2007年12月29日

クリスマス(降誕節)の祈り


クリスマス1おそまきながら「メリークリスマス」です。
12月25日から1月5日までの降誕節の祈りとしてふさわしいものを紹介します。
この詩の形式を利用して私も「クリスマスの祈り」をつくってみたくなりました。
この祈りは「クリスマスの祈り(The Legend of the Christmas Prayer)」(ブライアン・モルガン著 斎藤登志子訳 いのちのことば社)の絵本から引用しました。

クリスマスの祈り

ブライアン・モーガン


クリスマスの一日目に
君のために喜びを祈ろう。
あふれるばかりの喜びと
心を動かす笑い声を。
笑い声は病をいやし
喜びはたましいを高く舞あげる。

クリスマスの二日目に
君のために吐息を祈ろう。
心を晴らす深い吐息を。
人は吐息をつくときに
どうにもならない現実を
うけいれるのだろう。

クリスマスの三日目に
君のために涙を祈ろう。
あふれる涙は目を澄みわたらせ
きらめく星をうつしてくれる。
流した涙はたましいをきよめ
いやしの道へと進ませる。

クリスマスの四日目に
君のために静けさを祈ろう。
平和をもたらす静けさを
争いも戦いも心のなかで芽生え
心のなかで芽をつまないと
いけないものだから。

クリスマスの五日目に
君のために知恵を祈ろう。
正しい決断へとみちびく知恵を。
知恵の声に従い
日々ことばとおこないで
かしこくふるまえるように。

クリスマスの六日目に
君のために忍耐を祈ろう。
苦難にうちかつ忍耐を。
じっと耐えているうちに
困難はすぎさり、
しんぼう強く待つときに成功はおとずれる。

クリスマスの七日目に
君のために勇気を祈ろう。
雄々しく進みゆく勇気を。
行く手に誘惑や危険が
待ちうけていても
まっすぐに問題に立ち向かえるように。

クリスマスの八日目に
君のためにあわれみの心を祈ろう。
人の痛みを理解するあわれみの心を。
ほんとうに人を助けられるのは
人を理解したとき、
ほんとうに人を理解できるのは
おなじ痛みを経験したときだから。

クリスマスの九日目に
君のためにはたらく喜びを祈ろう。
夢を実現するために
すすんではたらく喜びを。
その夢が君のものでも
君の助けるだれかのものでも
かわりはない。

クリスマスの十日目に
君のために信仰を祈ろう。
ゆるがぬたしかな信仰を。
信仰は人としての生き方と
生きる目的をかたちづくり
人を神に近づける。

クリスマスの十一日目に
君のためにのぞみを祈ろう。
心にあふれる豊かなのぞみを。
のぞみは心のあり方をさだめ
進むべきめあてとなり
生きる理想をつくりだす。

クリスマスの十二日目に
君のために愛を祈ろう。
心の底から湧きでる愛を。
くらしのなかで行き交う人に
いつも愛を
あたえることができるように。


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2007年12月28日

宇宙飛行士の試験にジグソーパズル

 先日どこかのテレビのクイズを見ていたらこんな話が紹介されていました。

 宇宙飛行士の最終選考のテストに300ピースのジグソーパズルを3時間で完成させるというのがあるそうです。しかもそのジグソーパズルにはなにも印刷されていないのです。
 ジグソーパズルといえば、普通は写真や絵を印刷した図柄とジグソーの形という二つのヒントがあって、これを手がかりに組み合わせを探していくものですが、この場合には手がかりは形のみというものでした。 つまり、ジグソーのパターンに分けて一つ一つはめてみてぴしっとはまるものを選び出していくしかやり方がないのですね。

 宇宙飛行士の作業には単調なものが多いから、これを忍耐強くしかも合理的にこつこつと進めていけるかをはかるのが目的だと解説されていました。

 そういえば、ジグソーパズルのパターンを印刷したものをジグソーパズルふうに型抜きしたというものもあるというのを聞いたことがあります。これなんか頭の中がごちゃごちゃになりそうです。

 ジグソーパズルといえば、もうだいぶ前のことですが、私の学校の文化祭のスローガンに「ジグソーパズルの1ピース」というのがありました。
 ジグソーパズルの1ピースは似ているようでみんな違い、しかもそのどれが欠けても完成しないというところがこのスローガンのいいたかったことのようです。



posted by mrgoodnews at 00:14| Comment(1) | 気づき、発見、インスピレーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月24日

「ブラザーサン・シスタームーン」から

「ブラザーサン・シスタームーン」はアシジのフランシスコの生涯を描いた映画である。この中に次のような歌が出てくる。
 彼は、真の信仰を求めて魂の放浪を続けていたとき、ある日、荒れ果てた教会の十字架上から「私の教会を建て直しなさい」というキリストの声を聞く。この壊れた教会を修復しようと一人でレンガを積み重ねながら歌う歌である。その姿に心うたれた友人たちがひとりまたひとりフランシスコの歌う歌をともに歌いながらレンガを積むこの作業に加わっていく。その時の歌である。

夢をまことに思うならば
あせらずに築きなさい
その静かな歩みが遠い道を行く
心を込めればすべては清い

この世に自由を求めるならば
あせらずに進みなさい
小さいことにも全てを尽くし
飾らない喜びに気高さが住む

日ごとに石を積み続け
あせらずに築きなさい
日ごとにそれであなたが育つ
やがて天国の光りがあなたを包む

小さなことでもあせらずに心を込めてやり続ければ、神さまがそれに応えてくれるという優しい歌です。
曲もなかなかいいです。
英語の歌なので、今度は英語のセリフを探して紹介しましょう。ほんとうはこの歌のメロディと映像つきで紹介できたら一番いいのですが……………。


posted by mrgoodnews at 10:59| Comment(1) | 福音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月14日

FREE HUG という運動

 欧米で「FREE HUG」という運動が広まっているらしい。

 YouTube にその映像が紹介されている。

 これは、映像を見ればわかるが、街角に「FREE HUG」と書いた札を持ってたち、それの応えるひとと、だれかれとなくハグする(だきあう)というのである。2004年にオーストリアのシドニーではじまったらしい。
 日本でもこれを始めた人たちがいるが、日本人はなかなか応えてくれないようである。

 わたしは、この看板を見つけたら、駈けよってハグすることにしようと会うのを楽しみにしているのだが……………。

 これってなかなか平和的で福音的な運動だと思うが、私にはなかなかできそうにない。

 そういえば、HUG している場面には、よく出会う。
 
 キューブラー・ロスが主催していた「生と死と変容」のワークショップでは「電話帳たたきセッション」で泣き崩れる参加者をみながハグしあっているという写真を見た。
 フィンドホーンでは、歌やダンスのあとはだいたいハグで終わるらしい。
 日本でも「おわら風の盆」で踊り明かした男女は最後に駅に集まり、一番列車がでるのを合図にだれかれとなくだきあうのだそうである。
 15年ほど前に参加した「ライフダイナミックセミナー」でも「4つの選択」というエクササイズをしたあとに参加者同士がだれかれとなくハグするようになった。

 ミサの「平和の挨拶」のときに参加者同士がハグしあうのは、ヨーロッパではごく普通のことらしい。
 日本でもMEのミサではよく抱き合っていた。

 私の参加する「宗教教育ワークショップ」の最後のミサはみなでハグしあうのである。中には抵抗する人もいるが……………。

 FREE HUG ステキな運動である。
posted by mrgoodnews at 00:20| Comment(0) | 福音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月13日

「徳、孤ならず。必ず隣有り」有隣堂と山手英学院

 横浜のローカルな書店に「有隣堂」という書店がある。最近は秋葉原にも進出したとか。今日の昼食時の話題はこの「有隣堂」であった。

 私が小学生だったころ、山手英学院という予備校に通っていた。そこの行っていた模擬試験で10位以内にランクされると「有隣堂」の図書券がもらえたとか、わたしは残念ながらそれをもらった記憶がない。生物氏はもらったことがあるという。彼は小学生の時は秀才だったんだ。
 山手英学院は京急の日ノ出町にあり、そこに行くついでに伊勢佐木町の有隣堂本店によくいって、顕微鏡や理科の実験道具のショウウィンドウをものほしげに指をくわえながら見ていたものである。
 聞くところによると、山手英学院と有隣堂の経営者は兄弟だったとか。

 山手英学院で教わった先生に香取草之助という先生がいた。理科や算数を教わった記憶があるが、この先生の授業は面白かった。google してみるとこの先生、今は東海大学の副学長をしているらしい。専攻は教育学のようだ。どうりで授業が面白かったわけだ。あのころ(もう50年近く前になる)は予備校講師をしていた。

 ところでこの「有隣堂」の語源は「徳、孤ならず。必ず隣有り」という「論語」の言葉にあるのだと漢文氏から教えられた。
 つまり、徳のあるものは孤立することはない。かならず隣に誰かいるものである」という深い意味を持つ。

 出版社や書店の名前にはこういう由来を持っているものが結構あるらしい。
 三省堂とか有斐閣とか、小学館もそうらしい。

 
posted by mrgoodnews at 23:28| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月11日

落ち葉の床 その2

 9日に近くの県立三ツ池公園に母の車いすを押しながら、散歩に行きました。
 そのときと通勤途上に見つけた「落ち葉の床」です。


もみじ1 まず三ツ池公園のモミジです。もっと鮮やかな落ち葉をと思って探したのですが、モミジは鮮やかな色が色あせてから落葉しますので、木についているときほどの鮮やかさはありません。




はぜ 次は通勤途上です。
 これはハゼの木の葉ですね。こちらはモミジと違って鮮やかさが残っている状態で落葉します。しかも葉の表と裏で色が違うのでこんなにきれいになります。




もみじ2 こちらもモミジです。ハゼの木から5メートルくらい離れたところのモミジです。






にれ 最後は学校の裏門から入ったところのニレの木の落葉です。これは落葉してから色が枯れ葉色になります。だから新しく落葉した上の方の葉は緑や黄色の鮮やかさをのこしています。


 こうやってみてみると、木によって落葉のしかたと色が違うのですね。
posted by mrgoodnews at 21:57| Comment(0) | 植物・鳥・小動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

谷川俊太郎「ここ」という詩

「今中学生に贈りたい70の詩」(木坂涼・水内喜久雄編著 タンポポ出版刊)を読んでいたら、こんな詩に出会いました。

  ここ     谷川俊太郎

どっかに行こうと私が言う
どこ行こうかとあなたが言う
ここもいいなと私が言う
ここでもいいねとあなたが言う
言ってるうちに日が暮れて
ここがどこかになっていく


 短い詩です。最後の「ここがどこかになっていく」というフレーズがとてもいいですね。
 解説によると
「ああ、こんなこともあるね。でも、何だかあったかいね、ほっとするね、いろんな思いが頭をよぎります。ある住宅会社のテレビCMでこの詩に初めて出会いました。なるほどと思いました。

 どこか行こうと言っても結局は「ここ」がいいのです。「ここ」よりいいところはそうそうあるわけではない
posted by mrgoodnews at 21:34| Comment(3) | 詩、歌、祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月10日

中江藤樹と「神」

 中江藤樹は、儒学を学ぶ過程で、儒教の経典に述べられている最高至上の神を尊崇するようになった。

 彼は最初「皇上帝」あるいは「上帝」と「神」を呼んでいた。「皇上帝」とは宇宙の主宰者であり、無限の霊妙不可思議な能力を持っているものとした。天地万物の創造主である。儒教を形成した敬天思想の影響があるが、彼の持っている「皇上帝」は超越的な人格神であるところが、儒教の「天帝」とは異なっている。
 「皇上帝」は常に人間の行いを見ていて、人間に生まれつきの運命を賦与し、善と悪の道徳的な審判を下す人格神である。

 さらに彼は、道教を学び、そこから「太乙神」への信仰を持つに至る。神を祭り、礼拝し、感謝するべき存在となる。人間は「太乙神」の命ずるように誠意を持って生きていくことが説かれている。

 そして彼は日本の神道のなかに、この「太乙神」信仰と似たものを見つける。人間にとっての大始祖は皇上帝・太乙神であり、ついでの大父母は天神地祇、そして両親がある。神道の神々も皇上帝・太乙神が生育したとする。

 この「神」はキリスト教の神に近い。すでにキリスト教は厳しい禁教下にあり、それを公けにすることはできなかったが、おそらく藤樹はキリスト教の教えをある程度理解していたものと思われる。
 ただ藤樹の「神」思想のなかには、キリスト教の神が持つ人間と神の断絶やあるいは罪とゆるしの考え方はない。何よりも愛の神の姿は見出されない。

 内村鑑三は、その著「代表的日本人」の書の中で中江藤樹を、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、日蓮らとともに「代表的日本人」として紹介している。
 ただし、この書には、藤樹が「神」を信じていたことについては触れていない。
posted by mrgoodnews at 22:33| Comment(0) | 人、生き方、思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月06日

紅葉の写真4点 はぜ、満天星、もみじ、つた

 今年は紅葉が特に美しいようです。とくに真っ赤に紅葉した木が美しい。


momiji もみじです。この木は日当たりのいいところの方が赤くなります。日当たりのよくないところは黄色く、さらによくないところは緑です。




doudan 「満天星」はドウダンツツジと読みます。これも燃えるような赤です。「紅蓮の炎」という色ですね。





haze ハゼは一番最初に赤くなります。日当たりのいいところの方が色鮮やかです。





tuta ツタは、真っ赤にというわけではなく、いろいろな色が混ざっています。この写真は「カイヅカイブキ」に絡まっているツタですが、緑との対比が鮮やかです。
posted by mrgoodnews at 23:08| Comment(0) | 植物・鳥・小動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

落ち葉の床3題

 大船フラワーセンターで撮影した「落ち葉の床」です。
 こうやってみるとなかなか美しいです。


落ち葉1 イチョウと山茶花の花びらの混ざったところが何とも言えず美しい。





落ち葉2 これはイチョウにユウカリの葉の混ざったものですかね。





落ち葉3 これがもっとも美しいのですが、残念ながら木の名前を忘れてしまいました。どなたかご存知でしたならば、お教えくださいませ。
posted by mrgoodnews at 22:50| Comment(0) | 植物・鳥・小動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Hoberman作「Switch Pitch」はスグレモノです。

 最近、横浜のヨドバシカメラのおもちゃ売り場で、こんなものを見つけました。


SwitchPitch1 Hoberman 作の「Switch Pitch」というおもちゃです。
 これは、ちょっと回転を与えて上に投げると、色が変わるボールです。
 英語では「Toss to Flip Colors!」という説明があります。
 目にもとまらない速さで青いボールから赤い
SwitchPitch3ボールへ、赤いボールから青いボールへ変身します。「えっ!」という感じでみてしまいます。
 よく見ると、変わっていくさまがわかるのですが、構造的に実によくできています。



SwitchPitch2 Hoberman 作のおもちゃはわたしのコレクションの中にいくつかあります。よく似たパターンのものばかりですが、構造的に実によくできているものが多いです。
 このおもちゃ作家はわたしも注目している作家のひとりです。

 一般的におもちゃは動きを伴うので、本当は動画をもって紹介したらいいのですが、このブログは動画は対応していないようですので、実は動画対応のブログを別に開設しようと考えています。
posted by mrgoodnews at 22:19| Comment(0) | おもちゃ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

「かえで」と「ふう」の木

 日本語で「かえで」は「楓」と漢字で書くが、この漢字は中国では「ふう」の木を示すという。つまり「楓」という漢字の示す木は、日本と中国では異なった木のことを言うらしい。


ふう この二つの木の葉は葉の形や紅葉するところが確かによく似ているが、分類状は異なった種の木である。

 今日(12月5日)「フラワーセンター」に行ったら、「ふうのき」があった。
 この木はマンサク科で、秋から冬にかけて、球形で栗のいがのような果実をつける。
posted by mrgoodnews at 23:31| Comment(0) | 植物・鳥・小動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする