2008年10月29日

「日本語教師養成講座」受講中です。

「森林インストラクター」の試験は残念ながら不合格でした。4科目のうちの2科目を落としてしまいました。また来年の試験に挑戦します。
「おもしろ科学体験塾インストラクター」は一応「養成中」の身に一区切りついて新しく出発です。

 9月にプノンペンのハイスクールを訪れたときに、ある少女から日本語で話しかけられたということを紹介しました。あれから日本語を教えられるようになれたらと思い立ち、10月から始まる教室を見つけて通い出しました。これがなかなかおもしろいのです。
 しかしなんとまあ、気の多いことだと我ながらあきれているのですが……………。

 先日の「日本語教師養成講座」ではこんなことを学びました。テーマは「日本語を客観的に見る」です。

 まず問いかけがなされた。
「『これはなんですか?』と聞くのと『これはなんでしょうか?』と聞くのとではどういう違いがありますか? グループで話し合いなさい」

というのである。
「日本語はあいまいな表現が多いから、ほとんど同じと答えたほうがいい」とか、「前者の方が丁寧なだけだ」とかいうことがあげられた。
 すると講師がこういうふうにいう。
「日本人はこの2つの表現をはっきりと使い分けているのです。でもそれを説明せよというとなかなかできない。『丁寧』とか『婉曲』とかいう言葉で簡単に片づけてはいけません。日本語を教えるためにはこのように客観的に日本語を見ることができなくてはならないのです。生徒から必ずそういう質問が出てくるし、それにあいまいに答えるわけにはいかないのです。」
 講師によると「『これはなんですか?』という表現は相手がその答を知っているだろう時に使います。『これはなんでしょうか?』というのは相手も自分も知らない時に使います。」
 そういわれてみると確かにそうだ。確かに私たちはこの2つの表現を使い分けている。

 次の質問は
「ある読み物に『○○は横浜に生まれた』という文があったが、『○○は横浜で生まれた』のまちがいじゃないのか」

というのであった。
 またグループで話し合った。講師はいう「こちらはかなり上級ですね。こちらの方が難しい」と。
「『横浜に生まれた』というのは今も横浜に住んでいるのであり、『横浜で生まれた』というのは今は横浜に住んでいない」というもっともらしい答を私は発表したが、講師に「ほんとうですか?」と改めて聞かれると「確かにそうでないこともある」と気づいてしまう。
「これはこういうふうな例を出して説明したらわかりやすいでしょう。『私は医者の家に生まれた』と『私は医者の家で生まれた』この二つはどう違いますか?」
「なるほど、前者は親が医者をしているのですね。でも後者は必ずしもそうではない。たまたま出産したところが医院だったということもある」と納得した。
 つまり「横浜に」というのは、横浜が持っている特別な背景(ハイカラだとかエキゾチックだとか)が含まれるのである。「横浜で」は単に場所を述べているにすぎない
 「医者の家に生まれた」というのは、その背景として金持ちの家という意味や代々医者の家系であるという意味を含むのである。
 このように、似ている別な表現を出して考えるとわかりやすいこともある。だから生徒から聞かれたら、そういういい実例や悪い実例をすぐに思い浮かべられることが大事で、日本語教師になるためには必須なのであるという。そのためには日本語を客観的に見られる訓練をしなければならない。

 次の質問である。これもかなり難問である。
 A:田中さん、映画はお好きですか?
 B:ええ、好きですよ。
 C:映画のチケットが2枚あります。いっしょに……。」

 学習者の質問は「A:田中さん、映画がお好きですか?でもいいですか?」

 たしかに、こういうケースに「映画がお好きですか?」とはいわない。なぜだろうか?
 日本語の助詞の使い方は確かに難しい。とくに『が』と『は』の使い分けは。
 講師は「『が」と『は』は一般的にはその違いは説明できない。『映画が好き』『映画は好き』というこの事例のようにできるだけ具体的な表現でないといけない。」ともいわれた。
 答は、前者が「好きかどうかわからない」のであり、後者は「好きなようだという情報が得られている」場合に使う。

 その他にもこういう質問があった、
「大雨のために高速道路は通行止めになった」と「大雨で通行止めになった」は同じですか?

「財布をどこかに落としてしまいました。」「財布がどこかにおちてしまいました」これは他動詞、自動詞の区別ですね。

 確かに日本語を客観的にみることができるようになるためには訓練が必要なようである。これは結構大変そうである。
 日本語ができるようになるにはよい教師が必要で、教師の能力によって大きく違いがでてしまうという。

 日本語を教える人の資質も大きな影響力があるが、やはり母国語がなにかによっても学ぶはやさが異なってくる。日本語を最も早くできるようになるのは韓国人なのだそうである。韓国語の語順は日本語と似ているところがあるからだそうで、順番はそのままで単語を置き換えればいいからなのだという。ただし日本人が韓国語を学ぶのが早いかというと、必ずしもそうではないらしい。

 日本語を教えるということはたいへんだけれど、結構おもしろそうである。

 
posted by mrgoodnews at 02:04| Comment(0) | 教育・学校・授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月28日

William Arthur Ward の格言集から

The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.

凡庸な教師は、ただ話す。
良い教師は、説明する。
優れた教師は、態度で示す。
そして、偉大な教師は心に火をつける。


これは20世紀アメリカの哲学者であり、教育者であったWilliam Arthur Ward のことばである。

問題は最後の inspires だと思う。この言葉をなんと訳すか? 
上の訳文では「心に火をつける」であった。この訳文も悪くはないが、次のような訳文もある。

並みの教師はしゃべるだけ、
良い教師は説明し、
優れた教師は手本をみせる。
卓越した教師であれば、生徒の心を刺激する


これも今ひとつである。demonstrate の訳は「手本を示す」というのはいいと思う。
私だったらこう訳すだろうか。

普通の教師はただ話す
よい教師はうまく説明する
すぐれた教師は自分でやってみせる
偉大な教師は生徒たちが自らやってみたくさせる


理科とか数学とかはこの訳が適当であると思うがどうだろうか?

ところで William Arthur Ward にはこんな言葉もある。これもなかなか含蓄の深い格言である。

Do more than belong: participate.
Do more than care: help.  
Do more than believe: practice.  
Do more than be fair: be kind.  
Do more than forgive: forget.  
Do more than dream: work.  

所属するよりも、参加する。
心配するよりも、助ける。
心で信じるよりも、実践する。
フェアーにこだわるよりも、親切を実行する。
許すよりも、忘れる。
夢見るよりも、努力する。

これも4行目と5行目が問題だと思う。上の訳でいいのだろうか?

posted by mrgoodnews at 02:11| Comment(1) | 教育・学校・授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月27日

「福の神になった少年 −仙台四郎の物語」


仙台四郎1 先日仙台に行った。仙台のお店をのぞいたときにお店に不思議な写真が飾られていた。そこには「仙台四郎」と書かれていた。
 そういえば私は以前「福の神になった少年 −仙台四郎の物語」(丘修三著 佼成出版社 1997年刊)を読んだことを思い出した。これがあの小説の主人公だった仙台四郎なのかとあれを読んだときの感動がよみがえってきた。
 帰ってさっそく図書館でこの本を借り出してもう一度読んでみた。

 私は丘修三という人の児童文学が好きで、この人の書いた本を図書館で見つけると借り出して読むことにしているが、その中にあった本である。
 丘修三の書いた児童小説は、どれも障がい者の少年少女を主人公にしている。


四郎2 この本の主人公仙台四郎も知的障害者であった。町の人からは「しろばか」といわれてバカにされ、笑われ、時に子どもたちからいじめを受ける。でも彼はそんなことを苦にすることもなく、バカにされても笑われても一緒になって笑っているそんな少年であった。
 明治初期の仙台に実在した人物をモデルにしている。
 ところが四郎のよる店は繁盛し、四郎を追い払う店は没落していくという事実を見て町の人に商売繁盛をもたらす「福の神」ともてはやされるようになる。
 この物語には、明治初期の五稜郭戦争から自由民権運動、福島事件などなどの影響を受けた仙台におこるさまざまな歴史的事件も織り込まれている。

 また、この小説にはハリストス教会(ロシア正教)のニコライ・カザトキンという司祭が登場する。彼は後に神田のニコライ堂を作った人物として名を残す。この司祭とその仲間たちはいつも四郎の見方であった。

 丘修三の書いた児童文学の中でもっとも好きなのは「僕のお姉さん」という本である。私はこの短編小説を何度か中学生女子の前で朗読したことがあるが、クライマックスの所に来るといつも必ず感動のあまり絶句していまう。
 また「歯型」という小説もなかなかすばらしい物語である。この本を読みながら「良心」をテーマにして考える授業をした。
 ともに障がい者が主人公になっていて、この主人公たちからいつも何か大事なことを与えられるのである。

 11月にもう一度仙台を訪れるので、そのときに地元の人たちから、もっと詳しい話を聞いてみたくなった。
posted by mrgoodnews at 00:04| Comment(0) | 本、映画など感動のメディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月25日

「ド・ロ神父と出津の娘たち」は悲しいことに絶版でした。

 ド・ロ神父を知っていますか?

 その名前は知らなくても、長崎に「ドロそうめん」という特産物があるのはご存知かもしれません。「泥でできたそうめん?」という意外なネーミングは案外記憶に残るからです。このそうめんは地元で「ドロさま」と慕われた明治期のフランス人宣教師が開発したものなのです。


ドロ1 図書館で「ド・ロ神父と出津の娘たち」(岩崎京子 田代三善絵 旺文社刊 1985年)という本を見つけて読みました。なかなかおもしろ本でした。この本をぜひ手に入れたくなって探してみたのですが、悲しいことに 絶版で「入手不可」でした。
 著者の岩崎京子さんという方には「東海道鶴見村 偕成社, 1977」「鶴見十二景 偕成社, 1979」という本もあります。鶴見の方みたいです。

 さてド・ロ神父さんですが、この本に次のような紹介が載っていました。
 明治12年早春。長崎県外海の出津という村にフランス人のド・ロ神父がやってきた。神父は、貧しい村の人びとのために、農業や医療や教育その他さまざまな面で献身的な奉仕活動をし、多くのすぐれた業績を残した。
 この物語は、ド・ロ神父とその協力者、出津の娘たちの愛と人生を描いた歴史小説。


 Wikipedia にはこんな紹介が載っています。
 マルク・マリー・ド・ロ(Marc Marie de Rotz, 1840年 - 1914年)は、現長崎県長崎市西出津町(にししつまち、旧 長崎県西彼杵郡外海町)において、布教活動や貧困に苦しむ人達のための社会福祉活動に尽力したパリ外国宣教会所属のフランス人司祭である。
 彼が行った社会福祉事業に関連する遺跡は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定一覧表へ登録された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の1つとなっている。


 この物語を読んで驚きと感動をもったことがいくつかある。
 まず、ド・ロ神父の多彩な能力である。キリスト教の宣教師としての能力だけでなく、実に多くのことを手がけた。建築、農業、漁業、織物、医療、福祉、工業、教育など、現在でいうならば「町おこし」事業を明治期に行っている「万能人」なのである。
 教会の建築をおこなった。
 印刷機を導入して石版印刷術を広めた。
 パン、マカロニ。ソーメンの製造をはじめた。
 それらの特産物を売り歩く行商隊をつくった。
 機織り機を導入した。
 イワシ網すき工場を造った。
 原野を開墾した。
 水車による製粉工場を造った。
 防波堤を築いた。
 赤痢や腸チフスが流行したときに救護隊を組織し、薬局をつくった。
 県道を改修し、その工事に地元の労働者を雇った。
 共同墓地をつくった。
 お茶の農園をつくった。
 身よりのない子どもたちを集めて保育施設をつくった。
などなど彼のなしたことは枚挙にいとまがないくらいである。

 それらの事業を行うにあたって、村の若者特に娘たちを集め、授産所をつくった。これは「女部屋」と呼ばれ、のちに「お告げのマリア修道女会」となる。この娘たちが農業や機織り、医療、教育に活躍するのである。この本はその娘たちの活躍ぶりを描いた本である。

 これらのド・ロ神父の活動を支えていたものは、その出身地からの援助であった。彼は豊かなフランスの貴族の出身であったのであるが、彼の家はド・ロ神父の活動を支えるのに財産をほとんど使い果たしたといわれる。

 この本にはこんなことも書かれている。
 

ドロ2
 最初は孤児や「捨て子」を育てることからはじまった。赤ん坊はどんどん増えていった。何人か子守をやとって「乳児院」をしようということになったが、設備もないので、赤ん坊は浦上に預けることにして、出津には保育所ができることとなった。「子部屋」である。
 少年組、少女組、それは10歳前後の子でそれ以下は幼年組に分けた。子部屋の方も増えに増え、後には200人にもなってしまった。
 少年組は「コツン組」物覚えの悪いことをこの辺の人は「こつんなか」というがド・ロ神父の耳には「コツン」が印象に残ったのであろう。神父は「コツン組」と名付けた。
 少女組は「ペタ組」ペタは仕事ののろいことで、たぶん少女組の保母は二言目には「ペタ、ペタ」といったに違いない。
 幼年組は「チンポロ組」これは小さいという意味である。すべて神父一流のしゃれであった。
 
 子部屋の時間わりはだいたい決まっていた。朝、親とか兄弟が連れてくるのを受け取る。
 整列
 唱歌
 おはなし
 よみかき そろばん
 戸外の遊び
 そして夕刻帰宅させた。
「おはなし」の時間はド・ロ神父がした。
 いちばん子どもたちが喜ぶ話は。ド・ロ神父の小さいころのことだった。………神父のいたずらばなしはきりがなかった。…………みんなの目の前にはちいさなかわいいマルコが目をりんとはって、がんばっている姿が見えた。
 その後の戸外の遊びにも、ド・ロ神父はひっぱりだこ。それは神父が子どもを楽しませるくふうが上手だったからである。
 ある朝、子どもたちが子部屋に来てみると、庭の大クスノキの張り出した枝にいすの脚のないようなものが綱でさがっていた。ちゃんと背もたれもついていた。
「これ、ブランコ、いいます」
 フランスの学校や幼稚園の庭には必ずあって、体育にとてもいいからとパーテルさまがつけたものだ。
 こどもたちは順番に座って、前後に揺する。ぐーんと空に近づいたり、海が遠くなったりして子どもたちは大喜びであった。
 エッシンヨイサコマヨイサ
 来いときゃ
 クジラば つんでこい
 行くときゃ
 イモばつんでいけ


 ド・ロ神父は実に多面的な技術と知識においてたぐいまれなる能力を持っていたが、それよりももっともみごとだったことは、人を活かすことだったとこの本を読んでいて思う。
 ド・ロ神父に限らず、外国から日本に来た宣教師たちは実に多彩な能力と豊かな個性の持ち主が多い。これらの能力はもともと持っていたというよりも宣教地の必要性が生み出したと私は思うのである。
 「神から与えられたミッションをはたすために、神は必ず必要な能力を授けてくださる」宣教師たちはみなそう信じて派遣されたのであろう。
 POTES QUIA DEBES (You can because you ought) という言葉を思い出す。

 
 

 
 

posted by mrgoodnews at 00:18| Comment(0) | 本、映画など感動のメディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月23日

「おもしろ科学体験塾インストラクター」の養成研修を終了しました。

 今年の6月から始まった「おもしろ科学体験塾インストラクター」の養成研修を終了し、推進スタッフとして登録しました。

 この「おもしろ科学体験塾」は「おもしろ科学たんけん工房」が横浜市の「男女共同参画フォーラム」や「はまぎんこども宇宙科学館」やいくつかの学校を拠点として、子どもたちを集めて「科学のおもしろさ」を体験するための「塾」を実施しています。

 私はこの養成研修中に、4回の「現場実習」をアシスタントとして参加しました。
「マックスウェルのコマ」
「紙マジック」
「ホーバークラフト」
「ヘリコプターをつくろう」
これが私の参加したプログラムでした。
 いずれもとてもおもしろかったです。これに参加した子どもたちは毎回30人くらいで、ほとんどの子どもたちは満足して帰っていきました。子どもたち以上に10人くらいのアシスタントをしていた大人たちも楽しんでいました。
 この「養成研修」は基本的にOJT(On-the-Job- Training)つまり、実際に体験塾に参加する中で養成されていくものなのです。

 この体験塾のどれにも共通することですが、どれにもサープライズがあるのですね。「そんなことができるんだ!」という驚きが、実際にそれを製作していく中で、やがて「どうしてこーなるんだろう?」という疑問に発展していきます。
 まさに科学のおもしろさを体験できるすぐれたプログラムでした。
 もしもわたしが子どものときにこれを体験していたならば、私は間違いなく「科学少年」になったであろうと思われます。

 私の住んでいる鶴見区の小学校でも来年から「体験塾」が行われるという予定を聞いて、子どもたちとともにこういう科学のおもしろさを楽しむことができるということをワクワクする気持ちでいます。

 わたしは「森林インストラクター」の養成も受けていますが、これとはまったく異なる科学へのアプローチです。森林インストラクターは「生物系」ですが、科学体験塾はどちらかというと「物理系」が多いようです。
 「科学体験塾」でも「生物系」のプログラムを増やしたいという希望は持っているのですが、フィールドワークは天候の問題が大きくて「雨番組」を考えなければならないというところがたいへんなのだそうです。

 私もこの体験塾でできるプログラムを開発していきたいと思っているのですが、とにかくいろいろと興味と問題関心が広いので、あれもこれもと手を広げてやってしまいそうです。
 「森のおもしろさを体験する塾」もやってみたいし、「数の神秘を体験する塾」もやってみたいし「飛行物体をつくってとばす」こともやってみたいし……………。

 本来ならば、これは学校でやらねばならないことなのでしょうが、なかなか学校でやれないところが「理科教育」の問題であり、「理科離れ」をつくりだしてしまう原因なのかもしれません。
 最近は「塾」や「予備校」などでもこういうことをやり出しているところもあるようです。
 そのほかにもよねむらでんじろう氏をはじめとしていろいろなところでこういうプログラムが行われていますね。
 TVゲームに負けないおもしろさをつくり出せたら、「科学少年少女」をたくさんつくりだせることでしょう。

 私の新しい「仕事」のひとつになりそうです。

 
posted by mrgoodnews at 23:50| Comment(0) | 科学のおもしろさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月21日

音楽と数字の不思議な関係

 10月12日のNHKFM「トーキング ウィズ 松尾堂」を聞いていました。この日は「音楽と数学を嗜(たしな)む」というテーマでゲストに数学者の秋山仁氏が迎えられていました。

 話の中で数学者ピタゴラスの「音楽の美しさと数学」との関係について話していました。数学者ピタゴラスについては以前紹介したことがあります。
 このなかでこんな話がありました。

 1オクターブの音階は12の半音から成り立っています。それらに1〜12の番号を振ります。ピアノの鍵盤の黒鍵を含めて番号を振っていく感じです。
 ド  =1
 ド♯ =2
 レ  =3
 レ♯ =4
 ミ  =5
 ファ =6
 ファ♯=7
 ソ  =8
 ソ♯ =9
 ラ  =10
 ラ♯ =11
 シ  =12
 ド  =13

 このようにふっていくと
 ドミソの和音は  1  5  8  13
 中の差をとると   4  3  5

 ドファラの和音は 1  6  10 13
 差をとると      5 4 3

 レソシの和音は  3  8  12  15
 差をとると     5  4   3

 いずれも同じ「3,4,5」となります。
 この「3,4,5」で思い出すのはあのピタゴラスの定理ですね。つまり直角三角形の辺の長さになるわけです。

 ハ長調の標準の「ラ」の音の振動数は442HZで、1オクターブ高い「ラ」はちょうど2倍になります。その間を12等分するとそれぞれの音階の振動数が出てくるというわけです。
 音楽というのは数字と深い関係があるわけですね。

 中世の時代の大学で学んだことはリベラルアーツと呼ばれている7つの学問でした。文法、論理学、修辞学、算術、幾何、天文学、音楽は自由七芸と呼ばれていました。このなかで音楽は理系の学問だったそうですね。

 ここまでが秋山仁氏の話でした。

 そういえば、「πの音楽」というのもありました。円周率πの無限数列である、3.14159265…に対して、1=ド,2=レ,…8=上のド、というように音符を振り分けて、曲をつくった人がいました。このテープを注文して聞いたらけっこう美しく神秘的な音楽でした。
 ほかにも「eの音楽」とか「フィボナッチ数列」「黄金比の音楽」とかもあるようです。こちらはまだきいていません。
 
posted by mrgoodnews at 22:42| Comment(1) | 数の神秘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月20日

ジョブスタ「団塊世代のためのキャリア形成支援セミナー」参加報告

 10月7日〜10日まで、ジョブスタ主催の「団塊世代のためのキャリア形成支援セミナー」に行ってきました。なかなかおもしろかったです。

 ジョブスタは「シニア・ジョブスタイル・神奈川」が主催する団塊世代のための再就職を支援するためにつくられたもので、神奈川県独特のもののようです。
 参加者は14名、いずれもシニア世代で、定年や早期退職をして(あるいはする予定の)人たちで女性は1名だけでした。
 朝9時から夕の4時ころまで、会場は横浜駅西口のSTビルと石川町の横浜地域職業訓練センターでした。

 初日は「心ほぐし」「自己紹介」「生き生きバランスチェック」「エゴグラム」「キャリア志向性チェック」「職業興味チェック」などのアンケート風自己分析チェックをしてそのあと「分かち合い」をしました。就職前の大学生のキャリア教育で行われているようなことで、一部の参加者からは「何をいまさら」という声も聞かれましたが、多くの人は若者のように「自分探し」にいそしんでいました。エゴグラムなどTA(交流分析)の手法が使われていました。
 自分の「現在」を知るということがこの日のねらいであったようです。

 8日(2日目)は、午前中に「自分史」を作成する作業に没頭しました。キャリア(仕事)面と「ライフ(私生活)」とに分けて、自分を形成してきた出来事や体験などを時代を追ってリストアップして年表を作成する作業でした。作業の前に「自分史の作り方」についての説明があり、戦後の主な社会的出来事の年表が配られました。
 興味深かったのは午後の部で、この「自分史について」2人のペアを作り、相手に40分間自分史について語るという作業をしたことです。40分間と聞いてそんなに話すことがないと多くの人が感じたようですが、実際にはこの時間ではほとんど語りつくせなかったようです。語った後に相手の自分史を聴いての感想とそれを語り終えての感想を分かち合い、今度は聞き手と語り手が後退してまた同じことをしました。
 それから「紙ねんど」を渡されて自分の歴史を形に表してみるようにいう作業もありました。これは結構「癒し系」の作業のようで、自分の作ったものを簡単に説明するというのもおもしろかったです。
 感想を聞いてみると、みな、心が軽くなったとか、自分の人生が意外にゆたかなものだったとかいう印象を述べていました。そしてこの後に参加者がぐっと親しくなったのです。

 3日目は「これから」のことがテーマでした。「今後のキャリア形成の進め方」というテーマで講義がありました。とくにマネープランについての説明が興味ありました。自分の預貯金や年金などの収入部分と生活費を調べてみること、それによって財務分析をすることが薦められました。
 午後はライフキャリアプランを作るという作業で、最後は全員の前で自分のこれからのライフキャリアプランを紹介するということが行われました。多くの人が何か人のため世のためになるようなことをしたいという望みを持った人が多かったように聞こえました。

 4日目は見学で、午前中は「センター北駅」前の「ノースポート・モール」という大規模ショッピングモールのバックヤードに入って見学をしました。空調やごみ処理、駐車場管理、エレベーターやエスカレーターなどの安全管理などのビル管理業務について現場を見ながら説明を受けました。
 監視作業が多くて通常は単調なことが多いが、いったん事あった場合には大変な仕事だなという印象がありました。
 午後からは鶴見にある「東部職業技術学校」に見学に行きました。ここは今春いくつかの職業訓練所が統合されてできた新しい設備で広大なものでした。そこで電気工事や金属加工、自動車整備、福祉、木工、造園、ビル管理などのコースがあり、若い人が多く職業訓練をしていました。年配の人も結構交じっていましたが..ここの立派な設備を見学して、もう一度勉強してみたい気になりました。

 というわけで結構おもしろかったし、ためになったように思います。実際の就職のためには直接的には役に立たないかもしれないけれど、なんか気が軽くなったというか、未来が開けてきたような明るさを感じた人が私をはじめとして多かったようです。
 わたしは「宗教」や「倫理」を教える教員だったのでこの種の作業はよくやって慣れているので、参加した人がこういうワークをしてどのように感じられるのかに興味を持っていました。

 それからジョブスタにはキャリアカウンセラーが常駐しているので、ここをもっと利用してほしい、きっと役に立つからといわれました。今度行ってみようと思っています。
posted by mrgoodnews at 22:47| Comment(0) | こんなところに行きました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月19日

万葉集「秋の七草」

 10月18日の朝日新聞 be on Sunday の「花をひろう」(高橋睦郎)に「秋の七草」の歌が紹介されていた。

 秋の七草は「万葉集」巻第8秋雑歌に「山上臣憶良、秋の野の花を詠める歌2首」がある。

 秋の野に咲きたる花を指折りて
   かき数ふれば七種の花

 萩の花尾花葛花なでしこの花
   女郎花また藤袴朝がほの花

 2首目の最後「朝がほの花」は現在いうアサガオか、ヒルガオか、ムクゲか、キキョウか。諸説あって決めがたい。

 朝がほが「秋の七草」に数えられたのですね。
 そういえばわがやのノアサガオは再び勢いをまして1日100以上の花をつけます。今日の教会バザーに根付いた苗を売ってもらうことにしましたら、4鉢は売れたようです。しめて1200円の売り上げです。
posted by mrgoodnews at 23:52| Comment(0) | 詩、歌、祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月16日

「鉄砲伝来数え歌」に秘められた「若狭伝説」

 偶然録音していた9月6日のNHKFM「民謡をたずねて」に種子島地方に伝わる「鉄砲伝来数え歌」を原田直之が歌っているのがあった。とてもいい歌だなと思った。
 さっそくインターネットで検索をしてみたら、ここに歌詞とともに地元の人が歌っているムービーが見つかった。原田直之が歌っている方が耳になじみやすく歌詞もわかりやすいのだが、この歌は「鉄砲伝来」の歴史的事件を読み込んだみごとな民謡であると思うので、ここで紹介してみたい。

鉄砲伝来数え唄


一つとなーよーえ
 日出ずる国の守りなる 鉄砲功徳の数え唄 うたうわいな
二つとなーよーえ
 不思議な船が種子島 西之の小浦の海岸に 参りたわいな
三つとなーよーえ
 見知らぬ人にも親切な 織部の丞が赤木へ あがらせたわいな
四つとなーよーえ
 よその国々商用で ポルトガルから来た船を あかしたわいな
五つとなーよーえ
 如何なるものでも狙うたら外さず射止める鉄砲を お持ちじゃわいな
六つとなーよーえ
 無理に頼んでこの利器を時尭公が 二千両でお買いじゃわいな
七つとなーよーえ
 習うは製法狙い方 時は天文十二年八月じゃわいな
八つとなーよーえ
 八板金兵衛豊定に 新規に製法 殿様の仰せじゃわいな
九つとなーよーえ
 心も砕く甲斐も無く 筒底塞ぐの術知れず 無念じゃわいな
十となーよーえ
 とうとう娘の若狭おば異人にくれて その術を習うわいな


 この唄の意味しているところは、だいたい理解できるだろう。
 このホームページにはこういう解説があった。

 種子島の南端、南種子町の門倉岬(かどくらみさき)にポルトガル船が漂着してわが国に鉄砲が伝えられた。種子島の領主種子島時尭は刀鍛冶八板金兵衛豊定に命じて鉄砲作りを命じたが、完成までには幾多の困難があった…という話を数え歌にまとめたもの。
 「ヒトツトナーヨーエー」という歌い出しで始まる数え歌は全国に流布している。土地の風物や各種の物語を歌い込んで親しまれている。種子島のこの歌は明治になってから、数え歌の旋律にのせて作られたと思われる。

 この歌詞の気になるところは10番のセリフである。
 藩主に命じられた刀鍛冶八板金兵衛豊定は、苦労して鉄砲をつくるのだが、どうしても筒底をふさぐ方法がわからない。ポルトガル人にそこを聞こうとしたのだが、彼らは教えるかわりに、16際の娘の若狭を差し出せという。若狭は藩のためならとそれに応じてポルトガル人と結婚する。欧米人と日本人女性との初めての国際結婚であった。
 この若狭という女性はどういう気持ちでそれに応じたのであろうか? そしてその後の彼女の運命はどうなったのであろうか? この歌はそこまでを語っていない。

 さらにこの若狭という女性で検索してみた。種子島には若狭伝説というのが残っているという。それによるとポルトガル人が日本を離れる際に若狭はシンガポールまで行き、翌年鉄砲鍛冶とともに再び種子島に帰るが、もどると病気になり、若き生涯を閉じてしまう。
 でもそれはポルトガル人をあざむく芝居であり、若狭はじつは80まで生きたという言い伝えもあるという。

 あのジャガタラお春、シーボルトの妻オランダおいねや唐人お吉、蝶々夫人の生涯を思い起こさせる話である。

 

posted by mrgoodnews at 22:49| Comment(0) | 詩、歌、祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月15日

「メランコリアの魔法陣」デューラーの不思議


魔法陣1 私の父は「魔法陣」が好きで、年賀状はいつも魔法陣であった。その父がおそらく知っていたであろうデューラーの「メランコリーの魔法陣」を「さんすうゲーム」(藤沢市算数教育研究会著 太平出版社)で知った。

 魔法陣とは、1からある数までを正方形に並べて、タテに合計してもヨコに合計しても、あるいはナナメに合計しても同じ数になるものをいう。

 タテヨコ4ずつの16コマの魔法陣で、1から16までの数を入れた魔法陣に「メランコリアの魔法陣」というのがある。
 この魔法陣はタテ、ヨコ、ナナメの合計だけでなく、4等分した正方形の中の数も、四ずみの数も、まん中の正方形の数も、残った2個ずつの数をそれぞれ向かい合ったもの同士の数も、その合計が34になるというスグレモノの魔法陣である。


魔法陣3 この魔法陣は1514年(この数も魔法陣に書かれている)オランダの画家デューラーの「メランコリー」という作品に描かれているものである。
 この版画は翼の生えた科学の天才が科学の謎解きのために考え込んでいる絵である。長い間の思考ののちに何かがひらめいたのであろう。虹がかかり鐘が鳴り、天使が祝福している。その絵の壁に掛かっているものがじつにこの「メランコリアの魔法陣」なのである。


魔法陣2 デューラーは芸術家であるとともに数学や思想家でもあった。かれはルターの宗教改革にも共感し、ルターを「私を大きな不安から私を助け出したキリスト教徒」と呼んでいた。
 また彼は、エンペドクレス=ヒポクラテスの四体液説と占星術を結びつけ、黒胆汁質がつくりだす「メランコリー」が、芸術家や科学者に共通してもっている創造性の源のように考えていたようである。
 
posted by mrgoodnews at 10:30| Comment(0) | 数の神秘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

十二所でコクサギを見つけました。


コクサギ1 鎌倉の十二所の「黙想の家」で「コクサギ」を見つけました。

 この木はミカン科で、沢沿いなどのしめったところに生え、枝や葉に臭気があるのでこの木の名前が付いたようです。
 クサギはクマツヅラ科でやはり葉に臭気があるところが共通しているのですが、姿形は似ても似つかぬ木です。


コクサギ2 この木の特徴はなんと言っても葉が2枚ずつ互生する「コクサギ型葉序」で知られています。葉の付き方が普通は互生か対生あるいは輪生という葉の付き方をするのですが、この木の葉は右に2枚続けてでたあとに左側にまた2枚の葉がつくという変わった葉の付け方をします。

 花は雌雄異株で4〜5月頃、まだ葉が伸び切らぬころに花をつけます。実は10月頃熟して、裂開する勢いで種を飛ばします。
 私が見つけた木は実がなっていなかったので、雄株だったかもしれません。
 葉も実はミカン科のものらしくないけれど、匂いにその名残があるとか。

 また、この木は「和常山」という生薬名をもっていて、むしへらしの木なんだそうです。
 はえの幼虫退治に使ったり、また木の葉の煎汁を生ゴミの上に振りかけると匂いを消してくれるとかいうので、ライフプランツとしても有用なのでしょう。
 カラスアゲハやオナガアゲハの食草でもあるところはやはりミカン科の木であることを示しています。

 
posted by mrgoodnews at 00:02| Comment(0) | 植物・鳥・小動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月13日

フウセンカズラのかわいい種


フウセンカズラ1 このかわいい種は何だかわかりますか?

 よく見ると直径3ミリくらいの黒い種にハート形が白く抜かれているのです。目鼻をかきこめば、富士ひたいの子どもの顔のようにも見えます。
 実にかわいいものです。

 こたえは「フウセンカズラ」


フウセンカズラ2 ムクロジ科の蔓性の花で、7月頃に小さな白い花をつけますが、花よりも風船のような実を10月ごろつけるので知られています。つまんでみるとふわふわとしてとても心地よい実なのです。実の中は3つの部屋に一つずつ黒い種があります。
 白いハート形は、部屋の壁に当たる部分にくっついていたあとにあたります。
posted by mrgoodnews at 01:41| Comment(0) | 植物・鳥・小動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月10日

パイロットツリー

 森林に何らかの理由で「攪乱」がおき、地肌がむき出しになったところにいち早く芽を出して育ってくる木のことを「パイロットツリー」といいます。

 その代表格は「アカメガシワ」でしょう。この木はたいへんおもしろい木で、このブログでも前にとりあげたことがあります。
 この木の種はトリによって運ばれます。種の寿命がとても長くて、土の中に100年以上も生き続け、地肌がむき出しになって太陽が当たり、地温が高くなると発芽します。成長するスピードが速く、あっという間に大きくなります。
 また町中の空き地の草ぼうぼうとなっているところや 道端のアスファルトの隙間などにもよくこの芽を見つけることができます。

 このパイロットツリーにはアカメガシワの他に、いくつかの木があるでしょう。
 たとえば「クサギ」「ヤマグワ」このあたりはトリが媒介する木ですね。
posted by mrgoodnews at 00:00| Comment(0) | 植物・鳥・小動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月08日

蒲生氏郷が伊勢松坂、会津若松、福島を命名した

 戦国時代の武将蒲生氏郷は、自分の任地の行く先々でおめでたい名前を地名につけたという。

 かれは近江の国蒲生郡日野の生まれ、幼少時に人質として岐阜で過ごしたときに、信長にその才知を認められ、信長の娘の冬姫を妻に迎える。
 信長が本能寺で急死したあとに安土にいた信長の妻子を日野城にかくまい、光秀に対抗した。
 秀吉はその後氏郷に伊勢松ヶ島12万石を与えると、かれは新しい城を造り、そこを「松坂」と命名した。
 さらにかれは秀吉の奥州仕置により、陸奥会津に移封され、42万石を与えられる。このとき、この地は黒川と呼ばれていたが、ここを「若松」と命名した。そして城は氏郷の幼名鶴千代にちなみ「鶴ヶ島城」と呼ぶようにした。
 また伝えられるところによれば当時杉妻と呼ばれていた地を「福島」と変えたのも氏郷であるという。

 町作りは、町名をおめでたい新しい名前に変えるところからはじめたわけである。そして移封するたびにかれは商人を引き連れていき、商業を盛んにすることをこころがけた。
 三越の創業者であった三井家はもともと日野の商人で氏郷に引き連れられて松坂に移ったという。でも三井家は会津には移らなかった。
 ちなみに伊勢松坂は、本居宣長の出身地で宣長が賀茂真淵と出会ったところとして歴史に登場する。

 ちなみに氏郷はキリシタン大名高山右近の影響で彼自身もキリシタンとなり、レオンという洗礼名を持っていて、たびたびローマ教皇に手紙を送ったらしい。
 ただキリシタン大名としての足跡は会津には残っていない。
 1595年40歳で没。

 氏郷の死後家内不穏とのことで宇都宮に移封され、会津若松には上杉景勝が入ることになる。
 たしかNHKの来年の大河ドラマは上杉景勝と知将直江兼続の話だったと思う。

 諸大名からの人望も厚く、家臣を大事にして、商業を盛んにして町づくりを行うなど、経営的センスも持ち合わせていたとともに、千利休の弟子として「風流の利発人」であり、和歌も詠んだ。

 思ひきや人の行方ぞ定めなき
   我が故郷をよそに見んとは

 限りあれば吹かねど花は散るものを 
   心短き春の山風
 
 
posted by mrgoodnews at 01:20| Comment(3) | 人、生き方、思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月06日

循環小数の不思議 「分割和」

 前に循環小数の不思議について書きました。
 たとえば
  1÷7=0.142857142857142857………
 というときに繰り返す 142857 を「循環節」というのだそうです。
 この142857 がとても不思議な数であるのです。

 この数にはまだ不思議なことがあります。

 142857 を2つに分割して
  142+857=999
これを2分割和といいます。

 さらにこれを3分割すると
  14+28+57=99
これを3分割和といいます。

 他の素数でもやってみましょう。

 たとえば13の場合
  1÷13=0.0769230769230…………
 循環節は076923ですね。
 2分割和は
  076+923=999
 3分割和は
  07+69+23=99

 たとえば17の場合
  1÷17=0.05882352941176470588235294447647…
 循環節は0588235294117647です。もう電卓では計算できない。
 2分割和は
  05882352+94117647=………
 3分割和は
  これは3では割り切れないので、求められない。

 たとえば41の場合
  1÷41=0.02439024…………
 循環節は02439の5けたです。
 これは桁数が2でも3でも割り切れないので、分割和がとれないことになります。

 その他の素数でもやってみてください。

posted by mrgoodnews at 23:35| Comment(0) | 数の神秘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月04日

十二所黙想の家の入り口にある木はムクノキでした。


ムク2 鎌倉の十二所黙想の家の坂を上った入り口に植えてある幹の白い木はなんだろうかといろいろな人に聞いてもわからなかったので調べてみました。




ムク1 ちょうど今ごろ直径7ミリくらいのまるい実をつけています。これが熟すと黒い色になって食べると干し柿のような甘い味がします。ただし種が大きくて食べられるところが少ない。
 そろそろ黄色くなりつつある葉っぱはざらざらしています。

 樹木図鑑で調べてみると、このざらざらした葉っぱで漆器の木地やべっこうなどを磨くのに使ったと書いてありました。
 黒く熟した実はトリたちの好物で、すぐに食べられてしまうようです。

 花が咲くのが春なので、また花が咲くころに気をつけてみてみることにしましょう。花の咲くころが楽しみです。
posted by mrgoodnews at 22:38| Comment(0) | 野草・樹木・森・里山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「重心」についての興味ある話

「コマの力学 −回転運動と慣性」(板倉聖宜・湯沢光男著 仮説社)を読んだ。子ども向けの科学の本や樹木の本はわかりやすくて読みやすい。
 この本で「重心」というもののおもしろさを学んだ。

 たとえばこんな話である。
 厚紙に芯を差し込んでコマをつくるとき、普通は円盤状に厚紙を切るが、これは必ずしも円盤状でなくてもよい。任意の形に切り抜いた厚紙でも重心の位置に芯を差し込めばコマのようによくまわるということである。
 重心を捜すには指に載せて釣り合うところを探せばいいのだが、より正確にするには、厚紙のある点に意図を結びつけ、その厚紙をぶら下げて鉛直線を引く。別な点から同様に厚紙をぶら下げて鉛直線を引く。その鉛直線の交点が重心となる。
 ただし形によっては重心が厚紙の上に来ないときもある。このときは芯が差し込めないから、この場合にはコマができないということになる。


ニンジン もうひとつの話。
 図のようにニンジンの重心を捜し、その重心をとおってにんじんを二つに切る。さてこの二つのニンジンの重さはどうなるか?
 1.頭の方が重い。
 2.しっぽの方が重い。
 3.同じ重さである。
 「仮説実験授業」だと、実際の重さを量る前にディスカッションになり、その後で測るという展開になる。

続きを読む
posted by mrgoodnews at 22:10| Comment(0) | 科学のおもしろさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

12345679 という数の不思議

 先ず初めに1から9までのある数を思い浮かべてください。
 そしてそれを9倍します。
 さらにその数に 12345679 をかけます。123456789 ではありません。8がないのです。
 すると………。
 たぶんびっくりします。やってみてください。

 例で示しましょう。
 たとえば7を思い浮かべたとします。

 7×9=63
 63×12345679=777777777

 なのですね。
 ほかの数でも試してみてください。

 この 12345679 という数は何ものなのでしょうか?
 ちなみにこの数を9倍してみると
 12345679×9=111111111
となります。
 この数は111でわれそうですね。
 12345679÷111=12345790
 今度は6と8がきえました。
 1234579÷37=333667
 この333667は素数のようです。

 37という数の特徴があります。
 1÷37=0.027027027…………
 つまり、027の循環素数となります。このことと関係があるかもしれません。

 いやあ、数ってほんとうに不思議です。

posted by mrgoodnews at 00:21| Comment(2) | 数の神秘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月03日

もっとも福音的な原理を FARC の中に見た

28日、教会に FARC の人が来てミサの後話をしてくれた。
 FARC というのは Food Addiction Recovery Center、つまり摂食障害の人たちの自助更正の集まりである。前に教会にアルコール依存、薬物依存やギャンブル依存症の人たちが話しに来たことがある。いずれもすさまじい体験である。それらの話を聞いてaddiction(依存症)といわれる人たちの更正運動にある共通の「福音的な原理」があることに気がついた。

 FARC の人はこんなことを言っていた。

 アルコール依存も薬物依存もギャンブル依存もそこから立ち直るためにしなければならないことははっきりしている。アルコールや薬物を断てばいいのだから。もちろんそのためにどのくらい苦しまねばならないか、それがどのくらいたいへんなことかはよくわかる。
 でも摂食障害はそれができない、人は食べなければ生きていけないのだから。アルコールも薬物もギャンブルも、それがなくても生きていくことはできるが、食べるのだけはそうはいかないのだ。そこに摂食障害(特に過食症)の独特の苦しみがある。だからなんどもなんどもスリップする。絶望の連続だったという。

 それがあるとき、ほんのちょっとしたきっかけで、こうしたらこの地獄のような苦しみからすこし救われるのではないかというのに気がついたことがある。
 それは同じ悩みを持つ女性の話を聞き、その女性を助けようと一緒に生活をするようになったときであった。自分がスリップしたらその女性もダメになってしまう。その女性がスリップしたら自分もダメになってしまう。そういう関係になったときに、これならひょっとして自分もその人も救われるのではないか。
 人を救うことによってはじめて自分も救われる。人を救わなければ自分も救われない。ひとりでは自らを救うことはできないのである。
 わたしは、この原理こそもっとも「福音的な原理」であると思った。

 アルコール依存症には AA(Archoholic Anonymous)という自助更正運動があり、薬物依存には DARC がある。摂食障害者にもこれが必要なのだ。彼女はこう思いたって、FARC をたちあげたという。
 AA も DARC も同じだと思うが、これらを推進している人たちは、完全にその依存症から更正した人ではない。そのミーティングにいくことによって、かろうじてその日酒を飲まずにすごせたひとなのである。一人になってしまうとすぐに酒を飲んでしまう。だから AA のひとたちは今日はどこ、あすはどことミーティングを渡り歩く。
 さらに同じ苦しみを持っている人をそのミーティングに誘う。自分がスリップするとその人もスリップしてしまう関係をつくることになる。他人を救うことによってかろうじて自分も救われるというあの「福音的な原理」がここにもある。

 まえに「アリがなぜ繁栄しているのか」という理由について書いたことがある。
 アリは社会胃と個体胃を持っていて、社会胃にもっている食べ物を他のアリに分け与えることによって自分の個体胃に食べ物がいくようになっている。つまり他のアリにわけ与えることによって自分も与えられる。この生活原理をもっていることがアリを繁栄させているのである。
 これも福音的な原理ではないか。

 これも前に書いたことである。
 バークレーという聖書学者が「希望と信頼に生きるバークレーン一日一章」という本の中で紹介していたことである。
「自分の重荷を軽くするもっともいい方法は他人の重荷を背負ってやることである。」
 これも似たような福音的な原理ではないか。

 宮澤賢治はこんなことを言っている。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない(農民芸術概論綱要より)」

 フランシスコの「平和の祈り」のなかの「与えることによって与えられ、ゆるすことによってゆるされ、死ぬことによって永遠に生きることができる」というのもまったくこの「福音的な原理」そのものだと思う。

 人間の社会の中に(もちろん国境を越えてグローバルな意味で)こういう「福音的な原理」を組み込むことによっておそらく人類は救われるようになるのだと思う。
 自分だけが、あるいは自分の家族だけが、あるいは自分の国だけが、さらには今生きている人間だけが、そして人間だけが救われればそれでよいという限り、この地球に救いはないのではないか。

 
 
 
posted by mrgoodnews at 02:00| Comment(1) | 福音 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月01日

エノキと一里塚

 エノキは一里塚に植えられた木として知られている。
 これにはわけがある。


エノキ 今から300年前に、八王子代官長安はススキの原が続く青梅街道を見て、徳川2代将軍秀忠に伺いを立てた。「サクラやマツではなくなにかいい目印となる木を一里ごとに植えたいのですが………。」
「それなら余の木(ほかの木という意味)にいたせ」
と将軍はこたえた。
 少し耳の遠い代官は「余の木」を「エノキ」と聞き間違えエノキを植えるように家臣に命じた。
 エノキは立派に育ち、夏は日影を冬は北風を防いで旅人を守ったという。

 将軍は家康だったという説や「余の木」というのは「ええ木」といったのだという説もある。いずれにせよこれは「聞き間違い」から植えられたという話である。
posted by mrgoodnews at 23:42| Comment(0) | 植物・鳥・小動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする