2007年10月30日

エンピツビャクシンの木の香り

 今はほとんどエンピツを削る行為が見られなくなりました。エンピツをナイフで削ったときにする香りが懐かしいと思う人もいるでしょう。

 エンピツの木はエンピツビャクシンという木なのだそうです。独特の香りを持っています。ビャクシンという木は、以前「ものを寄せ付けない樹」というので紹介したことがあります。樹形が美しい木なので、よく垣根に使われます。

 生物氏によれば、実験用のネズミのカゴにエンピツの削りカスを入れておいたものと、相でないネズミとを使って実験をした学者がいたそうです。削りカスの入っていた方のネズミのほうが良く学習したという結果が出ているということです。
 これによれば、エンピツを削るという行為はとても意味があるということです。
 これも「木の精(フィトンチッド)」のゆえではないかと推測されています。

 
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ハランという草

 ハランという草を知っていますか?
 今日、帰りの車の中で、生物氏に聴きました。

 我が家にも茂っています。

 漢字では「葉蘭」とかいますが、蘭の仲間ではありません。百合科の植物です。

 生物氏の話では、「馬の耳」に似ているから「バジラン」→「バラン」となったらしい。
「バラン」という名も残っています。寿司や刺身をたべるときに、間仕切りとなっている葉がこれです。最近はビニール製のものが多いけれど、これも業界用語では「バラン」というそうです。
 関西ではハランの葉が使われ、関東ではクマザサの葉が使われます。
 先人の知恵で、木の葉には腐敗を防止する役割があるのではないかと生物氏がいっていました。

 我が家にも茂っているのですが、わたしは花は見たことがありませんが、春先にミョウガと同じように花をつけるそうです。今度気をつけてみてみましょう。
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2007年10月28日

カエサルの魅力 その1

 塩野七生作「ローマ人の物語」を第4巻まで読み通してきた。案の定この本のおもしろさに引き込まれてほかの本が読めなくなった。第2巻のハンニバルも面白かったが、4巻、5巻のカエサルも実に面白い人物である。

 こんな話しが紹介されていた。

 カエサルが27歳の時、留学のためにロードス島に行く海上で、乗っていた船が海賊船に襲われ捕虜にされてしまったのだった。

 獰猛なことでも有名な海賊たちは捕獲した船の船客ひとりひとりに身代金の値をつけていく中で、カエサルには20タレントという値を言い渡したのである。……。20タレントは4千3百の兵を集められるほどの金額になる。
 ところが、自分の値がそれと聴いた若者は、大笑いしたあとで言った。「おまえたちは誰を手中にしているのか知らないのだ」そして自分のほうから身代金を、50タレントに値上げしたのである。従者たちを金策に送り出したあとの彼自身は、一人の友と2人の従者とともに海賊たちの間に残った。
 
 捕虜としてとらえられている間のカエサルは、おずおずするどころか、高慢に振る舞った。彼が眠りたいと思っているときに海賊たちが騒いでいると、従者をやって静かにするようにと命じさえした。それでいて海賊たちの武術訓練や娯楽には参加した。……。海賊たちを、書きためた詩や演説の聞き役にも使った。彼らの誰かが脇を向いていたりすると、知性に欠ける野蛮人だと叱った。そのようなときのカエサルは海賊に囲まれた人質にはとても見えず、ボディ・ガードに囲まれた重要人物でもあるかのようだった。しばしばこの人質は海賊たちに向かって、いずれは縛り首にしてやると言って脅かした。しかし海賊たちは、そのようなことを言われても若者の冗談と受け取って笑い合うだけだった。

 身代金を持った従者が戻ってきて、カエサルは自由の身になった。海賊たちから解放されたとたんに彼は近くのミレトスの町に急行し、船を借り、人を集め、それを率いて海賊征伐に出発する。ミレトスの近くの入り江に停泊中の海賊船を急襲し、全員を捕虜にすることに成功した。海賊たちの財宝も分捕ったから、50タレント分はもちろんお返し願ったのに違いない。
 以前とは立場が逆転して捕囚になってしまった海賊たちを、カエサルは、先ず牢の中に入れておき,小アジア属州総督に報告に行った。だが、総督の注意はカエサルが没収した海賊の財宝に目が向けられていて、海賊の処置は、勝利者の権利ということでカエサルに一任される。戻ってきたカエサルは彼らを牢屋から引き出し、全員を絞首刑に処した。海賊たちは冗談と思っていたことが冗談でなかったことを知らされたのであった。その後、何ごともなかったかのようにロードス島に到着したカエサルは知性を深める学生生活を始めたのである。


 引用が長くなったが、カエサルとはこういう人物であった。その他にもこういうエピソードがたくさんある。
 彼は貴族の出身とはいえ、実は家が貧しく、彼の活動資金は借金でまかなわれていたということも紹介されている。
 カエサルについてはまだまだ紹介したいことがある。
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英語辞典の「カラスムギ」の説明

 10月25日の毎日新聞「余録」にこんなことが書いてあった。

 史上初の英語辞典はカラスムギをこう定義する。「穀物の一種で、イングランドでは馬に与えられ、スコットランドでは人を養う」。実は独力でこの辞書をつくった文学者サミュエル・ジョンソンが、嫌いなスコットランド人をこき下ろそうと書いた解釈であった。
 これにはジョンソンの弟子のスコットランド人、J.ポズウェルがまぜかえした。「だからイングランドの馬は立派で、スコットランドは人間がすぐれている」。

 なかなかみごとな「ツッコミ」である。
 毎日の「余録」子はこういうコラムをよく書く。歴史上のトピックスを紹介して、これを現代に結びつけるたぐいのコラムである。実に多くのいろいろなトピックスが紹介され、その博学ぶりに頭が下がる。
 今回は、このトピックスから、10年ぶりの「広辞苑」の改訂が発表され、「うざい」「逆ギレ」「イケ面」などの若者言葉や「カミングアウト」「リベンジ」などのカタカナ言葉があらたにくわえられたことと結びつける。

 かつてはこういうコラムの展開は「朝日」の「天声人語」子のお家芸であったのだが、今では「余録」子にすっかりお株を奪われた感じである。

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「デンプン」と「タンパク質」の表記はカタカナにしてはならない。

 「生物氏の憤慨」シリーズのつづきである。一挙にあふれ出てきたというかんじであるが、わたしのブログにどんどん書くべきであるという漢文氏の支援に支えられて続けて書くことにする。

 生物の教科書にデンプンとかタンパク質という言葉がカタカナで表記されている。

 デンプンというのは漢字で書くと「澱粉」となる。この「澱」の字の訓は「よどむ」つまり溶けずに底に沈殿するという意味であり、「澱粉」が水に溶けにくいということを示す漢字である。澱粉が水に溶けにくいということは生物学的に意味を持っていて、だから消化酵素の働きが必要であるとか、アルファ澱粉とベータ澱粉とがあるとかの説明にすぐにつながる漢字表記なのである。
 「沈殿」という漢字も問題である。本来は「沈澱」という漢字であるべきであるのに、この「澱」の字が当用漢字にないという理由で「さんずい」が取れてしまった。これでは意味がなくなってしまう。

 タンパク質は漢字で書くと「蛋白質」となる。「蛋白」というのは「卵白」を意味する熟語であるが、この「蛋」という字も当用漢字にはないがゆえに、「たん白質」と書いたりしていた。これもひどいが「カタカナ」にするのはもっとひどいというのだ。漢字の由来が示す大事な意味が失われてしまうというわけである。

 まだまだこういう表現がたくさんあるという。漢字表記の持つ情報量はとても豊かなのに、それをわざわざ無味乾燥なカタカナ表記にするべきするべきではないと憤慨する。
 漢文氏もわたしも同意見である。


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2007年10月27日

下水道のマンホールの「おすい」と「うすい」あれはなんだ?

 生物氏の憤慨はつづく。

 下水道の入り口のマンホールに「おすい」と「うすい」と書かれている。一体あれは何だ。
 「おすい」は汚水、つまり家庭からでた排水である。台所やトイレから出た生活排水のマスを意味するようである。
 「うすい」は雨水であり、降った雨を道路が水浸しにならないようにすばやく下水道に流すためのもののようだ。東京都水道局のホームぺージにはそうでている。

 だったらなぜ漢字で「汚水」「雨水」と書かないのだ。彼が憤慨するわけはここにある。

 そういえば一昔前に新聞で「汚職」という言葉を使わずに「お職」というひらがなを使っていた時期があった。「汚職」の「汚(お)」という字の読みが当用漢字になかったせいらしいのである。
 マンホールの文字もそのせいでひらがなになっているのだろうか? だったら「うすい」は「雨水」と書けばいいものをなぜかひらがなになっている。

 google で「おすい」「うすい」で検索してみるとマンホールの写真集がけっこう出てくる。で、そこでもこの言葉が問題となっていることがおおい。

 生物氏の憤慨はまだまだ続く。

 
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照葉樹林という言葉はおかしい

 先日の「豆腐と納豆」の話しのつづきを、漢文氏と生物氏とわたしの3人で、例のごとく昼休みの弁当を食べながらした。

 漢文氏曰く「豆腐は中国が原産であるが、中国で発明されたときから豆腐であった。中国語には納豆という漢字はない。入れ違い説は誤りではないか」と。
 わたしが「豆腐も味噌も納豆も照葉樹林帯に共通している食材であるみたい」と説明したら、生物氏が突然に憤慨して言い出した。

「照葉樹林」という言い方はおかしいというのである。普通は「照葉樹」とは常緑広葉樹のことを言っていて、とくに葉っぱがクチクラ層というのを持っていて、葉の表面にツヤのある種類のことをいっているけれど、生物には照葉樹林という言い方はないらしい。どうもこの言葉は植物学上の用語ではなく、文化史上の概念であるようだ。和辻哲郎あたりが述べた言葉ではないか。

 生物氏の根拠を述べる前に「照葉樹林帯文化」について説明しておこう。この言葉は「倫理」の教科書に載っていて日本文化と風土の関係を述べるときによく出てくる概念である。それによると東アジアの植生は、常緑広葉樹林帯と落異様広葉樹林帯、さらに乾燥地帯と3つに分かれるという。
 このうち、常緑広葉樹のことを「照葉樹林」といい、これを極相とする地域を照葉樹林帯、そしてそこに生まれた文化を照葉樹林文化と述べている。
 照葉樹林帯(常緑広葉樹林帯)の範囲は、ネパール・ヒマラヤの中腹(高度1500〜2500m)から、ブータンやアッサムの山地、ミャンマー(ビルマ)北部を中心とする東南アジア北部の山地、さらに中国の雲南・貴州の高地をへて江南の山地に至る。そして長江流域を含んでその南側から台湾高地、南西諸島さらに朝鮮半島南端部から西日本一帯(および本州中部から関東地方の太平洋岸)まで延びている。
 わたしの学校のあるところも、スダジイや楠などの照葉樹林が支配的であるが、このあたりが北限であるらしい。
 照葉樹林帯に共通する農耕は、焼き畑農耕であり、茶の栽培、漆などの漆器(英語ではjapan と呼ぶ)、里芋などの根菜、ヒエやアワなどの雑穀を主食とする文化であった。

 生物氏がおかしいとする根拠というのは日本では「照る」というのは紅葉のことを示す言葉であったというのである。漢文にもこういう表現であるらしい。
 唱歌に「紅葉」という歌がある。

秋の夕日に 照る山紅葉
濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる 楓や蔦は
山のふもとの 裾模様


 作詞:高野 辰之 作曲:岡野 貞一のこの歌詞に「照る山紅葉」という表現があるように「照る葉」というのは紅葉が映えるという意味で使われている。つまり「照葉樹林」という表現をつくった人物は、日本の古典や漢文の素養がなかったということになるというのである。

 生物氏の憤慨はまだまだ続くのだが、これについてはまた改めて述べることにしよう。
 
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2007年10月26日

サザンカ(山茶花)のはなし


山茶花 またサザンカの季節がきた。わがやの垣根のサザンカもたくさんつぼみを付けている。

 サザンカはツバキ科でツバキやお茶の木と同じ仲間。そういえばわがやのお茶の木も白い花をつけだしている。

 中国ではツバキの木を山茶花とよんでいた。読みが「山茶花(さんさか)」→「茶山花(ささんか)」 →「さざんか」というぐあいに変化したらしい。どこかでツバキとサザンカが入れ替わってしまったという。

 学名はCamellia sasanqua で日本名に由来するのだろうか。

 ツバキは花ごと散ってしまうが、サザンカは花びらが一枚一枚離れて散っていく。サザンカには甘い香りがあるらしい。気が付かなかった。今度確かめてみよう。

 むかし山茶花究という俳優がいた。この人の名前は3×3=9(さざんがきゅう)から来ているのだそうな。そういえばあのころ脱線トリオに八波むとしという人もいた。この人の名前は8×8=64(はっぱろくじゅうし)から来ているという。
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豆腐と納豆

「豆腐」と「納豆」は漢字の意味から言うと、逆ではないかという説がある。つまり、「豆を腐らせたものが豆腐」であり「豆を納めたものが納豆である」はずだという説です。

 調べてみると、確かに「納豆」と「豆腐」を運んでいた船が嵐に遭い、その時に荷札が入れ違って、それが日本に輸入されたという説がありました。

 でもさらに調べてみると、「腐」という字には「凝固させる」という意味もあったとか、「昔神棚に豆を納めたら、しめ縄に付着していた納豆菌がうつって納豆になった」という説もあります。この説によると入れ違ってはいないというのが正しいようです。

 納豆も豆腐も東アジアの照葉樹林帯の文化の共通する特産物なのだそうで、豆腐は中国が原産地です。東南アジアの国々でも「とうふ」と発音するというのも聞いたことがあります。もしそうだとすると入れ違い説は日本に来る以前に入れ違っているはずですね。
 ただし納豆は中国にはないとか。

 関西の人はそのむかし、納豆を食べる習慣がなかったようで、東京に出てきて初めて食べたという人も多いようです。「あんな腐った豆なんか食えるか」と言って食べようとしない関西人もわたしの身の回りにけっこういました。いまはもうどこでも納豆をてにいれられるようになったのでそういう人は減ったでしょう。

 長州人の大村益次郎は、豆腐が大好物で酒を飲むときは必ず豆腐2丁をさかなにしていたとか。部下と飲むときもそれしか出さなかったので、部下が不平を言うと「豆腐を大事にしないものは国を滅ぼす」と言って叱ったとかいう話しもありました。「豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ」とは言わなかったようですが。
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2007年10月22日

カポックの実


カポック カポックは葉の美しい観葉植物ですが、町を歩いていてカポックに実をつけているのを見つけました。この実もなかなか美しい実です。

 わがやのカポックは、けっこう威勢よくて、鉢植えの鉢を破って根が地面に根付き、けっこう伸びていますが、実はつけません。
 実をつけるということは花もつけるということです。一説によると花はあまりいい匂いがしないらしい。今度気をつけて花も見つけて匂いもかいでみましょう。
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2007年10月17日

フリー・マーケットと蚤の市

 今日の昼休みの話しのつづき。
 漢文氏が木の話しをひとくさりしたあと、英語氏が加わった。そこで彼が紹介してくれた話し。

 「フリー・マーケット」というと「free market」と思っている人が多いだろうが(わたしもそう思っていた)実はあれはまちがいで、本当は「flea market」なのだそうだ。flea とは蚤。「蚤の市」というのは正しい翻訳なのである。
 なぜ「のみ」なのかと聞いても英語氏は応えられなかった。ある人は蚤がたかっているようなボロの服を着た人が集まったのでいうのではと想像力を逞しく説明した。さっそく広辞苑のやっかいになった。

 Wikipedia には、ヨーロッパの大都市の各地で春から夏にかけて、教会や市庁舎前の広場などで開かれる古物市。パリの蚤の市が有名。flea marketはフランス語marché aux pucesの訳。但し、fleaは身体の血を吸うノミではなく、ここでは汚らしい、みすぼらしいといった意味で使われている。
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柏の木、楓の木、楷の木

 今日の昼休みの漢文氏の話から。

 植物の名前で、日本語で表記されているものと漢語で表記されているものが違う例があるそうです。

 その代表は「柏の木」「楓の木」。

 先ず「柏」から。
 日本では柏餅の葉として有名な柏は、中国では「コノテカシワ」の木を意味するそうです。この木は子どもが手を挙げている姿に似ているということでこの名前が付きました。葉の裏が白い所からこの漢字が来ているようです。この木はわりとよく見る木です。
 日本の「柏の木」はどちらかというと 『槲』 のほうが正しいということです。この葉を柏餅に使うのは、葉が枯れても新しい芽が出るまで落葉しないというところから、家がたえずに代々続いていくという願いをこめて餅を包むのだそうです。

 漢字の「楓の木」はフウノキという木なのだそうで、「かえで」とは別物です。こういう木です。この木はマンサク科でイチョウなどと同じく生きた化石といわれている木なのだそうです。ただ木の葉は秋になると黄色く色づくところからいつのまにか「かえで」になってしまったのでしょうか?
 ちなみに「カエデ」の由来は、葉の形が蛙の手に似ているところから「カエルデ」→「かえで」となったようです。
 「もみじ」というのは「秋になって色が黄色や赤に変化する」を意味する動詞の「もみつ」の名詞形から来ているようです。

 最後に「楷の木」。これは日本ではあまり見られないので、和名がないらしいです。ナンバンハゼとかよばれたり、ランシンボクともよばれているようです。
 ただこの木は孔子ゆかりの木で、孔子十哲と称された弟子の中で最も師を尊敬してやまなかった子貢(しこう)が、孔子の墓に楷の木を植え、この楷の木が世代を超えて受け継がれ、育った大樹は「子貢手植えの楷」として今も孔子の墓所に、強く美しい姿をとどめています。日本でも湯島聖堂にある孔子廟や岡山の閑谷学校跡や足利学校、称名寺に植えてあるとか。
 科挙(中国の隋の時代から清の時代までの官僚登用試験)の合格祈願木となり、歴代の文人が自宅に「楷の木」を植えたことから『学問の木』とも言われるようになりました。合格祈願木とされたのは、科挙の合格者に楷で作った笏(こつ)を与えて名誉を称えたからだと考えられています。
 「楷」は中国では模範の木とされており、日本においても書体の「楷書」の語源されていて、訓は「ノリ」、意味は「つよくまっすぐ」「てほん」です。
 この木も紅葉の美しい木です。
 
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2007年10月16日

イヌサフランという花の不思議

 学校の職員控え室に誰が持ってきたのか、イヌサフランの花がひっそりと咲いていました。

イヌサフラン よく見ると、この花は球根から直接花芽が出てそこから花を咲かせています。しかもその球根には水もなく土もなく、ただ花瓶に置いてあるだけなのに、そこから花が咲き出しているのです。
 生物氏によると、球根の中にある栄養分だけで蕾ができ、花をつけるのだそうです。

 実はこの球根はコルヒチンというアルカロイドを持っていて。有毒植物なのですが、このコルヒチンは,細胞分裂を阻害する作用があることでも知られています.これは,コルヒチンが微小管(チューブリン)の重合を阻害し,紡錘糸が形成されなくなるためです.
 この作用を利用して、種なしスイカを作るときに使われている物質です。同じ染色体を3つもっている「三倍体」とかいう細胞で、ここからは種が生まれないのだそうです。
 自然界には「3倍体」の植物はいくつかあります。たとえばバナナ、そういえばバナナには種がありません。これはバナナが持つ細胞は「3倍体」なのだそうで。
 彼岸花も「3倍体」だそうで、そういえばタネがない。
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「フラッシュネオン駒」というスグレモノ

 10月15日の教会バザーでまた「おもちゃ屋・トキメキ玩具工房」を開きました。


フラッシュコマ1 いつもの定番ものをはじめ、20種類くらいの50〜100円のおもちゃを販売し、子どもたちの人気を博しました。今回のスグレモノは「フラッシュネオン駒」と銘打ってあるコマです。
 「光りがつくり出すイリュージョン」とか説明があります。「コマを発射装置にセットし、コマを数回回して、コマの裏のスイッチを入れるとライトが点灯、これで準備OK。あとは、ボタンを押すと発射します。」

 コマが回転すると写真のようにきれいな色とりどりの光りの輪が見えます。ライトが不規則に点滅していて、それが回転と相まって、このように光るのです。回転の速さによって色と輪が形を変えていきます。


フラッシュコマ2 ともかく「わ、きれい!」と思わず歓声が上がるくらいにきれいです。本当はおもちゃは動きがあるので、動画にして送りたいのですが、このブログはまだ動画対応していません。残念です。
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2007年10月15日

花の名前、よめますか?

ちょっと試験的につくっています。

花の名前が読めますか?

答は( )の中をドラグしてみてください。
実は答は白い文字で書いてあるのです。

万年青(おもと
名前の由来は、根茎が太く大きいことから「大本(おおもと)」→「おもと」となった。また、大分県の「御許山(おもとやま)」で良質のオモトが産出されたから、ともされている。「万年青」の漢字は漢名からで、「長生きすること」からきているようです。

杜若(かきつばた
和名は花の色(青紫)を染み出させ布などに書き付けた、つまり衣の染料に使われたことから「書付花」と呼ばれていたのがなまったもの。漢字はどうも中国語から来ているみたいです。


満天星(どうだん
漢字は花が満天の星のように咲くかららしいのですが、「どうだん」というひびきははどうも「燈台」からきているとのことです。もっとも船の道を照らす燈台ではなく、灯りの台に似ているということらしい。

蒲公英(たんぽぽ
これは中国語の漢字に日本語名をあてたそうです。日本語で「たんぽぽ」というのは鼓の音から来ているそうです。花が鼓に似ているからなのか。

百合(ゆり
これはよめますよね。
和名の由来は「茎細く花が大きく、風にゆり動く」というところから来ています。
漢字はこの根っこが鱗茎になっていて、百枚の鱗があわさってできているというところが由来のようです。

牡丹(ぼたん
これの語源はギリシャ語のようです。中国でそれの響きによく似た漢字をあてたとか。あるいは種は結ぶけれど、新しい苗は根からでるので、牡(おす)で丹(赤い花)をつけるからとか。

このように花の名前の由来はいろいろとあります。調べていくと面白いのです。漢字の由来と和名の由来がそれぞれ異なっていて、それが合わさっているところからできています。
今研究中ですので、わかったところから少しずつ紹介していきましょう。
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2007年10月14日

しめ縄とぬさ(幣)

 同僚が「日本人の宗教」という授業のために「しめ縄」をインターネットで注文して購入したというので見せてもらった。

しめ縄 「しめ縄」とは「神の占める場所」を示すところからこの言葉があるという。
 しめ縄には「ぬさ」という和紙がついている。
 この「ぬさ」は漢字では「幣」(つまり貨幣の幣の字)である。この言葉に興味を持ったので調べてみた。
 まず「広辞苑」によると
1.麻、木綿、帛または紙などで作って、神に祈るときに供え、または祓いに捧げ持つもの
2.おくりもの ささげもの

 次に「字源」で「幣」を調べてみた。
1.神にささげる礼物の帛
2.賓客に送るつかいもの
3.たから
4.ぜに
5.ごへい、ゆふしで

 とあった。「貨幣」の「幣」の字との関連が気になるところである。おそらく、神への捧げものとしてお金が使われるようになった(いわゆる賽銭)ところから「貨幣」にこの字が使われているのではないか。

 このぬさの作り方を紹介しよう。

ぬさ1

ぬさ2
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2007年10月09日

共和制と民主制 −「ローマ人の物語」から

「ローマ人の物語T」を読んでいたら、「民主制と共和制」とに言及しているところがあり、興味をもったので紹介しよう。

 田中美知太郎先生はプラトンの「ポリテイア」を「国家」と訳された。ギリシャ語の「ポリテイア」とはポリス(都市国家・市民国家)のあり方、組織・制度の意味である、と言われているから「国家」とは正しい訳なのである。
 この「ポリテイア」を、古代のローマ人は「レス・プブリカ」と訳していた。イタリア語のレパブリカ、英語のリパブリックの語源となるこのラテン語は、共同体とか公共を意味し、ひいては君主政体以外の政体をとる国家を意味したから、「レス・プブリカ」も正しい訳語なのである。

 著者は「レス・プブリカ」の訳として日本では「共和」とか「共和国」とか訳されることに違和感をもっている。
 
 「レス・プブリカ」とは、公共の利益を重視することである。この目的を達成するための手段を大別すると「民意優先派」と「公益優先派」に分かれる。
 民意優先派は、市民が共同体の主柱であることに特質を持つ。ギリシャのアテネなどのポリスで市民全員の投票で決める直接民主制がその例であろう。
 公益優先派は、公益こそ何にもまして優先されるべきで、民意の反映は必ずしも公益の向上をもたらすとは限らない。ローマの「貴族制」は「衆にすぐれた人、つまりエリート」を選んでエリートたちが公益優先の政治を行うという制度であった。
 前者は「性善説」にたち、後者は「性悪説」に立つという人もいる。

 アメリカの2大政党制の「民主党」と「共和党」もまさにこのような違いを際だたせているといえよう。日本の場合もそうなりつつあると言っていいのかどうか?

 「保守と革新」という対立の軸が消えて「民主派」と「共和派」が時代の求めに応じて、政権を交代するという図式になっていくのであろうか? 
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オリーブの葉 をくわえた鳩

 創世記7章の「ノアの箱舟」の話しのところで、大雨が終わり水が引き出したときに、ノアはまずカラスを放す。カラスは飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、箱舟から出たり入ったりした。
 続いてノアは鳩をはなして、地の表から水がひいたかどうかを確かめようとした。しかし鳩はとまるところが見つからなかったので、箱舟のノアのもとへ帰ってきた。
 さらに7日たって、再び鳩を放した。鳩は夕方になってノアのもとへ帰ってきた。鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。

 ハトは平和をもたらす鳥として愛されるようになったのは、この物語が原因となった。


peace1 ところで「オリーブの葉をくわえた鳩」というと、団塊の世代のひとは、たばこの Peace のデザインを思い出すであろう。
 これは1951年に、当時の専売公社が、もっとも有名なデザイナーであった、アメリカのレイモンド=ロウイに依頼してつくったものである。破格のデザイン料を払ったという。





peace2 ロウイは、アメリカのたばこの「ラッキー・ストライク」のデザイナーとしても知られている。
 ロウイは、全部で9つのデザインを用意したという。けっきょくそのうちのひとつだったあの「Peace」が採用された。

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2007年10月08日

アリストテレスの「四原因説」

 アリストテレスは、プラトンのつくった学園「アカデメイア」の学頭を勤めたもっとも優秀な弟子であったが、「わたしはプラトン先生を愛する。しかし真理をより愛する」として師のプラトンの「イデア論」を批判する。

 アリストテレスは、現象を生起する原因は4つあるとして「四原因説」をうちたてた。
 先ず「質料(hyle)因」。これは事物を構成しているものであり、ラテン語の「マテリア」である。
 つぎに「形相(eidos)因」。形相とは個物の形に内在する本質とでもいうべきもので、プラトンのイデアに近い。ラテン語では「フォルメ」がこれにあたる。
 さらに「作用因」は運動や現象を引き起こす始原(arche)である。「始原因」ともいう。
 そして「目的因」はそのものの目指す目的(telos)にあたる。

 形相は個物に内在する。たとえば植物の種子には、植物の形相が「可能態(デュミナス)」として内在しており、それが発芽・生長をして「現実態(エネルゲイア」となるとする。
 形相がより大きな割合で内在している存在ほど高級であるとして、もっとも高級な存在は、質料をまったく持たない「純粋形相=神:不動の動者」であるとした。もっとも根源的な始原であり、なおかつ究極的な目的でもある存在である。

 このあたりの理論が、キリスト教との親和性をつくり出し、のちにトマス・アキナスらのスコラ哲学に採用され、ヘブライズムとヘレニズムの融合を可能にした「キー概念」となるのであろう。
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2007年10月07日

タレスの「万物の根源(アルケー)とは何か?」という問の偉大さ

 紀元前6世紀、アテネの植民都市であったイオニア地方のミレトスという町に哲学者タレスが現れた。彼は「ギリシャの7賢人」のひとりでもあり、またアリストテレスはかれを「最初の哲学者(哲学の祖)」とした。

 タレスは「万物の根源(アルケー)とはなにか?」という問を発し、自分で「万物の根源は水である」とした。確かに水は生命にはなくてはならぬものではあるが、彼の出した答よりもこの問いかけのほうに大きな意味があったといえよう。
 この問いかけは、それまでの神話的思考(ミュトス)から、合理的思考(ロゴス)」への転換をはかる偉大な問いかけであったのであり、この問いかけから哲学や科学が誕生することになる。

 この万物の根源をめぐって、自然哲学者たちは様々な答を導き出した。
 タレスと同じミレトスのアナクシメネスは「万物の根源を空気(プネウマ)である」とした。かれは日時計の発明者でもあった。
 アナクシマンドロスは「万物の根源は無限なるもの(ト・アペイロン)であるとした。
 またエフェゾスのヘラクレイトスは「万物の根源を火である」とした。彼は「万物は流転する」という有名な言葉も残している。つまり「火と水が戦って空気となる」という「戦いが生々流転をつくり出す」として「弁証法の祖」とも言われる。
 「三平方の定理」で有名なピタゴラスは「万物の根源は数である」つまり「万物は数学的秩序でもって構成されている」とした。かれは音楽や美術の美しさも数学的に解明できるとして、音階や和音の考え方も発見したという。彼については以前紹介したことがある。

 エンペドクレスは「万物は土と水と空気と火からなっている」とし、デモクリトスはついに「万物は原子(アトム)から成り立っている」とした。ここまで来ると近代化学の元素説ときわめて類似していることがわかるであろう。デモクリトスは人間もこの原子から成り立っていて、死ぬと原子が分解してしまって、魂などという者は存在しないと述べているので、最初の唯物主義者であるともいわれている。
 この問に終止符を打ったのはアリストテレスである。彼は四原因説を打ち立てたが、これについてはまたいずれ説明することにしよう。

 話しをタレスに戻そう。
 彼は、この時代にすでに皆既日食(前525年5月28日)を予言したり、またエジプトに行ってピラミッドの高さを測量したというくらい、天文学と測量術に長けていたようである。
 こんな話しもある。夜空の星を観察しながら穴に落ちたタレスは、それを見ていた女性にバカにされる。「タレス先生は遠い星のことはわかっても足のもとのことはわからない」と言われた話しは有名である。
 また貧乏生活をしていたタレスにあるひとが「哲学なんかしていったい何になるのだ?」と問いかけた。タレスは、その答には直接答えずに、かれは町にあるオリーブの実を絞って油をとる機械を買い占めた。かれは天文学的にその年にオリーブが豊作となることを知っていたのである。案の定そうなった。人びとは油を絞る機械を求めたが、それらはタレスの買い占められていたのである。おかげで彼は大もうけをしたという話しである。まさにベーコンが言う「知は力なり」を身をもって証明したわけである。

 中学の数学の教科書には「タレスの定理」というのが載っているらしい。これは「直径に対する円周角は、直角である」というものである。ターレス自身が、円周角上の点と円の中心を結び、2つの二等辺三角形を作って、この定理を証明したために、この名前がついたという。

 「アルケー」というギリシャ語は、archeology(考古学)architecture(建築)architype(ユングの元型)などの英語の語源となっている。

 
 
posted by mrgoodnews at 23:24| Comment(0) | 人、生き方、思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする