2018年06月07日

須賀敦子詩集から 「主よ 一羽の鳩のために」

須賀敦子の詩集が発見され、この3月に河出書房新社から刊行されたという新聞記事をよんでさっそくアマゾンに注文した。
その帯にはこう書かれていた。
30歳の日々、ローマでひとり呼びかけつづけた「あなた」への魂のことば ―
没後20年にして新たに発見された詩稿は、須賀敦子が詩人であったことをあきらかにした。祈りと慰めの韻律は、静かに、そして深く、心をゆるがす。

ぼく自身は信仰についてなにも知らないまま、信仰ある人々は常に内心で主に話しかけているのではないかと想像している。祈ることは勝手な欲望を訴えることでなく、まずもって語りかけること、答えを期待しないままに思いを伝えること、それによって結果的に自分を律することではないだろうか。(池澤夏樹「解説」より)

いい詩がたくさんあるけれど、やはりこの詩集の標題となった「主よ 一羽の鳩のために」を含「同情」という詩がいちばんいい。
同情

つめたい秋の朝の
ラッシュアワーの停車場前
がつがつとパン屑をついばみ
せはしげに まばたきして うずまく
青、灰、緑の
鳩の波に
ひとり 背に 首をうづめて
うごかぬ おまへ
セピア色の 鳩よ。

あゝ
わらっておくれ
うたっておくれ
せめて みなにまじって
わたしを安心させておくれ。

(いろがちがうからといって
なにも おそれずとよいのだ。)

主よ 一羽の鳩のために
人間 が くるしむのは
ばかげてゐるのでせうか。

ヴィクトリア・ステーションにて 1959/9/7

(もつことは)

もつことは
しばられることだと。

百千の網目をくぐりぬけ
やっと
ここまで
ひとりで あるいてきた私に。

もういちど
くりかへして
いひます。

あなたさへ
そばにゐて
くだされば。

もたぬことは
とびたつことだと。

1959/6/25


あとの詩は、わたしに須賀敦子を紹介してくれた人にすすめたい詩である。

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2018年03月05日

「てくてく」にカトリック甲府教会がのっていた

JR高尾駅に山梨県広聴広報課が発行、山梨新聞社が製作する「てくてく」という観光情報誌が置いてあったので、何気なくみていたら、金手駅の紹介のなかにカトリック甲府教会が紹介されていて、さらにそこの主任司祭の白木神父さんが登場していました。
てくてく.jpg
テクテク甲府教会.jpg
白木神父さんは20年ほど前に私のカトリック鶴見教会の主任をされていたが、そのうち修道会をやめて教区司祭になり、しばらく上田小諸教会の主任を経て現在甲府教会の主任を務めておられる。
おもわぬところでお目にかかったので、つい紹介したくなりました。

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2017年08月21日

ユダヤ独立戦争と原始教会

 このレポートは1995年度後期の上智大学神学講座の「原始教会の形成と発展」(講師百瀬文晃神父)のレポートとして提出したものである。いまここに必要とされていると思うので再録したい。
 このテーマと同趣旨の内容をラジオ「心のともしび」の原稿として書いたことがあるのだが、この内容はラジオ「心のともしび」にはふさわしくないとされてボツとなったといういきさつがある。
 私にはこの内容はキリスト教会でもあえて触れられていない内容に思えるのだが、なぜだろうか? 私には謎めいている。
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1995年度後期神学講座 レポート
科目 宗教史「原始教会の形成と発展」 講師 百瀬文晃師
ユダヤ独立戦争と原始教会


1.ユダヤ戦争に新約聖書はなぜ「沈黙」しているのか

 新約聖書のなかで最初に書かれたものはパウロによる「テサロニケ人への第一の手紙」であり、その時期は50年頃であるとされている。そして最後はヨハネ文書で、その時期は100年頃であるという。
 この時期のエルサレムは2度にわたるユダヤ独立戦争にあい、エルサレムは陥落し、廃墟と化した。多くのユダヤ人たちはこの戦争で殺され、奴隷となり、そして離散した。
 しかし、新約聖書はこの戦争についての記述が全くない。それはいったいなぜなのか、この戦争に対してキリスト教徒(まだこの時はキリスト教徒ではなく「ナザレ派のユダヤ教徒」)はどのような態度をとったのか、そしてこの戦争が原始教会の形成と発展にどのような影響を与えたのか、このテーマを考えることは「戦争と平和」にたいするキリスト教徒の態度を考えるためにも、そして「原始教会の形成」と福音書の内容を考えるためにも重要な示唆を与えるのではないかと思う。


エルサレム陥落と原始教会

 50年頃にエルサレムで開かれた使徒会議は、ユダヤ人キリスト教徒と異邦人キリスト教徒対立を示した。律法の遵守を異邦人にも求めようとするユダヤ人キリスト教徒と、割礼や律法からの自由を標榜するパウロやバルナバらの異邦人キリスト教徒との対立は、ペトロの調停で妥協点が見出され、ここでは決定的な分裂はもたらされなかった。
 しかし、エルサレムを拠点としていたユダヤ人キリスト教徒たちは高まるユダヤ独立運動に否応なく巻き込まれ、その求心力は急速に衰えていく。エルサレム教団のリーダーだった「主の兄弟」ヤコブはユダヤ的狂信の犠牲となって殉教し、そして第一次ユダヤ戦争でエルサレムが占領されるとともにエルサレムのユダヤ人教会も解体を余儀なくされる。 教会の中心はシリアのアンティオキアの異邦人キリスト教徒の教会へと移行していく。パウロは地中海沿岸のディアスポラのユダヤ人や異邦人たちを対象とした宣教に力を注ぐ。
 彼の信仰は全く民族意識にとらわれずにキリストの福音の純粋な内的信仰にのみ依拠した世界主義的な脱ユダヤ人のキリスト教へと脱皮していく。

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3.ユダヤ人キリスト教徒の態度

 第一次ユダヤ独立戦争において、ユダヤ人キリスト教徒はどのような態度をとったのであろうか。
 4世紀に書かれたエウゼビオスの「教会史」ならびに5世紀のエピファニオスの「異端反論」によると、エルサレム教団は「戦いに先立って」ヨルダン川の東にあるペラという町に脱出し、エルサレムの陥落は「すべての」キリスト教徒が立ち去った後におこった、とされている。つまり、戦いには加わらなかったというのである。
 ハンス・キュンクもその著「教会論」のおいてそのような立場をとる。「パレスチナのキリスト教徒は、ローマに対する反乱には参加しなかった。そのため民族の裏切り者とみなされ、迫害されたので、彼らはヨルダン川の東の地域に逃れ、シリアとアラビアの境に当たる地方にキリスト教信仰を広めることになった」(「教会論 上」石脇・里野訳 新教出版社 P178)ただキュンクによればペラへ逃れたのは戦いを避けたのではなく、迫害を避けたからということになる。


4.マタイ福音の立場

 「祖国のために戦わずに、祖国から逃げ出した」ということの非難を一身に受けてそれに反論をしているのはマタイである。マタイは廃墟と化したエルサレムで武器を取って戦わなかったことがイエスの教えに忠実であることを示そうとした。
 マタイの福音書の24章16節に「荒廃をもたらす憎むべきものが、聖なる場所に立つのをみたならば、そのときユダヤにいる人は山に逃げよ」というイエスの言葉がある。その「主の戒めをよく守って、キリスト教徒は嵐の最初の遠鳴を聴いてヨルダン川の向こう岸のペラに逃げてしまった」(「教会史」ロルツ著 P51)という。
 そういわれてみると、マタイ福音書には「平和」と「迫害」に関する記述が多い。
 あのマタイの「山上の垂訓」はルカの平地の説教との間に際だった違いがある。ルカが「貧しい人は幸い」といっているのに対して、マタイは「心の貧しい人」といい、「飢える人は幸い」というルカに対し、マタイは「義に飢え渇く人」という。マタイの方が精神的な「貧しさ」や「飢え」を問題にする。さらに、マタイには「平和をもたらすものは幸い」「迫害を受けるものは幸い」というルカにない句がある。
 また、「汝の敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」(5章44節)や「剣をさやに納めなさい。剣をとるものは皆剣で滅びる」(26章52節)というようなイエスの言葉が目立つ。
 これらのマタイの記述は、ユダヤ教徒からの批判にイエスの言葉に忠実に生きたということをもって応えようとしているように思える。マタイの平和主義はそのようなユダヤ教徒の批判に対してユダヤ人キリスト教徒の精いっぱいの反論であるだろう。


5.ペラ移動説への疑問

 このユダヤ人キリスト教徒の「ペラ移動説」には疑問も多い。「キリスト教史1」(半田元男著 山川出版社)によれば、「これは何とも奇妙な話し」になる。
 第一にユダヤ人が戦いへの激しい決意に燃えていたエルサレムから、ローマ軍の厚い包囲網を突破して脱出することの困難さをあげている。第二になぜペラという土地を選んだのか、この事情も理解できないという。ペラにはエルサレムから脱出したキリスト教徒よりもガリラヤから避難してきたキリスト教徒がいたのではないかと推測している。
 それでは、エルサレム教団はいったいどうなったのか。「キリスト教史1」では一部エジプトへ脱出したものがあるが、大部分はエルサレムに集結し、同胞ユダヤ人たちとともに戦って玉砕したのではないかと述べる。
 その根拠として、「キリスト教側文書の完全な沈黙」をあげる。異邦人対象に書かれたキリスト教文書にエルサレムでユダヤ人キリスト教徒たちが玉砕したということは「まことに扱いにくい厄介な問題」となり、これは「完全な沈黙に消し去らなくてはならなかった」というのである。



6.ユダヤ教との完全な決別

 エウセビオスの「教会史」によると、エルサレム陥落後のユダヤ人キリスト教徒はなおもそこに残存し、「主の兄弟ヤコブ」の後継者として、イエスのいとこに当たるクロパスの子シメオンを選び、以後15人の主教がそこにいたということになっている。確かにペラや近郊に脱出したキリスト教徒のうち一部はパレスチナに戻り、教会を再建したというのは考えられるが、15人の主教がなおもエルサレムにとどまるというのは「後のエルサレム教会をキリスト教の母教会と思う心情が生み出した伝説」(「新約聖書−私のアングル」速水敏彦著 聖公会出版 p268)であり、事実とは違うのではないかと思う。
 一方ユダヤ人たちは、エルサレムを脱出したパリサイ派のヨハナン・ベン・ザッカイに率いられ、ヤムニアに律法学院を作る。この学院が作った「18の祈願」のなかに「裏切り者の滅びの祈願」があり、「ナザレ派キリスト教徒への呪いの言葉」が祈りとして唱えられるようになる。ユダヤ人のキリスト教徒が裏切ったことへの憎しみの強さがかえってユダヤ人キリスト教徒が戦わずに逃げ出したということを物語っているのかもしれない。この「祈願」が採用されるのは85年頃といわれる。
 この「異端者への呪い」は各地のユダヤ教のシナゴーグに伝えられ、これによって完全にキリスト教徒は会堂から追放される。パリサイ派のヤムニアのユダヤ教とキリスト教徒との対立を強く意識したのはヨハネ福音書である。ヨハネ文書にはこの「会堂追放」ということが3カ所現れる。ヨハネはこのヤムニアのユダヤ教への批判に応える形で生み出された弁証の所産であるということは、マタイ福音書と同質の背景をもっていることとして大変興味深い。ただマタイとヨハネの現れ方はかなり異なっている。マタイがユダヤ人ということに固執しているのに対し、ヨハネにはもうユダヤ人への執着は全くないといってもいいだろう。
 ユダヤ教徒の決別にとどめを刺す事件が第二次ユダヤ戦争、いわゆるバル・コクバの反乱である。これが135年に鎮圧されて、エルサレム教会の信徒たちは他のユダヤ人と同様に再びエルサレムには入れなくなり、アンティオキアやヘレニズム世界の諸教会に吸収されていき、エルサレム教団は消滅していく。キリスト教はユダヤ社会と決別し、世界宗教になる。

                              7.終わりに

 このテーマを研究するねらいは、なぜ新約聖書がユダヤ独立戦争に対して「完全な沈黙」を保っていたのかということであった。この疑問は解けなかった、というよりますます膨らんでいる。とくにパウロをはじめとするヘレニストキリスト教徒が何も触れていないことが奇妙である。
 ローマに対する不必要な刺激を避けていたのかもしれないことは容易に推測されることであるが、それにしてもマタイやヨハネの立場とずいぶんと異なっている。
 ペラに脱出したかどうかということはともかく、おそらくエルサレム教団はこの独立戦争に武器を持って戦わなかったのではないかと思う。マタイ福音の平和主義をみても、ユダヤ教徒のキリスト教徒に対する「裏切りの呪い」の強さからみても、そう判断される。
 特にマタイの平和主義の主張はマタイのおかれた歴史的背景の中で読んでいくと、とても興味深いものがある。エルサレム教団がユダヤ独立戦争で武器を取らずにエルサレムを抜け出したことは、イエスの示した平和主義に「忠実に生きた」こととしてもっと積極的に評価していいのではないかと思う。 
  

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2017年06月24日

ペドロ・アルペの祈り

ケベックでの SIGNIS World Congress での映画「沈黙 silence」上映の前に入り口にイエズス会カナダのブースがあった。そこにいって私は日本のイエズス会のハイスクールで洗礼を受けたといったら、とても喜んでくれていろいろなものをくれた。

その中に「ペドロ・アルペの祈り」があった。ペドロ・アルペ神父はもとのイエズス会総長。日本の終戦のときに広島にいた。

Nothing is more practical than finding God,
that is, than falling love in a quite absolute, final way.
What you are in love with,
what seizes your imagination,
will affect everything.
It will decide what will get you out of bed in the morning,
what you do with your evenings,
how you spend your weekends,
what you read,
what you know,
what breaks your heart,
and what amaze you with joy and gratitude,
Fall in love, atay in love, and it will decide every thing.

神を見いだすことほど実質的なことはないだろう。
それは絶対的にして究極の愛に恋するようなものだ。
あなたを愛するもの、
あなたの想像力をとらるもの
それがあらゆることに影響を与えるのだ。
なにが朝ベッドからあなたを起こさせ、
なにを夕方におこない
どのように週末を過ごし、
なにを読み、
なにを知り、
なにがあなたの心を引き裂くのか
そしてなにがあなたを喜びと感謝で楽しませるのかをきめるであろう。
愛に落ち、愛にとどまりなさい。
それがあなたのあらゆることをきめるであろう。
(土屋至 訳)

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2017年02月10日

ラトビアの十得

常に、正しい行いをしましょう。

隣の人となかよくしましょう。

自らの知識や能力を社会のために
惜しみなく差し出しましょう。

まじめに楽しく働きましょう。

それぞれの役割を果たしましょう。

向上心を忘れずに、自らを
洗練させましょう。

家族や隣人、故郷、自然など
衣食住すべてに感謝しましょう。

どんな状況に陥っても朗らかに
明るく受け止めましょう。

ケチケチせず、
気前よくふるまいましょう。

相手の立場に立って寄り添いながら
生きていきましょう。

「ラトビアの十得」というのだそうである。2017年1月29日の毎日新聞日曜版の「日曜日ですよ! 小川糸」という記事で紹介されていた。何ということのない教訓という感じであるが、この教えでは「〜してはいけない」というのではなく「〜しましょう」とポジティブなのである。「人間の本来持って生まれた正しさというものを信じている点がとても素敵だと思う」と小川さんも書いていた。小川さんはこの言葉をトイレの壁に貼っていて、トイレに入るたびにこの言葉をきもに命じるという。
 ラトビアは北欧バルト海に面する小国。リトアニア、エストニア、ラトビアのバルト3国のひとつ。


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2017年02月04日

教会ホームページを活性化するための10の原則

1.教会が活性化すればするほど、教会ホームページも活性化する。そうでない場合、つまり教会ホームページは活性化しているが、教会は沈滞しているという羊頭狗肉なケースも「あり」。教会ホームページが教会を活性化することもありうる。
2.教会の建物や設備よりも、そこにどれだけ「信仰の喜び」が表現されているか、それを読み取れるホームページでありたい。
3.教会ホームページは、教会メンバーを対象とするのではなく、キリスト教を知りたいという人、教会を知りたい、行ってみたいという人の「目線」で表現され、そのニーズに親切に応えるものでありたい。
4.その教会ホームページの、ほかにはどこにも書かれていない個性的でユニークなコンテンツこそが《たから》である。どこにでも書かれているようなことは書かれているどこかとリンクをはればいい。
5.教会の信徒の《いきざまと信仰》があふれ出ている、この教会に行ってこの人と会ってみたいと思わせるような内容をあふれさせよう。
6.教会と地域との関係を表した記事も貴重な《福音=good news》である。町おこしや地域行事への参加、地域で活躍している人の紹介など。その地域を知るために調べているうちに教会ホームページに迷い込んでしまったというケースが生じるのが理想的である。
7.たとえば、キリスト教や信仰についての質問が投稿されるとする。それに神父さんだけが応えるのではなく、いろいろな人があれこれと異なった答えをできるシステムがあったらいい。
8.教会で行われている「入門講座」と連動しているホームページでありたい。
9.他の教会ホームページで行われていること、かかれていることを自分の教会でもやってみて、リンクを張る。他の教会のコンテンツもあたかも自分の所のもののように取り込むというのがかしこいやりかたである。
10。教会ホームページに笑顔の写真を溢れさせよう。人の顔をぼかしたり、顔のない写真をアップするのは《愚の骨頂》である。プライバシー恐るるに足らず。
11.ホームページに掲載する記事を主任司祭の事前検閲制ではなく、アップしたらそれをチェックするというし事後報告制にする。
12.その教会の独自なテーマがあったらいい。たとえば「家族」たとえば「教会と音楽」たとえば「祈り」。そのことを知りたいならそのホームページにいけばいいというふうになったらいい。リンク集だけでもいい。たとえば「キリシタンを主人公とする小説リンク集」みたいなもの。http://blog.nyumonkouza.net/?p=1272

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2017年01月23日

自分の幸せとだれかの幸せ

毎日新聞の日曜クラブで連載中の小川糸さんの「日曜日ですよ!」にこんな祈りが紹介されていた。小川さんは寝る前や朝起きたときにこの祈りをするという。この人は特別に宗教をもっている人ではないようである。



自分の幸せと誰かの幸せ

毎晩寝る前や、朝起きた時など、布団に横たわったまま、瞑想するようにしている。
同じ言葉を唱えるのだ。

私が幸せでありますように。
私の悩みや苦しみがなくなりますように。
私の願い事が叶いますように。
私に悟りの心が現れますように。

私の親しい人たちが幸せでありますように。
私の親しい人たちの悩みや苦しみがなくなりますように。
私の親しい人たちの願い事が叶いますように。
私の親しい人たちが悟りの心が現れますように。

生きとしいけるものが幸せでありますように。
生きとしいけるものの悩みや苦しみがなくなりますように。
生きとしいけるものの願い事が叶いますように。
生きとしいけるものに悟りの心が現れますように。

私の嫌いな人たちも幸せでありますように。
私の嫌いな人たちの悩みや苦しみがなくなりますように。
私の嫌いな人たちの願い事が叶いますように。
私の嫌いな人たちに悟りの心が現れますように。

私を嫌っている人たちも幸せでありますように。
私を嫌っている人たちの悩みや苦しみがなくなりますように。
私を嫌っている人たちの願い事が叶いますように。
私を嫌っている人たちに悟りの心が現れますように。

そして最後にもう一度、
生きとしいけるものが幸せでありますように
で終わる。


 これはスリランカの仏教のお坊さんが提唱している祈りであるらしい。
 そうしたら1月22日の毎日新聞の投書欄にこの祈りに共鳴した主婦の方の投書が載っていた。

 寝る前や朝起きたときなど瞑想をするようにしていて、自分の幸せをまず願い、それから親しい人たちや生きとし生けるものの幸せを願い、さらには自分の嫌いな人たちや自分を嫌っている人たちの幸せを願うと書かれていました。これを読むだけで、とてもうれしい気持ちになれました。
 自分自身が幸せになる延長線上に、誰かの幸せもあるという考え方。私自身は眠れない夜など、とりあえず「ありがとう」と心の中で繰り返し唱えることはあるのですが、自分の嫌いな人や自分を嫌っている人のしあわせをかんがえたことはありませんでした。
小川さんも初めのころは抵抗があったものの、今は何も思わないとのこと。私もそうなるように、この言葉を唱えて瞑想をしたいと思います。


 この祈りは宗教を超えた普遍的な祈りであると思う。祈りは宗教の独占物ではない。宗教を信じていない人ももちろん祈っていいのだと思う。無宗教の人の祈りでも神さまも仏さまも必ず聞き届けてくださるであろう。

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2016年11月21日

小学4年生の算数の問題、とける?

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「大きさの違う3つの正方形の面積を求めなさい。」という小学4年生の算数の問題、これがけっこうむずかしい。方程式を使えばすぐに解けるが、小学4年生で学ぶ解き方で解かねばならない。私はついにギブアップでした。
答えを見てしまいました。答えを見たら「な〜んだ」ですが、これができる小学4年生はスゴイと思いました。

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HailMary という男性向け雑誌を買ってしまった

コンビニローソンの雑誌売り場を何気なくみていたら「HailMary」というタイトルの雑誌を見つけた。「Hail Mary」とは「アヴェマリア」の英語である。聖書では天使ガブリエルがマリアに呼びかけたときの言葉で「は〜い、マリアさん」というような意味である。

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これがなんと男性向け雑誌のタイトルである。ぺらぺらとめくってみるとどうも40代50代くらいの男性をターゲットにしているようである。英語で「Formatin book for Mr.Untouchable」(知的不良のためのフォーメーションブック)とある。untouchable というのは「ふれてはいけない者」インドの最下層の不可蝕賤民を意味する言葉であるが、ここでは「不良性」を持ったというような意味で使っている。「不良中年」をはじめとして目次を見るとやたら「不良」という言葉が出てくる。
男性雑誌というとヌード写真とかがでてくるものを想像してしまうが、これはまったく違う。
Woman「アンジェリーナ・ジョリーがかました強烈な一撃」
Health「がん予防、驚きの新説」
Men「中年世代のホームシアター訪問」「ミドルエイジクライシスに対策はあるか」「こんな書斎がほしい」「ヤンキース田中将大がサイヤング賞を取る日」「アンタッチャブルファッションの番頭」
ブーツ、革ジャン、オートバイ、シルバー&レザーのアクセサリー、盆栽、などなど多彩な内容である。
ファッションのカリスマとして紹介されているのは、S.マックイーン、A.ウォーホル、そして開高健である。
見出しにこんなのがあった。「バイクは自然界との架け橋になり、大いなる神の下へと導いてくれる。」

太陽と空と雲が教会の天井で、大地が床であり、吹く風は神のスピリット、虫や鳥の声は教会に流れる賛美歌なのだとね。偉大なる自然の中に神や仏を見出せば、宗教の壁なんてなくなるんじゃない?

「自分らしく生きることで、福音を伝えるアウトローな伝道師」としてブライアン・レントという牧師を紹介している。彼のホットロッドチャーチではロカビリーバンドが演奏し、ステージ上から教えを説くという独特なスタイルである。


ふしぎな宗教性をもっている雑誌である。
小野里稔という人が作っていて、今年の4月30日に第1号がでた。

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2016年10月17日

「福音み〜つけた!」が「カトリック生活」で紹介されました。

『福音み〜つけた! −「宗教」「倫理」を考えるために』が「カトリック生活2016年11月号」の「新刊ガイド」で紹介されました。

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キリスト教学校の中学高校の「宗教」「倫理」の授業の副読本として使えるようにと作りましたが、学校以外でも広く読めます。「福音(Good News)」がぎっしりつまっています。とてもいい本ができたと自画自賛しています。

今気がついたけれど、このガイドの本の値段が違っている!!
「福音み〜つけた!中学編」80ページ 600円+税
「福音み〜つけた!高校編}112ページ 800円+税
生徒に1冊ずつ持ってもらおうと思っているので、値段はできるだけおさえました。
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東京新聞に「フジキャビン」が紹介されました。

教会の友人から2016年9月17日の夕刊の「フジキャビン」が紹介されている記事をいただきました。
この車は1955年頃に作られた2人乗り屋根付きスクーターで、私の父もその開発に加わっていました。3輪スクーターの上にFRP(繊維強化プラスティック)のボディーを載せた画期的な車でしたが、FRPボディーの強度が足りなかったために100台くらいしか製造されなかったようです。
しかし、この車は日本に3台残っているそうです。ひとつはトヨタ博物館、ひとつは小松にある自動車博物館、あとひとつは個人が所有しているものです。

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高校日本史の教科書にも載ったことがあります。
そしてなんとミニチュアモデルがネット上で販売されています。
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2016年10月09日

「福音み〜つけた! 高校編」には「AA12のステップ」が掲載されています。

「AA12のステップ」をご存じですか? 
「え、知らない?」
「じゃあ、AAって知っていますか?」
「それなら知っています。アルコール依存症者たちの更正プログラムでしょう。Alocohol Anonymous(無名のアルコール依存症者たち)の略語ですね。」
「そうです。そのAAの更正プログラムが『AA12のステップ』なのです。」
「どんなプログラムなのか知りたいですか? それなら『福音み〜つけた! 高校編』に紹介されています。」
「ネット上にもあるので検索して探してみてください。たとえばこれを見てください。これを読んでみてなにを感じ考えますか?」
「神さまがやたら登場しなすね。AAってキリスト教の団体ではないんでしょう? なのにこんなに神さまが出てくるのが驚きです。」
「そうなんです。よくそこに気がついてくれました。アルコール依存症者たちはクリスチャンでもないかたがおおいはずです。とくに日本では。だからこのステップにはいるのに、この神さまにゆだねるというのにはとても抵抗があるはずですよね。」
「よく読んでみると、第2ステップでは『自分を超えた大きな力』と表現されていますが、第3ステップでは『自分なりに理解した神』とかかれていて、その部分ゴシックで書かれています。そして第5,6,7と立て続けに『神』が書かれていて、第11ステップでは『祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。』とまで書かれているのですね。これはすごいキリスト教的というか………。」
「そうなんです。そこなんです。わざわざ『自分なりに理解した神」と太字で書かれている、キリスト教の信仰を押しつけるものではないんですね。AAの人たちはそこでそれぞれ神との出会いがあるのです。そして『神に頼らざるを得ない』ということを体験的につかんでいくのです。そこがすごいんですね。『Alcohol Anonymous』という「AAのビッグブック」と呼ばれている本を読むと、そこに対する解説がとても多いのです。感動するほどです。だから私たちは『福音み〜つけた!』に『AA12のステップ』を取り上げました。」

AAビッグブック.jpg
「なるほど、すごい本ですね。そしてよくぞ『福音み〜つけた!』に取り上げてくれた、でも高校生たちにそこがわかってもらえるかどうか」
「そこも問題です。これを高校の『宗教』や『倫理』の授業でどうあつかったらいいのか、現場の教員たちに戸惑いがあるでしょうね。でもこのすごさは高校生にも現場の先生にも感じてほしいですね。このビッグブックという本にはこんなことも書かれていました。これもすごいです。『AAのプログラムには人を救うことによってかろうじて自分も救われるという構造がある。AAのミーティングでは自分と同じようにアルコールで苦しんでいる人を連れてくることが薦められています。もし自分がスリップしたらその連れてきた人もスリップしてしまう、その連れてきた人に対する責任の意識が自分をかろうじてスリップすることから守ってくれているというわけです。人を救うことによってかろうじて自分も救われる、この構造はすごい福音的ですね。この構造こそがこの『12のステップ』が他の依存症者たちのグループ(たとえばダルク「薬物依存症者」)にも採用されているのですね。」
「思い出しました。『心の貧しい人』を訳しなおした聖書に『心の貧しい人』を『神にすがるより他にすべを持たない人たち』と訳した人たちがいました。AAの人たちはまさにこの『神にすがるよりしか他にすべをもたない人たち』になるのですね。」
「そこがわかってもらえたら、これを『福音み〜つけた!高校編』に掲載した価値があったと思います。ありがとう(涙)」

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2016年09月29日

「福音み〜つけた! 中学編」の内容は?

あなたは次のことについてどのくらい知っていますか?
□幸運ハンス          
□高山右近          
□ペトロ岐部     
□イルマン・ロレンソ      
□コルベ神父         
□高村光太郎「クリスマスの夜」
□ルイス・アルメイダ      
□坂村真民          
□ダミアン神父
□M.F.パワーズ「あしあと」   
□W.バークレー「祈りの法則」 
□教皇フランシスコ「五本指の祈り」
□金子みすゞ「みんなを好きに」 
□シルバスタイン「おおきな木」 
□レディ・ガガ「BORN THIS WAY」
□まど・みちお「ぼくがここに」 
□晴佐久昌英「病気のときは恵みのとき} 
□吉野弘「生命は」
□佐藤初女と森のイスキア    
□水谷修           
□ルビー・ブリッジズ
□セヴァン・スズキ       
□ホセ・ムヒカ        
□マララ・ユスフザイ
□島秋人            
□「モモ」の時間どろぼう    
□ファン・ディン・・ソン「涙の理由」
□レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー} 
□クリストファー・ロビンちゃんの「夕べのお祈り」

もしも「まったくしらない」が10以上、「よくしらない」が10以上、「知っているけれどもっと知りたい」が10以上あったら、あなたには「福音み〜つけた! 中学編」を買って読むことをこころからオススメいたします。読んだらとても幸せな気持ちになること請け合いです。
もしも「全く知らない」がほとんどない、「知っているけれどもっとよく知りたい」が20以上あったら、あなたはこの「宗教」の授業を生徒と一緒に楽しむためにこの本を心からオススメします。
もしも「全く知らないし,知りたくもない」というのが10以上あったら、そんなあなたにこそこの本を読んでいただきたいのです。あなたの感じ方考え方を根底から変えてくれるはずです。
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「福音み〜つけた!−『宗教』『倫理』を考えるために」できました!!

 日本カトリック教育学会という学会があります。私はその学会の理事を今年の8月まで務めておりました。また紀要の編集委員をあと1年務めます。
 そのカトリック教育学会が6年ほど前に「特別企画」を募集していたので、カトリック学校の中学高校の「宗教」や「倫理」の授業、大学の「キリスト教学」などの教材集や副読本を作るというのを提案したところ、採用されました。
 学会員にアンケートを取ったり、テーマを決めて執筆依頼をしたり、原稿をそろえるのも大変でしたが、原稿が出そろったところで、現場に担当教員たちにどれを優先して掲載すべきかの「評価」をお願いしたりとあれこれをしているうちに6年がたちました。有能な方なら集中的にやればおそらくこれは1年でできたかもしれません。
 現役リタイヤ後の仕事とはいえ、処理能力は現役時代から格段に落ちている愚図でのろまな作業で、学会の理事や学会員の皆様に、やきもきはらはらさせながらの編集作業でした。
 でも、ようやく発刊にこぎつけました。「満を持して」のお届けとなりました。ぜひぜひお読みください。
 当初、中学高校用の授業での副読本として作られていますが、これはそれ以上にクリスチャンの大人のために、いや一般の若者や大人のためにも「豊かな福音」となるはずです。

本の定価ですが、
「福音み〜つけた! 中学編」600円(税込み648円)
「福音み〜つけた! 高校編」800円(税込み864円)
送料はメール便で1セット200円です。
 
ご注文は
1.一般書店で「日キ販」扱い「燦葉出版社刊 『福音み〜つけた!』」を客注してくださるのが、一番いいのですが、手元に入るのに一寸時間がかかりますが、これだと送料がかかりません。
2.燦葉出版社に電話やファックスでご注文ください。
燦葉出版社 〒103-0023 東京都中央区日本橋4-2-11 電話 03-3241-0049 Fax 03-3241-2269
これだと送料の1セット200円がかかります。
3.amazon でも注文できるように準備中です。できるようになったらお知らせします。
パンフレット表1.jpg
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2016年09月16日

SIGNIS Asia Focus に載ってしまいました

signis_asia_focus

9月8日に配信されてきた「SIGNIS ASIA FOCUS, Issue No.5, September 2016」になんと私が President of SIGNIS Japan として紹介されました。

ちょっと気恥ずかしいです。今回の SIGNIS Asia Assembly でもそのように紹介され、参加者の何名からはそのように呼ばれていました。日本はカトリックの人口は40万人で人口の0.3%であり、SIGNIS Japan は会員が16名の微少な組織だからと何度も説明しましたよ。

そうしたら、こんなことを言った人もいました。「日本では500年ほど前に大量の殉教者が出たのに、どうしてクリスチャンがそんなに少ないんだ。殉教者の血はむだだったのか?」
「おそらく明治期のあるいは戦後のカトリック教会の宣教政策が失敗だったことを示している。殉教者の血は悲しいことに実りの少ないものとなってしまった。」この質問には、躊躇せずにこう応えることにしています。それを認めた上で、高山右近や多くの殉教者たちの列聖列福運動も意味あるものになるような気がするんです。

話がわき道にそれてしまいましたが、SIGNIS Asia Focus の私の記事の横には「平和の教皇ヨハネス23世」の日本語版 DVD の紹介記事が載っています。 教皇ヨハネス23世はバティカン公会議を開催した教皇として有名で、ヨハネパウロ2世とともに聖人となりました。SIGNIS Japan の事務局長が上智大学の卒業生を中心とした DVD 制作チームに加わっていたことも紹介されています。
私はまだ見ていませんが、「カロル ー教皇ヨハネパウロ2世」のDVD とともにこれもすごい映画だと聞いています。

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2016年07月20日

ガビチョウの美しいおしゃべり

 最近ここ鎌倉十二所で、えらくおしゃべりで美しい声の鳴き声を耳にします。
何の鳥か気になっていたのですが、野鳥の鳥の鳴き声の中には見つからなかったのですが、どこかでガビチョウの話を聞いて、調べてみたら、これでした。



 どうです。実におしゃべりな鳥でしょう。
 この鳥はベトナムあたりの鳥でペットとして輸入されておいたのが、野生化してこのあたりに生息しているらしいのです。だからこれは野鳥として認められていないから、野鳥図鑑には載っていないのだそうです。
 実に豊かな七色の声を持ち、他の鳥のまねも上手らしいです。ウグイスのホーホケキョも上手です。他に、シジュウカラ、キビタキ、サンコウチョウそしてセミのツクツクボウシの声を真似ることも報告されています。
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2016年04月21日

「あなたは、誰かの大切な人」(原田マハ著)を私の「大切な人」にすすめたくなった

「あなたは、誰かの大切な人」(原田マハ著 講談社刊)を読んだ。心暖まる爽やかな小説だった。
私も大切な人に読むのをすすめたくなった。
私はこういう女性の文章にひかれることが多いようだ。平松洋子、須賀敦子、石垣りん、茨木のり子など。

家族と、恋人と、そして友だちと、きっと、つながっている。大好きな人と、食卓で向かい合って、おいしい食事をともにする―。単純で、かけがえのない、ささやかなこと。それこそが本当の幸福。何かを失くしたとき、旅とアート、その先で見つけた小さな幸せ。六つの物語。


大切な人とともに過ごす時間のステキさがどの短編にも溢れています。
その大切な人とは父親であり、母親であり、職場の同僚であり、女友達であり、男友達であり……………。。夫婦というのがなかったですね。

原田マハ1

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2016年02月29日

死後の楽しみ

 2010年にラジオ番組「心のともしび」で放送されたはなしに「死後の楽しみ」というのを書きました。「心のともしび」サイトのアーカイブにもないので私のブログで紹介したいと思います。
 
 私は死ぬことを少し楽しみにしています。
 こんなことを言うと変な人と思われるかもしれませんが、だからといって死に急ぐつもりはありません。いまの人生を全うすることをそれ以上の楽しみとしています。
 その死後の楽しみの一つは、もちろん死んだらどうなるのかという好奇心のもたらすものです。永遠のいのちを信じている私には死んだらそれで終わりということは考えられません。
 次に先に死んで別れた人と再会できることも大きな楽しみでしょう。父にあったら、生前の親不孝をあやまらなければならないし、自らいのちを絶った友人には「どうして?」とわけを聞いてそれに何もできなかったことをお詫びしようと思います。彼らはきっとゆるしてくれると信じています。
 感謝とお礼を言いたい人もたくさんいます。
 死んだらあうことのできる人は直接出会ったひとだけではないでしょう。歴史上の人物にも出会えるとしたら誰に会いたいか、ヨブやカエサルやトマス・モアやペトロ岐部などなど数え切れない人たちが次から次へと浮かんできます。それらのひとはきっと面会を拒否したり、時間制限をしないでしょうから、心ゆくまで話をすることができるでしょう。
 おそらくまだ地上にいて一生懸命生きている人を応援することができるのも楽しみです。
 そして最大の楽しみはイエスにも神さまにも直接お会いすることができるということです。お会いしたら、まっさきに聞いてみたいことがあります。それは、 この世界に、貧困や差別、災害や戦争などの不幸な出来事がどうしてこんなにたくさん起きるのかということです。


 いま書き直すとしたら、最後の段落に、東日本大震災のことを書くでしょうし、また一昨年亡くなった愛する妻の清子さんをなぜあんなに早くしかも突然奪っていったのかとくってかかるように聞くだろうということを追加するでしょう。

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「脳科学からみた祈り」(中野信子著)読みました。

 「脳科学からみた祈り」(中野信子著 潮出版社刊)を読みました。
 この本の著者が昨年6月にNHKFMの「トーキングウィズ松尾堂」に「脳科学で婚活」というテーマの時に出演していたのを興味深く聞いていたことがありました。

NoutoInori

 内容は腰巻きに書いてあることでうかがい知れます。
「前向きな心、感謝、他人を思う祈りが脳細胞を活性化、免疫力を高める」
祈りの脳科学
*「よい祈り」を続けるとよい方向に変わる
*祈りこそ良薬 −−脳と免疫力の関係
*対話こそ脳を育てる最高の刺激
*利他行動で相手が変わるとき、自分も変わる

こんなことも書いてありました。
 さきに「『よい祈り』はベータエンドルフィンやオキシトシンの分泌を促し、そのことが記憶力の向上にも結びつく」と書きました。すなわち「よい祈り』は展望的記憶の強化にも役立つと考えられるのです。
そもそも祈りとは、本来、未来に向けられるものです。変えようがない過去に祈りを向けても仕方ありません。亡くなった方のことを祈る場合でも、私たちはその人の生命が未来に向けて安らかであるよう祈るものです。
祈りは「未来をよい方向に変えようとする営み」ですから、私たちは祈るとき、未来に心を向けます。将来かくありたい、かくあってほしいという願いが祈りなのです。だからこそ祈りという営みの中で、人はおのずと展望的記憶を強化していけます。
すなわち、脳科学から見れば、日常的に祈っている人ほど、展望的記憶をしっかりともっていきいきと生きることができるのです。それがポジティブな利他の祈りであれば、脳に与えるよい影響も強まって、なおのことよいでしょう。
東日本大震災の発生以来、日本中、世界中の人々が、日本のため、被災地のために祈りを捧げています。いまほど、日本という国が深い祈りに包まれているときはないでしょう。
そして、日本を含むその祈りが、この未曾有の事態を乗り換えていこうという未来への力強い祈りであるなら、ここまで説明してきたとおり、それは祈っている人の脳内を変え、心を変え、そのことを通じて人々の生き方をよい方向に変える営みへとつながっていくと言えるのです。

こんなことも書いています。「自分からは縁遠い他人のための祈り」とか「汝の敵のために祈れ」「迫害するもののために祈る」という「配慮範囲」のひろい祈りこそ「運を導きだし、幸福感を高める」とまで述べています。
 近年、京都大学の藤井聡教授が、心理学的アプローチから「運」の正体に迫(せま)った、「他人に配慮できる人は運がよい」という論文を発表しました。
これは、「認知的焦点化理論」というものを用いた研究です。「認知的焦点化理論」とは、かんたんに言えば、「人が心の奥底で何に焦点を当てているか?」によって、その人の運のよし悪しまでが決まってくる、という考え方です。
藤井教授の研究で、「利己的な傾向を持つ人々の方が、そうでない人々よりも、主観的な幸福感が低い」ということが明らかになりました。利己的な人ほど、自分は幸福でないと思ったり、周囲の人々に比べて不幸だと思う傾向が強い、という結果が示されたのです。
「認知的焦点化理論」では、どのくらい遠くの他人、そして遠くの未来のことまで配慮できるか、ということを「配慮範囲」という尺度で表します。
人の心の「配慮範囲」には、「関係軸」と「時間軸」があります。
関係軸とは、家族→親戚→友人→知人→他人という順に、心理的な距離がだんだん遠くなっていく社会関係のこと。
時間軸とは、現在→数日先→自分の将来→社会の未来という順に、思いを馳せる時間的範囲が広がっていくこと。
自分から離れれば離れるほど、範囲が大きくなります。
これが「配慮範囲」です。
利己的で自分のことしか考えず、目先の損得にしか関心がない人は、配慮範囲が狭い人です。
逆に、他人や遠い将来のことまで思いを馳せることができる人は、配慮範囲が広くなります。
藤井教授の研究によれば、配慮範囲の狭い利己的な人は、ある程度までは効率よく成果をあげられるものの、目先のことにとらわれて協力的な人間関係を築けないため、総合的にみてみると、幸福感の感じられない損失が多い人生となる、とのことです。
逆に、配慮範囲の広い利他的な志向を持つ人は、よい人間関係を持続的に築けるため、自分の周囲に盤石(ばんじゃく)なネットワークをつくることができます。
言いかえれば、周囲のみんながこぞってその人を助けてくれるわけです。
こうしてみると、よりたくさんの範囲の人、より遠い未来のことまで配慮できる人ほど運がよい、というのも、ごくあたりまえのことに思えてきます。

中野さんはクリスチャンではなさそうですが、しかし「祈り」の本質を捉えていると思いました。

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2016年02月25日

NATIONAL GEOGRAPHIC の聖マリア特集

自然地理の世界的な雑誌「NATIONAL GEOGRAPHIC」の2015年12月号の特集は「聖マリア 世界で最もパワフルな女性」というタイトルであった。

マリア特集.jpg

地理の雑誌がなぜマリアを特集するのかと不思議に思ったが、それはこのページを開いてみたら納得した。

聖母1.jpg
聖母2.jpg

つまり、紀元40年から聖母マリアが出現したといわれる2000カ所の地図である。
こんなに世界中に出現しているんだと圧倒される。
日本にも3カ所が示されている。一つは涙をながされたといわれる秋田の聖母、あと一つは津和野の乙女峠の殉教の時に三尺牢に閉じ込められた和三郎の前に現れたとされているあれだろう、でもあと一つは東京にあるが、これはいつのことでどういう現れ方をしたかわからない。
圧倒的なのはフランスのルルド、ここは「奇跡の大量生産」と書かれている。7000件近い治癒の例が報告されているが、ヴァチカンが認定しているのは69件だという。

この記事では、マリアが出現されたといわれるその場所を訪ねて、客観的にレポートをしている。フランスのルルドやポルトガルのファティマ、メキシコのグアダルーペ、ボスニア・ヘルツェゴビナのメディゴリエ(ここは司教が認定していない)そしてルワンダのキベホの聖母などを訪ね人々の巡礼の様子や出現を見たとされている人のインタビューを試みている。
1980年代ルワンダで3人の少女の前に現れた聖母マリアは大量虐殺が起きると予言した。フツ系住民がツチ系住民を襲撃し、多くの人々が殺害されたのは1994年のことである。

聖母マリアの出現などを詳しく記載しているサイトがここにある

なかなか面白い記事だった。
そういえば NATIONAL GEOGRAPHIC は2015年8月号で「教皇が挑むバチカンの改革」という特集も作っている。こちらもよまなくっちゃ。

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薫酒、爽酒、熟酒、醇酒

横浜駅ジョイナスにある「えん」という酒屋で飲んだ。創作和料理の飲み屋である。

そこに利き酒というメニューがあった。日本酒のメニューの中から3種類のお酒を選んで注文することができる。それで990円。これで高いか安いかはともかく、こういう飲み比べはちょっと知的で結構気に入っている。

利き酒えん.jpg

銘柄名の書かれたコースターの上に置かれていて、それで何というお酒かがわかるようになっている。
そのコースターに「薫酒、爽酒、熟酒、醇酒」という分類があったので、これはなにかと店員に聞いたら、メニューに次のような図と説明があった。
お酒は香りがあるかないか、こくがあるかないかで4種類の酒に分かれるという。

香りが高くて味が軽やかなものを薫酒、香りが高くて味が濃い(こくがある)のが熟酒、香りは低くても味が軽やかなものは爽酒、香りが低くて味が濃いものは醇酒という。大吟醸は薫酒、純米酒や本醸造は爽酒、「生酛」や「山廃」と呼ばれる種類の日本酒は醇酒、古酒や秘蔵酒が熟酒になるという。

飲み比べてみると確かに味が異なる。一緒に食べる料理に合わせて選ぶというが、確かに料理との相性があるだろう。

こんなことを知っておくとまたお酒の楽しみが格段と増すのではないか。
sake-a5.jpg

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認知症傾聴講座を受講しました

川崎武蔵小杉の生涯教育プラザで行われた「認知症傾聴講座」全8回を受講しました。なかなかおもしろかったです。
傾聴は需要と共感、
前半は認知症についての医療と看護の知識を教わりました。その中で「100歳の美しい脳」という修道女の脳を研究した本が紹介されました。これについては前回報告しました。
後半はファミリーホールディング協会の山田豊氏の指導による傾聴のロールプレイングが行われました。これがおもしろかったんですね。

たとえばものとられ妄想、嫁がお財布を盗んだと言い張る姑をどう傾聴するか、嫁役と聞き手と観察者の3人でロールプレイをしました。そのあと講師の先生の見本と解説がありました。
こういう場合ほとんどは姑と嫁の言い合いとなってしまいますが、傾聴は受容と共感、認知症者の言うことを否定したり、説得したり、説教したりすると病状が進行するばかりだと言うのです。
じゃ、どうしたらいいのか、「そうよね。お金が見つからないと困るよね。不安だよね。」と共感するところから初めて「いつも決まった場所に財布をおいておくのね。しっかり管理しているの偉い。私なんか年中どこかに置き忘れて探すのね」と持ち上げます。
さらにこういう妄想を持つ人は経済的自立度の高い人なんです。そこを指摘して「ご主人と一生懸命働いて財を築いて来たのよね。その間にいろいろと苦労があったでしょう。」と苦労話を聞き出します。それを語り出してくれたら成功です。相づちを打ちながらめいっぱい共感するのです。
そして認知症者が楽しくて豊かな気持ちの時を過ごすことができるように傾聴していきます。

このほかにも
「実家の帰ると突然言い出して徘徊しようとするケース」
「ご飯を食べさせてくれない」というケース
「施設の職員の教育がなっていないと不満をぶつけて来るケース」
などなどのロールプレイを行いました。認知症者をやり切るのが難しかったですね。

これをしていて考えたことがありました。
実はものとられ妄想は統合失調にもあります。認知症はわすれてしまうのですが、統合失調では忘れずに累積していきます。ここがとても厄介なところなのです。これを巡って何度言い合いや喧嘩をしたことか、そしてそのたびに病状が悪化して行くのでした。
もう一つは学校でのことです。教員は傾聴がまったくできないのですね。たとえば成績不信の生徒と面談するとき、多くの場合このままで行くと単位を落とすと恫喝することしかできていないのです。生徒は成績が悪いことでとても苦しんでいるのです。だからその気持ちにより沿い共感することから始めます。教員のための傾聴講座が必要だと思った次第です。

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2015年11月19日

SIGNIS WEBNEWS に投稿したら掲載されました。

私は、SIGNIS Japan というカトリック教会の広報関係者の国際組織の日本の副代表をしています。
SIGNIS World はほぼ毎月 SIGNIS Webnews を発行しています。

私が講師として勤めている清泉女子大学で7月15日に「難民の日」のシンポジウムが開かれました。それを聞いて、主催した清泉女子大のボランティアセンターにいって、それをぜひ SIGNIS World の WEBNEWS に投稿したいので、英文の原稿を書いてくださいとお願いしました。
そうしたら快くお引き受けいただきました。9月に原稿をいただき写真を添えて10月に投稿しました。
そして今月の SIGNIS Webnews 182に掲載されていました。

記事はこういう内容のものです。テキストのみ表示。文中の下線部をクリックすると本文に繋がります。

SIGNIS WEBNEWS 182
Cultural diversity
PLURAL+ 2015 : SIGNIS Award goes to "Exit Right"

New York City, November 16th, 2015 (SIGNIS) - The SIGNIS Jury at the PLURAL+ Youth Video Festival 2015 has decided to give its award to Exit Right, by Rupert Höller and Bernhard Wenger (Austria) “The power of this video is its simplicity and smart script. It tells a story which can happen almost everywhere and at any time−a tale of racism and uncontrolled anger. The short film successfully views a very current issue with a keen sense of humor. Audiences will keep this story in (...)
16/11/2015

Cinema

SIGNIS and Interfilm were present at different film festivals and gave prizes to multiple films in Cottbus, Kiev, Leipzig and Mar del Plata. Discover all the awarded films on our website!
If you want to see a good film, you might want to check out our November film reviews!
Georges Khabbaz’ new film ‘Waynon’ has been selected to represent Lebanon at the Oscars 2016! Read more here.
Young movie makers who took part in a national film project have had their videos shown in the UK Parliament as part of a project supported by CAFOD.

Television

Organized by SIPCATV, (Service for Television Producers and Catholic Networks) 19 Catholic TV Networks from 14 Latin American countries participated in the Latin American Catholic TVs Congress.
The Prix Jeunesse International 2016 will take place in Munich, Germany from May 20 to May 25. The festival invites you to submit your entries untill Dec. 11.
Al Jazeera’s ’Afghanistan: No Country for Women’, was named Best Film in the television category at the 2015 Amnesty Australia awards in Sydney.
Discover the new TV-documentary "Chaplains", by Martin Doblmeier.

Radio

Catholic radios such as Radio Pacis in Aura and Radio Wa in Lira are among the eleven radios who are involved in the project “Consolidating peace Journalism in Uganda”.
Central Mindanao radio station won the CMMA award. Read more on the website.
Radios in North Korea help preaching across the demilitarized zone. Discover how it’s done here.
Finally, it is with a heavy heart that we announced the death of our Belgian colleague Bernard Decottignies, from Vatican Radio’s French section.

Journalism

A new journal was recently launched in Switzerland, the Journal for Religion, Film and Media (JRFM). Learn more about it on our website.
The Chairman of the Commission for Social Communications of the Kenya Conference of Catholic Bishops (KCCB), Bishop Joseph Obanyi Sagwe has called for responsible journalism ahead of the visit of Pope Francis to the country.
Catholic press struggles to earn trust in Australia. More info on our website.
Indonesian authorities continue to restrict foreign media access to the restive Christian-majority provinces of Papua and West Papua, despite assurances from President Joko Widodo. Read more here.
Anthony Bellanger was appointed as the new General-Secretary of the International Federation of Journalists. Congrats!

Media Education

Discover the publication "Reflections on Media Education Futures", published last September.
BOSCOM interacted with youth about social media. An interesting dialogue between the Salesians participants and the youngsters was held to explore new dimensions to the ever growing means of communication the Social Media.
Divine Word father Franz-Josef Eilers will receive this year’s Titus Brandsma Leadership in Social Communication Award in a ceremony scheduled on November 27 at the Carmelites’ Titus Brandsma Media Center (TBMC) in Quezon City, Philippines..

More news

Itaru Tsuchiya, vice-president of SIGNIS Japan attended the World Refugee Day symposium at the Seisen University. Read here his debriefing.
COP 21 is in 2 weeks! Catholic bishops from around the world came together in signing an appeal for government leaders to reach a "fair, legally binding and truly transformational climate agreement" at a summit in Paris and the Holy See has urged greater efforts to educate people, especially the young, about the impact of climate change, saying we need an ecological education.
Pope Francis’ visit in Uganda is approcahing. Last week, the official website and logo were launched. Discover them here.
World Internet freedom keeps eroding. Nauru, especially, has been urged to restore access to social media and support free expression. However, in India, it seems like there have been improvements.
Social Media are everywhere! Sometimes, they have a bad impact on life, like this young blogger explained, but sometimes, they play an important role, like in the migrant crisis or during the attacks in Paris, last Friday!

www.signis.net | UnSubscribe (itaru@m5.dion.ne.jp) serialonesignis


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2015年11月04日

「100歳の美しい脳ーアルツハイマー病解明に手をさしのべた修道女たち」を予約しました。

 いま、川崎の生涯教育プラザで行われている「認知症の理解と支援―傾聴ボランティア活動」を受講している。認知症のひとをどう傾聴するのかという実践的な講座でなかなかおもしろい。
 10月から11月の間全部で10回の講座である。
 前回は「認知症にならないために、なったときには 〜予防と治療〜」というテーマで日本医科大学武蔵小杉病院神経内科部長石渡明子先生がお話しをされた。
 そのなかでとても興味あることが紹介された。
 「100歳の美しい脳ーアルツハイマー病解明に手をさしのべた修道女たち」という本である。たとえばアルツハイマー病になって認知症の症状を現さない例が3分の1あるという驚くべきデータが紹介された。
 amazonの本の紹介には以下のように書かれている。
 678人の修道女の人生と脳を対象に、老化を多角的に研究する―。1986年にはじまり現在も進行中の「ナン・スタディ」はアルツハイマー病研究に多くの成果をもたらした。若年期のすごし方が老年期にどう影響するのか、アルツハイマー病の発病と発症の不一致の原因、さまざまな老化を防止する要素。このかつてない研究に、修道女たちは喜んで協力と献脳を申しでた。献身的で温かな“ファミリー”とともにすごす修道女の充実した日常が、単なる長生きではない「高齢という生き方」を問いなおす。最後まで充実したよりよい人生を歩むための、示唆にとんだ報告。

 英語版は「Aging with Grace: What the Nun Study Teaches Us About Leading Longer, Healthier, and More Meaningful Lives」である。
 In 1986 Dr. David Snowdon, one of the world’s leading experts on Alzheimer’s disease, embarked on a revolutionary scientific study that would forever change the way we view aging−and ultimately living. Dubbed the “Nun Study” because it involves a unique population of 678 Catholic sisters, this remarkable long-term research project has made headlines worldwide with its provocative discoveries.
Yet Aging with Grace is more than a groundbreaking health and science book. It is the inspiring human story of these remarkable women−ranging in age from 74 to 106−whose dedication to serving others may help all of us live longer and healthier lives.
 Totally accessible, with fascinating portraits of the nuns and the scientists who study them, Aging with Grace also offers a wealth of practical findings:
• Why building linguistic ability in childhood may protect against Alzheimer’s
• Which ordinary foods promote longevity and healthy brain function
• Why preventing strokes and depression is key to avoiding Alzheimer’s
• What role heredity plays, and why it’s never too late to start an exercise program
• How attitude, faith, and community can add years to our lives
 A prescription for hope, Aging with Grace shows that old age doesn’t have to mean an inevitable slide into illness and disability; rather it can be a time of promise and productivity, intellectual and spiritual vigor−a time of true grace.

 横浜市立図書館ネットワークで検索したら1冊あったのでさっそく予約した。詳しくはまたその本を読んで紹介したい。

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2015年05月23日

日本の巨木はどの木が多い?

「樹木ハカセになろう」(石井誠治著 岩波ジュニア新書)を読んでいたらこんなことが載っていた。

「地上から130センチの位置で幹周が300センチ以上の樹木」が巨木とか巨樹とか呼ばれるものである。
円周が300センチということはほとんど直径1メートルである。
環境庁の1988年の調査では日本全国でこのような巨木が約5万6000本で、2000年の調査では約6万8000本あったそうだ。

ところで統計で巨樹として残っている数のおおい樹は何でしょう。



スギ、ケヤキ、イチョウ、クスノキ、スダジイがトップ5になる。これらの樹はなじみであろう。

では次のトップ10になると、

タブノキ、ムクノキ、モミ、エノキ、クロマツ

クロマツ以外ははたしてどんな木か思い描けるだろうか?
巨樹ナンバー1は、鹿児島県姶良郡蒲生町の蒲生八幡神社境内にある大クスである。
九州四国から太平洋側にクスノキの大木が多いのは、これが神社の境内に植えられたからだと予想される。

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2015年05月12日

老年は魂で世界をとらえる

遠藤周作が、1992年3月15日の朝日新聞「万華鏡 命のぬくもり」というエッセイでシュタイナーの次の言葉を引用していた。

人間は青年時代は肉体で世界を捉え。
壮年時代は心と知で世界をとらえるが、
老年になると魂で世界をつかまえようとする


遠藤周作は自分もその三番目の魂の年齢になったと述懐している。
わたしはどうなのか、まだその域には達していないような気がするが。

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生きることの意味

もし私がそれをしなければ、誰がするだろうか?
私が今、それをしないなら、いつ、それをすべきであろうか?
もし、私が自分自身だけのためにそれをするのなら、わたしとはなんであろうか?


こういう感じはミッションの意識である。
えらそうだけれど、私にはその感覚がとても強いと思うが、それに自分自身が応えられなくて、あせることしばしである。

この文章は、2010年6月21日の毎日新聞にのった編集委員河谷史夫の「閑話休題 生きているということ」から引用した。そのなかで河谷氏はこう述べている。柳澤桂子著「意識の進化とDNA」という本を紹介していて、そこに引用された文章である。
生物学はもとより、ユングや般若心経から「夜と霧」のフランクル、ナチに抵抗して処刑されたディートリッヒ・ボンヘッハーなどを随意に引用して語られる「生の意味」に遭遇し、私は性根を入れ替えることができた。

冒頭の文章は、あるユダヤ人が述べた言葉であるとして、この文章のあとに書かれていた。

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愛する人を亡くしたとき

悲しみの諸相

親の死 あなたの過去を失うこと
配偶者の死 あなたの現在を失うこと
子どもの死 あなたの未来を失うこと
友だちの死 あなたの人生の一部を失うこと

「愛する人を亡くしたとき 」(E.A.グロルマン著 春秋社)


この配偶者の死が、現在を失うことだというのに、感銘を受けた。まさにそういう感じだ。
グロルマンは、ユダヤ人宗教科で、アメリカのグリーフ・カウンセラー。
これは、2010年6月23日毎日新聞 朝居朋子「いのちに寄り添って」という記事の中で見つけました。

今年は東京医薬専門学校で「医療倫理」を週1回教えています。その関係で今までの新聞の切り抜き週を読むことが多くなってあらためて発見することが多くなりました。

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2015年04月29日

カトリック映画賞「谷川さん、詩をひとつ作ってください」

第39回カトリック映画賞は「谷川さん、詩をひとつ作ってください」というドキュメンタリー映画に決まりました。その上映会を下記のように行います。

5月5日(火)中野ゼロ小ホール 13時開演 チケット 1000円

カトリック映画賞は SIGNIS Japan(カトリックメディア協議会)が毎年選出するものです。
私も SIGNIS のメンバーとしてその選定に関わってきました。
この作品は、谷川さんが詩を作っていく過程をおいながら、それらの詩に何が読み込まれ、またどのように読まれているのか、ということ追ったものです。
谷川さんの素朴でシンプルな詩のつくりかたがとても印象的です。

この上映会に先だって、この映画の杉本信昭監督、小松原時夫プロデューサーへのカトリック映画賞の授与式があり、また映画のあとに晴佐久神父さんとの鼎談が予定されています。
また、その鼎談のまえに晴佐久神父さんが谷川さんとの対談の映像が流れます。これもなかなかのみものです。

また、今年は「石川文洋と旅する」という映画にシグニス平和賞を授けられることになりました。この作品はベトナム戦争を取材したカメラマン石川文洋氏とベトナムを旅する姿を追ったこれもドキュメンタリー映画です。
こちらの上映は今回は行いませんが、ぜひご覧になっていただきたい映画です。といってもなかなか上映のチャンスがないのが残念です。

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2015年01月11日

松葉杖をつかう生活で気づいたこと

この10日間松葉杖のゴヤッカイとなりました。その使い方もマスターとまではいかないまでも、一応ひととり使いこなすことができるようになったと思います。
階段ののぼりおりには目から鱗の感じさえしました。作業療法士さんに感謝です。

ところで病院の中で松葉杖の生活をしてみて、いろいろと気づいた点がいくつかあります。これらの多くは実際に松葉杖にゴヤッカイになる生活をしないとわからない、してみて初めて気づく性質のものでしょう。

その第一は松葉杖を立てかけるところについてです。
病室のベッドに来ると松葉杖はどこかに立てかけなければなりません。その場所がないので、壁に立てかけたりするのですが、不安定で倒れやすいのです。せめて壁にぶら下げるためのフックがあればいいのですが、外科の病室でさえないのです。
そういえば松葉杖を立てかけなければならないところは結構あります。トイレ、洗面所、ロビー、待合室、食堂、どこにもありません。
これは結構不便ですが、病院でさえ気付かないのですね。
ロビーや食堂にはスマートでセンスよくデザインされた傘立てみたいなものがあるといいですね。
できたら松葉杖に付属して杖と一体化できて、必要なときにとりはずして使えるものがいい。これができたら特許ものですよ。きっと。別に松葉杖でなくても普通の杖にも言えることです。これはそのうちどこかのデザイナーさんが考え出すよね。

その2です。
松葉杖をおいて作業をしなければいけないところがいくつかあります。中でも洗面台、公衆電話のまえ、シャワー室、玄関での靴を履くとき、そういうところは片足だちしなければならないのですが、これが不安定だし、つかれるし.....。そこに小さな丸椅子があると便利です。この病院では結構あちこちに丸椅子がおいてありました。これはありがたいことでした。
でも、それを使って気づいたことがあります。洗面台の前です。丸椅子に座ってヒゲソリをしようとしたとところ、鏡が高い。座ったママだと鏡が見られないのです。車椅子用の洗面台はさすがそういう配慮はされているのですが、

その3です。
これは退院してからのことです。入院中はいいことです。台所です。両手をつかうから座って作業をする必要があります。でも、この椅子は普通の椅子より高いものが必要ですね。どのくらいのたかさがあるといいのでしょうか。これは普通の家具屋にあるのでしょうか。あったとしてお店でどのくらいの高さが適当なのかを確かめられるのでしょうか。
やはりこういうのは福祉専門店で相談してみるのがいちばんなのかもしれません、
それに厄介なことは松葉杖が不要になるとこの椅子も不要となります。そのときのためにレンタルの対応ができるかどうか。
家の場所として気になるのは、他にもトイレ、玄関、浴室です。これは実際に家に帰ってから考えるとしましょう。

その4です。
両手で松葉杖をつかうとものが運べません。そうすると必要なのはせおいぶくろ、ナップサックみたいなものです。いや待てよ。別に背負う必要はないですよね。フタも必要ない。前掛けタイプの方が出し入れが簡単です。ぶどうをつんだらいれるかごみたいなものでもいいですね。でも、探してみるとこういうのが意外に見つからない。
これも考えてみると松葉杖に限らず普通の場合にもあったらいいものになるかもしれません。最近は赤ちゃんを前に抱っこするタイプのものもあります。あれと同じように前に抱っこするようなタイプのナップサックみたいなもの、満員電車の中でも安全です。何よりもものを出し入れできるところがいい。これもスタイリッシュにでデザインされたものが出てきたら買いですね。

その5
松葉杖をもっとスタイリッシュにかっこよいものにすることはできないか。杖はけっこうオシャレなものがあるけれど、松葉杖にもあっていいと思います。
松葉杖に別な機能をつけた複合機能はどうか。たとえばナビ付きの松葉杖。スマホを置くことができて見たり聞いたりできたら役に立つかもね。これも行けるかもしれない。
折りたたみ笠やワンタッチ傘が着脱できたらいいかも。両手の松葉杖だと傘がさせません。だから松葉杖に一体化できるアタッチメントがあればいいんですよね。でも、どういう構造にしたらいいのかのイメージが今ひとつうかんでこないけれど、これも実現できたら特許ものだよね。

考えてみるとまだまだいろいろとアイディアが浮かんで来そうです。「必要は発明の母」というのは本当ですね。

こちらにもどうぞ
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