あのころ、休み時間になると外でテニスボールを使ったキャッチボールがはやっていた。フォークボールやらナックルボールやらの変化球を投げることを競いあっていた。
なかなかマスターできなかったのが浮くボール、いまでいえばライズボールである。それを投げられるようになったのが何人かいたが、私にはできなかった。
そのかわり、私はある落ちるボールの投げ方を開発して得意になっていた。
あのころ南海ホークス(今のソフトバンク・ホークス)に杉浦という下手投げの美しいフォームのピッチャーがいて、みなでそれをまねして下手投げにチャレンジしていた。
なかにI少年がいた。
彼は「右利き」だったのだが、夏休みを過ぎてなんと「左投げ」それも「左下手投げ(アンダースロー)」をマスターしていたのである。
左の下手投げ(アンダースロー)はプロのピッチャーでも少なくて、私の知る限りでは中日に中山というピッチャーがいたくらいである。
夏休み中に、どれくらいそしてどんな練習をしたのか、彼は多くを語らなかったが、それがどのくらい大変なことかは私たちはわかっていた。それを彼は夏休みという短期間でやってのけたのである。
一挙に彼に対する尊敬の念をいだくようになって、彼の株が急騰した。
こんなことでみなの注目を浴びることができるんだと私は思った。
私は現在ソフトボール部の顧問をしているので、部員の生徒相手にキャッチボールをすることも多い。右利きなのでふだんはもちろん右投げであるが、壁を相手に左投げの練習をするようになって5年くらいたった。
スピードも飛距離もコントロールも右投げにはまだまだ及ばないが、それでも少しは投げられるようになった。
少しずつでも続けてやり続ければできないことではないということを部員生徒に示したかったのだが、あいにく期待に反して生徒からの尊敬を集めるには至っていない。これくらいではまだ注目には値しないと思っているのであろうか。
中1の新入部員で初めてバットを握る生徒には「左打ちのバッター」になることをすすめているので、右投げ左打ちの選手は少なくないが、右利きで左投げをするのはめったにいない。