2011年10月26日

ベンジャミンの実について

今札幌の弟の家に母のいよさんと一緒に来ている。
札幌の今頃は紅葉が鮮やかでとても美しい。東京や横浜の紅葉とは比べ物にならないくらいである。

ところで、弟の家のベンジャミンの木にうすい赤色の実がついていたのに気がついた。そういえば毎月行く湯河原商工会館にあるベンジャミンにも実がついいていたっけ。
ベンジャミンはどんな花をつけたの?ときくと、どうも花はつけなかったらしい。よく見ると若い枝の先に次の年に実となる緑色の小さな実がついていて、これがそのまま大きくなるらしい。

それで「ベンジャミンの実」について調べてみた。
ベンジャミンはクワ科イチジク属で花は雌雄同株でこの属特有の隠頭花序を持っています。
隠頭花序とは袋状の花托の内側にきわめて小さな花が実の中に無数に咲くので外観からは分からないです。
漢字でイチジクのことを無花果と書きますよね。
イチジクは花は咲いても普通の花弁のような花ではなく実がそのまま付いたように見えるので昔の人は花と気づかなかったため無花果と書いたのかもしれません。
ゴムノキやガジュマルも同属ですので同じように隠頭花序が出来ます。
隠頭花序は株が充実しているときに出来ますのでyurari-yurarikoさんのベンジャミンは株が成熟して子孫を残せる処まで充実していることの証拠ですのでとても良いことですよね。
可愛がって上げて下さい。


ベンジャミンがイチジクの仲間だというのは意外な感じがする。
このベンジャミンは結婚してすぐに買ったものだから、32年経つという。実をつけるほどに十分に成熟した株であるということか。

こちらは写真つきです


posted by mrgoodnews at 16:48| Comment(0) | 野草・樹木・森・里山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月20日

Getting Way of Life, Sharing Way of Life, Giving Way of Life

生き方には2通りあると思う。
Getting Way of Life つまり何かをゲットすることを喜びとする生き方。お金、名誉、権力、社会的地位…………。
Giving Way pf Life つまり与える喜びを求める生き方。
私は、Giving Way of Life を生き方としたいと思っている。与える喜び(Joy of Giving)を最大限に追求したいと願っている。
が、これはかなり難しい。

最近、この二つの他に、上記の中間(というよりは少しgiving 寄りだと思うが)に、Sharing Way of Life という生き方があることを教えてくれたのは、Big Issue Japan 172号(2011.8.1発行)の「SHARING 所有の文化から共有の文化へ」という記事であった。

英国、生活のすみずみまでに広がるシェアリングの楽しみ
スマートフォンやGPS(全地球測位システム)ソーシャル・ネットワークなどの新しいテクノロジーが、今までにない方法と規模で、あらゆる種類の富を共有交換することを可能にしつつある。英国で始まっている斬新なアイディアやビジネスを紹介する。

たとえばカーシェアリング。英国の家庭の5軒に2軒は年間5千マイル(約8千キロメートル)も走らない車を所有しており、その維持に年間5500ポンド(約72万円)を費やしている。「ウィップカー」がユニークなのはこうした稼働率が低い個人の車を近所の人に貸す、ピアツーピア(仲間同士)のカーシェアリング組織であることだ。
自転車シェアリングは、カーシェアリングよりもはるかに進んでおり、今世界で急成長している。利用者がA地点で自転車を借り、用が済めばB地点で乗り捨てることができるのがセールスポイントである。
農地や住居、公共的な施設の共同利用も盛んである。ランドシェアリングである。人々はネットを通じて、例えば裏庭に空いた土地を持っているジョーンズ氏を野菜を作りたいスミス夫人に紹介する。
旅に出る人のためのルームシェアリングもピアツーピアに行われている。
コミュニティ内の遊休スペースを若者が利用できるようにするサービスもある。
リサイクルやリユースも者や商品のシェアリングである。
家庭菜園でできた野菜を近隣の人にシェアするシステムもある。
最後に、ピアツーピア・レンディング。ネット空間につくられた貸し手と借り手の出会いの場である。これもピアツーピアの関係だからこそできることであろう。


日本でもシャッター通りに化した商店街の空き店舗を利用できるのは、こういうピアツーピアのシェアリングのシステムであろう。
ともかくシェアリングできるものは、だいたんにシェアしていく生き方も一つの新しい生き方に違いない。
考えてみたら、わたしのこのブログ"Good News Collection" も Good News(福音)をシェアする大胆な試みであるつもりである。

この記事の最後に「シェア―からビジネスを生み出す新戦略」(レイチェル・ボッツマン、ルー・ロジャース著日本放送出版協会刊)という本が紹介されていた。早速読まねば…………。
この本を紹介しているサイトをみると「『シェア』をシェアする」つまりこの本の読書をシェアしようという呼びかけがなされているところが面白い。そうしたら本が売れないのではないかという心配は杞憂なのだろうか?

こちらにもあります
posted by mrgoodnews at 15:30| Comment(0) | 人、生き方、思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月19日

人生。Powered by Citi

東京駅のホームの CitiBank の広告にこういうコピーが出てきた。スライドショウふうに次から次へ変わる画面のCMである。電車の中の音のでないテレビ画面と同じであれであろうか。

人生。
28歳の野心。
33歳の決意。
40歳の意欲。
53歳の余裕。
58歳の挑戦。
65歳の未来。
powered by Citi.

ここにもあった。けっこう注目する人があるようである。

特に「58歳の挑戦。65歳の未来。」というのがいい。いかにも銀行のCMなのかもしれないが………。
そして、選んだ写真も意味を持っている。この人は33歳で結婚したのか。

これをつくったコピーライターは、こういう人生を送りたいという自らの願望を込めてつくったのだろうか。それとも自分の人生を振り返ったらこうだったという感慨を込めてつくったのか、気になるところである。
そして自分だったら、何歳の時にどういう言葉を選び、どういう写真を掲載するだろうか、ちょっと考えてみたくなった。

こちらは写真付き
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2011年10月18日

鎌倉のイチョウの木は今年はきいろくならない?

鎌倉の駅前(表駅)のイチョウの木が、いますでにこんなふうになっている。ある方向を向いた面がこんなふうに枯れているのである。

別な方向から見るとこうなっている。
ある人がこの前の台風の大風のせいだという。大量に塩分を含んだ潮風だったかららしい。
でも海側の面ではない方がやられているのはなぜか?

よく見るとほかの落葉樹もけっこう枯れたようになっていて、今年の黄葉はあまりきれいになりそうにない。

写真付きはこちらへどうぞ
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2011年10月17日

十二所イエズス会修道院の崖にノアサガオ

私の家のノアサガオについては、以前何度も紹介しています。
今年の家のアサガオは若い枝の先の方にしか花をつけていないにもかかわらず、蔓と枝は伸び放題、さながらアサガオジャングルと化しております。隣の家にまで蔓がはっていってしまって苦情が出そうな状態です。
今年の冬には根元から枝を切って、思い切って枝と蔓の更新をしようと思っています。

落葉期の剪定を毎年繰り返していくと、切り口が年々上に移動し、枝はだんだん弱ってきます。そこで、3〜5年に一度、さらに思い切った剪定をし、枝の更新をしましょう。


と園芸のホームページに書かれていました。

ところで、この春から、我が家のノアサガオを鎌倉十二所のイエズス会修道院の裏の崖に、許可を得て移植を行いました。
それがこのようにみごとに花開いています。これも6月中頃から花をつけ、未だもって(10月15日)このくらいの花をつけています。

つづきはこちらへ
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2011年10月14日

「私は何のために生まれたのか」ランベルト・ノーマン

「カトリック生活」2011年11月号を読んでいたら、美しい写真とともに次のような詩がのっていた。
ただ写真は美しいのだが、この詩の背景としてはどうなのかなと思ったが、この詩はとてもいいと思う。
クリスマスの詩だから、星が輝く夜空のもとの馬小屋の写真とかをそえて、12月号に出せばいいのに、クリスマスまで待てなかったのだろうか?
かくいう私も、クリスマスの時に紹介したらいいのかもしれないのだけれど、それまで待てないので今紹介しよう。

私は何のために生まれたのか

神は言われる。
わたしは裸で生まれた
  あなたが自我を脱ぎ捨てるために。
わたしは貧者に生まれた
  あなたがわたしを唯一の富と見なすために
わたしは馬小屋で生まれた
  あなたがどんな場所をも聖とするために

神は言われる
わたしは弱者に生まれた
  あなたがわたしを怖がらないように
わたしは愛のために生まれた
  あなたがわたしの愛を疑わないように
わたしは夜中に生まれた
  わたしがどんな現実でも照らせることを
  あなたに知ってもらうために

神は言われる
わたしは人間として生まれた
  あなたが神の子となるために
わたしは被害者に生まれた
  あなたが困難を受け入れるために
わたしは質素な者に生まれた
  あなたが装飾を捨てるために
わたしはあなたの中に生まれた
  あなたをとおしあなたと共に
  すべての人を父の家に連れていくために。


この詩がいつ頃どういう背景のもとに書かれて、この作者ランベルト・ノーベンとはどういう人物なのか、ちょっと調べてみたのだが、見つからなかった。
この詩はもともと「心は心に語る」(ドンボスコ社 石川康輔編)に掲載されているらしいので、早速その本を図書館に予約した。

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2011年10月11日

赤と黒の借金と財産のゲームはおもしろそうである。

岩波科学の本の「数は生きている」銀林浩・榊忠男著を読んでいたら、もうひとつやってみたくなるおもしろい話がのっていた。

「赤と黒のゲーム」と題したトランプのゲームである。
1〜5までのトランプのカード全部とジョーカー1枚で合計21枚のカードをそろえる。
3人に7枚ずつ配る。
赤のカード(ハートとダイヤ)は財産、黒のカードは借金である。その金額はそれぞれのカードに万円をつけたものである。
たとえばハートの2は2万円の財産、クラブの3は3万円の借金である。ジョーカーは借金でも財産でもない、つまり0である。
ゲームは場場抜きと同じ要領で、まず親のカードから1枚、次のものが抜く。そのつぎのものがそこからまた1枚ぬく。
そして初めの一まわりが終わった以降ならば、カードが抜かれた瞬間だけ、その抜かれたものがストップをかけることができる。
ストップをかけられたら、自分のカードを合計して、誰が一番金持ちかを決める。
ただしストップをかけたものより金持ちがいたら、ストップをかけたものが自分のカードと最下位の者のカードと交換しなければならない。
それから逆に自分が一番貧乏だと思った時も、やはりストップをかけてよい。
そしてたしかにそうだったら、全員のカードの貸借を全部反対にする。
つまり、財産は借金に、借金は財産にするのだ。


これをやってみると、結構このゲームが、世の中の実際の取引を敷きうつしているのだそうである。
実際にやってみた所で「これは面白い」と紹介したらいいのに、やらずに「おもしろそう」というだけではずるいのかもしれないが…………。

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2011年10月10日

簡単だけど解けていない数の問題

岩波科学の本の「数は生きている」銀林浩・榊忠男著を読んでいたら、こんな話がのっていた。

まず最初に勝手な自然数を取ってきて、それが偶数なら2で割り、奇数なら3をかけて1を足す。
そうして得られた数が偶数なら2で割り、奇数なら3をかけて1を足す。
こうした手続きを繰り返していくと、必ずいつかは1に行きつくというのだ。

3の場合
3 → 10 → 5 → 16 → 8 → 4 → 2 → 1
7の場合
7 → 22 → 11 → 34 → 17 → 52 → 26 → 13 → 40 → 20 → 10 → …………

いまだ、こうならない自然数は未だ一つも見つかっていない。かといって必ずそうなることが証明されているわけでもない。



こんな簡単な問題が解けていないというのが、ちょっと驚きである。
コンピューターでやらせてみたら、直ぐにできそうな気がするけれど、それがそうでないらしい。
きっとコンピューターは延々とその数を探し続けるのであろう。
こんど暇を見つけたら、プログラムを作ってやってみようという気になるけれど、そういう暇がいつになったら見つかるかどうかの問題だと思う。

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2011年10月05日

「同心円エクササイズ」で「分かち合い(シェアリング)」を体験する

私は清泉女子大学で、週1回「宗教科教育法」という授業を担当している。受講者は14人くらいの小じんまりした授業である。
これは「宗教科」の教員免許を取得するための「教科教育法」のひとつである。
9月30日はその後期最初の授業であった。そこで「同心円エクササイズ」というのを行ってみた。これが意外に好評であったので報告したくなった。

2重の同心円状に椅子を並べ、内側と外側の人が向かいあうようにしてすわる。
司会者があるテーマをいうので、それについて3分間話をする。
最初は外側の人から話すようにする。二人で3分間である。
司会者はタイマーで3分間たったら合図をする。
外側の人がたちあがって一つ横にずれて、ペアを変える。
司会者は次の質問を言い、また3分間話をする。今度は内側の人が先に言う。
3分間話したら、今度は内側の人が一つずれて、また別の人とペアになる。


こういうことを繰り返していく。
この授業では場所が狭く、人数も少なかったので、椅子を向き合うように並べて、一つずつ右回りにずれるようにした。いちばん左はじの人は、向かい合う席に回り込むようにして向き合って座った。同心円よりはこちらの方が合理的だと思う。

質問は次のような内容であった。

1.最近感動したこと
2.最近がっかりしたこと
3.「やったー!」と達成感を感じたこと
4.この夏休みで最も悔いを残したこと
5.最近むしょうに腹が立ったこと
6.この夏とても愉快だったこと
7.つらかったこと、苦しかったこと
8.ラッキーと思ったこと
9.不運な星のもとに生まれて来たと思ったこと
10.1週間で一番生き生きしている時
11.1週間で一番自分らしさを失っている時、しおれているとき
12.いま、夢中になっていること、熱中していること、ハマっていること


という質問だった。
自分の席に戻って、今度はこの感想を言ってもらった。

●笑顔が大切だと思った
●初めて話す人が多かったけれど、すぐに打ち解けて話せた
●みんなの夏休みに触れられてよかった
●私は人見知りなので、初めての人と話すのは苦手なのだが、でも楽しかった。
●同じ学年、同じ学科でも普段話すことのなかった人と話せてなんだか嬉しかった
●初めは何を話そうと不安だったが、意外に時間が早くて時間が足りなかった。


学生たちにきいた。
「このエクササイズはとても良くできていて、ほんとに盛り上がることが多いのだけれど、どうしてこうなるのか考えてほしい。
ここにはいくつかの仕掛けがあるんだけれど、それに気づかないかな?」
学生たちの答えである。


●自分に起きたこと、体験したjことを話している。
●誰にでもあること、直ぐに思いだせること、そして共感できることを話している
●あまり深く考えずに心の浮かんだことを素直に表現している。
●他の人が私の言うことをどう考えるかというようなことを気にする暇がない
●簡単に話せる。
●フィーリング、気持から入る問いかけである。考えや意見を言うというのではない。
●ネガティブなフィーリングとポジティブなフィーリングとを交互にきいている。
●隣の人の話に妨げられないように身を乗り出して聞いている。つまり積極的に聞こうとしている。


こういう話をすることを「シェアリング(わかちあい)」という。ここでしていることはそのシェアリング(わかちあい)である。
これを身につけておくと、心を開いて話すという時にとても役に立つ。学校で教員同士で、あるいは生徒や保護者と面談の時、この技法をもって向き合えばいい。
「わかちあい」には4つの原則がある。

第1原則 分かち合うべきことはフィーリングであり、気持である。考えとか意見とかではない。
第2原則 主語は常に私である。主語を「あなた」にすると説教になったり、批判になっり、攻撃になりやすい。 主語を第三者にするとそれは噂話である。
第3原則 相手の話はよく聴き、受け止める。相手の話を批判したり、説教をしたり、分析したり、解説を加えたりすることはわかちあいの妨げとなる。
第4原則 そこで分かち合われたことは、その場限りのこととして口外しないこと。


ただし、この原則を先に示して、「さあ、この原則に従って分かち合ってください」といっても、まず無理であろう。
まず自然に分かち合いを体験して、「これが分かち合いです」というのがいい。
私の経験で言うと、分かち合いのもっともよい問いかけは

「最近心を大きく動かしたことについて報告してください」


だと思う。
心を動かしたことのなかには、感動したことはもとより、うれしかったこと、つらかったこと、悲しかったこと、怒りを感じたことなどなどいろいろある。
この問いかけは分かち合いを引き出す良い問いかけである。

私たちはそれと意識していないで、分かち合いをしている時がある。
その一つは、盆や正月に故郷に帰省して、親や兄弟たちと話している時
もうひとつは、小学校の同窓会で幼馴染とひさしぶりに会う時
まだ、そのほかにもあると思う。

分かち合いが難しい時もある。
年中顔を突き合わせてている夫婦や家族の間
利害関係や上下関係があるとき

分かち合いのへたくそな人たちがいる。
司祭、警察官、そして教員である。
人を裁いたり、説教したり、点数をつけたりすることを仕事にしている人たちである。

「私の話を聞いてください」という詩を読んで終わるといい。

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2011年10月04日

愛すべき3人の鶴見人

私が住んでいる鶴見には、愛すべき芸能人が3人いました。

そのひとりは淀川長治さん。
むかしまだ自動改札ではなかったころ、駅の改札口を通っていたら、後ろで切符きりの駅員に賑やかに挨拶している人がいました。後ろを見たら、淀川さんでした。
バスにのっていて、賑やかに隣の人と話している人がいました。どこかで聴いたことのある声と話し方です。淀川さんでした。
たまたま隣り合った人と誰でもきがねなく談笑する人だったのですね。
家の近くを散歩すると、近くの友人があそこが淀川長治さんの家だよって教えてくれました。

もうひとりは、緒方拳さんです。私はあったことがありませんが、鶴見の人は会ったことがある人が多いようです。気さくで飾らない人という印象をみんなが持っています。
家は小学校の前にあって、外壁に能面などいろいろなお面がはられているのですぐに分かります。表札にも緒方拳と出ていました。
近くに息子の緒形直人さんの家もあるのですが、ここは表札も出ていないし、近所の人以外には誰もそこが直人さんの家であることを分からないでしょうね。

前ふたりは、故人ですが、もうひとりこの方は現役です。
鶴見で朝散歩していたら、ジョギングしている人とすれ違いました。
どこかで見たことのある人だなと思ってみたら、すれ違いざまに「おう!」と声をかけてくれました。
その声で思い出しました。ショーケンです。60年代グループサウンズのアイドルだった萩原健一でした。
この人鶴見の地元のお菓子屋さんの宣伝の看板によく出ていました。
鶴見に縁のある方であったようです。

いずれもきさくさ、かざらなさが共通の鶴見人です。

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広告につられて読みたくなった本4冊

今日の毎日新聞の出版広告の中に読みたくなった本が4冊も目についた。これは珍しいことである。

その1は川北義則の著「男を磨く女 女を磨く男」(PHP研究所刊)である。そのコピーにはこうある。

お互いの人生を豊かにするために知っておくべきこと
●「勇気」をうまく引っ張り出す法
●いい女は「イ」の達人である
●「面白い」は何よりも武器になる
●妻の日常は偉大である
●人に好かれる人、嫌われる人
いくら強い女性でも、男に甘えたいときがある。男勝りでバリバリと仕事をこなしている女性が、いったん惚れてしまうと、その男の前ではすっかりしおらしい女っぽさを見せることがある。男と女は磨き磨かれる関係である。


もう一つは同じ著者出版社の「男の生き方 −誇り高く信念を持て」
この本のコピーもいい。

20代は夢を描き、30代は根を張る
40代には軸をつくり、50代は颯爽と生きる


さて60代はというのを聴きたくなるのだが、著者はそこまで年をくっていないのか。
多分こういう本を読んでも、当たり前のことばかり書かれていて、そう面白くないことが多い。しかし、この広告コピーはよくできていると思う。きっとその内容よりもコピーの方が傑作というおそれがある。羊頭狗肉でないことを願う。

次は「『親切』は驚くほど体にいい!」(デイビッド・ハミルトン著 有田秀穂訳 飛鳥新社刊)。そのコピーにこうある。

”幸せ物質”オキシトシンで人生が変わる。
親切をすると脳と体をめぐる不思議な神経物質「オキシトシン」。その働きで………
1.辛いストレスが消える
2.人との絆を感じ、幸せ感が手に入る
3.心臓、血管、消化器の働きがよくなる
「親切」をすると自分が元気になる”まったく新しい健康法”


私はこういう逆説が好きである。
自分のためにではなく、人のために何かをしたいという奉仕の欲求が人間のもっとも高次な欲求であると思っているからである。
あるいは「自分の重荷を軽くするもっともいい方法は他人の重荷を背負うことである」という逆説を信じているからである。
それを裏付ける情報は私にとって貴重である。

第4に同じ出版社の本「うつは手仕事で治る!」(ケリー・ランパート著 木村博江訳 飛鳥新社刊)。その広告コピー。

なぜ昔の人はうつにならなかったのか。
神経学者がうつの正体を捉えた話題作。
人は体を使って努力し、目的を達成することで大きな喜びを感じる。畑仕事や手仕事から解放され、スイッチ一つですむ生活になってから、うつになる人が増大した………。


新聞広告でこういう読みたい本を見つけると、
1.図書館のネットで探す。ところが図書館の蔵書には新刊書はほとんどない。あっても何十人待ちであることが多い。
2.本屋で立ち読みをする。たいていはぱらぱらとめくるだけで、自分で買うことはない。図書館に入ってくるのを待てばいいだけである。
3.図書館でこの著者の別な本を探してこちらを予約する。
4.この書の紹介の中にあるキーワードを調べてみる。この広告では「オキシトシン」であることはいうまでもない。これについてはまたあらためて記述する予定である。

私は新刊書は極力買わないことにしているのだが、それでも買いたくなり、買ってしまう本がある。今回の4つの本がその中に入るかどうか。

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2011年10月01日

創発する民主主義へ

2011年9月3日の朝日新聞に「創発する民主主義へ −現場からの発信で新たな政治を想像 ネットが後押し」というタイトルの記事が載っていて、とても興味深く読んだ。これは MIT メディアラボ所長の伊藤穣一さんという方へのインタビュー記事である。

この内容については、ここに掲載されているのでそれを参照してほしい。



内容をかいつまんで紹介すると

草の根から現場から生まれてくる直接民主主義に近い政治的な秩序

討論型世論調査 無作為に抽出したごく普通の人を一箇所に集め、税制とか年金とかのややこしい問題を数日間議論してもらう。するとひとりひとりのレベルを超えた深い意見が出るようになり、全体としての判断もより適切な方向に変化していく

今中東で起きていることはまさにこの創発型民主主義


このインタビュー記事では「創発」をこう説明している。

「例えばアリは一匹一匹に高い知性はありませんが、群れとしてはとても複雑な共同作業をします。巣をつくり、ごみ捨て場や、死んだ仲間の墓地もつくる。個々の単純な動きが相互に作用し、いわばボトムアップで思いがけない高度な秩序が生まれていく。そういう現象を創発と呼びます。例えば大都市でも、トップダウンの都市計画より住民の相互作用から生み出された街並みの方がうまくいく。これも創発です」


私は以前この「創発」という概念のおもしろさについて、紹介した。
私はそこでこんなふうに説明した。

「人工生命」を研究する専門的な立場からの「創発」とは「総体を構成する各部分間の相互作用により,上位レベルの特質や振舞いが現出する現象」あるいは,「上位レベルが現出すると同時に逆にその上位レベルが下位レベルを制御して新たな秩序を生む現象」というのがひとつの定義である。
 つまりは個体がそれぞれに起こしたアクションが個体間の相互作用の繰り返しによってあるグループ、つまりは社会におけるひとつのアクションを引き起こす現象、またはその逆の現象などを創発とよぶ.
 「単純なものが相互作用しあって複雑な挙動を示す(発する)」現象である。「複雑系」と呼ばれる分野の解き口の重大なひとつとされている。


この「創発型民主主義」のアイディアの進化と伊藤穣一さんに注目していこうと思っている。

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