。勝つ運がひとつであるのに対して負ける運は有限の数であり、君の賭けるものも有限なものである。これでは確率計算など全部いらなくなる………したがって無に等しいものを失うのと同じような可能性でもって起こりうる無限の利益のために、あえて生命を賭けないで、出し惜しみをするなど、理性を捨てないかぎり、とてもできないことである。


 このパスカルの考え方について「はじめてのゲーム理論」の著者川越敏司氏はこんな注釈をよせていました。

 これは「パスカルの賭け」と呼ばれている、神への信仰を合理的に正当化する有名な議論のひとつである。
 神が存在するか否か、どちらかに賭けるとしたら、存在する方に賭けた方が、存在しないという方に賭けるよりも期待値が大きいから、神が存在すると信じるべきだという論法です。
 これは非常にゲーム理論らしい考え方です。パスカルは何百年も前に、ゲーム理論の考え方を先取りしていたのかもしれません。


 この論法は、たとえば「死後の世界」が存在するかどうかについても当てはめられる。つまり「死後の世界」が存在するかどうか、人間には分からない。問題は「死後の世界」が存在する方に賭けるのか、存在しない方に賭けるのか「賭け」なのである。どちらに描けた方が利得があるのか。
 それは明白である。「存在する」ほうに賭けた方が希望を持って死ぬことができるからである。死んだらもうそれで終わりと考えるよりも、死んだら天国に行ける、死んだら先に死んだ自分の肉親や愛する人と再会できると考えた方がずっと希望と安心を持って死ぬことができるからである。
 この論法は他の問題にも当てはめることができるだろう。
 信仰というのはそういう問題なのかもしれない。
 というと、信仰は損得の問題ではないと反論する人がいるということも想像するに難くないが………。

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2014年01月01日

大晦日から元旦恒例、年賀状、お雑煮、お屠蘇、初詣

あけましておめでとうございます。

昨日の大晦日は、午後6時まで年賀状を書いていました。年賀状は今年は800枚書きました。大晦日の午後5時に投函したから、受け取りは1月4日でしょう。ここ5年間はほとんど毎年こんな具合です。最も多いときは900枚だったから、最盛期に比べるとすこし落ちました。最終的に私が受け取るのは500枚くらいかな。別に返事が来なくても出し続けるという方針をとっていたら増える一方でしたが。来年はさすがに少し減らすことを考えています。

それから買い物に行って、おせちを少しばかり作りました。というよりも買ってきたものを切って重箱に詰めたにすぎないのですが。

わが家の「おとそ」は、みりんに屠蘇散をつけ込むというのです。だからやたら甘ったるいのですが、子どものころからこれなので、これがないと正月のような気がしないのです。
とそさんはマツキヨで買いました。まだ売れ残っていました。
お屠蘇というのは「蘇という国を屠る」という所から転じて、病気や不幸のもとをやっつけるという意味なのですね。

わが家のお雑煮は関東風で、さといも、にんじん、だいこん、小松菜、鶏肉の醤油味です。
ところがトレッサにいったら、7時閉店の30分前だったので、小松菜は売り切れていました。しょうがない、ほうれん草で代用です。

清子さんの実家奥出雲町のお雑煮は独特です。今年も実家から丸餅を送ってきましたが、正月に入る前に全部食べ終わってしまいました。
お湯で煮たおもちに、なま海苔をお酒で伸ばしたものをひとつまみと鰹節をドサリ入れて、そこに醤油味のだし汁をかけるというシンプルなお雑煮です。磯の香りがぷ〜んと広がります。
このお雑煮の食べ方は、出雲地方の海に近いところでは残っていないそうで、山奥のこのあたりにだけ残っているそうです。
いつかテレビを見ていたら、このようなお雑煮が能登半島の先の方に残っているということを知りました。それを誰かに話したら、北海道の稚内地方もこういう食べ方をするといっていました。
日本海の北前船の寄港地に残っているのだそうです。
残念ながら全部食べちゃったので、写真はありません。

今日の1月1日は、朝お屠蘇で乾杯しお雑煮を食べて、教会のミサに行きました。ミサの賀詞交換会のあとに総持寺に初詣、つづいて鶴見神社へと回って初詣ツアーです。
毎年、元旦の新聞を書いためるという恒例にしていた行事は今年からやめました。新聞を買っても読み切れないからです。

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正門の掲示。いつも難しくて意味を考えてしまいます。

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煙を浴びて身を清めています。

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毎年もらう白字会の言葉です。

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鶴見神社も参拝客が並んでいました。



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2013年12月23日

日能研車内広告より横浜雙葉の入試問題

日能研のJR車内広告で、横浜雙葉の国語の中学入試問題が紹介されていました。

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こんな問題を出すなんてさすがカトリック学校です。

その問題は
あなたが「かけがえのない存在」として大切にされた体験を書きなさい。そしてその体験があなたの生き方にどのように活かされているかを書きなさい。
です。

あなたならどのようなことを書きますか?
私は………。私は書くことがたくさんあります。さて何について書こうか。

ところでこれをどのように評価するのでしょうか? どのように書いた子どもに高い評価を上げるのでしょうか? 思わずそこを聞いてみたくなります。

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2013年12月21日

スミレの生存戦略のけなげさと面白さ

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今ごろスミレが果実をつけているのを発見しました。中には果実の殻が裂けてタネがたくさんくっついているものや、タネを弾き飛ばしているものもあります。スミレって春に花が咲くのになぜ今ごろ実をつけるのかちょっと不思議に思って調べてみました。
するとありました。私の疑問に見事に応えてくれたサイトが。

それによると、スミレには春に花咲く開放花と秋に花はつけないけれど果実を結ぶ閉鎖花があるのだそうです。今頃実をつけるのは閉鎖花というわけです。花は開かないけれど自家受粉して実をつけ種を作るのだそうです。
その他にもスミレの生態についてたくさんの興味深いことをおしえてくれました。
花が咲き終わって身を作るプロセスもおもしろいし、カラが風力発電機みたく避けてから種を弾き飛ばすのも面白いです。中には3メートル先まで飛ばすのがあるとか。
さらに興味あるのはアリとの共存関係です。スミレの種にはエライオソームというアリの好物が付着していてアリたちはその種を何とか巣まで持ち帰ろうとするのですが、なかなか成功せずに途中で諦めてしまうことがおおいようです。スミレにとっては遠くまでタネを運んでもらってそこでまた咲き出すことができるというわけです。
なんて賢い花なんだと感動的です。あの可憐なスミレがこんな健気で大胆な生存戦略をもっているなんて。

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2013年12月18日

こういうことあるんですね。感動します。

FB で回ってきました。シェアせずにはいられないステキな話です。

 「誰かのために・・・」 僕が看取った患者さんに、スキルス胃がんに罹った女性の方がいました。余命3か月と診断され、彼女は諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきました。
 ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、彼女がこう言ったんです。 「先生、助からないのはもう分かっています。だけど、少しだけ長生きをさせてください」 彼女はその時、42歳ですからね。そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、黙ってお茶を飲んでいた。
 すると彼女が、「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。卒業式を母親として見てあげたい」と言うんです。 9月のことでした。彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。
 でも私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、と。子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。
 奇跡は起きました。春まで生きて、卒業式に出席できた。
 こうしたことは科学的にも立証されていて、例えば希望を持って生きている人のほうが、がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が活性化するという研究も発表されています。おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を活性化させたのではないかと思います。
 さらに不思議なことが起きました。彼女には2人のお子さんがいます。上の子が高校3年で、下の子が高校2年。せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと僕たちは思っていました。
 でも彼女は、余命3か月と言われてから、1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を見てあげることができたんです。そして、1か月ほどして亡くなりました。
 彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、びっくりするような話をしてくれたんです。 僕たち医師は、子供のために生きたいと言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。「母は家に帰ってくるたびに、私たちにお弁当を作ってくれました」 と娘さんは言いました。
 彼女が最後の最後に家へ帰った時、もうその時は立つこともできない状態です。病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。 そこで僕は、「じゃあ家に布団を敷いて、家の空気だけ吸ったら戻っていらっしゃい」と言って送り出しました。ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。
 その時のことを娘さんはこのように話してくれました。「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。そのおむすびを持って、学校に行きました。久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、切なくて、切なくて、なかなか手に取ることができませんでした」
 お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。でも、命は長さじゃないんですね。 お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。
『致知』2012月7月号 より 鎌田 實 「誰かのために・・・」
出典:人間力.com

 -------------------- 人間は「誰かのために」と思った時に、希望が生まれてくるし、その希望を持つことによって免疫力が高まり、生きる力が湧いてくるのではないかと思います。 あなたの大切な人は誰ですか? その人のためにどんな些細のことでも良いので、何かできることをしてあげて下さい。その行動が、きっとあなたにも元気を与えてくれるはずです。 もし宜しければ、シェアをお願いします。


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清子さんがアトリエサンク展に出品しました。

 清子さんが「アトリエサンク展」に出品しました。12月16日から22日まで関内のみつい画廊にて行っています。こちらにお越しの節はぜひお寄りください。今日(18日)の午後は当番で画廊にいます。すみません。直前のお知らせで。

 実は清子さんはここのところ体調がすぐれず、フィットネスクラブにもアトリエにも行っていなかったので、出展にはあまり気乗りがしませんでした。だから今回のはあまり自信作ではなかったので、このグループ展に来て絵を見てくださいと積極的に誘いませんでした。
 とはいえ、展示してみるとやはりみなさんに来ていただくほうがいいと思ってお誘いすることにしたものです。おかげで少しは元気になったかなという感じです。

 今回の清子さんの絵です。この2点です。小さい絵しか描けませんでした。

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 アトリエサンクのみなさんです。絵を搬入して展示を終えたときの全員写真です。前列のイスに腰掛けているかたが作山先生です。

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 みつい画廊への道順です。JR関内駅から徒歩7分くらいです。

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ぜひお越しください。

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2013年12月13日

「アインシュタインやスティーブ・ジョブズを育てる社会を目指して」にいきました。

 12月7日「アインシュタインやスティーブ・ジョブズを育てる社会を目指して」というタイトルの講演会を聞きに日比谷図書館にいってきました。
 これは「世界連邦21世紀フォーラム」とかが主催するピースビレッジのワークショップで第19回のワークショップなんだそうです。私はこの組織には関係ないのですが、FACEBOOK で回ってきた案内に誘われて、ちょうど養成塾にいく前にぴったり入ったので出かけることにしました。
 参加者は20人くらいのこじんまりした集まりでしたが、中身はなかなか面白かったです。
この講演のタイトルにも引かれました。発達障害時の話であることは講師の肩書きを見てすぐにわかったのですが、このタイトルがいいですね。これも行ってみようとする気にさせたひとつの要因でした。
 講師は小田知宏氏。(NPO法人発達わんぱく会理事長)若い人でした。参加者はみな若くて、私が一番年配だったかな。

 講演の内容は、発達障害とは何かということとこの「わんぱく塾」の事業内容の紹介でした。講演の中ではアインシュタインもジョブズも坂本龍馬もエジソンも発達障害児であったことが紹介されました。その障害児がまわりの世界に受け入れられて育ってああいうユニークで創造的なことができるようになったのだという説明がありました。もしもそのときに受け入れられずに拒否されたらあのようには育たなかったはずです。出来るだけ早期に障害があることを発見し、そういう育て方をしないといけないといわれたことが心に残りました。
 そのあと、小グループに分かれて講演を聴いて感じたこと考えたことを分かち合いました。そのグループの中で私は「そもそもこれは『障害』なのだろうか? むしろ「発達凸凹(「でこぼこ」あるいは「おうとつ」」といった方がいいのではないか。だれもが発達上では凸凹を持っていて、そのなかで大きく欠けているところや突出しているところを持つことが「障害」なのであろうか?」という疑問を呈しました。
 小田さんは、この活動はやはり行政からの補助金で支えられているところが多いので、「障害」という名前を使わないと補助金がもらえないのだといわれていました。彼自身も「わんぱく塾」を名乗っていて、このことばはできるだけ使いたくないと言われていました。
 たとえば視覚障害者はそのハンディを乗り超えるために点字を学ぶ。点字は指先の部分に研ぎすまされた鋭敏な触覚を必要とする。その鋭敏な触覚もあるいは白杖を使って街を歩いていく人の空間認知能力ならびに記憶力は、とても障害のない人たちには考えられないくらいの能力をもちます。聴覚障害者が唇の動きでことばを理解するのもその特別な能力でしょう。プロ野球の投手が口をグローブで隠しながら話すのは唇を読まれないようにするための方策であるということを聞いたことがあります。
 つまり、ハンディを持つと、それを乗り越えるあるいは補うために障害のない人にはとても考えられない別な能力を発達させることがあります。この「発達障害」にもそれは当てはまるのだろうかと問いかけてみました。
 小田さんの答えですが、発達障害児は多くの場合、感覚過敏とか、なにかへのこだわりの強さ、異常な程の集中力の持続などの特徴を持つそうです。何かのハンディを補うというよりもこういううまれつき持った資質のなかに特別な能力が隠されていると言った方がいいだろうということでした。
 小田さんが今試みられていることは、できるだけ早期に「発達障害」を発見し、それを大切にしながら育てていくにはどうしたらいいかということで、乳幼児期に焦点を当てて、子どもたちのことばとこころの保育を行えるスタッフと施設を充実していくことであるようです。ここに映像がありました。



 11月4日に「栄光カトリック同窓会」で高校の同期の塩谷英策さんの「発達障害」の話を聞くチャンスがありました。かれは10年以上前から葉山町で「ひとりを大切にする」耕心塾学習教室・教育相談室を開設していてそれをやり続けてきたことには頭が下がる思いです。
 講師の小田さんにこのことをご存知ですかと聞くと残念ながら知らないと言われました。耕心塾はむしろ小学生の子どもに、画一的一斉指導を廃し、生育歴、現在の状態像、各種学力・性格・心理検査等をもとに、個人の目的に応じた教育指導計画をつくり、個人指導・個別指導をするということをあげているので、発達障害をもった乳幼児に特化した形での保育とは少し趣旨が異なるようです。

 小田さんのわんぱく塾では、小学校に入学するとわんぱく塾は卒業ということになり、まだ開設後間もないので、その子たちが卒業後どのように育っていくかについてのデータはまだないようです。
 耕心塾の卒業生には、その持っているユニークな能力を生かして仕事に就いているひともいるということです。
 結局、この子はこういう力は持っていないけれど、そのかわりこういう特別な能力を持っていて、そこをこう指導したらこういうふうにのびていったという教育事例を蓄積することがとても大事なようです。そういう中から、アインシュタインやジョブズのようなユニークな人材が育つと思うのです。
 これからもこの活動を見守り、応援し続けたいと思いました。

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2013年12月03日

マザーテレサの「人生は………」

FBで回ってきたマザーテレサの「人生は………」をシェアします。

JinseihaMT

英語版も見つけました。
Life is an opportunity, benefit from it.
Life is beauty, admire it.
Life is a dream, realize it.
Life is a challenge, meet it.
Life is a duty, complete it.
Life is a game, play it.
Life is a promise, fulfill it.
Life is sorrow, overcome it.
Life is a song, sing it.
Life is a struggle, accept it.
Life is a tragedy, confront it.
Life is an adventure, dare it.
Life is luck, make it.
Life is too precious, do not destroy it.
Life is life, fight for it.


私は「人生はゲーム 楽しみなさい」と「人生は冒険 いどみなさい」というのが好きですね。
最後の
「人生は人生 立ち向かいなさい」という所の英語は「Fight for it。」となっているところがちょっと気になります。
「そのためにたたかいなさい」というのであって、それとたたかいなさい」ではないですよね。

あなたはどのフレイズが好きですか?

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2013年12月01日

今年のわが家の収穫 渋柿とカリン

今年のわが家の収穫です。
柿が5つとカリンが4つ。カリンはちょっととるのが遅かったので、4個くらいは地面に落ちてしまっていました。でもそのせいでけっこう大きく育ったのもあります。
カリンはあいかわらずいい香りを発しています。

KakiKarin

柿は実においしそうに実ったのですが、渋柿です。
はじめて実をつけた年はカラスが突っついたあとがけっこうあったのですが、最近はカラスも学習したとみえて見向きもしません。
ブランディーをヘタの所につけて渋抜きをします。10日くらいかかるそうです。本当は35%焼酎がいいのだそうですが、それがなかったので、ブランディーにしました。味が変わるかな?
カリンは、皮ごと細かく切って氷砂糖を入れて、カリンシロップにします。これがもっとも香りを残してくれます。これを炭酸でわってのむとのどにいいということです。
庭木にカリンはおすすめです。実の香りも去りながら、カリンの幹はとてもきれいです。

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2013年11月25日

鶴瓶さんの「家族に乾杯」に清子さんのふるさと奥出雲町がでた

今日(11月25日)の鶴瓶さんの「家族に乾杯」に妻の清子さんの実家のある奥出雲町がでました。今日の午後に実家のおかあさんが知らせてくれました。

KazokuKanpai1

あそこにでているそば屋のある神社(稲田姫神社)のすぐ近くに実家があります。
あのそば屋には今年の正月にいって横田こそば割子そばを食べ、店長の岡田さんともお話しをしました。その時のことがここに書かれています。

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奥出雲町というのは、本当に奥の深い町で行くたびに新しいものを発見して帰ってきます。

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「家族に乾杯」でも紹介されていたけれど、仁多米、仁多牛、出雲そば、そろばん、日本酒大吟醸「玉鋼」、たたら製鉄、餅米などの全国ブランドを持っています。清子さんの実家でも仁多米を作っていて、毎年新米を送ってきます。
そうそう「神話の里」でもあります。「ヤマタノオロチ」が生息していた地です。上流から箸が流れてきたから上流に人が住んでいることが分かるという「ど」がつくいなかです。

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来週(12月2日)に、後半を放映するそうですから、ぜひご覧になってください。
そういえば「家族に乾杯」にわたしの知り合いが出場したのは3回目です。1回目は上田市別所の銀河工房の小林さん、2回目は大船渡市のイーピックス熊谷さん、そして3回目はそば屋の岡田さん。ちょっとふしぎな感じです。


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