そこで改めて調べてみたら、なるほどこの人の生き方もおもしろい。
松浦静山(1760〜1841)は、1775年15歳にして家督を継ぎ平戸藩藩主となる。財政改革や藩政改革を断行し、藩校維新館をつくるなどして実績を上げた。
しかし1806年には家督を次男に譲り、隠居生活に入る。隠居して何をしていたかというと、文筆活動なのである。随筆集『甲子夜話』や剣術書『剣談』などを著した。とくに『甲子夜話』正編100巻、続編100巻、三編78巻に及ぶ大規模なものであり、内容は田沼意次時代から寛政の改革時代頃にかけての政治、諸大名や旗本、民衆の暮らしや風俗を知る上で貴重な史料となっている。
また。剣道にも長けていて、心形刀流の奥儀を極めていた。静山が老中・水野越前守忠邦に頼まれて、柳原の土手によく出没した辻斬りを退治するために、夜パトロールをしていたという話しも残っている。
名君として誉れ高い松浦静山は、川柳のよき理解者でもあった。川柳人松山又流水としての立場で暮らすことのできた希代の大名でもある。
更に驚くことは、このひとは17男16女に恵まれている。(いったい何人の妻がいたんだ。)
そのうちの11女・愛子は公家の中山忠能と結婚して慶子を産み、この慶子が孝明天皇の典侍となって宮中に入って孝明天皇と結婚し、明治天皇を産んでいる。つまり、明治天皇の曾祖父にあたることになり、現在の天皇家には、この松浦静山の血も少なからず受け継がれているのである。
ここは、わたしとはまったく異なっている。
平戸城で松浦静山の肖像画を撮影したのだが、iPhone 水死となってあえなく消失。残念。