2008年11月30日

長崎諏訪神社の英文のおみくじ


諏訪1 私は長崎には5度か6度行っています。いちばん最初は学生時代に長崎で行われた原水禁大会に参加したときです。このとき長崎駅の近くのビルに「分裂した原水禁大会を拒否する」とかいたのぼりが大書されていたのが印象に残っています。
 学校に勤めるようになって3回修学旅行の引率として長崎を訪れました。その時以来長崎に行くと必ず訪れるところがあります。クリスチャンの私がここを訪れるのを楽しみにしているというと奇異に思われるかもしれませんが、そこは諏訪神社なのです。


諏訪4 今回妻と一緒にまた訪れて、そこにあるいろいろな物を発見しました。まず、福沢諭吉像があるのを見つけました。そう言われてみたら、福沢諭吉も長崎にいたことがありましたね。この像は1万円札よりは若い諭吉でした。





諏訪3 その前の小さな神社には、逆立ちした狛犬とチンチンして立ちあがっている狛犬がいました。これも愛嬌があってなかなかおもしろいものでした。



おみくじ1 実はいつも楽しみにしていくのはこの神社にある「英文のおみくじ」なのです。今回もこの英文のおみくじと扇子型のドラエもんのおみくじをあわせて500円で買いました。
「英文のおみくじ」はなんと「Best Luck」だったのです。つまり「大吉」です。以前ひいたときは「末吉」でした。これは英語では「Lucky in the End」というのでした。なるほどと感心したりして。
 英文のおみくじはここで日本で初めてつくられたとありました。まだどこかにあるかもしれません。さすがに異文化共存(チャンポン)の街ですね。

おみくじ2 妻は別のおみくじを引きました。ドラえもんの描かれたセンス型のおみくじです。妻が引いたのは「吉」でした。





諏訪2 この神社のとなりの長崎公園には無料で入れる動物園や長崎甚左右衛門、本木昌造の像がありました。また「とっくりの木」という珍しい木もありました。あとでしらべたら、葉っぱに文字が書けるタラヨウの木もあったとか、これは見落としました。

 ここは毎回訪れるたびに何かを発見するところです。

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2008年11月29日

山根一眞氏の「人力重力発電機」のアイディア

 私は以前このブログで「アスレチックセンターを人力発電所に」という提案をしたが、11月16日の「トーキング ウィズ 松尾堂」というNHKFMの番組の中で、山根一眞氏がこんなことを考えておられるというのに共鳴した。

 山根一眞氏は「人力重力発電機」なるものを提案している。つまり重りを人力で持ち上げて、その落下するときのエネルギーで発電する装置である。
 自転車みたいなものをこいで発電装置をまわすというのでは、その発電した電力を蓄えておくためには大きな蓄電池みたいなものが必要となる。
 けれどこの装置ではいわば「位置のエネルギー」として蓄えておき、それを徐々に落としながら発電機をまわすようにしたらいいというわけである。
 この重りを持ち上げるために、「適度の運動」をしてもちあげていけばいいのであり、その「適度の運動」を工夫したらいいだろう。
 かれはLEDによる照明装置を使えば家庭用の照明のための電力はこの発電装置によってまかなえるのではないかとも述べている。部屋の照明が暗くなったら、また「適度の運動」をして発電する。

 この発電は風力やソーラーと違って、気候条件に左右されないところがとてもいい。

 
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2008年11月28日

「風渡る(葉室麟)」にあるロレンソ了斎のこと

 キリシタンの時代には多くの魅力的な人物が登場する。
 イエズス会の宣教師としては、ザビエルに始まり、ルイス・アルメイダ、ルイス・フロイス、ワリニヤーノ、オルガンティノ、さらにシドッティなどである。
 日本人宣教師としても、イルマン・ロレンソ了斎4人の天正遣欧使節ペトロ岐部、マンショ小西、金鍔次兵衛、コンスタンティノ・ドラードなどである。
 さらにキリシタン大名や武将たちの生き方も興味深い。高山右近、内藤如安、大村純忠、大友宗麟、小西行長、志賀親次それに黒田如水などである。天草四郎も加えておきたい。
 この時代のキリシタンの女性たちも魅力的である。細川ガラシア、そして清原マリアなどである。
 まだまだたくさんいるだろう。これらの人たちの生き方を訪ねるのもとても興味深い。このブログでもすでに何人かは紹介している。これからも少しずつ紹介していきたいと思う。


風渡る ところで、最近「風渡る」(葉室麟著 講談社 2008年刊)を読んだ。
 この本の帯にでている紹介は以下のようである。

 黒田官兵衛とジョアンを通して見る変革の時。時勢を見抜く目を持った軍師・黒田官兵衛と、折々に官兵衛にかかわりながらキリシタンとして誠実に生きたジョアンの交流を、さわやかに描く著者渾身の歴史長篇。
 居場所を求めて駆け抜けた二人。秀吉の懐刀・黒田官兵衛と、日本人修道士・ジョアン。二人は、未曾有の変革の時を、時代の風を受けて生き抜いた。高校時代、吉川英治の『黒田如水』を読んで、歴史小説への目が開かれた。―満を持して放つ書下ろし歴史長編・葉室流黒田官兵衛。

 つまり、黒田如水こと官兵衛と修道士ジョアンを描いた小説である。
 そういえばこのジョアンという人物、現在朝日新聞連載中の「徒然王子」にも登場していた。あの人物と同一かどうかはもう一度読み直さねばわからないのだが…。
 この小説「風渡る」にも「徒然王子」にも前記の興味深いキリシタンたちが多数登場してくる。
 ロレンソ了斎やルイス・アルメイダ、トルレス、カブラル、ルイス・フロイス、それにオルガンティノ、ワリニヤーノなどの宣教師たち、それに高山右近、小西隆佐、小西行長、大友宗麟などである。いずれもとても個性的で興味深い人物像として描かれている。

ロレンソ 黒田如水については改めて紹介する必要がありそうであるが、ここではイルマン・ロレンソ了斎について紹介してみたい。こんなエピソードが書かれていた。

 ジョアンが初めてロレンソと会ったとき、ジョアンはこれほど惨めな姿形の修道士はいないだろうと思った。
 小柄で貧弱な体つき、片方の目は失明しており、もう片方も視力が弱り、ただぼんやりとかすんで見えるだけだった。39歳だが渋紙のように日に焼け、顔のしわも老人のように深かった。
 ロレンソは肥前生まれで了西という名だった。キリシタンになる前は琵琶法師で、各地を放浪し、旅の途中で嘲笑され、石を投げられることも珍しくはなかった。
 
 ロレンソはみじめな外見とは裏腹な強靱な説教者だった。
 永禄6年に三好氏の家老で今日の実権を握っていた松永弾正久秀が家臣の結城山城守らに宣教師を論破させようとしたことがある。
 このとき久秀の命により、結城山城守。清原枝賢、高山飛騨守の3人がヴィレラを奈良に呼び出して論争を持ちかけた。3人の中でも公家の清原枝賢は、戦国時代第一の学者といわれた清原宣賢の孫で神道家吉田兼倶の弟であった。キリシタンにとってはもっとも手強い論争相手だった。3人は「話を聞きたい」とヴィレラを奈良に呼び出そうとしていた。しかし、応じてやってきたのは一人で杖にすがったロレンソだった。ロレンソは3日間ぶっ続けでキリシタンの教えを説いた。
 討議を重ねるに連れ枝賢たちは論破され、キリシタンに好意を持つようになった。枝賢たちは40日後にヴィレラから洗礼をうけ、ともに京に戻った。
 京の人びとは、枝賢たちがキリシタンを論破して戻った、と思ったところ逆に入信したと聞いて声もなかった。


 この3人のうち、高山飛騨守は高山右近の父となる人物であり、また清原枝賢の娘は細川ガラシアに影響を与える小侍従清原マリアいとである。
 イルマン・ロレンソがどのような論法でこの3人の論争に挑んだのか興味が尽きないところだがそれにしてもこのロレンソという人物のただならぬ弁舌に感服するのである。
 高山右近をはじめおおくのキリシタン武将を導いたのはまさにロレンソではなかったのかとさえ思うのである。
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2008年11月27日

長崎でナンキンハゼとモミジバフウの紅葉に迎えられました。

 長崎で「ペトロ岐部と187殉教者列副式」に行きました。その長崎で私たちを迎えてくれたのは、ナンキンハゼとモミジバフウの紅葉でした。

ナンキンハゼ1 ナンキンハゼについては以前紹介したことがありますが、紅葉がこんなに美しいということは知りませんでした。白い実がはぜて黒い種も見ることができました。特に浦上近くのサントス通りのナンキンハゼの並木がキレイでした。
 こちらでもこんなに美しく紅葉するのか、改めて観察する必要がありますね。

ナンキンハゼ落ち葉 ナンキンハゼの木の下の落ち葉も色とりどりになって結構キレイです。これは葉の表と裏で色が違ったり、黄色や緑の混ざったものがあって美しく見えるようです。しかも枝から落ちてもあまり色が変わらないのですね。


フウ1 もうひとつ平和公園近くのモミジバフウもキレイでした。「楓」という漢字は日本ではカエデとよみますが、中国ではこのフウノキの仲間をさしていうようです。葉の形がカエデと同じで、紅葉がキレイなのも同じなのですが、カエデの仲間ではありません。




フウ落葉 この木の下の落ち葉です。これはナンキンハゼほどではないのですが、それでもやはり落ち葉も美しいです。
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キリシタンの旅

 長崎で行われた「ペトロ岐部と187殉教者列副式」に行きました。
 長崎について最初に訪れたところは、日本26聖人記念館でした。そこで館長のレンゾ・デ・ルカ神父と会いました。さらにそこで元館長の結城了悟神父の訃報を知りました。あと数日後の列副式を前に、結城神父はどういう気持ちで帰天されたのでしょうか? 
 結城神父の生涯をかけたキリシタン研究の偉業を讃え、心より冥福を祈ります。

 記念館の入り口に「キリシタンの旅」という詩がありました。

キリシタンの旅

日本の教会史の中には数多くの旅が見られる。

西洋と日本を結んだ
ザビエルと他の宣教師の旅
または天正遣欧使節や
支倉常長の旅

平和の時にも
迫害の時にも
日本を歩き回ったアルメイダ、デ・アンジェリス、
岐部、金鍔らの宣教の旅

神を賛美しながら
十字架の道を歩く
二十六聖人、高山右近、
雲仙などの殉教者の旅

信仰の自由を守る
潜伏キリシタン、とりわけ
浦上信徒の「旅」


たしかに、この時代のキリシタン宣教師の生涯は旅の中にありました。

今回の私の巡礼もキリシタンの足跡をたどるまさに旅なのでしょう。これから少しずつこの私の「巡礼の旅」を紹介しましょう。
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2008年11月21日

今ごろ実のなる木3種

 今ごろ実のなる木です。


サネカズラ まずサネカズラ。枝や葉にはねばねばした汁が多く、昔樹皮の汁を水でといて整髪料に使用したことからビナンカズラ(美男葛)ともいう。果実は小さな液果が丸く集まった集合果であるところに特徴がある。花は8月に咲くという。今度気をつけてみてみよう。
何木1 これは名前がわかりません。小さなオレンジ色の液果をたくさんつけていました。ビワかカキを小さくしたような実です。葉っぱはクヌギみたいで、でもクヌギはどんぐりの実だし……………。


何木2 これも名前がわかりません。実はすでに乾燥していた感じです。

 名前のわからない木はあまり見かけない木です。これらについてどなたか心当たりのある方は教えてください。
 この木の生えている場所はわかっているので、花のつくころに訪ねて花から検索してみる必要があります。
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いろいろな紅葉


紅葉1 鎌倉市内を歩いて、紅葉を集めてみました。
 いろいろな紅葉があるものです。
 よく見ると紅葉のしかたにいろいろと気づくことがあります。
 たとえば複葉(ナンテン、ハゼ、ウルシ)の場合、葉の先の枝(根から遠い方)から紅葉するのか、それとも根に近い枝から紅葉するのか?
 1枚の葉について考えると葉柄の方からなのか、それとも葉先のほうからなのか?
 複葉のまとまりからいうと、枝に近い方からなのか先の方の葉からなのか?
 それとも単に日当たりのいいところからなのか?
 これも木によって異なるみたいです。


紅葉2 左の図は左上から、ハナミズキ、ドウダンツツジ、右上からツタ、レンギョウ、ヤマハゼです。
 レンギョウが紅葉するのは初めて見つけました。
 いずれも比較的早いうちに紅葉しますね。





紅葉4-1次は左から、ナンテン、ヤマハゼ、ツタの紅葉です。ヤマハゼは複葉の部分は枝に近い方から紅葉していくようです。ナンテンの紅葉の順番は複雑です。写真を見て想像してください。言葉では表現しにくい。




紅葉3 次は左上から、不明です。これはとても小さな葉です。
 その下はツタですね。
 さらにウルシです。
 左下はニシキギでしょうか。この中でもっとも鮮やかで美しくて優しそうだなとのはこの木かもしれません。
 右上はこれも名前がわかりません。
 右下はサンゴジュです。これは常緑樹ですが、陽のよく当たるところが紅葉しています。


ウルシ ウルシは石垣の隙間から生えています。こんな所に生える小さな木もかれんに紅葉することを発見してちょっと感動です。




ニシキギ ニシキギのニシキは漢字で書くと錦で、これは紅葉の美しさから来た名前のようです。枝にコルク質のひれがあるのでわかります。

 

 
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2008年11月19日

身の回りの紅葉3種


紅葉 家のまわりにも紅葉が進んでいます。
 サクラとカキとナンテンの紅葉の葉を撮影してみました。どれがサクラでどれがカキでどれがナンテンかおかりですか? よく比べると紅葉のしかたや色が違っていることに気づきます。




サクラ これはサクラの木の下です。これも美しいですね。桜は一度黄色くなってさらに赤くなります。その後黒ずんでくるのです。




カキ わがやのカキの木です。これもいち早く紅葉します。カキの葉は細かくまだら模様に紅葉していきます。拡大してみるとキレイです。






ナンテン 近所の家のナンテンです。ナンテンの葉は緑が残っているときに紅葉が始まるので、緑と赤のコンストラクが鮮やかです。
 
 
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2008年11月17日

「魔法のバテレン」金鍔次兵衛神父のこと

 私はこの11月24日に長崎にて行われる「ペトロ岐部と187殉教者」列福式に参加します。
 列福とは、カトリック教会の「福者(聖人の前の位)」として列せられることをいいます。

 今回の列福にはペトロ岐部や天正遣欧使節の中浦ジュリアン、そして「魔法のバテレン」金鍔次兵衛が含まれています。ペトロ岐部や中浦ジュリアンについては以前このブログでも紹介したことがあります。

 今から20年ほど前に、図書館から「旅びと ペトロ岐部の生涯」(偕成社刊 松永伍一著)を借り出したことがありました。私はこの分厚い本を読み出したら興奮して寝られなくなり、ついに一晩で読み終えてしまいました。
 松永伍一という人はクリスチャンではないのですが、他にもキリシタン3部作といわれる著があることをしりました。これをなんとか探して本をよんだのですが、そのなかに「魔法のバテレン」という著があり、それは金鍔次兵衛という司祭の話でした。
 
 金鍔次兵衛は1600年頃大村の生まれ。有馬のセミナリオにはいって1614年ペトロ岐部らとともにマカオに国外追放となります。ペトロ岐部とは行動を共にせずかれはその後マニラに渡ってアウグスチノ会に入会、司祭となって日本に帰ってきます。1631年のことでした。
 そこからの彼の行動はまさに忍者のごとく神出鬼没、ある時は奉行所の馬丁となってとらわれているキリシタンをはげまし、あるいは江戸に行って将軍の足元で宣教をしたり、長崎奉行所は躍起になって彼を捜索します。
 かれは、金鍔谷の次兵衛岩と呼ばれている洞窟に身を潜めるのですが、ついに1636年11月1日に捕らわれ、2度にわたる逆さづりの拷問にも耐えて壮烈な殉教死をとげ37歳の短い生涯を終えます。

 

 
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2008年11月14日

新開発「脳トレグループ協力ゲーム」

 わたしは学校のクラスなどでする「協力ゲーム」の開発をしてきました。といっても過去にはまだ2つのゲームしか開発していませんが……………。

 その二つとは
1.画用紙切り取りペア探しゲーム
2.6種類のTパズル組み立てゲーム
 です。
 これについてはまだ紹介したことがなかったっけ? いずれまた紹介することにしよう。

 今回は「グループ脳トレ協力ゲーム」とでも名付けたらいいかもしれません。


記憶2 ポスターに6列×5行=30の単語を記しておく。花の名や体の部分などともかくランダムなことばを選ぶといい。
 そのポスターを2分間見続けてそこに書かれてあるものを記憶する。
 時間が来たらポスターを見えなくして、記入用紙に覚えている単語を記入する。
 4人のグループをつくり、グループで記憶している単語の数の合計を記録用紙に記入する。重複している単語は1個とする。

記入用紙 そこで、どうしたらグループで覚えている単語の数を増やせるかについて話し合う。
 その話し合いを元に第2回目を行う。2枚目の単語群を書いたポスターを見せてまた2分間で記憶する。
 あとはこれを繰り返して全部で5回行う。

 こんな手順です。
 5回全部が終わったら、記入用紙の右側のグラフに個人の記憶単語数とグループの合計の記憶単語数をしるして折れ線グラフに書きます。
 そして、クラス全体でそれぞれのグループの第5回目の結果を発表します。
 さらにグループでどのような話し合いが行われたかを発表します。
 とくにいちばん多くの数を記憶できたグループの話し合い結果をきくといいでしょう。
 協力するということがどういうことなのかをこの作業はよく示してくれると思います。

 だいたいこんな内容がグループで話し合われると思います。
 まず、覚える単語を分担することが話し合われるでしょう。4人だとちょっと分け方が難しくなっています。
 次に、覚え方について話し合われるでしょう。頭一文字を覚えるとか、いや2文字がいいとか、やみくもに頭から丸暗記するのがいいとか、さらに関連づけたり、似たものを覚えていくとか、連想で物語を作るとかいう方法も出てくるはずです。たくさん覚えている人からその方法を教わるはずです。その方法を1回ずつ確かめていくかもしれません。
 さらに再び分担の方法について話し合われるでしょう。よく覚える人はたくさん割り当てられるようになるかもしれません。
 5回をしたら、たぶん全部を覚えることができるようになるでしょうね。

 このゲームでは、課題を達成するために協力することの方法を学ぶことができます。
 ここでは分担の方法や、記憶のしかたを教わるという所に「協力」の一つのあり方が見えてくると思います。
 協力というのは、1+1=2+α(アルファ) という現象です。一人一人が持っている力を寄せ集めて、一人一人の力を単純に合計したものよりも大きくする、つまり+α(プラスアルファ)を最大にすることなのですね。
 ときにαがマイナスになることもあります。対立したり、非協力者がいたり、足の引っ張り合いがあったり、そういうときにはマイナスになってしまいます。
 作業が終わったあとに、このような「協力を妨げるもの」「協力を助けるもの」を生徒たちにあげてもらうのもいいと思います。

 なお、この作業をPowerPoint のファイルに作成してあります。これを使うとポスターにする必要がないのでいいと思います。これも添付できるとよいのですが、ファイル量が大きすぎて添付できません。希望者は私の所へお申し込みください。個別にお送りします。
 この作業をしてみて結果を報告してください。さらにこれを皆さんで協力して改良していきましょう。

 このような協力ゲームを皆さんでも考えてみてください。
 シンプルな作業で一人でするよりも協力したらずっとよくできるというような性質の作業がいいと思います。

 
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2008年11月11日

世界でもっとも小さな科学館「理科ハウス」をつくった人

 今日11月11日、昼のNHKテレビを見ていたら、逗子の科学館「理科ハウス」が紹介されていた。

 これは「科学遊びの伝道師」森裕美子さんが個人的につくった「世界でもっとも小さな科学館」である。

 そのホームページに「理科ハウスへの想い」として次のようなことが書かれていた。

 身近に科学館があったらどんなにいいだろう。これが長年の私の夢でした。「身近に」という意味はふたつあります。ひとつは家の近くにあるということ。散歩ついでに立ち寄れる科学館。もうひとつの意味は、科学館のレベルが自分に合っているということ。展示の説明が難しすぎたり、不親切だったりしたら、科学がどんどん遠いものになってしまいます。けれども、こんな都合のよい科学館はどこにもありません。それなら、「自分で作るしかない!」ということに気づいたのです。

 もうひとつここには彼女の祖父石原純という物理学者のことを紹介したいという想いもこめられていた。この人はアララギの歌人でもあったという。

 森裕美子さんの「想い」は「おもしろ科学たんけん工房」の人の思いと共通するものである。
 こんどぜひ逗子の「理科ハウス」を訪れてみたい。
posted by mrgoodnews at 23:49| Comment(0) | 科学のおもしろさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

経世家林子平の「寛政の奇人」的生き方


林子平1 林子平は江戸中期の経世家。上州の高山彦久郎、下野の蒲生君平とともに「寛政の3奇人」のひとりである。
 林子平(1738〜1793)は仙台の出身。日本全国を歩き、外敵の侵入の恐ろしさを警告して「海国兵談」と「三国通覧図説」を著した。この書は世界的視野にたって、「藩」という発想ではなく、日本という国の防衛を説いたところに彼の思想のスケールの大きさが伺われる。
 しかし、これらの書は出版するところが見つからず、自ら版木をつくって自費出版したが、幕府の禁に触れ版木を没収された。さらに仙台に蟄居を命ぜられ、そこで没す。

 親も無し 妻無し子無し版木無し 
     金も無けれど死にたくも無し



林子平2 このような歌を残し、と嘆き、自ら六無斎(ろくむさい)と号した。
 宮城県塩釜市の名前の由来である鹽竈神社に日時計がある。これは長崎の出島にある日時計をもとにして林子平が作ったものだそうだ。何故長崎の出島の日時計のレプリカが仙台にあるのか? その辺りに林子平が奇人たる所以があるかもしれない。

 平賀源内、渡辺崋山、高野長英らに共通するすさまじいまでの生き方である。かれらがあと100年後に生まれたならば………。


 
 

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2008年11月10日

図形における点と線と面の法則

 前述のエンツェンス・ベルガー著「数の悪魔」(晶文社刊)にこんな話も載っていた。

 たとえばこんな平面図形がある。
 それぞれの点と線と面の数を数えよう。
 すると次のような法則が存在する。

 
点線面1点の数+面の数−線の数 = 1

 10 + 11 − 20 = 1






点線面2 こんな図形なら

 7  + 2  − 8  = 1






点線面3 この図形の場合には

 8  + 3  − 10 = 1






 自分で任意の図形を考えてみてこの法則を確かめてみるといい。


点線面5 これを立体図形で考えてみよう。
 たとえばこういう立体図形なら

 8  + 6 − 12 = 2

つまり立体図形の場合には

点の数+面の数−線の数 = 2

なのである。

 どうしてこうなるのか、どなたか説明できたら教えてほしい。なんていうことのない法則であるのだが、その証明はけっこう難しいのかもしれない。
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2008年11月08日

唱歌「冬の星座」と「星の界(よ)」

 11月8日付の「be on Saturday」の「高橋睦郎 花をひろう」に「冬の星座」と「Mollie Darling」が紹介されていた。

 そういえばこの「冬の星座」という歌は唱歌に含まれていたが、原曲はアメリカの作曲家ヘイスが1872年に作詞・作曲した『愛しのモーリー(Mollie Darling)』だという。原曲はいわば甘いラブソングなのだが、これに堀内敬三が日本語詞をつけ、昭和22年(1947)に中学の音楽教科書に掲載されました。

    冬の星座
            作詞 堀内敬三

1 木枯らしとだえて さゆる空より
  地上に降りしく 奇(くす)しき光よ
  ものみないこえる しじまの中に
  きらめき揺れつつ 星座はめぐる

2 ほのぼの明かりて 流るる銀河
  オリオン舞い立ち スバルはさざめく
  無窮(むきゅう)をゆびさす 北斗の針と
  きらめき揺れつつ 星座はめぐる


 英語の曲はこんな詩である。

      Mollie Darling

1. Won't you tell me Mollie darling,
That you love none else but me?
For I love you Mollie darling,
You are all the world to me.
O! tell me, darling, that you love me,
Put your little hand in mine,
Take my heart, sweet Mollie darling,
Say that you will give me thine.
   (Chorus:)
   Mollie, fairest, sweetest, dearest,
   Look up, darling, tell me this;
   Do you love me, Mollie darling?
   Let you answer be a kiss.


2. Stars are smilling, Mollie darling,
Thro' the mystic vail of night;
They seem laughing, Mollie darling,
While fair Luna hides her light;
O! no one listens but the flowers,
While they hang their heads in shame.
They are modest, Mollie darling,
When they hear me call your name.
   (Chorus:)

3. I must leave you, Mollie darling,
Tho' the parting gives me pain;
When the stars shine, Mollie darling,
I will meet you here again.
O! goodnight, Mollie, goodbye, loved one,
Happy may you ever be,
When you're dreaming, Mollie darling,
Don't forget to dream of me.
   (Chorus:)


 原曲はラブソングなのだが、日本語になるとこういう格調たかい詩がつけられる。

 そういえば「星の界(よ)」という唱歌もあった。これの原曲は賛美歌である。これも格調高い詩がついていた。意味もわからずに歌っていたものである。

   星の界(よ)
    作詞 杉谷代水 作曲 コンヴァース

月なきみ空に、きらめく光、
嗚呼(ああ)その星影、希望のすがた。
人智(じんち)は果(はて)なし、
無窮(むきゅう)の遠(おち)に、
いざ其の星影、きわめも行かん。

雲なきみ空に、横とう光、
ああ洋々たる、銀河の流れ。
仰ぎて眺むる、万里(ばんり)のあなた、
いざ棹(さお)させよや、窮理(きゅうり)の船に。


 この歌は賛美歌として教会でよく歌われる。

  いつくしみ深き友なるイエスは
    作詞 ジョセフ・スクリヴェン

いつくしみ深き 友なるイエスは
罪とが憂いを 取り去りたもう
心の嘆きを つつまずのべて
などかは降ろさぬ 負える重荷を

いつくしみ深き 友なるイエスは
われらの弱きを 知りてあわれむ
悩み悲しみに しずめる時も
祈りにこたえて なぐさめたまわん

いつくしみ深き 友なるイエスは
変わらぬ愛もて みちびきたもう
世の友 我らを捨て去るときも
祈りに応えて いたわりたまわん


 賛美歌の歌詞は作詞者の婚約者が結婚直前に亡くなった時の悲しみの中で書かれたものだという。
 これでよくわかった。なぜ葬儀のミサでうたわれるのかが。

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2008年11月05日

仙台元寺小路教会のペトロとパウロ


ペトロ SIGNIS の「教会とインターネット」セミナーのために仙台教区のカテドラルである元寺小路教会に行きました。
 教会の入り口の左右にペトロとパウロの大理石でできたレリーフがありました。

 ところでどちらがペトロでどちらがパウロであるかわかりますか?


パウロ 左側にある(右を向いている)のがペトロですね。「天国の鍵」を持っているからわかります。
 とすると右側の左を向いている方がパウロでしょう。パウロは何を持っているのでしょうか。紙を巻いたものもっているようです。とするとパウロが持っているのは「手紙」ということになるのでしょう。
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いよでこテーブル、いよほっぺテーブル、いよあごテーブル


iいよでこ 最近「こたつテーブル」を購入した。今までは普通の炬燵に脚を足して少し高くしたものを使っていた。母のいよさんはソファーに腰掛けていた。ところが妻もわたしも日本すわりがちょっとつらくなっておもいきってこたつテーブルにしたのである。
 テーブルといす2脚とこたつがけで3万1000円はちっと出費だったが、思い切って買うことにした。
 結構使い勝手がいいのだが、足を入れた下からこたつの中に冷たい空気が入ってしまい、足もとがスースーするのである。


いよあご ところでこれを使うようになって、母の居眠り姿がかわってきた。食後何分かすると母は眠くなって居眠りを始める。
 これまではソファーの上でうつむいてコックリコックリしていたのだが、これが入ってからはテーブルに顔をうっぷして居眠りを始めるのである。
 しかもよく観察するとそのいねむりスタイルは3つあることがわかった。
 まずおでこをテーブル板につけて寝るすがた。わたしはこれを「いよでこテーブル」となづけた。これを長く続けると目が覚めて顔を上げるときにおでこに赤い跡がつく。

いよほっぺ 次に、テーブル板にあごをおいて寝ているスタイル。これは「いよあごテーブル」である。
 3つ目は横を向いてほっぺをついて寝るスタイル(いよほっぺテーブル)。

 いよさんはついにこの3つのポーズを写真に撮られてしまったのである。
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偶数、奇数そして素数の不思議

「数の悪魔 −算数・数学が楽しくなる12夜」(エンツェンス・ベルガー著 丘沢静也訳 晶文社 1998年刊)を読んでいたら、こんな話が載っていた。

 1より大きな数を選ぶ。(たとえば4としよう)
 それを2倍する。(つまり8である。)
 それを4倍する。(つまり32である。)
 するとその2倍した数と4倍した数の間には少なくとも素数が1つはある)


 たとえば111.その2倍は222,その4倍は444。その間の素数は307である。ほかにはなかっただろうか?

 2より大きなある偶数を考える。するとそれはかならず2つの素数を足したものである。


 たとえば
     48=31+17
     34=29+ 5
 例外なしにそうなのだが、これはだれもまだ証明ができていないという。

 もうひとつ、奇数にも似たような特徴がある。

 5より大きな奇数を考える。するとそれはかならず3つの素数を足したものである。


 たとえば
      7=1+ 1+ 5
      9=1+ 3+ 5
     55=5+19+31
 これも、証明できていないのだそうだ。

 この本の著者エンツェンス・ベルガーであるが、1929年ドイツ生まれの詩人、作家、批評家である。常に時代への鋭い提言に満ちた文筆活動を展開。「政治と犯罪」「ドイツはどこへ行く」「冷戦から内戦へ」「スペインの短い夏」「意識産業などの評論集や「ねこのアイウエオ」などの絵本、子ども向けのソングブックも出している。
 そういえば「スペインの短い夏」「意識産業」は学生時代に読んだ覚えがある。内容は覚えていないが。
 つまり、この著者は数学者ではないところが興味深い。     
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珍味「塩トマト甘納豆」の不思議


塩トマト甘納豆 宮城県登米の「道の駅」で「塩トマト甘納豆」なるものを手に入れた。
 帰ってさっそく食してみた。
 
 はじめは塩味がして、ドライフルーツの食感で酸っぱく甘くなり、かすかにトマトの風味がある。けっこうおいしい。

 製造は仙台市若林区のアイビー(株)とかいうところで原材料名は「トマト、砂糖、食塩、クエン酸、漂白剤(亜硫酸塩)」とある。酸味はクエン酸のもののようである。

 インターネットで調べてみたところ、これはけっこういろいろなところでつくられているようで、ここの特産物ではない。
 しかも袋に貼られているシールがほとんど同じということに気づく。

 そもそも「甘納豆」というのはなぜか? 甘納豆は豆ではないのか?
 「納豆」というからには納豆菌で腐敗させてつくるもののはずだが、トマトでもできるのだろうか? ドライフーズとどこが異なっているのだろうか?

 一つわかったことは「塩トマト」というのがトマトの品種にあるということだった。WIKIPEDIA に以下のような説明があった。

 塩トマト(しおトマト)は、熊本県八代地域など土壌塩分濃度が高い干拓地などで栽培される特別栽培のトマトで、糖度が8度以上のものである。果物並みに甘くフルーツトマトの元祖であり、しっかりした歯ごたえと一般のフルーツトマトとは全く異なる味覚を持つ。 収穫時期は11〜5月頃、3月がピークである。 栽培地域が限定されるので、希少価値があり超高級品として贈答用などにも使われる。


 ただしこの「塩トマト甘納豆」がこの品種のトマトを使っているかどうかは不明である。

 ところで「甘納豆」であるが、これもWIKIPEDIA で調べてみると、納豆菌の納豆とは関係ないらしい。

 甘納豆(あまなっとう)は、マメ類やクリ、ハスの実などを砂糖漬けにした和菓子のひとつ。
 アズキ、ササゲ、エンドウマメ、ソラマメ、インゲンマメ、最近ではウグイスマメなども材料に用いられる。材料を砂糖と共に甘く煮詰め、砂糖をまぶしてから乾燥させて作る。
 1857年(安政4年)に栄太楼が開発した。当初は浜名納豆(浜納豆)に似せて甘名納糖と名づけられ、名前が簡略化されて甘納豆と呼ばれるようになったのは第二次世界大戦後のことである。
 納豆とは関連性がないが、一部混同される場合もある。


 甘納豆とは材料を塩・砂糖とともに煮詰めて砂糖をまぶしたものを乾燥させたものということである。
 何だか、そんなにおもしろくもない結論となった。

 しかし、それにしても製造元と産地はそれぞれ異なるのに、この袋に貼られたシールがみんな同じということが気になる。ひょっとするとほんとうの原産地は中国か?


posted by mrgoodnews at 10:46| Comment(1) | 味のダイナミック・メモリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする