2008年09月30日

シシャモはなぜ「柳葉魚」なのか?

 シシャモという魚はレモンを搾って食べるとおいしい魚ですね。このシシャモ、漢字では「柳葉魚」と書きます。魚の形が柳の葉に似ているからこう呼ばれたのでしょうが、アイヌの昔話にこんな話がありました。

 出典:「20本の木のノート」いわさゆうこ作 文化出版局刊)

 昔、天上の神さまたちは庭のヤナギの木の下で毎日楽しく暮らしていた。ところがある日、いじわるな風の神がヤナギの葉をふきとばしてしまった。女神はかわいそうなヤナギを見て助けてほしいと魚の神にたのんだ。
「ヤナギの葉を魚に変えて地上の川に放しましょう」魚の神が祈るとヤナギの葉はシシャモになった。シシャモは秋になるとふるさとを懐かしんで川上に上ってくるということです。

 ヤナギの仲間は花瓶に入れておくと発根するので挿し木でふやせるくらい繁殖力が旺盛なのだが、あまりに葉を茂らせてしまい、自らの重みに耐えかねて枝から折れてしまうことがあるという。この身の程知らずから「バカヤナギ」とも呼ばれているのだそうだ。
 春の芽吹きのころの柳はとてもうつくしい。
 
 やはらかに柳あおめる北上の
    岸辺目にみゆ泣けとごとくに


 という石川啄木の歌を思い出した。北上河原には確かに柳が多かった。
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「た・か・く・ら」嘉門達夫著に笑って泣いて!

 「た・か・く・ら(嘉門達夫著 扶桑社刊)を読みました。5月だったか、NHKFM「トーキングウィズ松尾堂」で紹介されていて読んでみたくなったので、図書館で予約したら14人待ちでした。それがやっと手には入って読んだら、お予想どおりおもしろかったです。

 扶桑社のホームページにでていた「あらすじ」です。

 春めいて来たある朝、突然、幼なじみの高倉から電話があった。「オレ、肺がんであと三ヵ月って医者に言われてん。それにしても四十七やで。ちょっと早すぎると思わへんか?」 すべての物事を判断する基準が「オモロい」か「オモロない」かだった高倉。 とにかくコイツが死ぬまで、オモロくせんとイカンと思った僕は「おえ!高倉、葬式の最後に死んだ本人がビデオで挨拶するってオモロいと思わへんか?」と言うと「おお、オモロいがな!そんなんやってくれんの?やろう! やろう!」と言う事になり・・・・・・。子供の頃の一大イベント「大阪万博」の想い出とともに綴られる、可笑しくも切ない友情物語。


 ガンの宣告を受けて、人が死にゆく過程をこんなにオモロク語った本はないと思います。そして友人たちのバカ騒ぎに囲まれてこんなに幸福に死を迎えられることもないのではないかとも思うのです。
 そういう意味で画期的でちょっとショッキングでした。これが友情というものなのでしょうか。持つべきものはやはり友だちなのでしょうね。

 それはそうと次の予約が5人も入っているので、すぐに図書館に返さなくては。
 こんなに予約が入っている本が横浜市立図書館全部ににたった2冊しかないというのは問題のような気もするけれど……………。
 
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2008年09月29日

GOOD NEWS −THE SUIT COMPANY

 ここのところ、通勤をしなくなって電車に乗ることも少なくなった。通勤の時に発見する Good News が入手できなくなったということである。


TSC 先日久しぶりに山手線に乗ったら、その車両全部の広告が GOOD NEWS でイッパイだった。中吊り広告から天井ヨコの広告、それからドアの上のビデオまで全部 GOOD NEWS なのである。
 何だかよくわからない広告である。いったい何が GOOD NEWS なのか?
 よく見たら広告主は THE SUIT COMPANY とある。テレビのニュースキャスターがモデルらしい。広告している商品はスーツというわけである。

私たちのスーツは新しいニュースでつくられています。

 ご安心ください。私たちのスーツは景気に左右されるということはございません。

 最新の技術と素材を駆使し、次のスタンダードをお届けします。

 ビジネスマンが知っていて得するのは、政治の裏事情より、スーツの裏地事情かもしれません。

 ただいま衛星にトラブルが発生しました。
 しばらくの間、わたしたちのスタイリングを
 ご覧になってお待ちください。

 「スーツ萌え」する女性が現在急増しております。

 明日は全国的に綿100%ストレッチシャツにより、たいへん過ごしやすい一日となりそうです。

 あなたの理想のスーツは
 THE SUIT COMPANY の店頭に並んでいるかもしれません。



 こんな広告文が目についた。
 家に帰って検索してみたら、ここにその写真があった。

 まあ、このスーツが Good News ということをいいたいのだろうが、どこがいったい Good News なのかよくわからない広告であった。
posted by mrgoodnews at 22:04| Comment(0) | 町・風景・自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プノンペンの子どもたちの昼休み


SS2 プノンペンの Pour un Surire d'Enfants (For a Smile of Children)というハイスクールを訪れたときはちょうど昼休みで、わたしたちも子どもたちと同じ食堂で昼食をとりました。
 
 私はそこの中学生に「逆立ちごま」をプレゼントしたりしました。

 そこの昼休みの子どもたちの遊び風景を写真に納めたので紹介します。


SS3これは日本の相撲のような感じでした。上半身裸の男の子たちが3〜4人のチームになってとっくみあいをしている遊びでした。




SS1 これは女の子のゴム飛びです。自分の背丈よりも高いゴムに挑戦していました。子ども時代に私も見たことがあるけれどこんな高いのに挑戦しているのは驚きでした。




SS4 これは手をつないでする鬼ごっこみたいな遊びでした。みんなはだしです。


 みんな元気で明るい子どもたちでした。学校の名前のように笑顔のステキな子どもたちが多かった。
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プノンペン土産はキャッツアイ・グラス


Market 市内観光の時に、プノンペンのロシアン・マーケットにいった。そこは小さな店が建ち並ぶちょうどアメ横みたいな感じのまさに市場という感じである。中にはいると迷路みたいで迷ってしまいそうになる。
 1980年代にロシア人観光客が多く訪れたので、その名があるという。

 そこに行ってみなはおみやげ探しに夢中になった。仏像などの工芸品や衣類などを売っている店が多かった。


Catseye2 わたしはそのなかでキャッツアイがたくさん並んだお店があったので、そこで土産を買うことにして、交渉した。直径4センチの球が10ドルだという。一緒に行ったカンボジアの若い人に交渉してもらったら、8ドルまでさがったので、いろいろな色のものを5つ買った。日本でも観光地のジュエリーを売っているところでこの大きさのものは1500円くらいで売っている。
 この石はどこでつくられたのかと聞くと「わからない、たぶんタイではないか」と応えていた。


Catseye1 実はプノンペン空港にも売っていた。これはブレスレットになっていたもので、これも8ドルだった。ここでもこれはどこでつくられたのかと聞いてもわからないといわれた。

 私はこれは天然石を磨いてつくってつくったものだと思っていたのだが、日本に帰って調べてみるとこれはガラスの加工品であるようだ。

 このキャッツアイ・ガラスはよく見ると光の加減でたてに白い筋が表れる。これがねこの目のように見えるのでこの名が付いたのだという。
 このような光りの現象をキャッツアイ効果(シャトヤンシー効果)というのだそうだ。「宝石内部に存在する平行に発達した繊維状結晶または管状包有物等からの光の反射によって生じる猫の目のような光彩効果」と書いてある。
 よくシャンプーのCMなどで髪の毛に白い筋状の光りが表れるのがこのシャトヤンシー効果であるらしい。

 このキャッツアイ効果を持つ鉱物に、クリソベリル、トルマリン、アパタイト、オパール、ウレキサイト、などがあり、タイガーアイという名の付いたものもある。天然石のものはこういうふうに安くはないようである。

 カンボジアのほかの若い人に聞いたら、それは4ドルくらいで買うことができるよといわれた。

 カンボジアのお金は1ドルが4000リエルになる。高額のものはほとんどドルで払い、おつりとしてリエル紙幣が戻ってくるのが普通なのだそうである。コインはまったく見なかった。
 それからホテルにあったタバコはなんと日本のマイルドセブンであった。空港などでも売られていたのもマイルドセブンが多かったのには驚いた。しかしカンボジア人でタバコを吸っている人はほとんど見かけなかった。


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2008年09月28日

心やさしい小学生の姪の疑問に丁寧に応えてくれた大学の先生の話

 札幌から上京して母の顔を見に来た義妹が妻に話したことです。そのとき私は用があっていなかったのであとで妻からききました。それはいい話だと思ってここに紹介します。

 公園に小さなプラスティックの玉がたくさん落ちていました。たぶん子どもが使うおもちゃの鉄砲の弾なのでしょう。小学生だった彼女はそれを拾い集めて、これを鳥があやまって食べてしまうのではないかと心配しておかあさん(つまり義妹)に相談しました。
 おかあさんはそのことを当時大学生だった長男に話したら、長男は自分の通っている大学の先生に相談に行ったらいいとすすめたのですね。
 そこで、集めたそのプラスティックの玉をもって大学の先生の所にお母さんと一緒に相談に行きました。その大学の先生はとても丁寧に姪の持っていった質問に応えてくれたのです。
「赤い玉だと鳥が間違えて食べてしまう可能性があるのだけれど、黄色の玉は食べられる可能性は少ないんだ。だから鳥の愛好家たちは赤い玉をつくらないでほしいとおもちゃのメーカーに頼み込んでいるんだよ。」
 めいっ子はその話がとても嬉しかったのでしょう。彼女はあれから数年後に兄の通っていた大学に入学したのです。
 その大学の名は酪農学園という札幌郊外の大学でした。

 小学生の姪が持った疑問を解決するために、大学の先生を紹介した兄と大学まで連れて行ったお母さんもなかなかえらいなと思うし、何よりもそのプラスティックの玉を見て鳥があやまって食べてしまうのではないかと心配した姪の心やさしさに感動しました。それにその小学生の疑問にわかりやすく丁寧に教えてくれた大学の先生もなかなかのものですね。
 今度札幌に行ったら、その酪農学園大学を訪ねてみたいと思っています。

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2008年09月26日

子どもたちの「ミサごっこ」の思い出

 あれはいつのことだったか?
 たぶん1984年頃のことかと思う。

 伊豆半島のまん中あたり、中伊豆荘でCLC(Christian Life Community)の全国大会が開かれた。
 参加者は50人くらいだったか。このときは大人の大会とともに子どもたち(C・CLCと呼んでいた)のコースも設けられ、子ども向けのプログラムが用意されていた。

 ハイライトはミサであった。大人のためのミサのよこで子どもたちが司式する「ミサごっこ」が併行して行われたのである。
 そのときの司式は、京都教区のいまはなきS神父さんだった。子どもたちは隣で行われているホンモノのミサを横目に見ながら、そのまねをして「ミサごっこ」を行っていた。女の子も男の子もみな「司祭役」をやっている。パンとブドウ酒のかわりにビスケットとジュースが用意されていた。
 司祭が唱えている言葉を子どもたちも声を合わせてとなえていた。
 大人たちもホンモノの聖体拝領をしたあとに子どもたちの「ミサごっこ」からビスケットとジュースを「拝領」した。

 子どもたちは喜々として「ミサごっこ」を楽しんでいた。

 私にとっては生涯忘れることのできない「思い出のミサ」となっている。
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2008年09月24日

いよさんとカラムーチョ

 私の母のいよさんは89歳です。5分前のことを忘れてしまう「物忘れ名人」です。

 ときどき、このいよさんの記憶領域を活性化するためにちょっといじわるかもしれない「実験」をします。前に書いたのはいよさんの大好物の「すあま」でした。

 何せお菓子が好きなので、目の前にお菓子があるとすぐに手を出して食べてしまいます。お菓子がないとときどき冷蔵庫にしまってある砂糖を出してなめていたりすることもあります。
「いよさん、またおさとうをなめましたね。まったくありみたいなんだから」
というと
「私は知りません。なんで砂糖ツボが出ているのかしら」
といいます。
 別に嘘を付いていたりしらばっくれているわけではないのです。ただ忘れてしまっているだけです。

 ある日カラムーチョを買っておいていよさんの目の前においておきました。ピリ辛いポテトチップスです。
 しばらくしていってみると、案の定封が切られていて中味を食べたようです。
「なんか口の中がぴりぴりするよ。いったいなにをたべたのかね」
といいます。目の前の袋が開いているのを見ると
「ああ、これをたべたのかな」
といってまた食べてみるのです。
そしてまたしばらくすると
「なんか口の中がぴりぴりするよ。いったいなにをたべたのかね。」
といってまた同じことを繰り返します。
 べつにピリ辛いものが特別好きというわけでもないのですが、結局その袋もいつのまにか空になっています。

 とってもかわいいおばあちゃんなのです。

 
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2008年09月23日

あとのものが先になる………「ぶどう園の労働者」の話

 21日の日曜日のミサの朗読聖書は「ぶどう園の労働者」の話(マタイ20章1〜16節)だった。

 このたとえ話は「神の国とはこういうところだ」と説明されたイエスのたとえ話である。
 いちおう全文を引用してみよう。聖書にはこんな話が載っているという、もっともイエスらしい「たとえ話」であると思う。

 天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。それで、受け取ると、主人に不平を言った。『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。


 さてこのたとえ話を読んでどのように感じられただろうか?
 「朝から働いた労働者と夕方から働きだした労働者との賃金が同じだなんて、なんて不公平な話なんだ」と思われたに違いない。普通はそう思うものである。
 この話は「放蕩息子」の話とともに、イエスの教えのなかでもっとも逆説的なそしてもっとも理解しにくい所かもしれない。だからこそ、ここにイエスの教えの真髄が表れる。

 このたとえ話ほど、これを読んでいる読者の視点が問題となるところはないのではないかと思う。
 私たちは知らず知らずのうちに、ある立場,ある視点からこの話を読んでいる。このたとえ話では私たちの視点はたぶん朝から働きだした労働者の視点に立つであろう。だから夕方から働きだした労働者に同じ賃金が与えられたことに不公平だと思う。
 もしこのたとえ話を、夕方から働いた労働者の視点に立って読んでみたら、何を感じるだろうか? 
 今日も仕事からあぶれてしまった。家で待っている家族や子どもたちのために食べものも満足に買ってやれないと途方に暮れていたはずである。そこにぶどう園で働きなさいと言われ、そして一日分の賃金が支払われた。そのときの安堵の気持ちはいかばかりであったのか。
 この話を釜が崎の労働者とともに読むとかれらは「イエスさんはオレたちのことをよくわかってくれる」と涙を流さんばかりに喜んだという話を聞いたことがある。

 中学3年の生徒とともに「放蕩息子」の話(ルカ15章11〜32節)を読んだことがある。その話を読んだあとに生徒たちに「この話の中の登場人物のひとりになって、その日の日記を書いてごらん」という課題を出した。
 すると3分の2近い生徒が「兄の日記」を書く。
「じゃあ、今度は弟の日記を書いてみて。もし書きにくかったら父親の日記でもいい。それも書けなかったら、召使いの日記でもいいよ」
 つまり、ここでも「視点」の違いによって感じ方がこのように違ってくるということが如実に表れる。
 前に視覚障害を持った教育実習生の「よきサマリア人」の聖書の授業を紹介したことがある。あれもこの「視点」の違いによる読み方の違いがよくあらわれていた。

 私たちは知らず知らずのうちに「ある視点」にたってこの話を読むものである。その話の登場人物の誰かに自分の視点を同一化してみるか、あるいは傍観者的に見るであろう。自分の感じ方も、そのちらず知らずのうちにその「視点」によって異なってくるのである。
 あえて「視点」を変えて読んでみて初めてその話の言わんとすることがわかってくる、聖書にはこういう話がけっこう多いのである。

 ところで。「ぶどう園の労働者」の話の最後の「遅く来たものが先になり………」という例を考えてみてほしい。こういう例はけっこう見つかるものである。

 たとえば、日曜日の教会の席は後ろの方から埋まってていく。ミサに遅れてきた人は前の方の列しかあいていないということが多い。

 コンピューターの世界にはじつは「あとのものが先になる」という例はけっこう多い。古いコンピューターを使っている人が苦労してできたことを最新のコンピューターはいとも簡単にやってのけることも多い。これなんかその最たる例であろう。

 教会ではこんな例がよく挙げられる。生まれてすぐに洗礼を受けたものも、死ぬ直前に臨終洗礼を受けたものも、神さまの前では平等であるということになぞらえる。むしろ臨終洗礼の方が洗礼によって罪が清められているから天国に早く行けるのである。こういうのを教会では「天国どろぼう」などとあしざまに言う人もいる。
 
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プノンペン訪問記

 飛行機でプノンペンについて、まず最初に印象的だったのは、町にはオートバイがあふれていて、運転手はヘルメットもかぶらず、2人乗り、3人乗りは普通で、中には4人が乗っているのもありました。
 町は若者ばかりで、中年以上の人を見かけるのが少なかったのです。この国のこの町の過去が重くのしかかっているという感じでした。とにかくとても若い人たちの国でした。

 会議の間に、SIGNIS Cambodia の人に案内されて、市内の二つの施設を訪問しました。これが強烈な体験でした。

 なんといってももっとも強烈だったのは、プノンペンの Toul Sleng Genocide Musiem (S-21) という虐殺記念館を訪れたことでした。ここはもとは学校でしたが、1975年にPoi Pot 率いるクメール・ルージュによって、自分たちに従わない人びとの収容所となったところです。ここで虐殺された人びとの写真とともに、その独房や拷問の道具などが展示されていました。アウシュビッツの強制収容所を思い起こさせます。ここだけでなく、カンボジア全土にわたって「Killing Fields」となった歴史が刻まれていました。

 もうひとつ訪れたところがありました。それは「Pour un Surire d'Enfant(For a Smile of Children)」という学校です。ここは興廃したカンボジアの貧しい子どもたちのための学校でした。フランス人の夫婦が1996年に、ゴミの山で働く少年たち、孤児、家庭内暴力にあった子どもたちを集めてはじめた学校です。なんと4500人もの子どもたちがここで普通教育や職業教育を受けていました。学校の中を案内され、そしてここの子どもたちについてのビデオをみたあとに、食堂で生徒たちと一緒に昼食をしました。
 なかに日本語で話しかけてきた少女がいました。「私は今日本語を勉強しています。いつか日本に行きたいです。」とたどたどしく話しかけてきたのに感心をしました。彼女彼らは、台湾や香港、マカオなどの中国系や韓国の人もいる中で日本人を見分けることができるのですね。
 でもここで学ぶ子どもたちの表情は明るく、屈託のない笑顔がとてもステキでした。この国の過去には絶望的な悲惨さを見るのですが、未来には明るい希望を見出すことができます。

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2008年09月21日

プノンペンから帰りました。

 昨日20日の朝、無事日本に帰ってきました。
 予定していた到着時刻がちょうど台風の上陸と重なるということで心配しましたが、結局2時間半遅れで飛行機はバンコクを出発し、成田に朝8時45分に到着しました。

 SIGNIS Asia のアジア会議に参加してきました。SIGNIS とは前に紹介しましたが、カトリックメディア協議会という名前の会で、ローマ教皇庁に認められた国際組織です。
 今回はアジアの14カ国からの参加がありました。東から日本、韓国、台湾、香港、マカオ、フィリピン、ベトナム、カンボジア、タイ、マレーシア、インドネシア、ミャンマー、インド、スリランカの参加でした。バングラディシュ、シンガポール、パキスタンは欠席でした。
 今回でベトナムの参加が認められ、初参加でした。

 参加者の多くは、会議のあとアンコールワットへのツアーにいきましたが、私は20日に予定があり、このツアーには参加できませんでした。残念です。

 私は過去4回ほど、海外旅行に行ったことがありますが、そのうち3回はキリスト教関係の国際会議への参加でした。他の1度はフィリピンへの Exposure (体験旅行)でした。今回で5度目となります。

 1976年 マニラでのCLC世界大会
 1976年 ローマでのCLC世界大会
 1983年 香港でのアジア信徒会議
 1990年 カトリック研修センター主催の青年対象アジア体験旅行

 今回も含めて5回のうち4回はアジアへの旅行だったというわけです。
 国際会議なので英語で話さなければならず、大変でした。英語力はどんどん落ちて行った感じですが、下手な英語でも話しかける度胸は今回がいちばんだったかもしれません。

 少しずつこの体験で得た Good News を紹介していこうと思います。

 
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2008年09月19日

News from PHENOM PENH

Now Iam in PHENOM PENH in Cambodia.
The SIGNIS Asia Congress emded yestereday.
Tomorrow I will go back to TOKYO.

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2008年09月15日

カンボジア・プノンペンで開かれる SIGNIS Asia に行ってきます。

 9月15日から20日まで、SIGNIS(カトリックメディア協議会)の Asia 会議のためにカンボジアのプノンペンに行ってきます。

 SIGNIS はカトリック教会のメディアにたずさわる人びとの国際組織です。SIGNIS Asia はそのアジア会議で、毎年1回開催されます。
 昨年は東京でアジア会議を開催しました。
 今年はカンボジアのプノンペンで開かれ、アジアの14カ国の代表が参加します。
 来年は世界会議がタイで開かれると予定です。

 テーマは
"Children in Asia and the Media:the Challenge...the Future"
というものです。

 アジアカトリック映画賞を設置しようとか、「インターネットと子どもたち」とかいうあたりが討議のテーマになるだろうと思います。
 日本から3人が参加します。

 私の英語でこのテーマについて、どこまで参加できるかどうか、ちょっと不安ですが、なんとかなるでしょう。

 ですので、このブログはちょっとおやすみになるでしょう。
 うまくいけばプノンペンから、更新できるかもしれませんが、ちょっと期待薄でしょうか。

 

 
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2008年09月11日

カラスウリの不思議

 カラスウリという植物は実に不思議な植物です。
 この花については前に紹介しました。
 花の神秘もさりながら、この植物の増え方がちょっと変わっています。実の中の種を埋めても増えないことはないのですが、この種から育った草は翌年には花をつけないのです。

カラスウリ3 種からよりも、実はこの草は蔓から増えていく方が翌年も花や実をつけます。カラスウリの蔓が垂れ下がっているのをよく見ることができますが、その垂れ下がった蔓が土に到達するとその部分から根を生やし、それがイモ状になってここから発根し、ここから伸びた草は翌年に花や実をつけます。
 実はオリヅルランやノアサガオやユキノシタもこういう繁殖のしかたをします。蔓性の多年生草はみなこういう性質を持っているのでしょうか? クズはこういう性質を持っていないかもしれません。

 カラスウリの種は、結び文のような形をしていると前に書きましたが、人によってはカマキリの顔に見えるし、また大黒さまの持っている「打ち出の小づち」のような形だという人もいます。ある地方ではそのためにカラスウリの種を財布に入れておくとお金が増えるという言い伝えがあります。

 カラスウリはなぜ「カラス」なのでしょうか?
 牧野富太郎は「秋遅く赤い実が残るのをカラスが残したものだろうとみたてたもの」と言っています。
 植物の名前には、カラスムギ、カラスノエンドウ、カラスザンショウ、カラスノゴマなど「カラス」の名の付いた名前がたくさんあります。これらの植物はムギ、エンドウ、サンショウなどと違って食用にはならず「役に立たない、やっかいもの」という意味がこめられているのです。
 カラスウリの実がにがくて食用にならず、ほかの草に覆い被さったり、木にからまったりして「やっかいもの」だからこんな名が付いたと思われます。
 「カラス」のほかに「イヌ」にもこのような名前の特徴があります。イヌブナ。イヌグス、イヌビワ、イヌガシ、イヌガヤ、イヌマキ、イヌザンショウなどこれもおなじように「役立たず」という意味が込められていました。
 でもこういう名前の植物がかわいそうですね。人間の勝手でこう決めつけられてしまうのは。

 カラスウリの実は赤くなるとにがくなって食べられないのですが、若くて青い実は塩漬けや粕漬けにすると食べられるといいます。
 また、カラスウリの仲間の木カラスウリの根からは、「天瓜粉」になる白い粉をとりだします。これはあせも防止のために刷毛でぽんぽんとそっとたたきながらつけてもらったものです。

 どうですか? 
 カラスウリの魅力をわかってもらえたら幸いです。
posted by mrgoodnews at 23:44| Comment(0) | 植物・鳥・小動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西経一著「君たちへ」にこんなスゴイ話がありました。

 この9月5、6日と名古屋の南山大学で開かれた「カトリック教育学会大会」に出かけてきました。
 その大会の基調講演は南山中学・高等学校の校長の西経一神父でした。彼は神言会という修道会の司祭です。この彼の基調講演はなかなかみごとなものでした。
「目に見えるものの奥に目には見えないものがある。その目に見えないものを見ることができるようにするのがほんとうの『宗教教育』である」一言で言えばこれが彼のいいたかったことのようです。
 彼は、東京の晴佐久神父とならんでもっとも「説教」のうまい神父だろうと私は思います。

 その西神父の書かれた本「君たちへ」を読みました。この本は西神父が学校の生徒たちに向かって行った「説教」を集めたものです。
 ここにこんな話が載っていました。この話がまたスゴイのです。

 藤沢にある聖園女学院という学校の隣に、「聖園子どもの家」という児童養護施設があって、そこにはいろんな事情で両親と離れて暮らさなければならない子どもたちが生活しています。
 そこを訪ねていったところ、前の庭で少年が一人ボール遊びをしていました。
「こんにちは」
そう言って、その少年はきちんと頭を下げて挨拶をしてくれました。そしてすぐに言葉を続けたのです。
「だれのお父さんなの」
 瞬時に、その少年の瞳の奥に広がるかなしみが深々とわたしの心にしみこんできました。そのかなしみが胸を突き、口をついて。思わぬ返事が飛び出したのでした。
「君のお父さんさ」
 少年は両手で持っていたサッカーボールを脇にほおると、両手を出して私の手をぎゅっと握りました。小さなてのひらでした。ほんとうに小さな手のひらでした。
 ………(中略)……
 その少年は私から手を離すと言いました。
「おじさん、いきなりきてそんなこと言っていると変なおじさんだって思われるよ。」
 そしてフフフンとやわらかい笑顔を浮かべて、先ほどほおったボールの方に走っていきました。かなしみをやわらかく包み込んだ、そのあどけない笑顔で今もって忘れることができません。
 もうまもなく4月を迎えるにしては、すこしばかり冷たい、しかしさわやかな風が聖園の丘をながれていました。

 どうですか? スゴイでしょう。

「だれのお父さんなの?」という問いに、この子のお父さんはいないか、この施設を訪れたことがないのだなということを瞬時に読みとり、「君のお父さんさ」と切り返すこのセンスは並大抵ではないなと思います。
 この子はきっとそのあとにシスターや友だちの前で、「今日お父さんが来たんだ」とうれしそうに言いふらすに違いないでしょう。そこまではっきりと想像することができます。

 彼の「説教」のネタはこういうところから生まれてくる、つまりどこかで聞いたり呼んだりした話ではなく、彼自身がつくりだした「説教ネタ」なのですね。ここが彼の説教の魅力なのでしょう。
posted by mrgoodnews at 00:07| Comment(6) | 全国教会めぐり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月09日

いよさんと「すあま」

 私の母のいよさん(89歳)はお菓子が大好きです。だからひとりでいるときに目の前にお菓子があるとみんな食べてしまいます。お菓子に目のないくいしんぼうなのです。
 そういういよさんの習性を利用して、ときどき「ちょっといじわるな実験」をします。

 いよさんの大好物は「すあま」です。あの外側がピンク色で内側がしろいかまぼこ状のちょっと甘いおもちのようなお菓子です。3つ入りの「すあま」をいよさんの目の前においておいて、
「これはひとつはいよさん、一つはきよこさん(妻)、あとのひとつはわたしのものだけど、あとで3人揃ってからお茶を入れて食べようね。それまではおあづけですからね。」
 というといよさんは
「わたしゃイヌかね。おあづけくらいはできますよーだ」というのですが、5分くらいたっていくと、一つ減っているのです。
「あ、いよさん、一つ食べちゃったね」
「だって私の好物なんですもの。あまりにおいしそうだから、我慢できずに食べちゃった」
「まあ、ひとつはいよさんものだからいいとして、あとの二つは私たちのものだから食べないでいてね」
 といって、また10分後に来ると、3つともキレイになくなっています。
「あ、いよさんぜんぶ食べちゃったんだ。これは清子さんと私の分だと言ったのに」
「え、だれが食べたんでしょう。私は食べないよ」
「そうかい、じゃあだれが食べたんでしょうかね? きっと頭の白い大きなネズミが来て食べたんでしょうね」
とこんなやりとりがいつも決まって繰り返されます。あめ玉とかおせんべいならば、包んでいた袋が近くのゴミ箱から出てきて、それをとりだして
「これはだれが食べたんですか?」
というといよさんは自分が食べたことを認めて
「あ〜、私が食べたんだ」
とあたまをかかえこんでしまうのですが、「すあま」だとそういう証拠を突きつけるわけにはいかないので、それ以上追求しないことにしています。

 いよさんは別に嘘を付いたり、しらばっくれたりしているのではなく、自分が食べたということをすぐに忘れてしまうのです。なにせ「物忘れ名人」なのですから。いよさんの大好物を目の前においておくほうが悪いのです。
 もしそれ以上追求すると、例のセリフがくりかえされてしまいます。
「こんなに頭が悪くなってしまって、こんなじゃ生きていてもしょうがない。死にたいよ」
というセリフです。
 いよさんにそういうセリフを言われる前に、
「すあまおいしかったでしょう。死んじゃったらこんなにおいしいものを食べられなくなってしまうんだから。生きている間においしいものをせいぜい食べなくちゃね。また買ってくるから楽しみにしていてね」
と先にいうことにしています。
「そうだね。死んじゃったらすあまをたべられなくなっちまうもんね。ありがとう。また買ってきてね」

 とまあ、こんなやりとりがほとんど毎日のようにつづけられます。いよさんを試すちょっといじわるな「実験」をしていることにはなりますが、これもいよさんの脳の記憶領域を活性化させようとする刺激なのですね。
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「教え子」という言葉と「先生は」という言葉

 8月24日の毎日新聞の投書欄に「『教え子』に変わる言葉を知りたい」という「無職 59蔡」というかたのものがありました。

 この言葉はよく学校の教員間の言葉にも出てくるのですが、私にとっては使いたくない言葉の一つです。なぜなら「嫌み・尊大・高慢な感じ」を受けるからです。


 私もこの言葉はたしかに「使いたくない言葉」です。私の教えた生徒の中には、有名なオリンピックのフィギアスケートの選手になった生徒もいましたが、彼女は「教え子」などと呼ぶのはおそれおおくてできません。もちろん彼女が卒業生であることは「誇り」ではありますが……………。

 そうしたら、9月7日の投書欄に、「教え子」投書に呼応して「『先生は』と私は一人称で言わず」という「ナチュラリスト 70歳」氏の投書がありました。

 私は長年、小中学校に勤務してきましたが、子どもたちには「先生は」と一人称で言わないことを貫きました。
 英語では先生は「一緒に勉強した○○さんです」と紹介するのが常と聞いています。
 教員は長い人で38年勤務をします。その38年をどのように生きるかが、「教え子」と「先生は」に表れると考えます。

 
 これには私も大賛成です。教員には生徒の前で自分のことを「先生」と読んでいる人が多いことも確かです。私もこの言葉はけっして使いません。
 だいたい私は生徒の前でも同僚を「○○先生」といわずに「○○さん」と言うように勤めてきました。でもこれはなかなか難しかったです。
 学校でないところたとえば教会などで、私のことを先生呼ばわりする人には「わたしはあなたを教えた覚えはない」と言って答えないことにしています。
 生徒から呼ばれるのもあまり好きではなかったのですが、これはしょうがないかと思っていました。

 群馬などで立派な仕事をされた斎藤喜博先生は「私を斎藤さんと呼んでください」と「未来誕生」のなかで述べています。


 とその投書は結んでいました。さすが斎藤喜博さんですね。
 

 
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2008年09月04日

教育に「ななめの力」を 藤原和博氏の提案

 8月31日の朝日新聞の全面広告に、杉並区和田中学校の前校長の藤原和博氏の記事が載っていました。

 私は、この人がやった「塾の力を借りた夜の補習」という試みはどうも賛成できないのですが、「地域の力を学校に結集」とか「よのなか科の学習」という主張には大いに賛成するものです。
 文中にこんなことが言われていました。

 先生と生徒、親と子の「タテの関係」や子ども同士の「ヨコの関係」とは違う、近所のお兄さん、お姉さん、おじちゃん、おばちゃん、おじいさん、おばあちゃんとの「ナナメの関係」。建物も柱と梁だけではなく、ナナメ方向の木材を入れることで強くなる、それと一緒です。


 まったくその通りだと思います。学校はこの力を教育に生かせなかった。特に地域と結びつきの弱い私立は、これがまったくできないのですね。
 この力をどう生かしたらいいのか「よのなか科」はそれを生かすにふさわしい場だと思います。

 私がこれからしようとしている「森林インストラクター」も「おもしろ科学体験塾インストラクター」もまさにそのような「ナナメの関係」を学校現場に構築することなんだと思いました。



 
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2008年09月02日

「なるほど」の町下田

 法事で親戚一同が集まったときに、元下田郷土資料館館長さんを勤められたかたがこんな話を紹介してくださった。

 私は下田を「なるほどの町」にしたいと提唱している。
 ハリスが下田に総領事館を開いたときに、ハリスに随行していた若いアメリカ人がいた。かれはしたっぱであったがゆえに、正式の外交交渉の場には出られなかったが、外からその外交交渉をのぞき見ていた。この日本という国を理解しようと彼も必死であったのだ。
 それを知ったある下田のおばあさんが、この青年を粗末な自宅に招いて食事をご馳走するようにした。言葉は通じなかったが、身振り手振りでお互いに一生懸命にコミュニケーションを図ったのである。
 青年が身振り手振りで説明するアメリカのことを、そのおばあさんは「なるほど、なるほど」と熱心に聞いてくれたのがうれしかった。
 この青年は徐々に日本語を覚えていくのであるが、彼が一番最初に知った言葉がこの「なるほど」という言葉だったのである。
 下田市民の国際理解への熱心さが今の下田を築いているというわけで下田を「なるほどの町」としたいというわけである。


 この話を「なるほど、なるほど」と聞いていたわけであるが、この言葉は確かに日本語の特徴をよく表すいい言葉であると私も思うようになった。
 下田を「なるほどの町」にしようという提案はなかなか Good News にはちがいない。相手の話をよく聞き、より深く理解しようという意欲と、そして相手の言うことに感動し敬意を表明する態度とは国際理解の基本であると思うからである。
 この町にはほかにも「なるほど」がたくさん埋もれているに違いない。
 新渡戸稲造が唐人お吉の生き方に触れ、この女性こそ「大和撫子」の代表だと述べたこととどこか共通しているようにも思えた。
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仏さまが呼び集めてくださった「法事」から


法事 8月30日に伊豆の下田で叔母の1周忌の法事があり、親戚の一同が集まった。

 この法事は叔母の1周忌とともに、祖母の33回忌、祖父の60回忌、曾祖父の50回忌を「同会」して一緒に供養をすることになっていた。

 法事を司った和尚様がこんなことを話してくださった。

 おばさまをはじめ、亡くなったホトケさまたちが、なかなか集まれなくなった親戚一同を呼び集めたのだから、このときを大切にするように。
 この地方では、1周忌を「小祥忌」33回忌を「阿円忌」50回忌を「清浄本然忌」と呼んでいる。どうしてその名が付いたのかはよくわからない。

 そういうわけで、なき叔母や祖母や祖父、曾祖父の思い出話に話が弾んだ。それは同時に自分たちの子どものときのなつかしき思い出を語ることでもあったのだ。
 これもホトケさまの「功徳」であったのだろう。
posted by mrgoodnews at 13:49| Comment(0) | 土屋家、青地家の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする