2011年08月31日

地獄の中に天国が立ち上がる A paradise built in hell

「A paradise built in hell ーThe Extraordinary Communities That Arise in Disaster」
「災害ユートピア −なぜそのとき特別な共同体がたちあがるのか?」(レベッカ・ソルニット 高月園子訳 亜紀書房 2010年12月)という本が評判になっているようだ。

この本を知ったのは、毎日新聞2011年7月6日「水説 潮田道夫」による。

米国の作家レベッカ・ソルニットの「災害ユートピア−なぜそのとき特別な共同体がたちあがるのか?」(亜紀書房)によれば、大災害の時「地獄で天国が立ち上がる」現象が世界中で観察されている。何も日本だけがそうなのではない。


さらにこの論説では「エリート・パニック」についても述べられている。これもこの本に取り上げられていることである。

社会の指導的地位にあるひとびと、つまり、政治家などのエリートたちが、危機に際して市民がパニックに陥るのではないか、と怖れるあまりに自らがパニックになってしまうことだ。


実は私はまだこの本を読んでいない。私はこれを知ってさっそく横浜市の図書館ネットにて予約したら、200人待ちの状態だった。
この本はいいよと薦めた友人がさっそく本を求めた。かれの家をたずねたら、その本が置いてあったというわけである。かれの行動の速さに敬服した。

この本の帯には「5つのなぜ?」について紹介されていた。

災害時になぜ人々は無償の行為を行うのか
まぜ混乱の最中に人々は秩序だった動きができるのか
なぜ災害が起こるとエリートはパニックを起こすのか
市民ではなく軍隊や警察官が犯罪行為を起こすのはなぜか
地震のあとニカラグアで革命へと突き進んだのはなぜか


この本は昨年の12月に刊行されている。つまり今回の震災の前に書かれたものである。

私はキリシタン時代の「鈴田の牢」のことを思い出した。迫害拷問にさらされたあの地獄のなかの牢屋に「信仰と祈りの共同体」が表れた話である。

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2011年08月29日

いよさんの「いってこ」と「もうちょいねる」

母のいよさん、92歳。私は母のベッドの横に布団を引いて寝ている。
その母がいつも4時~7時ころにトイレに起きる。おおいときは2回起きる。
私もほとんど目がさめる。
「トイレはどこ? あっち?」
「そうだよ、あっちのほう。電気がついている廊下の先の方」と指をさす。
いよさんは自分の家のトイレもわからないことがある。
「大、だしてくんですよ」
「だいはでな〜い。おっしっこだけです。じゃ、トイレにいってこ」とよたよたとトイレにむかう。
「いってらっしゃ〜い」
「いってきま〜す」
家のトイレは自分だけでいける。
トイレから帰ってくる。
「寝るとこはどこ?」
「こっちのベッドですよ。私の布団でもいいですよ」と布団を持ち上げていう。
「いいよう。せまいもん。ベッドにねま〜す。今、何時? 何時に起きるの?」
「今、6時半。おきるのは7時だからあと30分寝られるよ。それともちょっと早いけれど起きる?」
「いいよ、もうチョイねる」
「いいね〜。その『もうチョイねる』ていうの。『もうチョイねるのおいよ』だね。また新しい名前ができたよ」
「いいよ〜。いい名前じゃないよう。やだよ〜。」
「いいよ〜。やだよ〜。いったいどっちなの。」
「やだよ〜。」
「あまり『やだ。やだ』っていうと、『つちやいよ』さんじゃなくて『つちややだよ』さんにしちゃうよ。」
「やだよ〜。では、もうちょいねるか」
とまあ、こんなぐあいの朝のいよさんとの会話である。
いよさんの言葉のやりとりをいつも楽しんでいる。「いってこ」とか「もうちょいねる」とかのことばの感覚がとても楽しいのである。

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2011年08月17日

「手で割る」時の音 平松洋子著「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」より

毎日新聞の日曜版に連載されている平松洋子さんのエッセイにつられて、彼女の著書を横浜市立図書館ネットで検索注文したら、「世の中で一番おいしいのはつまみ食いである」という本を読むチャンスに恵まれた。

この本の裏表紙にある解説にはこうある。



キャベツをちぎる、ピーマンを割る、水なすを裂く、いわしを開く、さきいかをむしる、手で肉だんごをつくる、豆腐を崩す……。これまで包丁を使っていたことを手でやってみると、料理が飛びきりおいしくなることを知っていましたか。手を使って料理する快楽とともにレシピを満載した料理エッセイの決定版。

一番最初の「手でちぎる」という所にこんな表現がある。
キャベツは手でちぎる。葉が内側にかたくまるまって、きゅっと結球したひと玉をつかみ、用心深く一枚一枚はがす。べりべりはがすのではない。そおっとゆっくり丁寧にはがすのはそののち訪れる取っておきの快楽のためだ。
はがした葉を水で洗ったら、、いざ、2,3枚束ねて重ね、両手の指でぐわっとつかんで一気にびりっ。キャベツの葉に逆方向の力を加えるや、迷いもなくちぎる。きれいにちぎろうなどとゆめ思ってはならない。力強くいく。ざっくりざっくり、遠慮会釈なくちぎる。さっきことさらに丁寧にはがしてみたのは、この瞬間の快楽に集中したい一心なのだった。
しかし、両手の指に強い抵抗が伝わった次の瞬間、あっけなくちからは行き場所を失って空に放り出される。あとには、右手に右側の、左手に左側の左右に分かれてちぎれたキャベツの破片が残されている。もう一回! ちぎる快感を追いかけて、また数枚重ね、びりびりっ。辛抱たまらん。重ねてはちぎり、重ねてはちぎり……。
はじめてキャベツをちぎった日の興奮を、手が「とても忘れるもんじゃありません」とうちあける。こんなにちぎってどうすんの。ブレーキをかけなくては、とあせるのだが、やめられない。手が喜んで勝手に動く。はっと気づいたら大玉一個。べりべりにくずれ果てていた。
いったいなんなのだ、この快感は。ちぎってちぎってちぎりまくったキャベツの山を呆然とと眺めているうち、ふいに蘇ってきたのは思いがけない記憶であった。


どうだろう。この表現は。私もすっかり「キャベツべりべり」に魅了されてしまった。
こういう表現があちこちにあるのだ。この本は、いやこの著者はすごい、と改めて再認識した次第である。

日本語の料理を食べた時のおいしさを表現する言葉はとても貧困だと思うが、料理に関することとの表現はとても豊かだと思う。この本はまさにそういう本である。料理をする楽しさをこれほど見事に表現した本はないだろう。

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2011年08月12日

伝道師バスチアンの典礼暦と予言

外海地区の巡礼で「バスチアン屋敷跡」を訪れた。雷が鳴って雨が降ってきそうだったので、ゆっくり見学するまもなくあわてて引き返してきた。
そこにおいてあった印刷物をもとに、伝道師バスチアンの生涯を紹介しよう。

禁教令により外海地方の神父がすべて追放されたあとに、日本人で洗礼名がバスチアンという伝道者が、この地方のキリシタンたちを指導した。バスチアンは追っ手を逃れるために隠れ家を転々とした。ここはその隠れ家の一つである。

1610年ジョワン神父がこの地方で布教を開始。バスチアンはこのジョワン神父から、1634年ころ教えを受け、とくに典礼暦の見方を教わった。キリシタンの守るべき祝日(特にイースター)がいつなのかを記したこの暦は潜伏したキリシタンたちに言い伝えられた。
1657年大村で「郡崩れ」といわれる迫害がおこった。600人余のキリシタンたちが捕らわれ殺された。行きながらむしろに包まれて大村湾に投げ込まれたが、その供養をしたのがバスチアンであった。
しかしバスチアン自身もついに密告によって捕らわれ、長崎の監獄に3年3か月、囚人として78回の拷問をうけたが屈せず、最期は首を切られて天に召される。
バスチアンは死ぬ前に4つのことを言い渡した。これが「バスチアンの予言」と呼ばれるもので、潜伏したキリシタンたちの希望となった言い伝えである。
1.汝らは7代までは、わが子と見なすがそれ以後は救霊が難しくなる。
2.コンエソーロ(聴罪司祭)が大きな黒船に乗ってくる。毎週でもコンヒサン(ゆるしの秘蹟)が申される。
3.どこでもキリシタンの教えを広めることができる。
4.途中で異教徒に出会っても、こちらから道を譲らぬ前に先から避けるであろう。

この予言どおりに約200年後に黒船に乗って宣教師たちがアメリカからやってくることになるのである。

こちらは写真付き
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2011年08月11日

「次兵衛岩」に再びいきました。

8月2〜5日の長崎での「宗教倫理教育ワークショップ」のあとオプションツアーで外海地区を巡礼しました。5日に黒崎教会、枯松神社、遠藤周作記念館、ドロ神父墓地、バスチアン屋敷あと、出津救護院あと、大野教会などをまわりました。そして6日の日は「次兵衛岩」です。

長崎市外海町から車で20分ほどいったところに、「次兵衛岩入り口」の看板がありました。そこから10分ほど下って、神浦川ぞいにいくこと約1時間。川沿いにマリア像が見-えてきました。
そこから急坂を10分ほどよじ登ったところに「次兵衛岩」がありました。

ここは1630年頃、キリシタン・伴天連の金鍔次兵衛神父が潜んでいたといわれる洞窟です。
金鍔次兵衛神父は「魔法使いの伴天連」といわれていたほどに神出鬼没で、あるときは長崎奉行所の馬丁となって、牢につながれていた宣教師や切支丹信徒たちを励まし、あると-きは江戸に行って家光将軍の小姓たちに洗礼を授けるということをします。
何度も山狩りをしてもつかまらずに奉行所の役人を悔しがらせるのですが、ついに密告によってつかまってしまいます。すさまじい拷問にも屈せずについに殉教死します。163-7年、次兵衛神父37歳の時でした。

川沿いに登っていくときにマムシに会いました。この時期はここはマムシがおってねという言葉に一瞬ひるんだ私たちですが、ガイドの方がマムシ退治をしてくれてなんとかこの-巡礼を成し遂げました。

私はここを訪れること2度目ですが、もう一度いってみたいと思わせる不思議な聖地です。ここに来るとなぜか大きな力をもらえるような気がするのです。

映像を見る
posted by mrgoodnews at 13:54| Comment(0) | こんなところに行きました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

iPhone をイーモバイル htc に変えました。

私は1990年以来のマックユーザーで、今もパソコンは MacMINIに、iPod, iPad, iPhone を使っていましたが、ついに7月この一角が崩れました。

私の iPhone をイーモバイルの htc に変えたのです。
それはなぜか?
実はいつだったか、iPhone の OS を最新のバージョンに変えたところ、とたんにひんぱんに落ちてしまうのです。とくにそとからケイタイの電話を受けたあとがいけません。画面が消えてしまい、どこを押してもうんともすんとも言わない状態になります。そしてしばらくたつといつのまにか復帰しているのです。
それで、銀座のアップルにいって問い合わせました。
「あ、それはそのバージョンがそのハードには負担が大きいからです。使って何年になりますか」
「このハードを購入して2年、その前に一度紛失し、一度は水につけてダメにしたから4年目になるのかな。それで、これを何とかする方法がないの?」
「前のバージョンに戻していただくのがいいかと思いますが、それは保証の範囲外となります。」
「それはなかなか難しそうでしょう。なにか、ほかにないの?」
「買い換えていただくしかありません。」
「そんなー。それだったらそうとバージョンアップするときに注意を喚起しなければいけないよね。バージョンアップすると落ちることが多くなります、それでもバージョンアップしますかって。」
「はあ、もうしわけありません」

むかしの Apple はもっと謙虚だったし、親切で、しかも挑戦的だったとおもいます。最近はちょっと高慢な感じがして好きではありません。

もうひとつ理由があります。
それはテザリング機能を使いたかったからです。

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2011年08月10日

波形手すりQunetto は長崎の生まれ

8月2日から6日まで長崎の「宗教倫理教育担当者ネットワーク」に参加のために長崎に行った。長崎空港で見つけた広告がこれである。

そういえば最近、こういう手すりを町や駅の階段でよく見かけるようになった。
下から登るときは引きつけるときに、上から降りてくるときは支えるためにこの形は力が入りやすくて合理的だと思っていた。

この手すりが「QUNETTO」と呼び、そして長崎のメーカーがつくっていたということはこのポスターで初めて知った。
こんなことがなんで今まで誰にも気づかれなかったのだろう。

こちらには写真があります。
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