2009年02月28日

女子高生と共同開発、崎陽軒「百々(もも)」

 ここのところ、なぜか森林太郎作詞の横浜市歌について書いたページにアクセスが集中しています。横浜市は今年開港150年とかで盛り上がっているからなのか、理由はわかりません。
 そこで横浜にちなんだ Good News をひとつ。

 横浜のシュウマイで有名な崎陽軒が、女子高生とタイアップしてお弁当を売り出した。その名も「百々(もも)」。
 創立100周年を迎えた高木女子学園高校と崎陽軒が、その記念行事として開発した。3月13日までの限定発売で700円である。

 若い女の子が食べたいというメニューを、全校生のアンケートで選び、それにもとづいてメニューをつくり。崎陽軒が調理、弁当として販売した。
 メニューはレモン風味の鶏の唐揚げ、春雨炒め、コールスローサラダ、そしてシュウマイで、パッケージは女子校生ごのみのピンク色で、名前も100周年の「百」にちなんだとか。

 わたしは、女子高生と組んでお弁当を開発したところがいいなと思った。彼女たちはとてもいいセンスを持っているので、これを商品作りに活かさない手はないと思う。それにこれってなかなか横浜らしい企画だし………。
 
 お弁当作りはとてもいいところに目をつけたと思うのだが、そのほかにも女子高生と共同開発したらいいものがあると思う。さて、それはなんだか……………。
 わたしはまだ買っていない。今度買ってみて味わってから写真をアップすることにしよう。
 

 
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2009年02月27日

「今、あなたを、愛する」という答え

 友人の学校の朝礼で、同僚が生徒の前で話したはなしだそうです。

 中世の神学者エックハルトは、仲間達から3つの質問を受けたそうです。

 1.1日の中で一番大切な時間はいつですか?

 2.人生の中で一番大切な人は誰ですか?

 3.人生の中で一番大切なことは何ですか?


どう答えたと思われますか。

 ちょっと考えてみましょう。あなたならどう答えますか?

 エックハルトはこう答えたそうです。なるほどですね。

 一番目の,「1日の中で一番大切な時間はいつですか?」には,「今」と答えたそうです。
 二番目の,「人生の中で一番大切な人は誰ですか?」には,「あなた」と答えたそうです。
 そして,三番目の,「人生の中で一番大切なことは何ですか?」には,「愛すること」と答えたそうです。


 1と2の答えは、ちょっと意表をつかれた答えですが、よくよく考えるとやはり正しいのですね。こういう答えこそ「真実」なのでしょう。3番目は平凡というか、当然というか、クリスチャンならそう答えるでしょう。
 やはり問題は2ですね。「人生の中でいちばん大切な人」に「あなた」と答えるのは勇気がいりますが、やはりそういう生き方をしたいというのぞみは持ち続けたいものです。

 以上 MAGIS から教わったことでした。
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2009年02月23日

「混沌の中の光り −信徒が歩んだ「霊操」の道」を出版しました


混沌 このたび「混沌の中の光り −信徒が歩んだ『霊操』の道 『霊操ジャーナル』総集編」という本を出版しました。
 A5判200ページの本で、表紙は私がデザインしました。

 この本は、1989年から2004年の15年間にわたり、合計45号が発行された「霊操ジャーナル」を、編集発行してきた「地の塩CLC」がもう一度みなで読み合わせ、そのなかから67人分の原稿を選んで本にしたものです。
 「霊操ジャーナル」はもともとが信徒の間に「霊操」を普及するという目的のもとに刊行され、おもに「霊操」の体験者の手記を集めた記事を多く掲載してきました。
 そういう書としてはおそらく日本でも初めての出版になるだろうと思います。

 ところで、そもそも「霊操」とはなにか?
 ひとことで言えば、イエズス会を創始したイグナチオ・ロヨラが始めた一ヶ月の黙想のプログラムである。
 体のエクササイズのことを「体操」というように「魂のエクササイズ」が「霊操」なのである。
 この「霊操」は弾圧が激しくなるときのキリシタンたちの間にも広まっていったといわれている。キリシタン版の活版印刷物のひとつに「心霊修行」と当時呼ばれていたイグナチオの「霊操」の本があったのである。

「霊操」についてはそのうちにまたもっと詳しく紹介しようと思っている。

 なおこの本をご希望の方は、私にメールをください。1冊500円+送料160円でお届けします。
 eMail: itaru@m5.dion.ne.jp
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2009年02月22日

駅そば店の閉店挨拶の悔しさとやさしさと


そば店1 JR鶴見駅プラットフォームにある立ち食いそばのお店の閉店の挨拶が掲示されていました。

 私もときどき利用していて、メニューにも工夫があって結構おいしかったし、お客さんもほどほどにいたような気がして、閉店というのは意外でした。
 そしてそこに店長さんの自筆の「閉店の挨拶」が貼られていました。この文章には閉店の悔しさと人柄のやさしさとがよく表現されていると思いました。


そば店2 そういえば以前こんな貼り紙がしてあって、この店長さんは、きっと信仰心を持った方だなと思っていたのですが、「閉店の挨拶」を見てもやはりそれも表れていますね。
 どういう人なのか、お店を閉める前に話してみたかった人でした。
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2009年02月21日

明治期に来日した外国人が見た日本人2題

 2月9日の毎日新聞「余録」にこんな記事があった。

「いきなり話しの要点に入るのはとっても不作法/交渉は日がな一日あわてずに/『すぐに』が1週間のことをさす、独特の/のんびり、のんきな日本流/時間の動きはてんでバラバラ/報時の響きはそろわない」
 明治に来日した米国人が書いた「おおざっぱな時間の国」という詩である。今ではちょっと耳を疑うが、西本郁子さんの「時間意識の近代」(法政大学出版局)によると、幕末や明治の日本人はのんびりと時間にこだわらぬ人びとだったらしい。


 こののんきな日本人が、世界有数のせっかちで時間にうるさい国民に変身していく過程をこの本は描いているという。余録子はこのあと国連安保理の議長国になった日本が各理事国にセイコーの電波時計を贈って時間厳守を呼びかけたという話につなげていく。
 「余録」はよくこんな話の展開をする。私はなかなかみごとな展開だといつも感心して読む。今起こりつつある出来事を何かの故事と結びつけていくその手法がみごとである。何よりもその博学さに舌を巻く。

 こちらは朝日新聞2月14日の「磯田道史の歴史ごよみ」にはこんなことが書かれていた。

 お金をかけずに人生を楽しむ極意がある。好奇心だ。明治期の来日外国人は、日本人が存分に人生を楽しんでいると気づき、その秘訣は好奇心にあると見抜いている。
 ドイツの医師ベルツは「日本人は陽気で快活、人生を楽しむすべを知っており、金には目もくれない。(『ベルツ日本文化論集』)、ロシアのメーチニコフは「日本には見物というどうにも翻訳不可能な言葉がある」といった(『回想の明治維新』)。
 日本人は見世物の天才。江戸時代からテーマパークを楽しんだ。特に大阪は自由。度肝をぬく見世物が表れた。


 そういえば、平賀源内が最初の見本市を開いたのは大阪でした。
 この日本人の「好奇心」べつなことばでいうと「物見高さ」はやはり特異だったんだ。

 この二つの明治期の日本人像は、とても新鮮でういういしい。
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2009年02月20日

マイズナー技法という演技法

 2月2日の朝日新聞"Be onSaturday"のフロントランナーという記事において、演出家・キャスティングディレクターの奈良橋陽子さん(61)が述べていること。

 女優を志した20代の頃、米国で「マイズナー技法」という演技法を学びました。演技は「ふりをする」のではなく、自分の中の「真実」を使う。本能的な感覚を磨き、劇中でも現実と同様に真の衝動に基づき反応するんです。役が感じる痛みや恐れはすべて自分の感情。これができる役者はたいてい海外でも通用します。英語力も必要だが、あとから付いてくる。


 この「マイズナー技法」という言葉で検索したら、多くの書き込みはこの記事に触れたものでした。
「ふりをする演技ではなくてなりきる演技」とでもいったらいいのでしょうかね。それが「自分の中の真実を使う」ということなのでしょう。
 インターネットで検索をしていたらGood News という名前のホームページを発見しました。こちらも大量の Good News を発信し続けています。

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2009年02月19日

スウェンソン著「ノンニとマンニのふしぎな冒険」が十二所においてあった。


ノンニ 十二所の黙想の家にヨーン・スウェンソン著「ノンニとマンニのふしぎな冒険」という絵本がおいてあった。

 この本がなんでここにあるのだろうと不思議に思って、手にとって読んでみた。

 この著者の略歴を見て納得をした。この著者はアイスランドのイエズス会の神父だったからだ。 
 まずアイスランドという国が珍しい。アメリカの金融危機でこの国は破綻に追い込まれたとかいうのでちょっと有名になった国である。
 イエズス会の神父で絵本作家あるいは子どもの読み物作家というのもめずらしい。

 この神父の書いた児童向けのお話しはほとんどが自分が子どもだったときに体験したことが書かれていて、そのなかに自分がなぜ司祭になったのかというようなことも含まれている。この主人公の子どもたちは、迷子になってしてもよく祈る子どもであった。

 著者は日本を訪れたのが、いまから70年前のこと、すっかり日本が気に入って1年近く日本にいたのだそうだ。
 
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2009年02月16日

チャドで働いていた日本人修道女の死を悼む

 私はカトリック学校において宗教を教えていた教員として、カトリック学校の教育成果を評価する指標は次のようなことにあるのではないかとひそかに思っていた。これはカトリック学校の「隠されたゴール(Hidden Goal)」としてカトリック教育学会で発表したことがあるので「ひそかに」ではないかもしれないが……。
 それはカトリック信者を増やすことよりもずっとずっと大事なそして本質的な指標になると思うが、これをおおっぴらに掲げると受験生が減少してしまうだろう。

 その第1は、胎児診断で胎児に先天性の異常がある可能性が高いといわれたときに「それでも産みます」と答えられること。
 第2には、釜が崎や山谷などに住む日雇い労働者やホームレスの人びとを見て、こどもに「しっかり勉強しないとあーいう人になってしまうよ」という見方を拒否できること。
 第3に、海外旅行をしようと誘われたときにヨーロッパやアメリカよりもアジアやアフリカを選ぶことができること。
 第4は、第3と似ているが、アジアやアフリカの貧しい人びととともに生きることを選択する人がどれだけ卒業生の中から生まれるかということ。
 第5は、出世や社会的地位の向上のために生きる「昇っていくいきかた」ではなく、ベテルふうにいえば「降りていく生き方」を選択できる人がどれだけうまれるか。

 ミッションスクールの教育評価を測る指標はきっとこういうものであるとおもう。けっして大学の進学率やいい会社への就職率ではないのである。

 ところで前置きが長くなったが、今日2月15日、友人から彼女が教えていたカトリック学校の卒業生が、修道女としてアフリカのチャドで働いていたときに交通事故にあってなくなったというニュースが知らされた。つい先日の2月2日のことである。
 私はそのシスターに面識があるわけではないが、このニュースを聞いて思わず悲しくて涙をこぼしてしまった。
 この話を聞き、すぐにインターネットで検索をしてみたら、彼女の死を悼む記事がいくつか掲載されていた。学校の同窓生や友人の記事もあった。
 日本人に限らず、こういうところで働く修道女が大変多く、その中のかなり多くの人がカトリック学校の卒業生であるということは、カトリック教会とカトリック学校の誇りでもある。

 私の教会では、このような日本人修道者がとくに現地の子どものために働いている学校や施設に、クリスマスのチャリティショウの利益を毎年送っている。以前チャドにも送った記憶があるが、もしやそのシスターが働いているところではなかっただろうか?

 あらためてご冥福を祈りたい。
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2009年02月14日

1000ページになりました。

 私のブログが実に投稿件数1000ページになりました。すごい!ですね〜。我ながらビックリして感動しています。
 開設したのが2005年6月でした。あれから3年と8か月で1000ページですから、2日に1ページ以上のペースで書いてきたことになります。ここのところペースが落ちていますが……。

 これも熱心に見に来ていただける読者の皆様のご愛顧があればこそです。どうもありがとうございます。

 なお、このブログは平均すると毎日400人のアクセスにより、1200くらいのページビューがあります。アクセスカウンターをつけていないので、累積するとどのくらいになるか見当がつきませんが、相当なアクセスになりますね。
 前にも書きましたが、そのうちの3分の1から半数はじつは Google や Yahoo の検索から来るのです。いろいろなキーワードに引っかかってこられるというわけです。
 DION によるとこのアクセス数は「学問」というカテゴリーの第4位なのだそうです。総合ではたぶん150位くらいでしょうか。(たいしたことないか)

 ところで、現在このブログ「Good News Collection」は88MBになろうとしています。100MBをこえると有料になるので、これはひょっとするとお引っ越しを考える必要があるかと考えています。
 できたら音声や映像も添付できるといいし、PodCasting もしたいし、などと考えていると自分でレンタルサーバーを借りて、WrodPress で自分のブログを構築して行かねばならないようです。
 そうするとせっかくここまで広がってきた読者をつなぎ止めるのが難しいし、Google で検索しに来てくれる人が来なくなってしまうのも悲しいし……………。
 どうしたらいいか、どなたかアイディアをお持ちの方はお教えください。
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プチギャラリー「いよさんと刺繍」展開催中

 大和に住んでいる妻の妹さんが、母のいよさんの刺繍をプチギャラリーに展示したいと申し出があったので、承諾しました。
 わたしたちが住んでいるところからちょっと離れているので、友だちに「来て来て」とは頼みにくい所なのですが、ブログ上でなら気軽にお願いできていいですね。

 お近くの方ぜひ行ってみてください。
 ただし2月17日までです。
 場所はこちら。
 このプチギャラリーのしたにあるラーメン屋さんのラーメンがおいしいというので、来られたついでにこちらもどうぞ。わたしたちも食べましたが、なるほどおすすめです。


いよししゅう ところでこのブログに登場する母のいよさんは89歳です。彼女は刺繍が好きでたくさんの作品を作ったのですが、そのほとんどは人にあげてしまい、家にはあまり残っていません。
 ときどき「ここはどこ? 私の家に帰らなくては」と言い出します。いよさんには記憶障害があって「物忘れ名人」なので「今いるところがわからなくなってしまう」のです。
 そんなときに壁に掛かっているいよさんの刺繍をみせて「ここはいよさんのおうちだよ。ほら、壁にいよさんの作った刺繍が掛かっているよ」といいます。
 「そうだねえ。あれはわたしがつくったものだねえ。ここはわたしのいえなのかな」と少し納得をします。しないときもあるけれど……。

 このたび、そのいよさんの刺繍をプチギャラリーに展示したというわけです。
 このプチギャラリーを自分の作ったものを気楽に展示するスペースにしたいといわれて、その意志を祝福したいという気持ちもありました。
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暗闇ごはんとブラインドレストラン

 朝日新聞2月12日の夕刊にあった記事である。題して「暗闇ごはん 新食感 浅草の寺」。

 薄暗い部屋で目かくしをしてごはんを食べる「暗闇ごはん」が東京浅草の緑泉寺で開かれ、人気を集めている。全国の若手僧侶で作るグループ「彼岸寺」が食について考える機会をつくろうと昨年1月から始めたイベント。視覚に頼らないために味や食感、匂いに敏感になるという。
 部屋に入る前に目かくしをするので、部屋の大きさも席の並べ方もわからない。一品ずつ料理が出されると、器の手触りから会話がはじまる。どんな匂いか、舌触りや味はどうかなどと話しながら、料理の素材や調理法を想像。表情が見えないとかえって初めての人同士でも会話が弾む。
「調味料の一つひとつや野菜の繊維の方向にもで気にして食べた。こんなに食べることに集中したのは初めて」と参加者の声。

 なるほどおもしろい。これがグルメのページではなくて、お寺の若手僧侶の企画として生まれてくるところがおもしろい。いかにも仏教的な企画であると私は思う。
 これは試みる価値があると思うので、今度「黙想の家」の企画としても試みるように提案したいと思う。
 これは確かにひとつの「宗教的体験」なのである。

 これを企画している仏教の若手僧侶のグループ「彼岸寺」に興味を持って、そのサイトをのぞいてみた。
 これもなかなかおもしろい。「禅カフェ」とか「お寺カフェ」とか「お寺でデート」とか行ってみたくなるような楽しそうな企画がいっぱいある。
「お寺もなかなかがんばっているな。教会もがんばらねば」と思わせるサイトであった。
 
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キリシタン武将小西行長に想いをよせて


小西 県立図書館で「小西行長伝」(木村紀八郎著 島影社刊 2005年)を借りた。584ページの分厚い本である。

 私が小西行長に興味を持ったのは、かれがキリシタンであること、そして秀吉の朝鮮侵略に対して彼のとった生き方、さらに関ヶ原後に投降しさらし首になったことなど、じつにおもしろいキリシタンらしい生き方をした人物だと思ったからである。
 この本のあとがきに書かれていることを読んで私はこの著者と小西行長についての想いを共有できると思ってこの本を借りた。
 この著者はほとんど名前も知られていない歴史小説を書く人で、もと自衛隊員であるらしい。そしてこの本を出版した島影社が長野県諏訪市にある出版社であることも気に入った。
 この本が県立図書館にあったところも嬉しい。

 この本のあとがきにはこう書かれている。

 徳富蘇峰の「近世日本国民史」を読んでいて、秀吉の朝鮮役にいたったときに見出したのが、小西行長が秀吉の朝鮮出兵を骨抜きにするため狂奔している姿である。秀吉をはじめ明や朝鮮などあらゆるものを欺くようなその行為は不可解で後世の歴史家をして言葉を失わせる。

 あらゆる人びとが戦乱の狂気の中に巻き込まれていくなかで、我が身に代えて朝鮮の人びとを守ろうとした一人の日本の武将が確かにいたのである。私はそれを確かめえた思いで、筆を置くことにした。


 この本のなかにこういうところがある。

 彼は、ただ朝鮮が再び受ける危難を回避させるとともに、このむなしい侵略を一刻も早く終わらせるために、族滅の危険を冒してまで朝鮮に(講和の)書状を送ったのである。
 行長の過去を見れば、幼いときから京都の教会で宣教師から受けたキリスト教の理念による薫陶を考えざるをえない。いのちの尊厳の認識と目先の利害を超えての人間愛である。
 行長をして、秀吉に対する欺瞞をおそれず、講和の道を探るため手段を選ばず狂奔させたのは行きがかりとか貿易の利の追求もあっただろうが、その根底には平和を求める固い信念があったというべきで、この時代の範疇を超えた人間性を見るのである。

 私は以前、朝鮮の役の時に「この戦いは義にあらず」としてむしろ朝鮮側に立って日本軍と戦った日本の武将が少なからずいたことを紹介した。この話はこの本にも少し紹介されている。
 また、この和平の使節として明に赴いたキリシタン武将の内藤如安についても書いた。
 さらに、天正の楠正成といわれたキリシタン武将志賀親次が朝鮮に出兵しながら戦わなかったことも紹介した。
 小西行長を見るときにも、これらのキリシタン武将が選択した生き方と共通するものを感じるのである。

 さらにこの本には、私の母方の青地家家系図にあった宮木豊盛という武将が、やはり朝鮮との講和のために働いたということも紹介されていた。

 私のような小西行長ファンは結構いるようで小西行長顕彰会なるサイトもあった。これによると小西行長ファンのことを「コニシタン」というそうである。
 

 


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尾道持光寺「にぎり仏」

 わたしはいろいろなところにおいてある無料のPR誌があるとそれを手にとって読んでみたくなる。ここにもけっこう Good News があってそれを発見すると嬉しくなるのである。

 最近手にしたのは郵便局にあった「モヨリノ」という「郵便局ではじまる季節の情報マガジン Vol.2/2008冬」。このPR誌のネーミングがなかなかいい。「最寄りの郵便局」昔はラジオでこういう表現がよく聞かれた。今ではあまり聞かれなくなった言葉かもしれない。そういえば、この「最寄りの」は郵便局以外ではあまり使われないようである。

 ところでこのPR誌に「旬のふるさとてくてく歩き」と題して広島県尾道市と福山市が紹介されていた。確かに瀬戸内のこの二つのまちはぜひ訪れてみたい町である。福山は過去一度だけ訪ねたことがあるが、尾道はまだない。

 「今の想い」を願いをこめてぎゅうっと握りしめてみる


にぎり仏 商店街を抜けて線路を渡り、坂道にさしかかる。尾道は坂道だらけの街だ。さあ。どう歩こう?「自由に」と思うとなかなか方向が決まらないものだな、と苦笑しながら、自分が今いる場所から一番近いお寺をめざすことにした。
 持光寺では「にぎり仏」を作らせてくれる。「にぎり仏」とは、粘土を握ったときにできる形を仏像に見立てたものだ。「願いをこめて握ってください」と一塊りの粘土を渡され、丁寧に作り方を教えてくれる。できたにぎり仏はお寺のお庭窯で焼いて送ってくれるというシステムだった。
 しばし心を落ち着けて、ぎゅうっと力を込めて願いを握りしめ、私も一体の仏さまを形作る。たった数分のことなのに形作るという作業で今の自分の一部を永遠にとどめられそうな気になった。


 この文を書いたライターの署名がないが、なかなか味な文を書く人だ。

 それはともかくこの「にぎり仏」という発想がとてもいいと思った。仏さまやお地蔵様だとこのようにしたらだれでもつくれるし、しかもその人だけが持つ味わいが生まれるだろう。
 お寺でこういうことを試みたならば、結構人気が出るはずである。
 キリスト教ではなかなかこういう発想が生まれてこないのが残念である。

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2009年02月11日

「春は来たりつつある」内村鑑三

 内村鑑三にこんな詩がある。今ごろにふさわしい力強い詩である。

春は来たりつつある

内村鑑三


春は来たりつつあり
雪は降りつつある
しかし春は来たりつつある
寒さは強くある
しかし春は来たりつつある
 春は来たりつつある
 春は来たりつつある

雪の降るにもかかわらず
寒さの強きにもかかわらず
春は来たりつつある

慰めよ、苦しめる友よ
なんじの患難(ナヤミ)多きにもかかわらず
なんじの苦痛(イタミ)強きにもかかわらず
春はなんじにもまた来たりつつある

さあ、もうすぐ春だ。この詩を読むとそういう期待と希望があふれてくる。シンプルだけれどこの力強さは他には描けないであろう。

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2009年02月06日

Argus Posters のメッセージと画像


アーガス2 20年ほど前、私が学校に勤めだしたころ、よく「アーガスポスター」からのDMが学校にきていて、ときどき学校でも購入していた。今でもそれが残っていて、ときどき学校の掲示板に貼られる。



 

アーガス1 それは左のカタログのような、写真とメッセージの組み合わさったポスターである。そのメッセージはきわめてキリスト教的つまり福音的であり、そのポスターはみずからを inspirational poster と呼んでいる。画像にはイラストもあり、子ども向けのものもある。多くの教会や学校に掲示されていた。
 今、Argus Poster を探しても見つからない。日本でこれを扱っていた会社は今はもうこれを扱っていないようである。


アーガス3 私は昨年末から、家や教会の掲示板に、教会の入門講座の宣伝のために、画像とメッセージのついたポスターを製作して掲示しているが、そのヒントはじつはこの Argus Poster から得たものである。
 自分で製作して気づいたことは、画像とメッセージのマッチングがきわめて難しいということである。画像に合わせてメッセージを考える方がいいものができる感じがする。


アーガス4 それはともかく、このポスターからいくつかの気に入ったメッセージと言葉を紹介しよう。こういうメッセージはなぜか英語のほうがいいと思う。日本語に訳すと当たり前のこととなって言葉に迫力がなくなってしまう。




 いちばん好きなのは、
 Jesus of Nazareth Request the Honor of Your presense at a Dinner to be Given in His Honor.

 でもこれは日本語に訳すとへんてこな文章になってしまう。
 ナザレのイエスが、かれの栄誉のうちに与えられたディナーにあなたが出席する栄誉を求めています。


 This is the only thing the Lord asks of you;
to act justly,
 to love tenderly,
and to walk humbly with your God.(MICAH 6:8)
神があなたに求めていること:
 正しく行い、やさしく愛し、神とともに謙遜に歩むこと(ミカ書6章8節)

 What you are is God's gift to you;
what you become is your gift to God.
 今のあなたは神からの贈り物、
 これからのあなたは神への贈り物。

 Happiness comes from
feeling deeply,
thinking freely,
and enjoying simply.
 幸福は、深く感じ、自由に考え、そして単純に喜ぶことからやってきます。

 If you don't understand my silence,
You don't understand my words.
 もしもあなたが私の沈黙を理解しないなら、私の言葉も理解しないでしょう。


 続きはまたそのうちに。まだまだいい言葉がたくさんあります。



 

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2009年02月02日

KOKUYO「Wammy」はおもちゃの傑作だと思う

 89歳のいよさんが楽しめるおもちゃを探している。いくつかのおもしろいおもちゃを発見したので、紹介していこう。

 まずは KOKUYO の Wammy というおもちゃである。
 「まげて、つなげて、カタチが見つかる新感覚ひらめきブロック」とある。
 構造的にはきわめてシンプルなかたちのユニットがある。これはまげることができ、さらに四隅にあるポッチをはめてつなげることができる。これをまげてつなげていけば無限に造形の世界が広がっていく。


wammy1 もっともシンプルな構造でしかも無限の広がりがあるということがすごいと思うのである。おもちゃの究極のカタチではないかとさえ思う。
 それは幼児から高齢者までだれでも遊べるし、それぞれのレベルで創造性や手先の器用さやを鍛えることができる。
 「こーしたらどーなる」の試行錯誤が容易にでき、それを積み重ねると「どーしたらこーなる」がわかってくる。
 たとえば美しい球状のものを作るにはどうしたらいいのかをいろいろなモデュールを組み合わせて試行実験をしていける。失敗したらすぐに元通りに戻すことができる。


wammy2 できていくカタチが幾何学的で結構美しいし、色とりどりのパーツをうまく組み合わせたら、カラフルできれいになる。

 このパーツを作っているプラスチック素材もなかなかのスグレモノだと思う。けっしてちぎれたり切れたり避けたりしない堅牢さをもち、しかもやわらかくしなやかで軽い。こういう素材を作り出した化学とこれをこういうカタチのものに仕上げた開発者の頭脳に敬意を表したい。

 いよさんにはテキストにあるカタチをすこしずつつくっていくという課題が与えられる。少し難しいようだが、あきてきたら、できたものをはずして元に戻すことをさせてもいい。これだけでも手先を動かすよいエクササイズになる。

 「コクヨのヨコク」という名コピーのCMで有名な事務機器メーカーであるが、こういうおもちゃの開発もしているというところも「おぬし、なかなかできるな」の注目企業である。
 
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