2008年06月29日

「慰めの子」バルナバという初代教会の重要人物

 パウロという人物がいなかったならば、キリスト教はユダヤの民族宗教でおわり、世界宗教とはならなかったといってもいいくらいパウロの果たした役割は大きい。

 しかしこのパウロの活躍のかげにバルナバという男がいた。この男がいなかったならば、パウロはキリスト教徒を迫害した過去の持つものとして初代教会には受け入れられなかっただろうし、またパウロはペトロをはじめとする使徒たちと分裂してパウロ教をつくっていたのではないかと思える重要人物である。
 この人物を使徒言行録に追ってみよう。

 バルナバは本名はヨゼフ、レビ族に属し、使徒たちから「慰めの子」と呼ばれていた。キプロス島の出身で自分の持っていた土地を売り、その代金を使徒たちに差し出した。(使徒言行録5章36節)

 回心後のパウロをエルサレム教会の紹介した。(9章27節)

 出身地のタルソにひきこもっていたパウロをアンティオキアに連れて行った。(11章25節)

 パウロとともに第1回伝道旅行に行った。(13章2節〜14章21節)

 エルサレム使徒会議にパウロとともに出席。使徒たちに異邦人宣教を認めさせる。(14章26節〜15章22節)

 第2回伝道旅行出発に当たり、いとこのヨハネ・マルコを連れて行くかどうかについて、パウロと意見が対立し、結局パウロと決別する。(15章37〜39節)

 使徒言行録にはこのように書かれている。
「慰めの子」と言うからには、穏和な性格で思いやりに満ちた人柄であることが想像される。
 またパウロの能力と役割のもっともよき理解者であるとともに、そのたりないところも見抜いていたに違いない。
 そのバルナバが第2回伝道旅行でなぜパウロと袂を分かったのか? ここは謎である。

 パウロは、その手紙の中でもこのバルバロを同志としてみていた。

 パウロもバルナバも信徒たちから経済的な報酬をもらう権利を持っていると思っているが、あえてそれをせずに無報酬で働いている。(一コリント9章6節)

 ペトロとパウロが異邦人との食事をめぐって対立したときに、バルナバさえも(ペトロらの」見せかけのおこないに引きずり込まれてしまった。(ガラテヤ2章13節)

 私と一緒に捕らわれの身になっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこのマルコが、あなたがたによろしくと言っています。(コロサイ4章10節)


 バルナバのいとこのマルコが、パンフィリアにいくときに一緒に行かなかったことでもって、パウロはバルナバと決別したのに、さいごにはマルコとパウロは同じ捕らわれの身であったということなのだろうか。
 バルナバはパウロと別れてどうしたのだろうか。このことについて聖書には記述がない。



 

 

 

 
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2008年06月27日

「ジュボンズの逆説」のややこしさ

 6月22日の毎日新聞「潮田道夫の千波万波」に「ジュボンズの逆説」という話が載っていた。

 ジュボンズは19世紀の近代経済学者である。

 燃費のよい車が開発されると、人びとはその車に買い換え、よく車に乗るようになり、かえって使用するエネルギーが増えるという現象である。
 エネルギー効率のよい冷蔵庫やクーラーが発売されると、みなそれに買い換え、むやみやたらと大型の冷蔵庫を買い、クーラーをつけっぱなしにするようになる。かえって省エネに逆行する。省エネの「リバウンド効果」である。

 この記事ではこうも述べている。
 問題は中国。省エネに日本が協力するが、かえって需要を押し上げ、二酸化炭素の排出量を増やすのではないか。いや、あの国は本当にそうなりかねない。

 だから経済現象はややこしいのである。
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2008年06月25日

中1の女の子たちが全員で演歌を歌うの図

 これは10年以上前のことです。
 中学1年生が5月にするオリエンテーション合宿の帰りのバスの中の出来事です。

 生徒(女子校だったので全員女の子)が、カラオケをしたいと言い出しました。上級生だったら自前でカラオケテープを用意していくのですが、そこはまだ入学したての中学1年生、そんな用意はしていません。
 担任の先生は「あなたたちカラオケテープを用意してきたの?」と聞くのですが、「バスの中にあるテープでいい」と生徒たちはいうのです。
 担任の先生がバスガイドさんに聞くと「演歌ならある」ということです。生徒たちは「それでもいい」といって、曲を選んで歌い出しました。

「矢切の渡し」だとか「津軽海峡冬景色」だとか「北の宿から」だとか、演歌のスタンダードナンバーを歌詞カードを見ながら代わる代わる歌うのです。ほとんど歌ったことのない曲だろうに、どこで教わったのか、これがコブシがきいたりしてけっこううまかったのです。
 そして「川の流れのように」ではついに全員で大声で歌っていました。中学1年生の女の子たちが全員で「川の流れのように」を歌う光景はなかなか見られないでしょう。
 かわいいというかかれんというか、とにかく見ほれて、聞き惚れてしまいました。
 私の教員生活のなかでも忘れられない思い出です。

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2008年06月24日

「勉強」という言葉

 中国語の漢字と日本語の漢字で意味が異なるものがけっこうあります。

 いちばん有名なのは「手紙」中国ではトイレットペーパーを意味します。
 「汽車」は自動車です。
 「娘」は既婚女性です。
 「愛人」は配偶者だったりします。
 「改行」は転職するという意味だし、
 「湯」はスープです。湯麺(たんめん)です。
 「麻雀」は日本語です。中国語は「麻将」だとか。
 「走」は中国語では「歩く」なのです。
 「切手」は中国語では「泥棒」を意味するから驚きです。

 前に「楓」や「柏」という漢字が示す植物が、日本と中国では違うということを紹介したことがあったようなきがします。

 「迷人尓裙」はなんと「ミニスカート」だとか。「人を迷わす」のですね。「迷人」がミニに近い音だからという当て字だとか。

 ところで中国人が日本語の漢字を見ていちばんびっくりするのは、「有難い」という言葉だとか。「難有り」と読んでしまう。それがなぜ「感謝」なのか。

 「勉強」という言葉もびっくりなのだそうです。日本人は強制されて嫌々ながら勉強しているというイメージなのです。でもそういわれてみると確かに日本人は「強制されて」勉強しているのかもしれないので、あながち間違えではないのかもしれません。

 私は教員をしていたときに、この「勉強」という言葉と「頑張る」という言葉を「禁句」にしてできるだけ使わないようにしました。
 しかしこの言葉を使わないと生徒を指導するときや励ますときに困ってしまうのです。「学習」とか「学び」とか使っていましたが、「もっと勉強しなさい」と生徒を叱責するときの迫力がないのですね。親が子どもに「勉強しなさい」というときもやはり「勉強」でないといけません。

 イギリスに留学していた友人が、こんな話をしてくれたことを思い出します。
「何のために勉強するのか?」と聞かれたときに、日本人は「大切なことだから」「生きていくために必要だから」「社会に出て役に立つから」とか答えるのですが、イギリス人は「学ぶことが楽しいから」とか「おもしろいから」とか答えるのだそうです。

 日本の子どもたちが「学びからの逃走」をしていると嘆いた教育学者がいましたが、子どもたちの「学力低下」の根本的な原因はこういう「勉強」にあるような気がするのです。

 
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2008年06月23日

和テイスト短歌の「ネジレ具合」

 6月23日の朝日新聞の「短歌時評」に種村弘氏がこんなことを紹介していた。

 「日本っていいなーとしみじみ思うことありませんか? そこで次の企画は『和テイスト短歌』です。あなたの身の回りにある『和』を感じさせるものを短歌に詠んでください」という番組の呼びかけに応えて送られてきたのはこんな歌。

 縦書きで文字を書いている人見ると
 なんとなくだけどどきどきします
             いさご

 暖房の効いた洋間であぐらかき
 抹茶アイスを食べるのが好き
             momi

 先生が和式トイレのお手本を
 園児に見せた春がまた来る
             てこな

 詠われているのは単純な「和」の魅力ではない。ここにはぐるぐるにネジれた「和テイスト」な私たちの姿が正確に写し取られている。


 純粋な「和」というものを日常生活には感じにくくなっているからこそ、改めて「和」を意識すると、それは外国から来たものを日本的に加工する「あんパン」や「カレーライス」みたいな和洋折衷にする伝統がうずきだすということか。和「和」折衷とでも言ったほうがいいかもしれない。
 そこで、私も一句。

 在日のインドの人に日本のカレーライスが好きと
 言われたときの満足感

 五七五七七にはなっていないけど、ま、いっか。
   
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2008年06月22日

今ごろ花をつける木には特徴がある

 今ごろ花をつけている木を集めてみました。
 これらの木にはどこか共通の特徴があります。それはなんでしょうか?


クス まずクスノキ。クスノキ科です。
 この木は木全体に芳香があり、特に葉を切ると樟脳の香りがします。その昔、虫除けに使った懐かしい香りです。
 この木は巨木になります。5月頃黄緑色の小さな花をつけます。照葉樹林の極相を形成する代表的な木です。


タブ 次はタブノキ。これもクスノキ科です。
 海に近いところに巨木の原生林をつくりますが、町中でもけっこう見られます。
 ちょっと赤みがかった若い芽も特徴あって、すぐにそれとわかります。
 やはり黄緑色の花を5〜6月頃につけます。


マテバシイ マテバシイの木。ブナ科ですが常緑樹です。
 雄花も雌花もよく似ていて、黄褐色の花をつけています。
 この木はよく街路樹として植裁されています。
 果実は「翌年秋に成熟し、大型のどんぐりとなる」と樹木図鑑には書かれています。つまり、どんぐりとなるには1年以上かかるということなのでしょうか。


クリ クリの木。これもブナ科ですが、こちらは落葉します。
 雌雄同株で、雄花序は黄色で細長く特有の匂いを放ちます。男の精液の匂いに似ているとか。
 受粉した雌花があの栗の実に育っていきます。



ネズミモチ ネズミモチ。モクセイ科です。
 わがやの垣根にもこの木があります。6月に枝の先に円錐花序の白い花をつけます。
 11月頃黒紫色の果実をつけます。これがネズミの糞に似ているところからこの名前が付いたとか。


サンゴジュ サンゴジュ。スイカズラ科です。
 もともとは海岸近くに生える常緑樹だが、大気汚染や火に強く、葉が厚くよく茂るので生け垣として使われる。
 秋になると赤い実をつける。木の実が珊瑚の輝きを持っているのでこの名が付いたのだろう。


アカメガシワ 最後にアカメガシワの木。トウダイグサ科だが、木本である。
 前に紅い新芽を紹介したことがある。新芽の赤は葉芽の色ではなく、新芽をおおう毛が紅いという説明をした。
 これは雌雄異種である。雄花は淡黄色である。
 葉が大きくなり、昔はこれに食べ物を持った所からこの名があるという。

 これらの花はいずれも小さくてとても地味です。花の色も黄色や黄緑色、白というところです。
 でもこれが若葉の緑に映えて、ダブルトーンを形成しているところが特徴といえるでしょうか。


posted by mrgoodnews at 23:54| Comment(1) | 植物・鳥・小動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

森の「物語」の語り部になりたい

 今、私は「無職失業中」なのだが、個人的には「サバティカル中(充電中)」だと思って、新しい冒険にチャレンジしている。これがなかなかおもしろいのだ。

 一つは、「おもしろ科学体験インストラクター」であり、もうひとつは「森林インストラクター」である。

 「森林インストラクター」については、森林レクリエーション協会の養成講座と、神奈川県森林文化協会が主催するものと、園芸協会の行う通信講座とがあるようだ。
 通信講座はちょっと高いし、通信では続かないと思って思い切って「森林レクレーション協会」の夏期集中講座に参加することと「神奈川県森林文化協会」のコースに参加することにした。

 神奈川県森林文化協会のコースに参加するには「小論文」が必要だったので、それに次のような文章を書いたので紹介したい。

 
森の「物語」の語り部になりたい


 私は町でも野山でも森でも歩くのが好きです。ただ歩くだけでなく、デジカメを持ち歩き、いろいろなものを発見しては撮影し、その中で興味あるものはさらに調べたりしてブログで紹介するというライフスタイルを楽しんでいます。
 先日、丹沢「札掛の森の家」で「まるごと森体験!」に参加しました。残念ながら雨だったので森の間伐や下草刈りはできませんでしたが、雨の中の森の散策は行いました。雨の「ケヤキの森」「カシの森」「モミの森考証林」の美しさとともに、もっとも印象的なものは「ヤマビル体験」でした。
 最近このあたりで「ヤマビル」が大発生していて、なんでもシカの増殖と関係あるらしいとか。私は、靴下に塩をすり込んで防御したのにヤマビルに吸血されてしまいました。靴下に血がにじんでいて気づいたのですが、痛くもかゆくもなかったので吸血されていたことを気がつきませんでした。
 ヤマビルについての説明を聞き、この小さな動物の「物語」にとても興味を持ちました。ヤマビルは吸血するときに麻酔みたいなものと血を凝固させないためのものを分泌し、一度血を吸うと産卵を始め、1年は生き延びるという話しを知って、これは医学的にも薬学的にもおもしろい生き物だと興味を持ちました。ヒルという生物は嫌われるのが普通ですが、私は親しみを覚えるようになりました。「ヒル(蛭)」という漢字はムシヘンに私の名前「至」だからなのかもしれません。
 ヒルの話だけでなく、森は生き物たちの「物語」の宝庫です。こういう「物語」が森の植物や動物のいとなみのなかに隠れています。その「物語」を探し出し、調べ、紹介することによって、「森の語り部」になれたらと熱き想いを寄せています。

 こんな「小論文」では合格しないかも。そういえばまだ「合格通知」は来ていない。

 「森林インストラクター」になるには2回の試験があるようなので、これにもチャレンジしようと思っている。
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2008年06月20日

「平和を仕事にする」ポスターについ足を止めて見てしまった。


平和を仕事に 町内会の掲示板に「平和を仕事にする」というコピーとともに、若者たちが笑っている顔写真が並んでいるポスターを見かけました。

 よく見ると「自衛隊員募集」の広告でした。
 これを見て、「自衛隊員は平和を仕事にしているんだ」と感心しましたが、ちょっと複雑な思いにとらわれてしまいました。

 求人のポスターとしてはこれはこれで「傑作」なのではないかと思いました。このコピーに足を止めて「何だろう?」と詳しく見たくらいですから。

 このコピーを見て「青年海外協力隊」かと思ったくらいでしたから。そういえば「青年海外協力隊」は創設されたころ「平和部隊」といわれていたんではなかったかな。
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2008年06月19日

ノアサガオ(オーシャンブルー)が咲き出しました


ノアサガオ1 私の家の「ノアサガオ(オーシャンブルー)」が今年も咲き出しました。

 昨年紹介したノアサガオは、今年はさらにこんもりと茂り、花をつけ出しました。
 このアサガオは「琉球アサガオ」「宿根アサガオ」「オーシャンブルー」などとも呼ばれています。園芸図鑑によるとこのアサガオは「ノアサガオ」というのだそうです。
 その名のとおり、宿根草で、冬になって葉は全部落ちましたが、枯れることなく、昨年よりもさらに大きく茂っていよいよ花をつけ出しました。花芽もたくさんつけているので、これからさらに多くの花をつけることでしょう。
 ここまで来るとこれは「草」と言うよりもう「木」ですね。幹の根元は直径5センチくらいになっています。


ノアサガオ2 ことしは5月に、葉っぱ1枚つけた一節を挿し木(挿し芽? 挿し蔓?)にしてみました。切ったものを1週間くらい水にいけておいてから、鉢に挿し木をしました。枯れずに順調に育っています。根付いたようです。
 根付いたら、教会のバザーにでも出品しようかと思っています。取りに来ていただけたら、おわけしたいところです。

 
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2008年06月18日

新構造展に出品した妻の絵「華やかな花たち」


華やかな花たち 友人の絵を紹介したなら妻の絵も紹介しなければなるまい。
 6月12日から22日まで上野の東京都美術館にて開催されている「新構造展」に妻が「華やかな花たち」という油絵を出品した。彼女はこの「新構造」の会員で毎年ここに出品している。

 彼女はこの絵画展の案内状をたくさんの友人たちに送っていた。たった1点の絵のためにはるばる上野まで足を運んでいる友人がどれほどいるものかと、多少懐疑的であったのだが、ある友人夫婦が初日にいくからというので、私たちも初日に行くことにした。
 500点くらいある中から、妻の絵を探すのはなかなか大変なのだが、部屋の隅に展示してある彼女の絵を見たとたんに「恥ずかしい」と言い出す始末。

 確かにその絵は技術的にはまだ未熟なのであるが、しかしこの絵はまわりの絵に比べて飛び抜けて明るい絵なのである。まことにもってその絵のタイトルどおり(実はこの絵のタイトルは私が付けた)の絵なのだ。

 2005年の絵に比べても、あまり代わり映えがせずに進歩がないようにも見えるが、この明るさだけは前よりも輝いて見える。
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2008年06月17日

有さんの絵 第2作


有さん2 有さんの絵の第1作は前に紹介した。なかなかいい絵だった。
 と誉めたら、第2作目も見せてくれた。これもなかなかいい出来映えので、続いて紹介しよう。

 この絵は鎌倉の「旧華頂宮邸」をスケッチしたものである。ここもなかなかいいところみたいなので、今度訪れてみることにしよう。
 彼の絵は描いたところに誘い出す、つまり行ってみたくさせる不思議な魅力を持つ。
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アリが繁栄しているわけ

 この地球上でもっとも繁栄している動物は何だか知っていますか?
 人間ではありません。ゴキブリでもありません。

 それはアリなのです。地球上の生物の1割(1%という説もあり)が実はアリだとか、全部で1兆匹くらい生息しているだろうとか言われています。

 その繁栄の理由は、2つ考えられるそうです。

 その一つはアリは2つの胃を持っていることがあげられます。1つは自分の栄養となる食物を消化する「個体胃」であり、もう1つは「社会胃」といわれるもので、これは仲間に与える食物を蓄える胃なのです。
 アリは食物をみつけるとそれをいったん「そ嚢」というところに蓄えます。これが「社会胃」と言われる部分で、ここに蓄えて巣まで食物を運び、そこで吐き出します。運ぶ途中で仲間から要求されると、口移しで仲間に与えなければならないそうです。
 社会胃に蓄えたものは、少しずつ個体胃の方へ流されていき、それが自分のための栄養となります。
 鳥などの動物も、ヒナや子どものために餌をせっせと運んでいますが、それは自分の子どものためであり、アリのようにすべての仲間に与えられるものではありません。
 アリは、自分の子どもに限らず他のアリに食べ物を与えることが優先されている、そういう生き方をしているのですね。

 もうひとつの理由は、その明確な「役割分担」にあります。餌のあるところを探し出す「偵察係」それを運ぶ「運搬係」「生殖のための係」「巣の見張り役」「倉庫係」など実に明確な役割分担がなされています。なかには、何も働いていないように見えるアリもいます。
 それでもみなに餌が行き渡るのですね。
 自分の居場所で自分の役割を忠実に果たしているのでしょう。自分のためだけに働いているアリは1匹もいないのです。

 それぞれの役割を円滑に果たすためにアリはコミュニケーションをしています。そのコミュニケーションは、フェロモンのような物質をメディア(媒体)としています。「こちらに餌がある」という情報や「ここは危険だ」という情報を、フェロモンみたいなものによって伝えているわけです。
 だからそのフェロモンをうまく使えば、アリに行列行進させることができるというわけです。
 またアリを近寄らせたくないときは、ありを数匹つぶして殺してしまうのがいいのです。殺されそうになると、アリは「ここは危険だから近寄るな」という情報を伝える物質を分泌する、そうするとアリは近寄らなくなるというわけです。

 アリの社会の運営原理には、人間たちも大いに学ぶ必要があるのだろう。
posted by mrgoodnews at 23:27| Comment(0) | 植物・鳥・小動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月16日

「ラーハ=ゆとろぎ」ばかりの生活

 6月13日の朝日新聞「窓 高貴高齢者 越村佳代子」に次のようなことが紹介されていました。

 前国際日本文化研究センター所長の片倉もとこさんについて述べたものです。

「後期高齢者は高貴高齢者ですよね」とにこやかに話だし、アラビアの社会では時間が「労働」「遊び」「ラーハ」の3つに分かれると語った。
「ラーハ」とは学ぶ、ごろんとする、お客をもてなす、祈る、詩歌を作るなど、大人として大切な時間とされている。
 片倉さんはそれを表すのに「ゆとり」と「くつろぎ」を足して「りくつ」を引いた「ゆとろぎ」という造語を考えた。最近、同名の本を岩波書店から出版した。
 街や人とつながり、「ゆとろぎ」の時間を過ごす。高貴高齢者でなくとも、こんな暮らしがしたい。


 別なサイトでは「ラーハ」についてこんなこともかかれていた。
 ラーハで行われるのは、
▽学ぶこと、
▽ごろんとすること、寝ること
▽家族や友人と一緒にいること
▽祈ること、断食すること
▽客をもてなすこと
▽詩歌を作ること。
 死ぬこともラーハであり、死は悲しむことではなく、眠りも「小さな死」と言われているという。
 また、「労働は人生の一大事ではない。遊びは子供がすることで、遊びをやめてラーハの時間を大切にするのが大人になった証し、とイスラムでは考えられている。


 私は現在「失業中(サバティカル中)」なので、「ラーハ」の時間ばかりなのですが、「ラーハ」のなかに「祈ること」「詩歌を作ること」というのがあるところがおもしろいなと思いました。
 「ラーハ」のなかに
▽散歩すること
▽森を歩くこと
▽料理をすること
▽おもちゃをつくって子どもと一緒に遊ぶこと
▽家を片づけること、家の修理や掃除をすること
▽ブログを書くこと
 というのをくわえたら、完璧に今の私の生活になります。

 

 
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2008年06月13日

総持寺の中の神社の加持祈祷

 鶴見には曹洞宗大本山総持寺という大きなお寺があります。その境内に三寶神社という神社があります。またその近くにはお稲荷さんもあります。まさに神仏混淆ですが、加持祈祷は神社の方でお坊さんがあげているらしいのです。


加持祈祷 その前にこんな立て札がありました。
 これをよく見ると、この中に「世界平和」というのや「飢餓に苦しむ人のために」とか「貧困がなくなるように」とかいう祈りはないのですね。
 みんな自分や自分の家族のために祈っていて、世界や社会のためあるいは他人のために祈るということがないのです。

 ここがキリスト教と大きく違うところだと思いました。

 カトリック教会のミサの「共同祈願」では、「世界平和のために」とか「アフリカの飢餓で苦しむ人びとのために」とか「病気で苦しむ人たちのために」「ミャンマーや中国で災害にあって苦しんでいる人のために」という祈りがかならず唱えられます。
 もちろん、ミサに参加する人は自分や自分の家族のためにこころのなかで祈っているのですが、それは共同祈願としてはめったに唱えられません。
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2008年06月12日

「自殺について」という高校生のロングホームルームの話し合い

 私が教員として働きだした1年目、今から20年以上前のことです。高1のあるクラスのロングホームルームに招かれました。テーマはなんと「自殺について話し合う」というのです。あのころ、岡田何とかいう女性タレントの自殺の「後追い自殺」というのが頻繁に起きていたときでした。
 いまでは、ロングホームルームでディスカッションをするというのが難しくなっています。ましてやこのテーマですることは考えられないことですが、あの時は大胆にもこういうテーマでの話し合いができたのですね。

 生徒委員が二人司会をしていました。その司会者はいきなりこんなことをクラスの生徒にきいたのです。
「自殺したいと思ったことのある人は手を挙げてください」
 生徒たちには「え!そんなこと、答えなければいけないの」とぎょっとした反応もありましたが、司会者たちはそういう反応をものともせずまた深く考えさせずに手を挙げさせるのです。まわりを見渡しながらおずおずと手を挙げた生徒が10何人か、3分の1くらいいたでしょうか。
 司会者は続いて「なんで死のうと思ったのですか? 手を挙げた○○さん、答えてください」とまた大胆にも指名して聞いてきます。
 さされた生徒は「え! 答えなきゃいけないの」といいながらも「大失敗をして人に迷惑をかけてしまったから死んであやまりたかった」と答えました。
 では「○○さんは?」と冷静に事務的に次の人を指名します。「自分に絶望したから」という答えも出てきました。
「ほかの理由で死にたいと思った人がいましたか?」とまた聞きました。
「親にこっぴどく叱られて、死んでやると思った」とか「友人に裏切られてはらいせに」とかいう理由もあがりました。
 司会者は「死にたいと思った人」にその理由を次々と聞いていきました。何となく答えることを拒否しにくい雰囲気があったので、みんなためらいながらも正直に答えていきました。
 そしてこんなふうにまとめました。「死にたいと思った理由は、自分に絶望したタイプとだれかに思い知らせるために死んでやろうとする腹いせ型タイプがあるようですね。」私の記憶ではけっこう腹いせ型が多かったという印象が残っています。

 そして続いての質問です。「今みんなが生きているということは、そのときは思いとどまったということですね。どうして思いとどまったのでしょうか?」とまた指名して答えさせました。
「死ぬのが怖くなった」という理由が多かったようです。
「親や友人に説得されて」というのもありました。
「自分が死んだらまわりの人がどんなに悲しむかを想像したら死ねなくなった」というのもありました。
「一晩寝たら忘れてしまった」とか「死んだらおいしいものが食べられなくなるんだと思った」と言ってみなの笑いを誘うのもありました。

 最後に「先生はどう思いますか?」と聞かれて私は何を話したかをよく覚えておりません。おそらく、私は死にたいなんて考えたことがなかったので、正直にそう答えただろうなと思います。
 今だったら「親友が自殺してしまったことにショックを受け、それを思いとどまらせなかった自分を責め続けて苦しんでいる例を出して、いかに家族や友人が悲しむか、それだけでなく深い傷を生涯負いつづけることになるか」を話しただろうと思います。
 生徒の誰かが、涙ながらにそういう話を出したら、この話はそこで終わりになっただろうと思います。

 この話し合いは、司会をしていた生徒たちが「あっけらかん」と半ば強引に質問して答えさせたところがよかったのかもしれません。教員の指導がよかったからというのではなかった、むしろ教員たちはハラハラしながら、話し合いの展開を見つめていただけでした。

 このテーマでの生徒間の話し合いは、このとき一度きりでした。はじめに述べたように、今ではこういう話し合いはできないだろうなと思います。むしろ「自殺を誘引してしまう」とかいって危険視されるでしょう。私もこの話し合いを指導できる自信はまったくありません。
 あのころはリストカットなんていう現象も見られなかったし、今の子どもはもっと複雑なのかもしれません。
 でも、生徒たちは心のどこかで、こういう話し合いができることを望んでいるかもしれないとも思えるのですね。
 

 
 
 
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2008年06月10日

女と男の「意地」くらべ

 6月7日の「余録」によると「意地」という言葉は、もともとは仏教語で「人間の意識のはたらきを一切のものを生み出す大地にたとえたサンスクリット語の翻訳」だったという。

 そこで「広辞苑」
い‐じ【意地】‥ヂ
1.こころ。気だて。心根。「―が悪い」
2.自分の思うことを通そうとする心。「―を張る」「―を通す」
3.物欲。食欲。「―がきたない」
4.連歌論で、作句上の心のはたらき。連理秘抄「骨こつのある人は、―によりて句がらの面白き也」

 このことば、現在では「意地悪」「意地汚い」「意地っ張り」「片意地を張る」「意地を通す」など「心の偏り」を示してあまりいい意味では使われない。昔は「意地がいい」という使われ方もしたようであるが………。

 似たような言葉に「意気地」がある。
 「人生劇場」といううたにこんなセリフがあった。
 人生劇場 - 村田英雄
作詩:佐藤惣之助 作曲:古賀政男

やると思えば どこまでやるさ
それが男の 意気地じゃないか
義理がすたれば この世は闇だ
なまじとめるな 夜の雨

あんな女に 未練はないが
なぜか涙が 流れてならぬ
男ごころは 男でなけりゃ
解るものかと あきらめた

時世時節(ときよじせつ)は 変ろとままよ
吉良の仁吉は 男じゃないか
おれも生きたや 仁吉のように
義理と人情の この世界

 この「意気地」はほとんど「意地」と同じ意味である。もっとも正式の唄のセリフは「意気地」ではなく「魂」であったかもしれない。
 「広辞苑」には
いき‐じ【意気地】‥ヂ
事を貫徹しようとする気力。他にはりあって、自分の思うことを立て通そうとする気性。いじ。いくじ。いきはり。

 ところが、この漢字を「いくじ」と読むと「意気地なし」という使われ方をする。これは「意気地」がたりないことをいう。

 私はこの「意地」という言葉が嫌いではない。
「意地でもやり通す」「(おとこの)意地にかけても」断固としてやり抜くという気迫が感じられる。
 ただ、この言葉が「男」と結びついてしまうところが問題であると書こうとしたら, 「女の意地」という唄を思い出した。西田佐知子の唄だったと思う。
女の意地(昭和40年)
作詞:鈴木道明  
作曲:鈴木道明  
 
こんなに別れが苦しいものなら
二度と恋などしたくはないわ
忘れられないあのひとだけど
別れにゃならない女の意地なの

二度と逢うまい別れた人に
逢えば未練の泪をさそう
夜風つめたくまぶたにしみて
女心ははかなく哀しい

想い出すまい別れた人を
女心は頼りないのよ
涙こらえて夜空を仰げば
またたく星がにじんでこぼれた


 そういえば「意固地(依怙地)」という言葉もあった。これも同じような意味だった。
いこ‐じ【意固地・依怙地】‥ヂ
かたくなに意地を張ること。えこじ。「年を取って―になる」「―な態度」


 「いじ」「いきじ」「いくじ」「いこじ」みな同じ意味なのに、違うのはなぜだろうか?

  


 

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2008年06月09日

テスラとエジソンの交流・直流論争


テスラ ニコラ・テスラはエジソンと並ぶ大発明家であるが、エジソンほどには名前が知られていない。
 この人の生涯を見ると、平賀源内を思い出す。
 
 テスラは1856年ハンガリー王国(現在のクロアチア)の生まれ。プラハ大学を卒業後、アメリカに渡り、エジソンの電灯会社に就職するが、エジソンと対立、会社を辞める。
 エジソンが直流による電気システムを考えていたのに対し、テスラは交流電気システムを主張したのが原因である。
 この対立はのちに「電気戦争」といわれる。
 直流システム」を主張したエジソンは、たとえば死刑執行の時に用いる「電気いす」が交流によるものだなどと述べて「交流」の危険性を指摘する。
 それに対してテスラは、自分の体を通電体として利用してその安全性を証明しようとしたと伝えられている。

 この論争は結局はテスラの理論の正しさが証明されることになり、現在は「交流」による発電、送電、あるいはモーターが使用されている。

 1901年には、巨大な無線送電塔を築き、大西洋をはさんで無線で電気を送る実験をしようとするが、これは挫折している。

 テスラは、このほかにも、ラジオやラジコン(無線トランスミッター)、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどの多数の発明を行う。
 1915年には、エジソンとともに「ノーベル物理学賞」候補になるが、テスラは受賞しなかった。

 またエジソンの名言「天才は1%のひらめきと99%の努力」を皮肉って、「天才とは、99%の努力を無にする、1%のひらめきのことである」(「天才とは、1%の直観と99%の徒労である」とも訳せる)と述べたといわれる。

 1947年、ニューヨークのホテルでさびしく死去するが、彼の発明に関する書類は、アメリカ軍とFBIに没収されたとも、ユーゴスラビアを経て旧ソ連の手に渡ったともといわれている。

 「交流」を生み出したテスラは、エジソンも及ばないほどの天才的発想力の持ち主として敬服するのである。

 川崎市にある「電気の史料館」の電気の歴史コーナーに、ニコラ・テスラの銅像が設置されているという。今度見学に行くことにしよう。

 

   
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2008年06月07日

日本史で「仮説実験授業」

 昨日「仮説実験授業」の紹介をしましたが、板倉氏の話によると、このような授業は歴史でも展開できるといわれます。
 たとえば、こんな例が「日曜喫茶室」で紹介されていました。

 江戸時代の日本の人口はおおよそ3000万人で安定していました。現在は1億2000万人ですから、この150年で4倍に増えたことになります。
 ところで、人口が急速に増加に転じたのは、いつの時代であったか?これが問題です。

 1.明治維新のころ
 2.日清・日露の戦争
 3.日本が産業革命に入った時代
 4.第2次世界大戦後

 この問題について、先ず議論をします。
 人口増は戦争と結びついているから「日清・日露」の時代ではないか、という考え。
 いや、産業構造の変化と関連するのではないか、つまり「産業革命のころ」
 やはり、戦後のベビーブームだよ。なんといっても。
 いろいろな「仮説」が立てられて議論を呼び起こします。

 答は「1.明治維新」なのですね。
 これは歴史の専門家でも正しい答が出ないそうです。むしろ、歴史の知識が邪魔をする。
 なぜそうなのか、いろいろと解釈があるようですが、そこは「日本史再発見」(板倉聖宣著)に詳しく書かれているようです。

 歴史の場合には、「実験」をするわけにはいかないのですが、「答え」としての「事実」は存在するわけです。
 このような、「仮説実験」の問題となるような意外な歴史的事実を探すところがミソとなるのでしょう。

 「日本史再発見」「歴史の見方考え方」(板倉聖宣著)を図書館で予約して読んでみようと思います。理系的な視点から歴史を見るとどうなるのか、読んだらまた報告することにしましょう。 
posted by mrgoodnews at 22:26| Comment(0) | 歴史のおもしろさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仮説実験授業のおもしろさ その1

 私は「日曜喫茶室」というNHKFMの番組が好きで、その番組を録音したカセットテープをたくさん持っている。車を運転するときや、散歩するとき、植木を切ったりする庭仕事をするときにそれを少しずつ聴いている。
 そのなかにいつ放送されたかはわからないのだが、「不思議大好き実験大好き」というテーマの放送があり、これがなかなかおもしろかったので紹介したい。

 この日の出演者は「仮説実験授業」の板倉聖宣さんで、いくつかの「仮説実験授業」を紹介された。
 「仮説実験授業」とは科学の実験をする前に、生徒たちが結果を予想して議論をし、その後に実験をしてどの考えが正しいかを検証するというものである。

 まず、「仮説実験授業」の定番ものである「電気を通すものと通さないもの」という実験について紹介した。
 電池に豆電球とブザーを接続し、あるものをはさんで、電気を通せば電球がつきブザーが鳴るようにした実験装置を用意する。そこにいろいろな物をはさんで、電気を通すか、通さないかを確かめる「実験」をするわけである。

 一番最初に試したのは「一円玉」つまりアルミニウムである。これは電気を通すかどうかを予想し、その理由について議論をして、実際にやってみる。
 銅は電気をよく通すことは知っていても、アルミはどうだったっけ? 結果は、ブザーが鳴る。
 「では5円玉は?」「10円玉は?」用意した硬貨を次々に予想しながら実験する。いずれも電気を通すものである。どうも「金属」はみな通すようである。

 「では1万円札では?」ここで意見が分かれる。「紙だから通さない」という説と「磁気インクが使われているからインクの印刷されている部分は通すのではないか」という説に分かれる。
 実験してみると、通さないのである。

 誰かが、「濡らしたお札では?」といった。「濡れた手で電気を触ると感電するという話を聞いたことがあるから、通すのではないか」という意見が出る。
 実験してみると、通さない。

 「じゃあ、アラザン(ケーキに載っている銀色の砂糖つぶ)では、どうだろう?」
 多くの人は「通さない」という予想であった。
 ところがその予想はみごとに外れる。実際には電気を通すのである。
 「アラザン」はフランス語では「銀」を意味する。つまり砂糖をうすい銀で包んでいるので、電気を通すのである。どうも「金属光沢」が問題のようである。

 次に出したのはあめ玉の包み紙、金属光沢を持ったビニールのものである。これは電気を通すのである。ビニールにうすいアルミ箔をコーティングしてあるからでだという。

 金属は「自由電子をもっていて、この自由電子が電気を伝える」という説明がなされる。

 「これではどうか」「ではこれならどうか」という実験を重ねて「金属は通す」という「法則」をつかむ。その法則をさらに検証するために「アラザン」や「銀色にコーティングしたビニール」などの疑わしいものを用意する。
 「アラザン」のように、おおかたの予想を裏切るような「しろもの」が用意できたら効果は満点である。

 「飛行物体の研究」をしていたとき、こういう種類の実験で子どもたちが持つ疑問は
 「こーしたらどーなるのか?」
 「どーしたらこーなるのか?」
 「どーしてこーなるのか?」
という3種類になるということに気がついた。
 第1のタイプの疑問「どーしたらこーなる?」は「実験」「経験」へと導く。
 第2のタイプの疑問「どーしたらこーなる?」は、「技術」へと導く。これは第1のタイプの実験を積み重ねて答えが見つかるものであろう。
 第3のタイプ「どーしてこーなる?」は「理論」を導く。おそらくこれがもっとも難しいのではないか。
 まさにこの3種類の疑問を系統的に解明するのに「仮説実験授業」は実に効果的なのである。


 実は、わたしは明日(6月7日)横浜で「おもしろ科学実験インストラクター」の講習をうけようとしているところである。こういう科学実験のおもしろさを子どもたちと共有できたらと思って、この講習に応募した。
 私のこれまで行ってきた「飛行物体の研究」や「科学おもちゃコレクション」がきっと役立つと思うので、期待に胸ときめかせているところである。
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2008年06月04日

会津坂下町「水合戦」はおもしろそう!

 今日(6月4日)NHKお昼の番組「ふるさと一番」の番組で、会津坂下町の「水合戦」が紹介されていました。これはなかなかおもしろそうです。

 2チームに分かれて、雪合戦の要領で、ゴム風船に水を入れてふくらませたものをぶつけ合うというゲームです。
 雪玉ではなく、縁日で見る「ようよう」のようなものをぶつけ合い、2度玉に当たると退場で生き残ったものの数で勝ち負けを決めるというものです。

 夏の暑いときには、涼しげでいいかもしれません。でもけっこう興奮しそうで、やはり暑くなるでしょうね。

 高校生のときに丹沢の山の家でした雪合戦を思い出します。あの時の雪は粉雪で雪玉が固まらずに、玉を凍らせて行ったので、あたると大変でした。眼鏡に直撃を受けたり、けが人も続出でした。学年対抗でやったものだから、ムキになってやったものです。
 でも、あの雪合戦のおもしろさは忘れられません。

 それから、学校に雪がつもると、生徒たちは運動場に出て必ず雪合戦をします。そういうときに圧倒的に強いのはソフトボール部の部員たちでした。女の子たちは雪のボールを投げるのがうまくないのですが、ソフトボール部の生徒たちは例外なのです。速い球がコントロールよく命中するのです。

 この遊びは、ルールもシンプルだし、お金もかからないし、道具も簡単につくれそうだし、こんど、ソフトボール部の生徒たちにやってみないかと持ちかけてみようと思います。
 そしてこの会津坂下町の「水合戦」に出場するというのもいいかもしれません。
posted by mrgoodnews at 23:03| Comment(2) | こんなところに行きました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする