2009年08月31日

カヤの木を見つけました。


kaya1 昨年夏に高尾山に行ったときに山頂付近でカヤの木を見つけて、それについて書きました。

 今度は、鎌倉十二所から朝比奈切り通しを経て朝比奈に抜け、県道に出る前にカヤの木の大木を見つけました。

kaya2 ちょうど実をたくさんつけていたので、それと分かりました。樹齢100年くらいの大木できのまわりにしめ縄がはってあったくらいだから、きっといわれのある木なのでしょう。
 実が付いていないと何の木だか分からない木ですね。




kaya3 カヤの実は相変わらずいい匂いがします。「ユズに松の香りを加えた匂い」だと前に書きましたが、まさにその通りですね。
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2009年08月29日

こもれび写真


komorebi1 鎌倉市十二所から朝比奈切り通しを経て朝比奈に出る途中の道で、こもれびが美しかったのでデジカメに納めた。

 みんなピントが合っていないような写真となったが、これはピントが合ってないのではなく、こもれびに映る太陽の形がもともとピントが合っていないからなのである。
 木の葉の間から漏れる光が、地面に映し出すのはいずれも太陽の形をしているというのはちょっと不思議である。


komorebi2 わたしが小学生の時日食で世界が暗くなりかかったたときに、こもれびの光りはみんな日食のように欠けている太陽の形を映しだしていたのが、思い出される。
 これはちょうどピンホールカメラのようになるんだという説明で少し納得をした。
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2009年08月27日

イギリスのトッドモーデンという町の野菜ゲリラたち


tod The BIG ISSUE の160号を読んでいたら、こんな記事に興味を持った。なかなか面白い町である。そしてこの記事はこの雑誌らしいとも思った。
 その町はイギリス、ヨークシャーのトッドモーデンという町である。


 貧困なんかこわくない
 町全体を自由参加の家庭菜園にする。
 英国、ヨークシャー州、住民はゲリラ・ガーデナー
 
 英国、ヨークシャー州の小さな町、トッドモーデンで、住民たちが世代を超え、種がたくさん詰まった袋を持って「武装」しはじめたという一報が入った。

「反乱」の第一歩はバス停横のルバーブ

 英国ヨークシャー州はトッドモーデンでなにやらおかしなことが起きている。野菜が町を浸食しつつあるのだ。仕掛けているのは、ゲリラガーデニングや家庭菜園でこの厳しい時代を生き抜こうとする地元の住民たちだ。
 始まりは、バス停横に不釣り合いなルバーブがこっそり植えられたことだった。赤レンガの建物が建ち並ぶこの小さな町、トッドモーデンをやさしく吹き抜ける冷たい風にも抗うようにかすかに揺れるルバーブは「反乱」の小さな、しかし大きな意味を持つ第一歩であった。
 この小さな運動は実はとても壮大だ。気候変動、持続可能な食糧供給、地域社会の崩壊といった問題の解決に向け、その先陣を切るべく、イギリス北部の小さな町がにわかに活気づいているのだから。
 種をたくさん摘めた袋で「武装」したウォーハーストと彼女と考えを同じにする親友のメリー・クリアの2人が町中でゲリラ的な種まきを始めたのは、去年の春のこと。警察の目を盗んで交差点にこっそり果樹を植え、駐車場にジャガイモやニンジンの種を蒔き、駅の花壇からは食用に適さないゼラニウムをぬいてかわりにハーブを植えた。
 2人の願いは、お金がなく、袋いっぱいのニンジンをひつようとしない老婦人やシングルマザー、おなかをすかせた子どもたちが、自分たちが植えた野菜やくだものから必要なだけ収穫し、夕食の材料にしてくれることだった。


 このゲリラ的な種まき行動が町を変えていく。公営住宅に畑と種が配られ、地元の小学校に野菜畑ができ給食に必要な食材は地元の農家から調達するようになり、老人ホームには果樹園が、病院にはハーブ園が、そして教会には野菜畑と養鶏場ができるようになる。
 わたしもこれを試みてみるかと思った。さて何の種を蒔くのがいいだろうか。やっぱりカボチャかな?
 こういうのに適する野菜を品種改良して作ったらいいと思うね。

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2009年08月26日

カイヅカイブキの切り口

 カイヅカイブキという木のことを前に紹介した。この木は何も寄せ付けない木という特徴がある。
 鉛筆の木はエンピツビャクシンという木で、カイヅカイブキの仲間であるということも紹介した。

カイヅカ そうしたら、十二所でこのカイヅカの木の一部を切り倒してしまった。切り倒したときの切り口がこれである。
 こんなに鮮やかなダブルトーンなんだと感激してしまった。切り口の美しい木があるが、これもその一つであろう。
 こんどいったら、この木がどんな匂いがするかを試さなければと思った。エンピツの匂いがするだろうか。
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2009年08月25日

リソースパーソンとプロセスパーソン

 「ファシリテーション」(中野民夫他著 岩波書店 2009年4月刊)という本を読んでいる。この本についてはいずれ書きたいと思う。

 この本を読みながらあることを思いだした。
 わたしはカトリック系のクリスチャンの団体に所属している。この団体は国際団体でここの世界大会に日本の代表として2度ほど参加したことがある。一度は1976年のマニラ、もう一度は1979年のローマである。
 この経験はとても強烈で、ここへの参加がわたしの生き方の選択を変えたと思えるくらいの貴重な体験であった。

 この世界大会には50カ国ぐらいの参加があり、参加者の中に次のような聞き慣れない役割の人がいた。リソースパーソンとプロセスパーソンである。
 プロセスパーソンは、会議のプロセスを監視している役割で、話し合われている内容よりも、会議の進め方、参加者の参加度や反応を専門的に監視し、目的に逸脱したら進み方を修正させることができる。
 リソースパーソンは、あたらしい知的なリソースを提供する役割である。問題提起をしたり、問題解決に役立ちそうな知識をインプットする。主に基調講演みたいな形ですることが多いが、参加者が出してきたいろいろな意見や提案、アイディアなどを整理してそこからある方向性を見出すというときにも働く。
 いずれも、あの時の世界大会では組織外の人でこの役割のためにわざわざ招待されたのである。そしてその日の終わりに、この役割の人が一日をふり返るという黙想を指導するのである。

 いろいろな人たちが協力していきながら意志決定をする「共同体の識別」の際に、この役割はとても大事であるだろう。
 多くの場合、この二つは未分化で、ひとりの人が同時にこの役割を果たすことも多い。
 しかし、近代的な組織はやはりここが分かれていたほうが創造的かつ生産的であると思うのであるが、どうだろうか?
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2009年08月23日

わがやのノアサガオ(オーシャンブルー)大変です。


ノアサガオ1 アサガオを育てだして10年になるでしょうか。結局、いまわがやはノアサガオ(オーシャンブルー、琉球朝顔)で大変です。伸びたいだけのばして上げようという方針でこの4年間伸ばしてきましたが、あと3年でわがやはオーシャンブルーに埋め尽くされるでしょう。

 今日屋上に上がって写真を撮りました。屋上にあるテレビアンテナまで絡んでなおかつ花をつけています。屋上に上がる螺旋階段はアサガオの中をくぐってやっと通れるくらいです。

ノアサガオ2 人に見られない屋上でノアサガオはこんなに花をつけていました。

 で、このノアサガオは挿し木によって苗を増やすことができます。葉っぱを一枚残して枝を切り、水につけておくと発根しだします。根が充分に伸びたら、その苗を土に植えて上げるとどんどん伸び出します。
 こうやって伸ばしたノアサガオの苗を植木鉢に入れて、家の前に「どうぞご自由にお持ちください」という立て札と一緒においてあります。
 1週間前に20鉢ほど用意したのですが、売れたのは現在その3分の1ほどです。
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渡辺はま子「モンテンルパの夜は更けて」の歌の果たした役割

 上田にいるときに、友人からこんな話を聞いた。

 渡辺はま子は戦後すぐに「桑港のチャイナタウン」などのヒット曲で知られている歌手である。彼女は戦時中慰問のために戦地をおとずれ日本兵を励ます歌をたくさん歌った。終戦を中国の天津で迎えそのまま約1年間の収容所生活も経験した。
 そんな彼女のもとへ、昭和27年(1952年)「ああモンテンルパの夜は更けて」の曲が届けられた。フィリピンの戦犯収容所の死刑囚が作詞作曲をした歌である。渡辺はさっそくこの歌をレコーディングし、歌は大ヒットした。
 サンフランシスコ講和条約も結ばれ、A級戦犯も釈放されていたころ、フィリッピンの収容所にはまだ多数の戦犯が収容されていることを知った渡辺は、戦犯の釈放のためにこの歌をモンテンルパで歌おうと奔走するが、なかなかビザがおりなかった。
 渡辺はついに香港への旅行の途中でフィリピンにいわば不法入国をして、モンテンルパで歌を歌うチャンスをつくりだす。戦地慰問で宣撫の歌を歌った戦争責任を強く感じていた渡辺は収容所で兵士たちに謝罪のために捕まることを覚悟して慰問をしたのである。
 1952年のクリスマスに渡辺はま子は振り袖姿でこの歌を歌ったという。会場のあちこちからすすり泣きの声が聞こえた。

 翌年この歌のオルゴールが時のフィリピン大統領キリノの元に届けられる。そしてその歌の背景を知ったキリノ大統領は特赦をして受刑者たちの帰還がなされる。
 キリノ大統領は妻と娘とを日本兵に殺されたという。「私がおそらく一番日本や日本兵を憎んでいるだろう。しかし、戦争を離れれば、こんなに優しい悲しい歌を作る人たちなのだ。戦争が悪いのだ。憎しみをもってしようとしても戦争は無くならないだろう。どこかで愛と寛容が必要だ」
 死刑囚を含む全てのBC級戦犯が感謝祭の日に大統領の特赦を受けて釈放され、帰国が決まったのは、翌月の6月26日のことだった。

 なかなかすごい話しだと思った。
ここに渡辺はま子の歌がある。
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2009年08月21日

セミの抜け殻もここまで集まると……。

 信州上田塩田平の「マルタの家」に行きました。毎年夏にここをグループで訪ねます。そこで「至福の時」を過ごします。


せみぬけがら 今回も90歳のいよさんを連れて行きました。車いすで近くを散歩したときに、セミの抜け殻がたくさんついているサクラの木を見つけました。
 ここまで同じ木についているとちょっと不気味です。近くにあるサクラの木にはこれほどたくさんはついていません。せいぜい1本の木に1,2匹ですが、この木には何十匹とついていました。なんでなんだろう?っておもってしまいます。
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2009年08月20日

3年ぶりの銀河工房

 上田市野倉の銀河工房に行きました。
 3年ぶりです。

 カラーのコマセットを買いました。
 運良くここのご主人の小林さんとお話しできました。


銀河工房 今回の訪問の新作は、はてなマークの柄のところをぐるぐる回すと十字型の上下運動と左右運動に変換されるというものです。

 小林さんとの会話

「こういう組木みたいなものの材料はなんの木ですか?」
「それね。それはニレの木ですね。」
「このあたりで採れたものなのですか?」
「いやあ、北海道から取り寄せるんだよ」
「木のコマはミズキで作られていると聞きましたが………」
「ミズキは適度に重量感があって、それがコマにはあっているんだよ」
「あの木琴みたいなものの材質はなんですか?」
「あれはカリンの木だね。叩くといい音がする」
「へ〜、カリンね」

 というわけで木琴の木はカリンなんだということを教わりました。

 残念ながら、3年前に訪問したときに頼んでおいたものは未完成でした。
「また来年きますから、それまでに期待しています」
 といって別れてきました。

 あとで上田にすむ友人が教えてくれました。あのおもちゃ工房の小林さんは、NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」に出たんだってよ。
 そういえばわたしもちらっとその番組を見たんです。「あ、あそこが出ている」と思って感激したんですが、そのことを言うのを忘れてしまいました。
 
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2009年08月17日

My Crayon という自己肯定感を高めるエクササイズ

 今年の「宗教倫理ワークショップ」でこんな模擬授業がありました。なかなかおもしろかったので紹介しましょう。
 題して「My Crayon」

 4人ひと組、机を囲んで輪になって座ります。 ひとりに一枚ずつ画用紙とクレヨン1本が渡されます。クレヨンはそれぞれ色が異なっています。
 3つのルールがあると説明されます。
 第1ルール 与えられたクレヨンが今日のあなたのカラーです。その自分のクレヨンで描くこと。
 第2ルール 1回2分で描いたあとに右隣の人にまわしていきます。右隣の人はその絵がよりよくなるようになにかを追加して描きます。このようにして2巡して最後に自分が書いて完成です。
 第3ルール この作業は無言で行います。絵の意味を書いた人に聞いてはいけません。
 「自分の大切にしているもの」というテーマが与えられました。

 さあスタートです。みんな黙々と絵を描いています。2分たつと「隣にまわしてください」という指図があります。
 次に書く人はその絵の意味を勝手に創造しながら、その絵をよりよくするためになにかを追加して描きます。
 最初に書いた人は3回、それ以外の人はひとつの絵に2回絵を追加して描き、それを自分を含めて4人分することになります。
 絵を描き終わって、それぞれの絵の意味を説明していきます。最初は何を描こうとしたのか、次々に加えられていくものを見て何を感じたのか、どういう意図でそれを描き加えたのか、ということが報告されます。


MyCrayon1 いくつかの例を出しましょう。
 灰色のクレヨンを持った人は、教会の建物を書きました。
 次のオレンジのクレヨンの人は「教会は建物ではない」と思い人びとを次々に加えていきました。
 ピンクのクレヨンを持った人は、教会の周りに花や小鳥を加えました。
 緑のクレヨンの人は、野山や教会に芝生を敷き詰めました。
 2巡目で灰色の人は、ルルドや鐘楼を付け加えました。
 オレンジの人は、車いすで来た人が教会には入れないという図を加えました。
 ピンクの人は鐘が鳴っていることを示すように音符を加えていきました。
 というわけで教会が完成したのです。


MyCrayon2 こちらの絵では黄色のクレヨンの人が最初でした。彼女にとって一番大事なものは薬だったのです。朝、昼、夜と分けて飲む薬とコップの水の絵を描きました。
 緑のクレヨンの人はその絵はきっと食事の場面を描いたのだろうと、いろいろな料理を加えました。
 茶色のクレヨンの人は、箸がなければ食べられないと箸を追加しました。
 青のクレヨンの人はコップの数が足りないと思ってコップを足しました。
 この絵をはじめに書いた黄色のクレヨンの人は困ってしまいました。そこで右上に人の絵を描きました。
 でもあとの人はその意味が分からずに、ますます食卓を豊かにしていきました。
 あとで黄色の人の説明があったときに爆笑でありました。

 この作業の目的は「自己肯定感を高める」というものでありました。つまり前に書いた人の絵をそのまま受け入れて書き足していくわけです。最初に絵を描いた人は皆から肯定されたのだと感じるのがこの目的だというのですが、実際はどうだったのでしょうか? 肯定感は高まったのでしょうか。
 目的はともかく、絵をこのようにして描くことはなかなかおもしろいものでした。
 
posted by mrgoodnews at 01:40| Comment(1) | 宗教教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月15日

SEVENHILL という名の Jesuit Wne

 友人が集まりのために「こんなワインがあるよ」と持ち込んできた。

 それは、SEVENHILL という名の Jesuit Wne であった。
 イエズス会士にはいろいろいるというのは分かるが、ワインを作っているとはね。ブラザー・ジョン・メイsj という署名があった。
 原産地オーストラリアとある。ワインに貼られたシールには次のような解説があった。


SJwine1  Sevenhill Shiraz 2002 果実酒
      フルボディ
1851年から協会の(まま)礼拝用としてのワインを作り始め、世界的にも名の知られている聖なるワインである。
  品名:ワイン 酸化防止剤(亜硫酸塩)
 原産地:オーストラリア
  容量:750ml アルコール分15%未満
輸入業者:ブルーバレーワインズ(有)

 インターネットで調べるとここにホームページがあった。


SJwine2 わたしの友人(クリスチャン)は、このワインを手に入れるためにはるばるオーストラリアまで、訪れたそうである。
 はるばる原産地を訪れたその友人もその友人だが、その貴重なワインをこの集まりに持ち込んでくれたことに頭が下がるくらいありがたかった。

 


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2009年08月13日

「司祭−日曜日の夜の祈り」ミシェル・クオスト

 8月16日(日)に私の教会の教会報「いわお」を出す。その編集を終わって印刷を教会でした。「いわお」は、聖母被昇天の祝日、クリスマス、イースターと年3回発行で、今回は聖母被昇天の祝日にあわせた発行である。
 考えてみたら「いわお」は私が青年会の時代、今から40年前に始めたもので、今は172号である。
 
 今号の特集は「司祭年によせて」である。ローマ教皇は今年の6月から1年間を「司祭年」と定めた。
 それでその特集の一環として、私の好きなミシェル・クオスト神父の「神に聴くすべを知っているなら」という本に掲載されている「司祭−日曜日の夜の祈り」を紹介した。
 「いわお」誌上ではスペースの関係でその祈りのすべてを紹介することができなかったので、ここで紹介することにしよう。
 じつは「いわお」には載せなかった前半部分が本当はいい祈りなのである。
 ちょっと長くなるが、ぜひ最後まで読んでみてほしい。
 とくにわたしの友人である司祭たちに、この祈りを捧げたい。

司祭−日曜日の夜の祈り
           ミシェル・クオスト

 人びとは聖職者にたくさんのことを要求する。それはそれでよい。しかし、聖職者になるということは容易なことではないことくらいは理解してもらいたい。かれは献身して若き日の情熱を殺してしまったけれども、木石にあらず、生身の人間である以上、かれの中にある人間くさいものが、一度はあきらめたものをとりもどそうとする。だから、キリストのため、他者のため、自らを完全に殺して奉仕し続けるということは、不断の戦いとなる。
 聖職者には、人の称賛はいらない。贈り物を持ってこられても困る。かれに必要なのは、かれの説諭に身を委ねた人びとが、ますます他者を愛することによって、かれの献身がけっしてむだではなかったことを示してくれることだけだ。人間であるかぎり、かれは時には、私心なき人情をデリケートに誇示してみたいと思うだろう。とくに日曜日の夜、かれがひとりぼっちになるときは。

 イエスはかれらに言われた。「私についてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」(マルコ1/17)
 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そしてあなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えてくださるのである。(ヨハネ15/16)
 兄弟たちよ、わたしはすでに捕らえたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。(ピリピ3/13・14)

主よ、こよい、わたしはひとりです。
だんだんと聖堂の中で物音がきえて
みんなそれぞれ家に帰ってゆきました。
わたしもうちに帰ります。たったひとりで。

散歩帰りの人びとをおいこし、
ひけ時の映画館の前を通りこし
日曜日の楽しみを少しでものばそうと
喫茶店の店先にねばっている閑人をよけてとおったら
歩道で遊んでいた子どもたちにぶつかりました。
主よ、子どもたちに
わたしの子どもではなく、よその子どもたちに。

主よ、わたしはここにいます
ひとりで
沈黙がわたしをなやませ
孤独がわたしをおさえつけます。

主よ、わたしはもう35歳
人並みに育った働きざかりの体と
人並みにだれかを愛したい心とを持っています
しかし、それをみんなあなたに捧げてきました。
あなたがそれを望まれたことは確かです。
だからわたしは捧げてきましたが
主よ、それはてともつらいことです
このなまの身を、他者のために捧げないで
あなたに捧げることはつらいことです。
すべての人に愛を与えて
 だれからも愛を求めないのはつらいことです。
若い美しい女性の手に触れて
 それを握りつづけておれないことはつらいことです。
異性への愛に目覚めても
 それをあなたにゆだねることはつらいことです
自分のために生きないで
 他者のために生きるのはつらいことです
みんなと同じようになり、みんなのなかにいても
 みんなについていけないことは、主よ、つらいことです
受けようとしないで与えることも
自分の利益をもとめないで他者の利益を求めることも
他者の罪をきかされて苦しみ、それに耐えてゆくことも
秘めごとを打ち明けられて、それをどうにもできないことも
人を背負っても、自分は背負ってもらえないことも
弱い人を支えても、自分は強い人によりかかれないことも
主よ、みんなみんな、つらいことです。

ひとりでいることはつらいことです
みんなの前に、ひとりぼっちで
世界の中に、ひとりぼっちで
苦しみと死と罪の前に、ひとりぼっちでいることは
主よ、
つらいことです。

子よ、何を言う。きみはひとりぼっちじゃあない
わたしがきみといっしょにいるじゃあないか
わたしはきみだ
わたしが受肉と贖いの業を、今もつづけてゆくために
わたしはもうひとりの人車が要るのだ
永遠の昔から、わたしはきみを選んでいたのだ
わたしには、きみが要るのだ。

わたしの祝福をおくりつづけるために、きみの手が要る
わたしが語りつづけるために、きみの口が要る
わたしが苦しみつづけるために、きみの体が要る
わたしが愛しつづけるために、きみの心が要る
わたしの救いを広めるために、きみ自身が要る
だから、子よ、わたしといっしょにいてくれ。

主よ、わたしは今ここにいます
わたしの体も、わたしの心も、わたしの魂も
みんなここにあります
願わくは、それらを世界のはてまでとどくように
それらが世をになって立つほどに
大きく強くしてください
世をつつんで、しかも自己本位にならないように清めてください
願わくは、わたしが人びととあなたとの出会いの場になり
しかもかりそめの出会いの場以上にはなりませんように
すべてのもの、すべての人が、あなたに向かっているゆえに
自己の終わりをもつ道になることがありませんように

主よ、こよい、すべてのものが静まりかえっているのに
わたしは孤独の痛みをひしひしと感じます
人びとはわたしの魂をむさぼろうとしているのに
わたしは彼らの飢えをいやしてやることができません
全世界がわたしの肩に、悲惨と罪の重荷をおしつけても
わたしはあなたにくり返して言います、「そうです、主よ」と
ゆっくり、はっきり、気どらず、自嘲せず
主よ、あなたの前に、わたしはひとりでいます
この夜の安らぎの中で。


 読んでみてどうであろうか? 何を感じながらこの祈りを読んだであろうか?
 友人の司祭に読ませたくなる祈りであろう。
 「日曜の夜」とか「お正月やすみ」が司祭にはつらいんだとかいうのを私も聴いたことがある。それをこの詩はよくぞここまで読み込んだと思うのである。

 この本には他にもたくさんの紹介したくなる「祈り」がある。追ってまた紹介しよう。
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2009年08月11日

酒処「かっぱ」のレトロ趣味


かっぱ2 鶴見駅東口の跨線橋わき線路際に「かっぱ」という飲み屋がある。駅のプラットフォームからこんな看板が見える。
 うすぎたない飲み屋だなと思って前を通り過ぎていたのだが、よく見るとこれが実に徹底したレトロなのである。




かっぱ1 店の入り口に井戸がある。アサヒビールのポスターはいつのものなのか、おそらく戦前ものであろう。
 キンチョール、豆炭、東芝テレビの看板は昭和30年代か。そういえばこういう看板をよく見かけた。

かっぱ4 住居表示は土堂町とあるが、いったいこれはどこの住所なのだ。
 窓ガラス、とたんの壁などなどこれも戦前ものなのかもしれない。
 鶴見の昔のとび職の写真もある。




かっぱ3 唯一場違いなのが、ピースボートの募集ポスター。この団体もふしぎな団体で、けっこうピースボートの募集広告がこういう飲み屋とか小さな町の商店などに貼られているのを見る。
 どういう人たちがどのような組織を使って、ピースボートの募集ポスターを貼っているのだろうか。

 ただ、わたしは店の前を通り過ぎるだけでまだ中に入ったことはない。いつか中に入ってみようと思うのだが、なかなかその勇気がわかない。なぜかなかには気むずかしいオヤジが店番をしているような気がしてしまうのだ。
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2009年08月10日

彫刻刀研ぎ升


研ぎ升 鎌倉の裏通りを歩いていたら、こんな立て札がかかっていました。
 「彫刻刀研ぎ升」っていう商売があるんだというのが最初の驚きです。でもすぐに「あ、これは鎌倉彫りなんだ」と気づきました。ちょっとうれしくなりました。

 つぎに「研ぎ升」の「升(ます)」という使い方です。こういう使い方もあるんですね。
 口の字にナナメのボウを引いた文字(フォントにはありませんでした)で「ます」と読ませるものも見たことがあります。
 今度見つけたときにはデジカメに納めなければ……。
 こういう看板そのものも見なくなりました。
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2009年08月07日

ショートエクササイズ「裏返りゲーム」

 前に「手拍子パーカッション」というのを紹介したことがあります。あれもいいエクササイズですが、またいくつか紹介されました。

 最初は「裏返りエクササイズ」です。

 2人のペアで向き合って手をつなぎます。手を離さないで裏返しになって背中合わせになる、という作業です。
 できますよね。ぐるぐるぐると3〜4回裏返しになったり元に戻ったりしてみてください。今度は逆方向にいってみましょう。

 次は3人組になります。みな中を向いて手をつなぎます。これで裏返しになりましょう。できますか? ひとりの人が前二人の間の手の下をくぐり抜ければいいのです。

 次は3人でひとりだけ外向けになって手をつなぎ、みなが外向きになる。外向けになっている人はそのまま外向けになったままです。手がねじれます。

 人数を多くしてします。最初は全員同じようにうち方向に向きます。そこから裏返ります。 
 次に何人かを違う方向に向けて、最後は同じ方向にむくようにします。
 これはけっこう難しいのです。特に逆方向に向いている人はどう動いたらいいのかを考えないと手がねじれてしまいます。
 決して手を離してはいけません。



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2009年08月05日

ショートエクササイズ「カウントアップ」

 第20回宗教倫理教育担当者ワークショップが今年も行われました。これはおもにカトリック系の中高で「宗教」「倫理」を教えている教員たちの研修会です。
 前にも書きましたが、おそらく教員研修会でこれほどパワフルで実戦的な研修会はないだろうと自負しています。
 その盛り上がりぶりですが、私の睡眠時間は1日目の夜が2時、2日目が3時、3日目が5時でした。3泊の合計睡眠時間が12時間でした。24人の参加者でこの3泊4日に飲んだビールが缶ビール84本、ワイン25本、日本酒1升なのですね。

 さてそのワークショップで学んだことを少しずつ紹介していきましょう。

 セッションの始まるときに、ちょっとしたフィジカルエクササイズやゲーム、歌などが紹介されます。これがまた勉強になるのですね。休みが終わって授業がはじまったら、ぜひ生徒たちとやってみたくなるようなものです。
 今回のそれは「カウントアップ」というゲームみたいなものでした。勝ち負けがあるわけではないので、ゲームではないでしょう。もちろん対抗ゲームにすることはできます。

 それは20人くらいでするといいゲームです。1,2,3,4…………とカウントアップします。誰でも自由にカウントアップできるのですが、同時に数をいったり、まちがった数をいったりしたら、はじめからやり直しです。この同時に言ってはいけないというのがけっこう難しいルールなのです。
 せめて15くらいまでいってほしいなとインストラクターは言っていますが、あせればあせるほど重なってしまいます。

 これの必勝法ってないかな、考えてみるとおもしろそうですね。
posted by mrgoodnews at 23:49| Comment(2) | 教育・学校・授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月04日

「田舎暮らしの7か条」

 今日8月4日の朝日新聞夕刊の「ふるさと元気通信13」の「都会にこびず田舎をみがけ」という記事の中にこんなことが書いてあった。
 なづけて「田舎暮らしの7か条」。

1.嫁さんに覚悟はあるか
2.集落に協力者はいるか
3.村の共同作業を厭わない
4.プライバシーはないと思え
5.3年はがまん
6.農業だけでは食べていけない
7.現金は必要だ

 記事によると、田舎に移り住みたいという人にこの条件を突きつけその覚悟について問われると、都会人の大半は恐れをなして帰っていくのだそうである。「覚悟のない人はこっちから願い下げ。田舎をなめちゃダメ、ということです」京都府美山町の話しである。




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