2008年04月02日

「獄窓の歌人」島秋人の最期の歌

 島秋人は「獄窓の歌人」といわれた。

 かれは昭和9年満州で生まれる。戦後引き揚げてきて、貧困と病弱の中で育ち、母とも死別する。学校に行ってもいじめられ、さげすまれ、次第に不良化し、犯罪を繰り返し、少年院に送られたりする。
 そしてついに、餓えのあまり押し入った家であやまって殺人を犯し、死刑の判決を受ける。昭和37年のことである。

 彼の少年時代は何一ついいことがなかったが、ただ一度だけ図画の先生にほめられたことを思い出し、その先生に獄中から手紙を書く。その先生の妻が短歌を詠む人であった。それから8年間の獄中の死刑囚と先生夫妻との手紙と短歌のやりとりが始まる。

 死刑が確定した日の歌である。

  わが死にてつぐない得るや被害者の
    みたまに詫びぬ確定の日に

 その先生に宛てた手紙の中に次のような文がある。

 教師はすべての生徒を平等に愛して欲しいものです。一人だけを暖かくしても、一人だけを冷たくしてもこまります。目立たない少年少女も等しく愛される権利があります。むしろ目立った成績の優れた生徒よりも、目立たなくて覚えていなかったような生徒の中にこそ、いつまでも教えられたことの優しさを忘れないでいる者が多いと思います。忘れられていた子供の心の中には、一つだけでもほめられたというそのことが一生涯繰り返して思い出され、なつかしいもの、楽しいものとして、いつまでも残っているものです。私がそうです。

 そして昭和42年死刑が執行される。その前日に彼は次のような歌を残している。

  ふきあがるさびしさありて
    許されぬクレヨン欲しき死刑囚のわれ
  世のためになりて死にたし
    死刑囚の眼はもらひ手もなきかも知れぬ
  助からぬ生命と思へば
    一日のちひさなよろこび大切にせむ
  愛に飢ゑし死刑囚
    われの賜ひし菓子地に置きて蟻を待ちたり
  にくまるる死刑囚
    われが夜の冴えにほめられし思ひ出を指折り数ふ
  死刑囚のわれを養子にしたまひし
    未婚の母よ若く優しき

 さらに処刑の日に、被害者の夫Sさんに宛てた手紙荷は次のような思いが表現されている。

 長い間お詫びも申し上げずに過ごしていました。申し訳ありません。本日処刑を受けることになり、深くお詫びします。最後まで犯した罪を悔いていました。亡き奥様に御報告して下さい。私は詫びても詫びても詫びが足らず,ひたすら悔を深めるだけでございます。私の死によって、いくらかでもお心の癒やされますことをお願い申し上げます。申し訳ないことでありました。ここに記してお詫びの事に代えます。皆様の御幸福をお祈り申し上げます。


 そしてさらに続ける。

 僕は気の弱い人間でしかない者だったと思う。でも生きることがとても尊いことだけは解ります。僕の犯した罪に対しては、『死刑だから仕方なしに受ける』というのではなくて、『死刑を賜った』と思って刑に服したいと思います。罪は罪、生きたい思いとは又別なことだと思わなければならない。


 これほど、自分の罪深さを悔い、ゆるしを求め、いのちの尊厳を自覚しているのに、彼を死刑にせざるを得ない「法の厳しさ」というものは、いったい何なのだろうか。
 
posted by mrgoodnews at 23:58| Comment(1) | 詩、歌、祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

吉野弘「白い表紙」は男の視点からの「いのちのうた」である。

 毎日新聞の「余録」3月27日に吉野弘の「白い表紙」という詩が紹介されていました。この記事では、この詩から始まって、産婦人科医師の不足問題について論じています。

 わたしも中3の「総合」の「いのち」に関する授業で、吉野弘の詩をいくつか生徒とともに読んでいます。
「奈々子に」「生命は」「夕焼け」「人に」「身も心も」「I was Born」などの詩をわたしもとても好きです。
 ただ、この詩は知りませんでした。

  白い表紙   吉野弘作

ジーンズの、ゆるいスカートに
おなかのふくらみを包んで
おかっぱ頭の若い女のひとが読んでいる
白い表紙の大きな本。
電車の中
私の前の座席に腰を下ろして。

白い表紙は
本のカバーの裏返し。
やがて
彼女はまどろみ
手から離れた本は
開かれたまま、膝の上。
さかさに見える絵は

出産育児の手引。

母親になる準備を
彼女に急がせているのは
おなかの中の小さな命令――愛らしい威嚇(いかく)
彼女は、その声に従う。
声の望みを理解するための知識をむさぼる。
おそらく
それまでのどんな試験のときよりも
真摯(しんし)な集中

疲れているらしく
彼女はまどろみ
膝の上に開かれた本は
時折、風にめくられている。


 ただ、中3の女子と吉野弘の詩を読んでいると、彼女たちはどうも中年の男の視線を感じてしまうらしく、この詩の世界に入りきれないのですね。
 その典型はあの「夕焼け」という詩です。
 この詩にもそれを感じてしまうでしょう。
 たしかに、この詩は男が描く「いのちのうた」なのでしょう。
posted by mrgoodnews at 23:16| Comment(0) | 詩、歌、祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モンゴル帝国とキリスト教

 中国へのキリスト教伝来は、5世紀に異端とされたネストリウス派が635年に中国にもたらされ、景教となって唐代にひろがったことに始まる。
 781年には大秦景教流行碑がつくられるなど栄えている。
 ところが845年武宗は廃仏運動を進め、景教も迫害されて衰退した。
 宋代には北西の辺境でわずかに生き残っていたが、元代にはいると再び勢力を盛り返した。

 その北西の辺境にいた民族がオングート族で、その都であったオロンスムから、東アジア最古のカトリック教会跡が発掘されたのである。
 元代に入って、ローマ教皇ニコラウス4世は、フランシスコ会士のモンテ=コルビノ=ジョバンニ神父を元に送り、1294年に元の首都大都にはいる。その働きによって景教からカトリックへの改宗が相次ぐようになる。
 北京には3つの教会が造られ、13年後には信徒5000人にもなった。モンテ=コルビノは東アジアの総大司教にもなる。

 イエズス会のマテオ=リッチが中国にはいるのは、それからしばらく立った1601年のことである。
posted by mrgoodnews at 02:58| Comment(0) | キリスト教の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする