2014年04月23日

パンダのチョコレートボールのパッケージの奇抜さ

大井松田のブルックスで「パンダのチョコレートボール」というのを買った。パンダの表情がかわいかったからである。
これを食べてちょっとおどろいた。パッケージのなかには白いチョコボールが二つ入っていた。ということは表情豊かなパンダの姿は実はパッケージのほうに印刷されていて、中のチョコボールは白いままなのであった。
印刷されたパッケージは全部で11種類あって、どれも表情が違っていた。
さらにKALDI では「母の日のプレゼント」仕様で販売されていた。

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シェアハウスのはじまり、はじまり〜。

 私の家は、70坪ほどの借地に2軒の家が建っています。1軒は築25年ほどのヘーベルハウスで私たち夫婦が寝起きしています。もう1軒は築50年ほどの両親の家でしたが、両親ともに他界してしまい、住む人がいなくなりました。私たちは仕方なくそちらの家で食事をすることにしていましたが、食堂と台所以外の部屋はだんだんと物置となりつつあったのです。
 これではあまりにももったいないと思っていたので、一人の若者を居候させようと画策していたら、友人が自分の息子も居候させてほしいと懇願するので、ついに二人の若き男性を居候させることにしました。
 しかし、そのためには部屋をきれいにしなければなりません。物置となりつつあった「もの」の処分をしなければなりませんでした。父と母の遺品も多くありました。
 父の遺品はボランティア協議会事務局をしていたときの書類集、写真好きだった父のアルバム、数理パズル関係の本が多くありました。特にボランティアの書類は実に見事にファイルされていました。
 母の遺品は手芸教室をやっていた関係からの手芸の本、手芸の材料の端布、そして司馬遼太郎をはじめとする歴史小説が多くありました。
 それから私の「おもちゃコレクション」もたくさんありました。
 それらの処分の奮闘が始まりました。粗大ゴミは2回に分けて11点のほか、一般ゴミや紙ゴミの時に45リットルのゴミ袋を8つくらい出していきました。これ以上出すと持って行ってくれないだろうなというぎりぎりの量でした。
 父母の遺品を整理している中で見つけた多くの Good News はおいおい紹介していこうと思います。
 ともかく、二人の居候師にも手伝ってもらって、なんとか住めるようになりました。

 これは一つのシェアハウスなんだなと思っています。私たちと二人の若い居候男性たちとのシェアハウスなのですね。どういうライフスタイルにするか、どういう生活のルールをつくるかは、どれだけの「家賃」をいただいたらいいのかなど、これから話し合いながら、試行錯誤していきます。
 一人は「宗教」を教える教員をめざしています。一人はプロのギタリストです。それぞれの夢の実現をサポートできるシェアハウスにしようと思っています。
 私の場合には「宗教倫理教材集」「宗教倫理ワークブック」の作成や、 Good News データベースと科学おもちゃデータベースづくりなどを手伝ってもらおうと思っています。

 ともかくもこのシェアハウスのはじまり、はじまり〜。さてどうなることか。いつまでつづくか。

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2014年04月11日

ゾウの描く絵

Facebook に流れてきたものをシェアしています。
すごいですね。ホントに見とれます。




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台所でたまたま見つけたこんな現象

台所でドレッシングの瓶のラベルをはがそうとしてみずにつけようとしたところ、水が流れている水道の蛇口の下に入るとこんなローリング現象が起こりました.
これをどのように説明したらいいですかね? ベルヌーイの定理の現象かな?



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2014年03月23日

イタリアでウルスラ会のシスターが一夜にしてスターに

ここのところカトリック教会の関係する Facebook を賑わしているニュースがある。テレビ局の歌のオーディション番組でウルスラ会のシスターが登場し、圧倒的な人気を博したそうである。

 イタリアのオーディション番組「ザ・ボイス(The Voice)」に出演したクリスティーナ・スクッチャ(Christina Scuccia)さん(25)は、黒の修道衣と十字架のネックレスをつけ、アリシア・キーズ(Alicia Keys)の「ノー・ワン(No One)」を歌った。観客からは大きな歓声が起き、審査員4人は信じられないといった表情を見せた。
 ウルスラ会(Ursuline) の修道女のスクッチャさんは、「神から与えられた才能があるからここに来ました。その才能を分かち合えればと思って」と述べた。審査員の1人のラップ歌手、J-Axさんは、「感動して涙が出た」と語った。
 スクッチャさんは、修道院から「外に出て」神の御言葉を広めなさい、と言ったフランシスコ(Francis)法王に触発されて番組に出場することにしたという。
 別の審査員が、法王庁は彼女がオーディション番組に出たことをどう思うだろうかと尋ねると、スクッチャさんは「法王からの電話を待っています!」とジョークで返した。


どうやら教皇フランシスコに刺激を受けられたようである。



こういうのが生まれるのも、今のカトリック教会のおもしろさであろう。こういうシスター、日本にもけっこういますよ。

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2014年03月07日

自殺を予防するTALKの原則

カウンセラーの友人がFacdbook でシェアしたものを私もここでシェアします。
医者がつくる、医療と医学がわかる情報サイト「医知場」からシェアしました。


TALKとは、Tell、Ask、Listen、Keep safeの頭文字をとったものです。

T:あなたの様子をみていると、とても心配になるという点をはっきりと言葉に出して伝える。

A:自殺のことをうすうす感じているならば、はっきりとその点についてたずねる。真剣に対応するなら、それを話題にしても危険ではなく、むしろ自殺予防につながる。

L:傾聴する。励まそう、助言しよう、叱ろうなどと思ったり、気分転換のためにどこかに連れて行こうという気持ちがわき上がるかも知れないが、最初は、徹底的に聞き役に回り、相手の絶望的な気持ちを真剣に聴く。

K:危ないと思ったら、その人をけっしてひとりにしないで、安全を確保したうえで、必要な対処を行う。周りの人からの協力も得る。危険だと考えられる人、とくにはっきりと自殺を口にしたり、自分の体を傷つけたりした人は、確実に精神科医の診察を受けさせる必要がある。

自殺の危険が高い人は、周囲から手を差し伸べられても、それを拒絶して、孤立を深めていくケースが多い。

日本では、精神科を受診することに抵抗がある人が多い。

相手に自殺の危険を感じたら、TALKの原則で対応し、できるだけ早く、精神科の診察を受けさせるべきだ。


う〜ん。精神科の医師はこれにちゃんと対処できるのかな? という不安がありますが………。

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2014年03月03日

「スピリチュアル・ケア」ノート

「聖書におけるスピリチュアリティ・スピリチュアルケア」(キリスト教カウンセリング講座ブックレット6 大柴譲治、賀来周一著 キリスト新聞社 2011年刊)を読んだ。なかなか参考になることの多かった本であった。
以下、そういうところを抜粋して記そうと思う。おもに後半の賀来さんの書かれた第2部「スピリチュアルケア−臨床牧会の立場から」というところに興味を覚えた。

 スピリチュアリティとは、従来意味されてきたような特定の宗教に基づくというのではなく、また神秘主義的な傾向によるものでもなく、きわめて成熟した宗教性とでも言うべき者が求められるようになった。
 宗教という言葉からは特定宗教、既成宗教のイメージが連想されるところから、宗教性という用語を使用するに抵抗感を持つ向きもありますが、ひとは「生き死に」の根源に関わる究極性を概念的にではなく経験的に求めているという意味で健全かつ成熟した宗教性という意味をスピリチュアリティという用語に込めることは許されることではないでしょうか。(106ページ)

 死の看取り現場から見えてくるもの
 危機的実存的問いとスピリチュアルペイン
 「こうなったら生きていてもしょうがない」「なぜ私はこんな病気になったのか」「もう諦める以外に道はない」「何かの祟りではないのか」「これから先わたしはどうなるのか」「私の人生はこれでよかったのか」
 科学の知の限界
今まで科学の発展の背後に隠れて光を浴びることのなかった対極としてwの個別性、非合理性、主観性に実は人間の問題を解明する大きな応えが潜んでいる。(111ページ)

3種類のスピリチュアルペイン
1.存在論的問い「なぜ存在するのか」(いるだけでは怠け者、存在するだけでは意味がない、こうなったら死んだ方がまし。)
2.目的論的問い 「何のために存在するのか」(役に立たないなら無駄飯食いだ、早く死にたい。何のために生きているのか。今は死ぬに死ねない、まだし残したことがある、私の人生はこれでよかったのか)
3.不条理の問い 「なぜ、私にこんなことが」(なぜ、こんな不幸な目に遭うのか、なぜ今なのか、なぜ他の人ではないのか、何もわるいことはしていないのに、正直に生きてきたのに、神はいるのか)

スピリチュアルペインと聖書

1.存在論的問いと創造の出来事
 「何かをする」ということを重視する現代社会の価値観は、ただいるだけで何もしない人はだめで役立たずとしか見ないのです。この社会における人の営みは、好意と存在から成り立ちます。しかし、社会は、行為つまり「する」ことに価値の基準を置いて人間を見るのです。「いる(存在)だけでは意味がない、この価値観は現代社会に生きる私たちの中に染みついています。(117ページ)
 神学者バルト(1886〜1968)は、自殺する人に語りかける言葉は「生きなければならない」ではなく、「あなたは生きることが許されている」でなければならない、と言います。(120ページ)

2.目的論的問いと終末の出来事
 人は命の終わりにさしかかれば、必ず何もできなくなるにちがいありません。それこそ「いるだけ」の世界に身を横たえなければならなくなるはずです。(131ページ)
 スイス人医師のポール・トゥルニエ(1898〜1986)の著作「老いの意味」(邦訳ヨルダン社)に「老いるということは、未完了の仕事を受け入れていくプロセスである」とあります。(133ページ)
 明日死を迎えるとしても、なお先を望んで、今日を淡々と生きるためには、死のかなたに、死にゆく「私」のすべてを受け取られて、究極の完成へと導かれていく、と言う宗教的世界が提示されねばなりません。ここには終末論的な意味を持つ、スピリチュアルケアの重要性が問われるのです。信仰があれば大丈夫、死ねば天国に行くという安易な言葉ではくくることのできない、深刻な苦悩や悲しみの最中にあってもなおその向こう側に究極性や永遠性、絶対性を希求する人間の実存がかかっているのです。
(134ページ)

3.不条理の問いと十字架の出来事
 ドイツの女性神学者ドロシー・ゼレ(1929〜2003)は、その著「苦しみ」(邦訳、新教出版社)という本の中で一つのエピソードを紹介しています。
 第2次世界大戦のユダヤ人強制収容所の中である出来事が起こりました。過酷な状況に耐えきれず、脱走を図った子どもたちがいました。二度とことを起こさないように見せしめのために、収容所の中の子ども全員を集めて一列に並ばせ、五番目ごとに銃殺したのです。
 ゼレはこの出来事を紹介するにあたって、こんなことを言っています。このようなときに、愛なる神、全能なる神はどこにもいない。もし神が愛であり、全能であるなら、すぐにやってきて五番目ごとに並んでいただけで銃殺される子どもを助けにきてくれるはずだ。しかし、そのような神はどこにもいない。もし神がいるとすれば、銃殺される子どもと一緒に殺された神がいるだけだ。そういう神はともに苦しむ神であり、それが十字架のキリストに他ならないと言います。
 キリストは十字架上で果てられるとき、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」とさけばれたとあります。
 神の子が神から見捨てられたのです。これほどの不条理はありません。キリストは不条理の極みにご自身をおかれたのです。キリストご自身を不条理の極みに置かれることで、私たちが不条理の極みに立つとき、共にいてくださるお方だということを、十字架上のキリストを通して私たちを知ることができるのです。(127ページ)
 究極のカウンセリングは「共にいること」(WITHNESS)であるといわれます。苦難の中にいる人と共にいることは辛く難しいことです。しかし、共にいてくれる人がいれば、問いだけあって答えがないところでも、人はなお前に向かって生きることができます。(127ページ)
 


 引用ばかり長すぎてしまった。
あとは見出しだけですませることにしよう。本当はここがもっとも大切なところかもしれないけれど。

第4章 スピリチュアルペインに対するケア
1.存在論的問いに対するケア 存在の肯定と安心感の付与
2.目的論的問いに対するケア 究極の世界にゆだねる決断
3.不条理の問いに対するケア 意味のあるプロセスの共有者の存在

私の物語
 スピリチュアルケアの最終目標は、当事者がどれほど成熟した「私の物語」を作ることが課題となります。その物語の質はスピリチュアルペインの克服の程度によって決定されます。援助する側からみれば、その「私の物語」が慰めや希望をもつ物語となるように援助することが求められています。

 こんな「物語」が紹介されていた。

 手元に一冊の本があります。三児の母、そして49歳にして「がん」と向き合う日々を生きた一人の信仰者田坂祥子さんの死の看取りの記録です。この本は「安らかな死」と題して1994年に日本キリスト教出版局から上梓されました。
 1992年の5月9日の朝、祥子さんは愛する夫と32人の子どもたちに見守られ、自宅のベッドで召される時を迎えた。最期の言葉は「あなた、ありがとう」とのご主人への感謝であった。納棺の時には「みんなの席を天国で取っておくからね。椅子取りみたいに。いい席にハンカチを置いておくよ………」と数日前に彼女がユーモアたっぷりに言い残した言葉通り、棺の中にはハンカチをたくさん入れた。音楽の好きな祥子さんにとって、天国は音楽会だったからである。

 私もこんなすてきな物語を死ぬ間際につくれるだろうか。
 私は「死にたくな〜い。もっと生きていた〜い」と絶叫して息絶えるのではないか。その往生際がわるさに神さまもあきれるだろうが、「こんな絶叫する元気があるなら、もう少し生かしておくか」と神さまに思わせてしまうのがねらいの物語である。

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2014年02月21日

宝くじCMのコピーはどう考えたらいいのか?

電車とバスの中にあった「宝くじ」の広告ポスターが目についた。何とも不思議なコピーである。

「お金持ちが幸せとは限らない」とお金持ちになって実感してみたい。

だって。
これは駅のポスター。

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こちらはバスの中の広告。

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2014年02月13日

「ありがとうの児童画展」の43年前の子どもたちの絵

 私のSIGNISの友人の鈴木浩さんは、今から43年前の1969〜1970年に自転車で日本全国の小学校をまわり、子どもたちの絵を集めました。約125校から500点余の児童画を集めました。
 彼はそれを集めて東京で児童画展を開くのが夢でした。その夢は1970年10月に実現します。

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そしてそれは新聞記事にもなりました。

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 Facebook で少しずつ発表されてきましたが、ここで一挙に全作品がみられるウェブサイト児童画展「ありがとうの絵」が開催されるようになりました。
 どの作品もじつに生き生きとその時代を反映して描かれています。
 彼はこの絵を当時小学生だった作者に返却したいのだそうですが、返却するすべがありません。この絵を見て描いた方たちと連絡が取れたら幸いです。

 それにしても全国を自転車で回って、子どもの絵を集めたというのは、今では考えられないことですね。それをあつめた青年時代の鈴木さんと快く絵を提供してくださった学校と子どもたちに頭が下がる思いです。

こちらにもあります
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2014年02月09日

「シニアの霊性」体験プログラムの提案

 私の卒業した高校である栄光学園同窓会には「栄光同窓カトリックの会」という支部みたいなものがあります。カトリックの信者の卒業生の集まりです。私はここの13期生なのですが、私がもっとも若くて、古くは1期生からいます。
 このたび「栄光同窓カトリックの会」のメンバーのための黙想会を3月15日〜16日に鎌倉の十二所黙想の家で行うことになりました。
 ただし、今回は同窓会メンバーのための黙想会なので、参加のご希望をいただいてもお応えできませんが、いつか一般の方々の参加できる「黙想会」として企画できたらいいなというのが私の夢です。
 もしもこのプログラムに参加してみたいという方がおられたらコメントにお寄せください。そうしたら実現できるでしょう。
 その黙想会のために、黙想指導の神父さんに書いた提案書をこの私のブログで紹介します。黙想指導のプロである神父さんにこんな生意気な提案をすることの失礼は重々認識しておりますが、あえて提案させていただきました。

 このたびは「栄光同窓カトリックの会」の黙想会指導をお引き受けいただきありがとうございます。
 実は、私はこれには出席できないのですが、この同窓会幹事のひとりとしてこの「シニアの霊性」というテーマの黙想会を提案しました。
 黙想指導のプロである神父さまに、この黙想会に参加できない私が、こんな生意気なことを申し上げる失礼もおゆるしください。
 今度の黙想会は、ぜひ神父さまのやり方でおすすめください。
 でもどうしても神父さまにお聞きいただきたく、メールいたします。
 実はこの種の黙想会は、高齢化が進むいまの教会に必要なことだと思うのです。教会の中だけでなく、一般の人びとにも有効だと思うし、なによりも福音宣教の最も有効な手段となり得るとさえ思っています。信者でない一般の人たちにこのような「シニアの霊性」体験プログラムを提供できたら、きっと信者となる人が増えるでしょう。
 十二所の黙想の家は、これからそういうプログラムを体験できる場として、地域にそして一般の人びとに開かれていく場となるように提案したいと思っているので、今回の黙想会はそのテストケースになるかもしれません。

1,この黙想会のスタイルについて
 私は、東京で行われている「カトリック学校教員養成塾」のスタッフを務めて5年目になりますが、毎年年末に合宿を致します。そこで「自分の教員生活を振り返る」ということをします。
 たとえば「教員になったきっかけやその学校に勤めることになったきっかけ」「自分に影響を与えた先生たち」「生徒との交わりの中で得たこと」「同僚たちとの交わりの中で」「これから私のめざすこと」というテーマのもとに5つのセッションを行います。
 それぞれのセッションは、スタッフのひとりの自分の経験についての簡単なプレゼンテーション(15分程度)、1時間の個人の振り返りの時間、そして1時間の5〜6人グループでのわかちあいによって構成されています。
 1時間の振り返りの時間は沈黙でそれぞれの部屋や聖堂、あるいはその集会の部屋で行います。思いつくことをノートに書いていく人もいれば、書かないでひたすら黙想する人もいます。
 分かち合いは、その振り返りの時間で何を感じ、何に気づき、何を考えたのかということを分かち合います。先ず順番にひとり5分くらいの報告をしほかの人は聞き合います。それを一巡したら、ほかの人の分かち合いを聞いて感じたこと考えたことを今度は順番を決めずに第2ラウンドを行います。分かち合いなので、他の人の分かち合いを批判したり、注釈をくわえたり、説教をしたり、助言をしたりするのはすすめられません。
 グループのまとめをしたり、全体への発表や報告をしたりすることは必要ありません。
 じつは今度の黙想会もこのスタイルをとったらいいとおもって、スケジュールを作りました。
 スケジュールには1時間の講話、1時間の黙想、1時間の分かち合いとなっておりますが、講話に1時間必要ないと思われます。テーマの解説と具体的な作業の指示、その作業をしてみて神父様ご自身のケースについての話をしていただければいいと思います。これはあくまでも自分の振りかえりを助けるための「呼び水」みたいなものです。
 教会の黙想会の多くは、講話と黙想だけで構成されていることが多いのですが、ひどいときには「黙想会」といいながら講師の講話を聞くだけというのもあります。ここでは講話が中心というよりも、個人の振り返りが大事なのだと思います。講話はそれを助けるためのものであってほしいのです。

2.各セッションのテーマについて
 この黙想会の全体のテーマは「シニアの霊性」です。おそらく参加者の中でも私がもっとも若い世代となり、参加者の多くは70代となるはずです。いまふうにいうならば「終活」ですね。そんなシニアのためのテーマは次の三つになるのではないかと思うのです。
 ひとつは自分のライフストーリーを振り返る。人生の総決算とでも言えるかもしれません。
 他のひとつは「死の準備と永遠のいのち」ということでしょう。
 そして3つめは「残りの生をどう生きるか」
 黙想者はそれぞれのテーマについて、もっとも応えやすい問いかけを選んで、それについてあれこれと思い巡らしてみて、神さまと対話してみるというのが振り返りの時間です。思い浮かべたことや気がついたこと、感じたことなどをノートにメモしておくといいでしょう。

1)自分のライフストーリーを振り返る
自分に与えられた恵みと逃してしまった恵み
自分の人生のラッキーだったこととアンラッキーだったこと
私がこれまでにやってきたこと、やってこれなかったこと、あるいは成功と失敗をふりかえる
私の人生のターニングポイント、選択の歴史
クリスチャンとして信仰をもって生きてきて、損をしたと思うこと、得をしたと思うこと
どういう呼びかけにどう応えてきたのか、あるいは応えてこなかったのか?
人生を生きてきての誇りと悔い
自分の自慢、手柄、功績のリストづくり
自分の遺産のリスト 残しておきたいもの、何を遺産として残したいか、誰かに受け継いでほしいこと、自分の記念館を作るとしたら、何を展示し、自分の生涯をどう紹介するか。
自分の「ライフワーク」や自分史の目次づくり
もっとも愛する人へ、毎年命日になると配信される手紙を書く。
自分の人生の意味を考える。ライフストーリー、人生シナリオ。このストーリーやシナリオの作者である神さまは、主人公のあなたをとおして何をお伝えになりたかったのか?

2)死の準備と永遠のいのち
 私は個人的にこのテーマを黙想するのにもっともいいのは、デ・メロ神父の提唱する「臨終と葬式のエクササイズ」だと思っています。ご存知だと思いますが、これは「東洋の瞑想とキリスト者の祈り (アントニー・デ・メロ 著 裏辻 洋二 訳 女子パウロ会刊)に掲載されています。「幻想を用いて祈る」という章に紹介されている一連の黙想です。

●生命(いのち)その真価 
●視力を失う自分を想像する
●全身麻痺でベッドに横たわっている自分が、徐々に麻酔から覚めていく自分
●病院で入院中の自分
●体よ、さようなら
●あなたの葬式と埋葬

 私はこのエクササイズをCLCのなかまとともに過去に体験したことがあります。素晴らしいエクササイズでした。とくに「体よ、さようなら」でイエズスがそこにおられて「体の各部分に、至(注・私の名前)の手よ、至のためによく尽くして働いてくれた」と手に感謝している部分を想像したときに涙が止めもなく流れてきたのを思い出します。
 この黙想会では聖堂で実際にこれをガイドしてくださるのが一番いいのではないかと思っています。もっともこのエクササイズに抵抗して祈れない人も出てくるでしょうが、そこをうまくガイドしていただいて、このエクササイズをしたあとに分かち合うのは素晴らしい信仰体験になるはずです。
 ここに現代的でほんものの『霊操」のエッセンスが込められているような気がしますが、いかがでしょうか?

3)残りの生をどういきるのか?
 これも具体的なリストをつくる作業として行えばいいと思います。
●死ぬまでにやっておきたいことのリストづくり ともかく思いついたことを箇条書きにしてどんどんあげていきます。行きたいところ、会っておきたい人、体験しておきたいこと………などを思いつくままにあげていきます。できるだけたくさんリスとしたら、それを読みかえしてみます。そのなかで何を優先するのか、明日にでもすぐにできることは何か、何から手をつけていくか、順番をつけてみましょう。これは簡単にできそうということ、これはムズカシイということ、後まわしにしそうなことに印をつけてみてください。
●今からでもいや今だからこそできる、あるいは私だからこそできる「人のため社会のために今の自分にできること」をあげてみる。
●遺言として、信仰を子どもや孫たちにどう伝えるか

 ながながとお読みいただいたことを感謝いたします。これをお読みになって、お感じになられたこと、お考えになったことを伺えたら幸いです。
 黙想指導のプロである神父様にこんな生意気なことを申し上げる失礼をかさねがさねおわび申し上げます。
 今度の黙想会はどうぞ神父さまのお望みどおりにおすすめください。実りある黙想会になるようにお祈りしています。

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2014年02月08日

デ・メロの「臨終と葬式のエクササイズ」のオススメ

 インド人のイエズス会士アントニー・デ・メロ神父の著書に「東洋の瞑想とキリスト者の祈り (アントニー・デ・メロ 著 裏辻 洋二 訳 女子パウロ会刊)という本があります。そのなかの「幻想を用いて祈る」という章に紹介されている一連の黙想として「臨終と葬式のエクササイズ」があります。
 このエクササイズを私は20年近く前に体験したことがあります。これは別にクリスチャンでなくても体験できるエクササイズですが、やはり信仰をもって生きることのすばらしさも体験できるプログラムです。
 その一部を抜粋して紹介してみましょう。

●生命(いのち)その真価 

先日あなたは精密検査をうけました。今日その結果が出るのでそれを聴きに行きます。………待合室にいます。周りを見渡してみましょう。………診察室に入りました。ドクターと向き合いました。………ドクターは「検査の結果、あなたは不治の病におかされている、普通人としての活動だできるのはあと2か月でしょう」とわたしに告げました。
突然のこの宣告を受けて、あなたは何を感じますか? 胸の内に湧いてくる思いにしばらくとどまってください。………
外に出ました。この気持ちをどうしますか? 誰かにあって話したいですか?


●視力を失う自分を想像する
●全身麻痺でベッドに横たわっている自分が、徐々に麻酔から覚めていく自分
●病院で入院中の自分 夜も更け、ひとりぼっちでいると想像してください。

●体よ、さようなら

 息をひきとる前に、みなに別れを告げようとしていると想像してください。あなたに、1,2時間のいのちが残されているだけです。この最後の時を、あなたは自分自身と神のために使おうととっておいたのです………。
 では、自分に語りかけてください。体の一つ一つの部分に、手、足、心臓、脳、肺に語りかけます………。ひとつひとつにさようならと告げてください………。
 おそらくこのとき、生まれてこの方はじめて、まさに死なんとしているのだと意識するでしょう。
 体の一つ一つの部分をいつくしんでください。左手にそっと右の手をのせ、今まで自分のために骨身をおしまず、尽くしてくれたことを感謝しましょう………自分にとってじつに貴重な存在であったと話してください………今どれだけいつくしみを持ってこの右手をながめているかを話してください………ほどなくして塵に帰ってゆくこの右手に、心からの愛情と感謝をささげましょう………体の各部分、各器官についてひとつひとつ、そのようにします………終わりにあなたの体全体、この固有の姿、かたち、容貌、肌の色、上背、造作を持った体について同様にします………。
 イエズスが傍らにおいでになると想像してください。あなたの体の各部分が、あなたの生涯に尽くしたことに、イエズスが感謝の言葉を述べておられるのを聞いてください………イエズスがその愛と感謝で、あなたの体を満たしておられるのを見つめてください………。
 イエズスがあなたに語りかけられる、そのみ言葉に耳を傾けます。


●あなたの葬式と埋葬

 ………あなたの遺体をよく見てください………ことにその表情に注目しましょう………あなたの葬儀に参列している人をながめます………葬儀ミサの説教を聞いてください………この司祭はあなたについて何を語っていますか………それを聞いてあなたは何を感じますか?………
葬儀が終わりました………ひとりひとりが家路につきます………道すがらあなたについて話していることに耳を傾けてください………それを聞いて何を感じますか?………
葬儀が終わって、あなたの遺体が埋葬されたお墓の前に立っています。家族や友人があなたの墓の前で手を合わせて祈っています………あなたは家族や友人たちが墓の前から去っていくのを見送っています………何を感じますか………ここにたたずんで、あなたの生涯とさまざまの体験を振り返ってください………生きるに値した人生でしたか………?


 私はこのエクササイズをCLCのなかまとともに過去に体験したことがあります。素晴らしいエクササイズでした。とくに「体よ、さようなら」でイエズスがそこにおられて「体の各部分に、至(注 私の名前です)の手よ、至のためによく尽くして働いてくれた」と手に感謝している部分を想像したときに涙が止めもなく流れてきたのを思い出します。
 もっともこのエクササイズに抵抗して祈れない人も出てくるでしょうが、そこをうまくガイドしていただいて、このエクササイズをしたあとに分かち合うのは素晴らしい信仰体験になるはずです。
 ここに現代的でほんものの『イグナチオの霊操」のエッセンスが込められていると思います。

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2014年02月07日

若山牧水の歌の抒情

若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 - 1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。宮崎県生まれ。
1920年より沼津に住む。沼津に若山牧水記念館がある。今度訪れてみよう。

旅を愛し、旅にあって各所で歌を詠み、日本各地に歌碑がある。大の酒好きで、一日一升程度の酒を呑んでいたといい、死の大きな要因となったのは肝硬変である。ちなみに、夏の暑い盛りに死亡したのにもかかわらず、死後しばらく経っても死体から腐臭がしなかったため、「生きたままアルコール漬けになったのでは」と、医師を驚嘆させた、との逸話がある。自然を愛し、特に終焉の地となった沼津では千本松原や富士山を愛し、千本松原保存運動を起こしたり富士の歌を多く残すなど、自然主義文学としての短歌を推進した。


代表作はなによりもこの三つであろう。

白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ
いざ行かむ 行きてまだ見ぬ 山を見む このさびしさに 君は耐ふるや
幾山河 越え去りゆかば 寂しさの 果てなん国ぞ けふも旅行く


これは作曲:古関裕而で藤山一郎が歌っていますが、YouTube に見つけましたが、これは歌詞が入っていない。

他にも鮫島有美子が歌っています。


上記の歌以外でもこんな歌がいいですね。

0903wakayama
 わが行くは海のなぎさの一すぢの白きみちなり尽くるを知らず
 山に来てほのかにおもふたそがれの街にのこせしわが靴の音
 はるばると一すぢ白き高原のみちを行きつつ夏の日を見る
 わがこころ静かなる時につねに見ゆ死といふもののなつかしきかな
 海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり
 白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ
 終りたる旅を見かへるさびしさにさそはれてまた旅をしぞおもふ
 秋かぜや日本の国の稲の穂の酒のあぢはひ日にまさり来れ
 なすべきをなさざる故にこの如くさびしきものとなりしやわれは
 いつか見むいつか来むとてこがれ来しその青森は雪に埋れ居つ
 めいめいのこころそれぞれに向きてゆくこの友どちをとどめかねつも
 いまいちどあひておかねばならぬごときおもひは苦しいつ逢ふべしや
 それほどにうまきかと人のとひたらばなんと答へむこの酒の味
 酔ひぬればさめゆく時のさびしさに追はれ追はれてのめるならじか
 おだやかに妻にものいふやすらけきこころをわれの持たぬものかも
けふもまた こころの鉦を 打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれて行く
山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花
とほ山の峰越しの雲のかがやくや峰のこなたの山ざくら花


師の尾上柴舟は、牧水の死を悼んで、「そのかみの西行芭蕉良寛の列に誰置くわれ君を置く」と詠んだ。
さて、あなたはどの歌がお気に入りですか?

ちなみに若山牧水の歌はここにある。

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2014年02月06日

福島の子どもを描いたアニメ「アビタ」アニメ国際賞

 FBで知った短編アニメ「アビタ」です。



 この短編アニメはドイツに在住する日本人学生が作ったアニメだそうです。アニメのタイトルは「Abita(アビタ)」で、福島原発事故の放射能汚染で苦しむ子供が主人公になっています。
 いろいろなところでアニメの国際賞を受賞しているのだそうですが、不思議なことに日本ではほとんどそのことが報道されないし、知らされていないということです。

・Awards:
Best Animated Film, International Uranium Filmfestival, Rio de Janeiro, 2013
Special Mention, Back-up Filmfestival, Weimar, 2013
・Coming Competitions:
Eco-Filmtour, Potsdam, 2014 (nominated)
Winter Film Awards, New York City, 2014 (nominated)

 このアニメをみて感じたこと、考えたことを教えてください? 特に子どもたちがこれをみてどのように反応したかをお聞かせください。

 ちなみに、これを作った日本人学生とは、ドイツのルートヴィヒスブルク(Ludwigsburg)在住の Shoko Hara さんというかたで、1988年に岡山県で生まれ、1998年にドイツに移住しています。大学ではメディアデザイン研究科に在籍、2012年にバーデン・ヴュルテンベルク州立フィルムアカデミー、モーションデザイン学科で学びました。

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2014年01月19日

パスカルの「賭け」

パスカルの「パンセ」に』こういうくだりがある。有名な「パスカルの賭け」についてのくだりである。これは「はじめてのゲーム理論」(講談社ブルーバックズ 川越敏司著)に紹介されていた。この考え方が「ゲームの理論」の本に紹介されていたというところがおもしろい。

 それではこの点を検討して「神はあるか、またはないか」と言うことにしよう。だがわれわれはどちら側に傾いたらいいのだろう。理性はここでは何も決定できない。そこには、われわれを隔てる無限の混沌がある。この無限の距離の果てが賭けが行われ、表がでるか、裏がでるかなのだ。君はどちらに描けるのだ………さあ、考えてみよ………。選ばなければならないのだから、どちらのほうが君にとって利益が少ないかかんがえてみよう………神があるという方を表にとって,損得を計ってみよう。次の2つの場合を見積もってみよう。もし君が勝てば君は全部もうけられる。もし君が負けてもなにも損しない。それだから、ためらわずに神があると描けたまえ………ここでは無限に幸福な無限の生命がもうけられるのである。勝つ運がひとつであるのに対して負ける運は有限の数であり、君の賭けるものも有限なものである。これでは確率計算など全部いらなくなる………したがって無に等しいものを失うのと同じような可能性でもって起こりうる無限の利益のために、あえて生命を賭けないで、出し惜しみをするなど、理性を捨てないかぎり、とてもできないことである。


 このパスカルの考え方について「はじめてのゲーム理論」の著者川越敏司氏はこんな注釈をよせていました。

 これは「パスカルの賭け」と呼ばれている、神への信仰を合理的に正当化する有名な議論のひとつである。
 神が存在するか否か、どちらかに賭けるとしたら、存在する方に賭けた方が、存在しないという方に賭けるよりも期待値が大きいから、神が存在すると信じるべきだという論法です。
 これは非常にゲーム理論らしい考え方です。パスカルは何百年も前に、ゲーム理論の考え方を先取りしていたのかもしれません。


 この論法は、たとえば「死後の世界」が存在するかどうかについても当てはめられる。つまり「死後の世界」が存在するかどうか、人間には分からない。問題は「死後の世界」が存在する方に賭けるのか、存在しない方に賭けるのか「賭け」なのである。どちらに描けた方が利得があるのか。
 それは明白である。「存在する」ほうに賭けた方が希望を持って死ぬことができるからである。死んだらもうそれで終わりと考えるよりも、死んだら天国に行ける、死んだら先に死んだ自分の肉親や愛する人と再会できると考えた方がずっと希望と安心を持って死ぬことができるからである。
 この論法は他の問題にも当てはめることができるだろう。
 信仰というのはそういう問題なのかもしれない。
 というと、信仰は損得の問題ではないと反論する人がいるということも想像するに難くないが………。

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2014年01月01日

大晦日から元旦恒例、年賀状、お雑煮、お屠蘇、初詣

あけましておめでとうございます。

昨日の大晦日は、午後6時まで年賀状を書いていました。年賀状は今年は800枚書きました。大晦日の午後5時に投函したから、受け取りは1月4日でしょう。ここ5年間はほとんど毎年こんな具合です。最も多いときは900枚だったから、最盛期に比べるとすこし落ちました。最終的に私が受け取るのは500枚くらいかな。別に返事が来なくても出し続けるという方針をとっていたら増える一方でしたが。来年はさすがに少し減らすことを考えています。

それから買い物に行って、おせちを少しばかり作りました。というよりも買ってきたものを切って重箱に詰めたにすぎないのですが。

わが家の「おとそ」は、みりんに屠蘇散をつけ込むというのです。だからやたら甘ったるいのですが、子どものころからこれなので、これがないと正月のような気がしないのです。
とそさんはマツキヨで買いました。まだ売れ残っていました。
お屠蘇というのは「蘇という国を屠る」という所から転じて、病気や不幸のもとをやっつけるという意味なのですね。

わが家のお雑煮は関東風で、さといも、にんじん、だいこん、小松菜、鶏肉の醤油味です。
ところがトレッサにいったら、7時閉店の30分前だったので、小松菜は売り切れていました。しょうがない、ほうれん草で代用です。

清子さんの実家奥出雲町のお雑煮は独特です。今年も実家から丸餅を送ってきましたが、正月に入る前に全部食べ終わってしまいました。
お湯で煮たおもちに、なま海苔をお酒で伸ばしたものをひとつまみと鰹節をドサリ入れて、そこに醤油味のだし汁をかけるというシンプルなお雑煮です。磯の香りがぷ〜んと広がります。
このお雑煮の食べ方は、出雲地方の海に近いところでは残っていないそうで、山奥のこのあたりにだけ残っているそうです。
いつかテレビを見ていたら、このようなお雑煮が能登半島の先の方に残っているということを知りました。それを誰かに話したら、北海道の稚内地方もこういう食べ方をするといっていました。
日本海の北前船の寄港地に残っているのだそうです。
残念ながら全部食べちゃったので、写真はありません。

今日の1月1日は、朝お屠蘇で乾杯しお雑煮を食べて、教会のミサに行きました。ミサの賀詞交換会のあとに総持寺に初詣、つづいて鶴見神社へと回って初詣ツアーです。
毎年、元旦の新聞を書いためるという恒例にしていた行事は今年からやめました。新聞を買っても読み切れないからです。

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正門の掲示。いつも難しくて意味を考えてしまいます。

soujiji3

煙を浴びて身を清めています。

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毎年もらう白字会の言葉です。

TurumiJinja

鶴見神社も参拝客が並んでいました。



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2013年12月23日

日能研車内広告より横浜雙葉の入試問題

日能研のJR車内広告で、横浜雙葉の国語の中学入試問題が紹介されていました。

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こんな問題を出すなんてさすがカトリック学校です。

その問題は
あなたが「かけがえのない存在」として大切にされた体験を書きなさい。そしてその体験があなたの生き方にどのように活かされているかを書きなさい。
です。

あなたならどのようなことを書きますか?
私は………。私は書くことがたくさんあります。さて何について書こうか。

ところでこれをどのように評価するのでしょうか? どのように書いた子どもに高い評価を上げるのでしょうか? 思わずそこを聞いてみたくなります。

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2013年12月21日

スミレの生存戦略のけなげさと面白さ

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今ごろスミレが果実をつけているのを発見しました。中には果実の殻が裂けてタネがたくさんくっついているものや、タネを弾き飛ばしているものもあります。スミレって春に花が咲くのになぜ今ごろ実をつけるのかちょっと不思議に思って調べてみました。
するとありました。私の疑問に見事に応えてくれたサイトが。

それによると、スミレには春に花咲く開放花と秋に花はつけないけれど果実を結ぶ閉鎖花があるのだそうです。今頃実をつけるのは閉鎖花というわけです。花は開かないけれど自家受粉して実をつけ種を作るのだそうです。
その他にもスミレの生態についてたくさんの興味深いことをおしえてくれました。
花が咲き終わって身を作るプロセスもおもしろいし、カラが風力発電機みたく避けてから種を弾き飛ばすのも面白いです。中には3メートル先まで飛ばすのがあるとか。
さらに興味あるのはアリとの共存関係です。スミレの種にはエライオソームというアリの好物が付着していてアリたちはその種を何とか巣まで持ち帰ろうとするのですが、なかなか成功せずに途中で諦めてしまうことがおおいようです。スミレにとっては遠くまでタネを運んでもらってそこでまた咲き出すことができるというわけです。
なんて賢い花なんだと感動的です。あの可憐なスミレがこんな健気で大胆な生存戦略をもっているなんて。

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2013年12月18日

こういうことあるんですね。感動します。

FB で回ってきました。シェアせずにはいられないステキな話です。

 「誰かのために・・・」 僕が看取った患者さんに、スキルス胃がんに罹った女性の方がいました。余命3か月と診断され、彼女は諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきました。
 ある日、病室のベランダでお茶を飲みながら話していると、彼女がこう言ったんです。 「先生、助からないのはもう分かっています。だけど、少しだけ長生きをさせてください」 彼女はその時、42歳ですからね。そりゃそうだろうなと思いながらも返事に困って、黙ってお茶を飲んでいた。
 すると彼女が、「子供がいる。子供の卒業式まで生きたい。卒業式を母親として見てあげたい」と言うんです。 9月のことでした。彼女はあと3か月、12月くらいまでしか生きられない。
 でも私は春まで生きて子供の卒業式を見てあげたい、と。子供のためにという思いが何かを変えたんだと思います。
 奇跡は起きました。春まで生きて、卒業式に出席できた。
 こうしたことは科学的にも立証されていて、例えば希望を持って生きている人のほうが、がんと闘ってくれるナチュラルキラー細胞が活性化するという研究も発表されています。おそらく彼女の場合も、希望が体の中にある見えない3つのシステム、内分泌、自律神経、免疫を活性化させたのではないかと思います。
 さらに不思議なことが起きました。彼女には2人のお子さんがいます。上の子が高校3年で、下の子が高校2年。せめて上の子の卒業式までは生かしてあげたいと僕たちは思っていました。
 でも彼女は、余命3か月と言われてから、1年8か月も生きて、2人のお子さんの卒業式を見てあげることができたんです。そして、1か月ほどして亡くなりました。
 彼女が亡くなった後、娘さんが僕のところへやってきて、びっくりするような話をしてくれたんです。 僕たち医師は、子供のために生きたいと言っている彼女の気持ちを大事にしようと思い、彼女の体調が少しよくなると外出許可を出していました。「母は家に帰ってくるたびに、私たちにお弁当を作ってくれました」 と娘さんは言いました。
 彼女が最後の最後に家へ帰った時、もうその時は立つこともできない状態です。病院の皆が引き留めたんだけど、どうしても行きたいと。 そこで僕は、「じゃあ家に布団を敷いて、家の空気だけ吸ったら戻っていらっしゃい」と言って送り出しました。ところがその日、彼女は家で台所に立ちました。立てるはずのない者が最後の力を振り絞ってお弁当を作るんですよ。
 その時のことを娘さんはこのように話してくれました。「お母さんが最後に作ってくれたお弁当はおむすびでした。そのおむすびを持って、学校に行きました。久しぶりのお弁当が嬉しくて、嬉しくて。昼の時間になって、お弁当を広げて食べようと思ったら、切なくて、切なくて、なかなか手に取ることができませんでした」
 お母さんの人生は40年ちょっと、とても短い命でした。でも、命は長さじゃないんですね。 お母さんはお母さんなりに精いっぱい、必死に生きて、大切なことを子供たちにちゃんとバトンタッチした。
『致知』2012月7月号 より 鎌田 實 「誰かのために・・・」
出典:人間力.com

 -------------------- 人間は「誰かのために」と思った時に、希望が生まれてくるし、その希望を持つことによって免疫力が高まり、生きる力が湧いてくるのではないかと思います。 あなたの大切な人は誰ですか? その人のためにどんな些細のことでも良いので、何かできることをしてあげて下さい。その行動が、きっとあなたにも元気を与えてくれるはずです。 もし宜しければ、シェアをお願いします。


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清子さんがアトリエサンク展に出品しました。

 清子さんが「アトリエサンク展」に出品しました。12月16日から22日まで関内のみつい画廊にて行っています。こちらにお越しの節はぜひお寄りください。今日(18日)の午後は当番で画廊にいます。すみません。直前のお知らせで。

 実は清子さんはここのところ体調がすぐれず、フィットネスクラブにもアトリエにも行っていなかったので、出展にはあまり気乗りがしませんでした。だから今回のはあまり自信作ではなかったので、このグループ展に来て絵を見てくださいと積極的に誘いませんでした。
 とはいえ、展示してみるとやはりみなさんに来ていただくほうがいいと思ってお誘いすることにしたものです。おかげで少しは元気になったかなという感じです。

 今回の清子さんの絵です。この2点です。小さい絵しか描けませんでした。

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 アトリエサンクのみなさんです。絵を搬入して展示を終えたときの全員写真です。前列のイスに腰掛けているかたが作山先生です。

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 みつい画廊への道順です。JR関内駅から徒歩7分くらいです。

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ぜひお越しください。

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2013年12月13日

「アインシュタインやスティーブ・ジョブズを育てる社会を目指して」にいきました。

 12月7日「アインシュタインやスティーブ・ジョブズを育てる社会を目指して」というタイトルの講演会を聞きに日比谷図書館にいってきました。
 これは「世界連邦21世紀フォーラム」とかが主催するピースビレッジのワークショップで第19回のワークショップなんだそうです。私はこの組織には関係ないのですが、FACEBOOK で回ってきた案内に誘われて、ちょうど養成塾にいく前にぴったり入ったので出かけることにしました。
 参加者は20人くらいのこじんまりした集まりでしたが、中身はなかなか面白かったです。
この講演のタイトルにも引かれました。発達障害時の話であることは講師の肩書きを見てすぐにわかったのですが、このタイトルがいいですね。これも行ってみようとする気にさせたひとつの要因でした。
 講師は小田知宏氏。(NPO法人発達わんぱく会理事長)若い人でした。参加者はみな若くて、私が一番年配だったかな。

 講演の内容は、発達障害とは何かということとこの「わんぱく塾」の事業内容の紹介でした。講演の中ではアインシュタインもジョブズも坂本龍馬もエジソンも発達障害児であったことが紹介されました。その障害児がまわりの世界に受け入れられて育ってああいうユニークで創造的なことができるようになったのだという説明がありました。もしもそのときに受け入れられずに拒否されたらあのようには育たなかったはずです。出来るだけ早期に障害があることを発見し、そういう育て方をしないといけないといわれたことが心に残りました。
 そのあと、小グループに分かれて講演を聴いて感じたこと考えたことを分かち合いました。そのグループの中で私は「そもそもこれは『障害』なのだろうか? むしろ「発達凸凹(「でこぼこ」あるいは「おうとつ」」といった方がいいのではないか。だれもが発達上では凸凹を持っていて、そのなかで大きく欠けているところや突出しているところを持つことが「障害」なのであろうか?」という疑問を呈しました。
 小田さんは、この活動はやはり行政からの補助金で支えられているところが多いので、「障害」という名前を使わないと補助金がもらえないのだといわれていました。彼自身も「わんぱく塾」を名乗っていて、このことばはできるだけ使いたくないと言われていました。
 たとえば視覚障害者はそのハンディを乗り超えるために点字を学ぶ。点字は指先の部分に研ぎすまされた鋭敏な触覚を必要とする。その鋭敏な触覚もあるいは白杖を使って街を歩いていく人の空間認知能力ならびに記憶力は、とても障害のない人たちには考えられないくらいの能力をもちます。聴覚障害者が唇の動きでことばを理解するのもその特別な能力でしょう。プロ野球の投手が口をグローブで隠しながら話すのは唇を読まれないようにするための方策であるということを聞いたことがあります。
 つまり、ハンディを持つと、それを乗り越えるあるいは補うために障害のない人にはとても考えられない別な能力を発達させることがあります。この「発達障害」にもそれは当てはまるのだろうかと問いかけてみました。
 小田さんの答えですが、発達障害児は多くの場合、感覚過敏とか、なにかへのこだわりの強さ、異常な程の集中力の持続などの特徴を持つそうです。何かのハンディを補うというよりもこういううまれつき持った資質のなかに特別な能力が隠されていると言った方がいいだろうということでした。
 小田さんが今試みられていることは、できるだけ早期に「発達障害」を発見し、それを大切にしながら育てていくにはどうしたらいいかということで、乳幼児期に焦点を当てて、子どもたちのことばとこころの保育を行えるスタッフと施設を充実していくことであるようです。ここに映像がありました。



 11月4日に「栄光カトリック同窓会」で高校の同期の塩谷英策さんの「発達障害」の話を聞くチャンスがありました。かれは10年以上前から葉山町で「ひとりを大切にする」耕心塾学習教室・教育相談室を開設していてそれをやり続けてきたことには頭が下がる思いです。
 講師の小田さんにこのことをご存知ですかと聞くと残念ながら知らないと言われました。耕心塾はむしろ小学生の子どもに、画一的一斉指導を廃し、生育歴、現在の状態像、各種学力・性格・心理検査等をもとに、個人の目的に応じた教育指導計画をつくり、個人指導・個別指導をするということをあげているので、発達障害をもった乳幼児に特化した形での保育とは少し趣旨が異なるようです。

 小田さんのわんぱく塾では、小学校に入学するとわんぱく塾は卒業ということになり、まだ開設後間もないので、その子たちが卒業後どのように育っていくかについてのデータはまだないようです。
 耕心塾の卒業生には、その持っているユニークな能力を生かして仕事に就いているひともいるということです。
 結局、この子はこういう力は持っていないけれど、そのかわりこういう特別な能力を持っていて、そこをこう指導したらこういうふうにのびていったという教育事例を蓄積することがとても大事なようです。そういう中から、アインシュタインやジョブズのようなユニークな人材が育つと思うのです。
 これからもこの活動を見守り、応援し続けたいと思いました。

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2013年12月03日

マザーテレサの「人生は………」

FBで回ってきたマザーテレサの「人生は………」をシェアします。

JinseihaMT

英語版も見つけました。
Life is an opportunity, benefit from it.
Life is beauty, admire it.
Life is a dream, realize it.
Life is a challenge, meet it.
Life is a duty, complete it.
Life is a game, play it.
Life is a promise, fulfill it.
Life is sorrow, overcome it.
Life is a song, sing it.
Life is a struggle, accept it.
Life is a tragedy, confront it.
Life is an adventure, dare it.
Life is luck, make it.
Life is too precious, do not destroy it.
Life is life, fight for it.


私は「人生はゲーム 楽しみなさい」と「人生は冒険 いどみなさい」というのが好きですね。
最後の
「人生は人生 立ち向かいなさい」という所の英語は「Fight for it。」となっているところがちょっと気になります。
「そのためにたたかいなさい」というのであって、それとたたかいなさい」ではないですよね。

あなたはどのフレイズが好きですか?

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2013年12月01日

今年のわが家の収穫 渋柿とカリン

今年のわが家の収穫です。
柿が5つとカリンが4つ。カリンはちょっととるのが遅かったので、4個くらいは地面に落ちてしまっていました。でもそのせいでけっこう大きく育ったのもあります。
カリンはあいかわらずいい香りを発しています。

KakiKarin

柿は実においしそうに実ったのですが、渋柿です。
はじめて実をつけた年はカラスが突っついたあとがけっこうあったのですが、最近はカラスも学習したとみえて見向きもしません。
ブランディーをヘタの所につけて渋抜きをします。10日くらいかかるそうです。本当は35%焼酎がいいのだそうですが、それがなかったので、ブランディーにしました。味が変わるかな?
カリンは、皮ごと細かく切って氷砂糖を入れて、カリンシロップにします。これがもっとも香りを残してくれます。これを炭酸でわってのむとのどにいいということです。
庭木にカリンはおすすめです。実の香りも去りながら、カリンの幹はとてもきれいです。

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2013年11月25日

鶴瓶さんの「家族に乾杯」に清子さんのふるさと奥出雲町がでた

今日(11月25日)の鶴瓶さんの「家族に乾杯」に妻の清子さんの実家のある奥出雲町がでました。今日の午後に実家のおかあさんが知らせてくれました。

KazokuKanpai1

あそこにでているそば屋のある神社(稲田姫神社)のすぐ近くに実家があります。
あのそば屋には今年の正月にいって横田こそば割子そばを食べ、店長の岡田さんともお話しをしました。その時のことがここに書かれています。

KazokuKanpai2

奥出雲町というのは、本当に奥の深い町で行くたびに新しいものを発見して帰ってきます。

KazokuKanpai3

「家族に乾杯」でも紹介されていたけれど、仁多米、仁多牛、出雲そば、そろばん、日本酒大吟醸「玉鋼」、たたら製鉄、餅米などの全国ブランドを持っています。清子さんの実家でも仁多米を作っていて、毎年新米を送ってきます。
そうそう「神話の里」でもあります。「ヤマタノオロチ」が生息していた地です。上流から箸が流れてきたから上流に人が住んでいることが分かるという「ど」がつくいなかです。

KazokuKanpai4

来週(12月2日)に、後半を放映するそうですから、ぜひご覧になってください。
そういえば「家族に乾杯」にわたしの知り合いが出場したのは3回目です。1回目は上田市別所の銀河工房の小林さん、2回目は大船渡市のイーピックス熊谷さん、そして3回目はそば屋の岡田さん。ちょっとふしぎな感じです。


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2013年11月22日

俳優座「気骨の判決」を見に行きました。

 「心のともしび」で月に一度私の原稿を朗読してくださっている俳優座の坪井木の実さんが出演する「気骨の判決」を新宿紀伊国屋ホールに見に行った。会場は満席、若い人たちがたくさん来ていたのを観て、これは何だろうかと不思議に思った。法学部の学生がゼミの教官に勧められてみに来たのだろうかと思ったが、どうも雰囲気が法学部の学生とは違っていた。これはどこかの演劇学校の学生らしい。

 この話は次のような話である。

 太平洋戦争中の昭和17年、東条英機総理大臣のもと、国政に全面的に賛成する議会を作るべく総選挙が行われた。政府への批判は非国民とされ、露骨な選挙妨害が相次ぎ、各地から選挙無効の訴えが大審院に持ち込まれた。他の民事部が原告敗訴の判決を出す中、正義を求め続けた男がいた…………大審院第三民事部部長(裁判長)吉田久。政府の圧力に屈することなく、真実を見つめたひとりの裁判官と彼を支えた家族の物語。
 2009年 NHKドラマ化され、大きな反響を呼んだ莞隚作を竹内一郎書き下ろしで舞台化するこの秋の話題作!


 1940年2月2日の第75議会で壇上に立った民政党斎藤隆夫の有名な「反軍演説」については以前書いたことがあるが、こういう人物がいたことは恥ずかしながらまったく知らなかった。この演劇を見て初めて知った。そのことだけでも見に行ってよかったと思った。
岩ア加根子さんはじめ、坪井木の実さんも熱演だった。台詞が多かったにもかかわらず話はとても判り易かった。周りの若い人たちは「ねえ、わかった?」とききあっていたが、私はよくわかった。
 しかし、ちょっと気になることがあった。5人の判事の内3人までは選挙無効に反対していたにもかかわらず、最終的には全員選挙無効の審決が下った、この審決については法廷場面だけで知ることになる。つまり、選挙無効に反対していた3人の判事が考えをひっくり返す審議の場面が演じられていなかったのである。本来この審議場面がクライマックスともいうべき場面になるのではないのかと思ったのだが、それがなかったのはちょっと物足りなかった。
 これはシナリオの問題ではないかと思うが、俳優たちはそこを演じきる自信がなかったのだろうか?
 あとで、憲兵とのやり取りで、東京大空襲以降の焼け野原となったのをみて、考えを変えたということが説明されるのだが、なんとも、物足りない感じが残ったのである。

 このような裁判官がいたことを、今の裁判官や裁判員はどのように受け取るのであろうか? 感想を聞いてみたい。

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2013年11月12日

トランプの絵柄のモデル スペードKはダビデ王、ダイヤQはラケル

 橿原キリスト教会のFBで「トランプの絵札にはモデルがいて、そのうちの何人かは聖書に登場する人物である」ということを聞いて興味を持ったので、調べたものを図にしてみました。

 トランプはそもそも15世紀の後半にフランスで今のような4つのハート(トランプ)ダイヤクラブスペードマークが決められ、16世紀初頭にフランス人が絵札のモデルが決められ、ハート、ダイヤ、スペード、クラブの名前が定まったといわれています。
聖書に関係するのは、スペードKはダビデ王、ダイヤQはラケル、ハート(トランプ)Qはユディットが登場しますが、なぜラケルなのかはその理由がよく分かりません。

TrampEhuda.pdf

 上の図を一生懸命に作りました。どうぞご利用ください。

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2013年11月03日

こんな祝福がおくられたら最高です。An Irish Blessing

こんな祝福の祈りが送られたら最高だと思います。友人のFBで紹介されました。
何かのお祝いにこのURLを送ってみてください。このメッセージと歌にきっと受取手は感激するでしょう。
http://www.andiesisle.com/anirishblessing.html

ちなみに「Irish Prayer」で探してみるとけっこうたくさん出てきますが、この言葉は出てきませんでした。
それからこの歌を歌っている Roma Downey も探してみました。おもわず、この人のCDを iTunes Store から購入してしまいました。
この祈りの言葉を dictation してみました。どなたか日本語に翻訳してみてくださ
い。

An Irish Prayer

This Blessing is for you

May the blessing of light be upon you
Light on the outside and light on the inside.
With God's sunliht shine on you, may your heart glow with warmth like a turf fire that welcomes friends and strangers alike.
May the light of the Lord shine from your eyes like a candle
in the window welcoming the weary traveler.
May the blessing of God's soft rain be on you,
falling gently on your head refreshing your soul with the sweetness of little flowers newly blooming
May the strength of the winds of heven bless you carrying the rain to wash your spirit clean sparkling after in the sunlight.
May the blessing of God's earth be on you and as you walk the roads, may you always have a kind word for those you meet.
May you understand the strength of power of God in a thunder storm in winter
And the quiet beauty of creation and the calm of a summer sunset.
And may you come to realize that insignificant as you may seem in this great universe...
You are an important part of God's plan.
May He watch over you
And keep you safe from harm.


わたしはその中でこの言葉が好きです。
ImportantPart

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2013年11月02日

平松洋子「私の断食1週間」に耽溺する。

 平松洋子著「野蛮な読書」という本を読んでいる。この人の文章のうまさ、おもしろさは絶品であると前にも書いた。

「手で割る」時の音 平松洋子著「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」
平松洋子さん「小鳥来る日」の小躍りしたくなる筆致
平松洋子さんの「小鳥来る日」というエッセイの連載が楽しみです。

 このブログに3回も登場している。これからもまた登場するであろう。私はこの人のファンなので、この人の書くものはチェックしている。このブログのネタになるような Good News の宝庫みたいなものである。
 今回は「野蛮な読書」である。いろいろな本の紹介本であるのだが、わたしにはどこが「野蛮」なのか今ひとつつかめてない。
 その中でこんな文章があった。「わたしの断食1週間」、つまり伊豆の断食道場で過ごした1週間が克明に書かれている。
 本当は日曜日からいくはずだったのが、都合で行けなくなってしまった初日の「断食」できなかった体験にはじまり、行きの「特急踊り子号」の中での読書と「何も食べずに来てください」との誘惑との戦いにつづく。
 それからその日のメニューがでてくる。

火曜日
 早朝 ヨガ 気功体操
 朝 野菜ジュース1杯
 午後 歩く(1万305歩)
 夕方 野菜ジュース1杯
 夜 ヨガ


 その日をどのような気持ちで過ごしたかということが毎日書かれている。

なんだかんだとけっこう忙しいのである。行動は一切自由なのだが、集会室で行われている6時半のヨガや7時半の気功体操にどれどれと律儀に参加しているだけで時間が自動的に進行する。


 この気持ちは完全沈黙の8日間の黙想会〔霊操)に参加したときの気持ちと同じである。

「空腹になったら歩け」はダイエットの鉄則と聞いていたけれど、どうやら本当である。食べずにいるとむしょうに歩きたくなるのだ。………
いざ歩き始めると空腹感が消えて爽快感にかわり、能がよろこびはじめるのである。うそだろうと思うのだが、ほんとうなのだった。………
あっという間に1時間半あるいて帰り着き、ひろい温泉風呂にざぶんと浸かると、ぺったんこの腹がうれしい光景に映るのだった。


 そして読書である。こんな時に読む本を選んで持参したその本が次々と紹介されている。

空腹のとき読みたくなる本はなにか。見当がつかないから雑多な本を10冊ばかりバッグに突っ込んだのだが、風呂上がりにすんなり手が伸びたのはこの2冊である。
正岡子規 「墨汁一滴」「仰臥漫録」
何度も読み返した本なのに、荷造りをしているときふと予感が働いた。食べない、または食べたくても食べられないこれからの1週間、病床わずか6尺にあって食べることに執着した子規にすこしにじり寄れるのではないかと。

はじめは空腹からの逃げ場だったが、やっぱり耽溺した。………子規のいのちが充溢している。しだいに病床の人の魂に指を伸ばしている感覚を覚えて、さらに読み耽る。
夕刻は野菜スープわずか1杯。五臓六腑に沁み渡る。野菜の味わいに集中しながら噛むようにして時間をかけてのみ、ふたたび部屋にもどってベッドの上で「墨汁一滴」。消灯10時。


 ほんの僅かのスープや重湯の味わいと散歩の中継と読書の体験とが克明につづられている日記である。でもあきない。それどころかこっちまで断食をしているような錯覚さえ覚える。
 こうやって引用していると全部を引用したいという錯覚にもおちいる。
 読み終わって、ためいきをついて、そしてこれがなぜ「野蛮な読書」なのか少し分かったような気がする。でもすこしだけである。

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posted by mrgoodnews at 15:06| Comment(0) | 本、映画など感動のメディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いろいろな刺激を識別できる特別な能力

 私の友人(女性)はとても感覚的に鋭敏な方で、こういう方がおられることにとても感動しました。
 鳥の音や時計のチクタクや味や匂いをとても良く聞き分ける特別な能力をもっておられるのです。本人はそれを特別な能力だと思ってはおられないようで、「えっ! みんなそうでないの?」とおどろかれるところがまたまた不思議です。
 尾籠な話で恐縮ですが、こんな話をしておられました。
「トイレに入って、前の人の匂いが残っているときに、その人が何を食べたのかをかぎ分けることができるんです。普通の人はその匂いは不快だから嗅ごうとしないだけのことでよく匂いを嗅いでみるとわかるんです。一番よく分かるのはしいたけですね。自分のにおいでももちろんよく分かりますけれど、ひとのほうがよく分かるような気がします。」
 人がいい匂いには敏感だけど、不快な匂いは嗅ごうとしないからわからないのだということになるほどと思いました。

 日本酒の品質を判定したり、その銘柄名をあてたりするのを「利き酒」といいます。この「利」という字が気になりました。「利益」「便利」とかいう意味のほかに「鋭利」つまり鋭いという意味もあります。この漢字の旁の部分は「りっとう」つまり「刀」ですから、「鋭い」という言葉がもともとの意味で、「よく切れる」→「便利」→「利益」というように意味が発展していったものと思われます。
 そういうふうに、感覚的に研ぎ澄まして、区別できることを「識別」といいます。これに「利き酒」の「利く」という漢字が当てはめら、それがたぶん音で「聴く」というのと同じような音の響きを持つことがとても興味深いです。
 そしてその聞き分ける力(識別能力)というのは、訓練するとかなり上達します。鋭敏に研ぎ澄まされていくのでしょう。

 キリスト教では、神の声を聞き分ける力が必要とされます。祈りとは神にお願いを述べ立てることよりも、神の声を聴くことです。もちろん直接物理的な音として聞こえることはほとんどないでしょう。でも私たちの日常的な現実の些細なことをとおして、人との叫びをとおして、あるいは世界の出来事をとおして、神の声を聞き分けることが必要です。
 ときにその「匂い」は不快なものかもしれないけれど、そらさずに匂いを嗅いでみるとその神の声が聞こえてくるということもあるような気がします。
 すみません。神の声をトイレの匂いにたとえてしまった不謹慎さをおゆるしください。
 「メアクルパ! メアクルパ! メアマクシマクルパ!」(これは昔のラテン語の「告白」の時の祈りの言葉です。これは胸をたたきながら唱えました)

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2013年10月05日

教会の地区別集会の日

 私の教会では、年2回第5日曜日のミサのあと、地区別の集会があります。6つの地区に別れていて、わたしはE地区に属しその世話人をしています。
 この日のE地区の参加者は10人くらいでした。毎回このくらいの参加です。
 お茶とお菓子を用意するのですが、今回用意したおかしは鶴見名物「よねまんじゅう」でした。このお饅頭は「お江戸日本橋」の歌の2番に
「六郷渡れば川崎の万年屋、鶴と亀とのよねまんじゅう」
と唄われている江戸時代からの銘菓です。一時廃れていたのですが、最近また復活していて人気が出てきたおかしだそうです。

yonemanju

 この集まりは、お互いの理解と親睦を深めるためのあつまりですが、いつも取り止めのないおしゃべりに終わってしまうのではなく、分かち合いのようなことをすることにしています。
 地区の役割についての簡単な説明のあと、分かち合いのテーマとして自己紹介がてらに「鶴見のお好きなところ、気に入っているところ」についてあげてもらいました。「よねまんじゅう」をみて思い立ったテーマでした。
 参加していた人は皆思い思いに、鶴見の気に入っている点やお好みの場所などをあげてくれました。
「自分の家の窓からみたゆうやけのそら」
「犬を連れて毎朝散歩する総持寺の境内」
 総持寺という話題が出てくると、最近総持寺が親しみやすくなったとか、まちおこしに力をいれるようになったとかいうことがはなされます。
 ある人が11月に総持寺境内で「夢祭り」とかいう催しが計画されているけれど、そこに鶴見教会も参加してはどうかという提案もなされました。
「台風が過ぎ去ったときにめがね橋からみた富士山」
 この話題が出てきたときには、どこから見た富士山がきれいかという話で盛り上がりました。もちろん私は、自分の家の屋上から富士山が見えると言って皆を羨ましがらせてしまいました。
そのほかにも
「満州園のギョウザは日本一だ」
などというひともあり、いろいろな話題でもりあがりました。
 信仰には直接関係のない話題ではありましたが、なかなか楽しい地区集会となりました。同じ地区の人に親しみを持てるようになったとおもいます。

 教会というと何となく地域社会と疎遠になりがちですが、もっと地域に溶け込む必要があると思います。

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posted by mrgoodnews at 11:53| Comment(1) | 全国教会めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月01日

「結び目を解くマリア」の絵の信心

 カトリック教会にはいろいろな信心があります。中には迷信とかいわれそうなものもけっこうありますが、私はこれは嫌いではありません。
たとえば、なくした物をしたときに「アントニオさま」ととなえると、探し物が見つかるとか。

MusubimeMaria

 新教皇フランシスコは「結び目を解くマリア」の信心を勧めていたと「カトリック生活8月号」に紹介されています。それはこういう話です。

 1986年ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ神父(現教皇フランシスコ)が、ドイツの神学校にいるときにこの絵を初めて見て心を打たれ、この絵はがきを作って、母国アルゼンチンに戻ったとき、配り始めたそうです。友人に描いてもらったこの絵を、ブエノスアイレスで働いていたチャペルに掲げると、より多くの人々の目に触れるようになり、この信心は広がっていきました。この絵が描かれた由来は、さらに時代を遡り、16世紀の、結婚生活がもつれたある夫婦のお話になります。
 ドイツの貴族ヴォルフガング・ランゲルマンデル(1568〜1637)は、妻が彼との離婚を望んでいたことに悩み、英知と経験さで尊敬されていたイエズス会のレム神父のもとに相談に行きました。
 当時のドイツでは、結婚式のときに生涯添い遂げることを象徴的に示すため、ウェディング・リボンで新郎・神父のそれぞれ片方の腕をひとつに結ぶ習慣がありました。ヴォルフガングは今はからみあってしまっていた自分たちの結婚式のリボンをレム神父のところに持って行き、レム新譜はその結び目をときながら聖母マリアに熱心に祈りました。するとその願いは聞き入れられ、ヴォルフガングは離婚を避けることができ、生涯幸福な結婚生活を送ることができたのです。
 1700年、新世紀を祝福されるために、ヴォルフガングの孫のヒエロニムス・ランゲルマンテル神父は画家のヨハン・シュミットに依頼して書かれた絵がこの「結び目を解くマリア」の絵です。


 結婚生活の気持ちのもつれの問題をはじめとして問題がもつれた時に、ベルゴリオ神父はこのマリアに祈るということをアルゼンチンはじめラテン・アメリカ全体そして世界中に広めていったのです。
 こういう信心は私も好きです。迷信とか偶像崇拝とか言われても、こういう民間信仰が生まれ流ことがカトリックの特徴なのかもしれません。

こちらにもあります/a>