2011年11月29日

いよさんの好物リスト

入院中の母いよさんの好物リストを病院の栄養士さんにわたした。いよさんはまだおもゆ程度の流動食しか食べられないのだが、近いうちにすり下ろし食、刻み食へと少しずつ回復する際に参考にしてもらえたらと思って、このリストを作った。

タクワンはだめ。こういうしねくねしたのはかみきれないし、のみこめない。
入れ歯の関係でカタイせんべいみたいなものはダメです。りんごも丸かじりは駄ダメです。
べったらづけや奈良漬けは薄く切ってあれば食べられる。
おもゆは好きでない。
ほうれん草のゴマ和えやおかか和えは食べる。
味噌汁のみは、ほうれんそう、おふ、ジャガイモが好き。でもあまり実は多くない方がいい。
みそ味のたまごおじやはすき。
あん団子、みたらし団子は大好き。息子の分まで食べちゃう。
カステラ、桃山、すあま、きりざんしょ、ぎゅうひ、くずもち、ういろう、ようかん、はぶたえもちには目がない。
あんぱん、いちごぱん、くりーむぱんはすき。
サツマイモの甘露煮、にんじんグラッセ、里芋の煮物、肉じゃが、
ウナギの蒲焼き大好き。
魚は大好きではないが、食べる。
いちごのつぶしたのにミルクと砂糖をかけて食べるの好き。
どんなにおなかいっぱいでも食欲がないときでもアイスクリームなら食べる。
のりいもまめこさんと呼ばれていたくらい、このおかずがあったらじゅうぶん。
まめやのりやしょうが昆布の佃煮も好きです。
いなり、太巻き鉄火巻きのおすしも好き。にぎりずしはそれほどでもない。
おでんのたまごとめだまやき、たまごやきもすき。
めだまやきはお醤油をかけて食べます。
ソース味の焼きうどん、コロッケ、カツ丼も好きです。


これでみるとおり、グルメではないのですが、けっこう食いしん坊で、甘い物好きです。
好き嫌いがなくてなんでも食べます。
おなかがへると、お菓子を探し回って、お菓子が見つからないと砂糖をなめているところを見つけられてしまいました。

まだまだあるのですが、思い出せません。

こちらにもあります
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2011年11月28日

アドベント・ボックスと待降節

品川の KALDI で「アドベント・カレンダー ウッドボックスタイプ」なるものを見つけたので買ってしまった。確か1980円であった。ボックスは中国製である。ここにはこう書いてあった。

adventbox

24個の扉がついたアドベントウッドボックス。扉を開けると中にはチョコレートやキャンディが! 中のお菓子を一つずつ食べながら、クリスマスイブまでの24日間を楽しんで!


アドベントカレンダーとは、12月1日から24日まで窓がついているカレンダーで、一日一つの窓を開けるとそこに何か絵が描いてあったり、メッセージが書かれていたりするカレンダーである。
最近は、そこにお菓子やキャンディが隠されているものが目立つ。
クリスマスを待ち望む気持ちをそういうふうに表現していたわけである。
このウッドボックスタイプはお菓子さえ買えれば翌年もまた使えるということでなかなかスグレモノであると思う。

そういえば、教会の暦では昨日11月27日から待降節にはいった。新しい年が始まったことになる。この日からクリスマスまでの4週間を待降節(アドベント)と呼んでいる。
聖アンデレの日である11月30日に最も近い日曜日が待降節第1主日となる。最も早いときで11月27日、もっとも遅い年は12月3日となり、今年は最も早い年にあたる。

アドベントとは、もともとは「到来」を意味するラテン語 adventus からきた言葉である。つまり「突然やって来る、思いもかけないことが目の前で起こる」それがアドベントの本来の意味である。
英語のアドベンチャー(冒険)の語源でもあるが、冒険とは本来、誰も行ったことのない新しい土地へ行くことでも、誰もやったことのない新しいことに挑戦することでもなく、突然目の前に起こった予期せぬことを受け止め、自分自身を変革させること、またその経験を通して新しい人間になるということを意味していた。

そういう意味ではマリアもそして3人の東方の博士たちも、この予期せぬ出来事を受けとめて新しい人間となった本当の意味でのアドベンチャーであったのであろう。

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2011年11月22日

「いのちが大切」よりも「あなたが大切」

AC 公共広告機構なるところのTVCM や新聞広告がめだっている。
ちょっとうさんくさいところもあるが、このTVCM のメッセージは秀逸であると思う。




いのちはたいせつだ
いのちをたいせつに
そんなことを何千何万いわれるより
あなたがたいせつだ
だれかがこういってくれたら
それだけでいきていける

明日のために今はじめよう公共広告機構です


このメッセージは自殺防止のキャンペーンのためにつくられたものであるらしいのですが、どうでしょうか。それに有効な力を持つメッセージなのでしょうか?

ところで「いのちが大切」「あなたが大切」という言葉で検索してさがしていたら、こんな映像に出くわしました。「野原ひろしの名言集」という YouTube 映像です。映像と言っても文字だけですが………。

このなかの

いいか、しんのすけ。
正義の反対は悪なんかじゃないんだ。
正義の反対は「また別の正義」なんだよ。


このメッセージはどこかで聞いたことがあるが、誰の言葉だったかを忘れた。
このメッセージも聞いたことがあるが、どこで聞いたかを忘れた。

一日だけ幸せでいたいならば、床屋にいけ。
一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。
一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚をしろ。
一年だけ幸せでいたいなら、家を買え。
一生幸せでいたいなら、正直でいることだ。


いずれも「くれよんしんちゃん」のおとうさんが言ったことなのだろうか?

こちらも映像付きです
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2011年11月21日

アルジネード・ウォーター

母のいよさんは胃潰瘍を患って入院中である。
まだ栄養は点滴で摂取中で食事もできないので、くいしんぼうのいよさんがかわいそうである。
ただ飲むものは一部許されている。いよさんが飲んでいるものはアイソカル・アルジネード・ウォーターなるものであった。私も初めて見るものである。

「スポーツドリンク風味、栄養機能食品(亜鉛・銅)」と書かれてあった。これを製造販売しているのはネスレ日本であった。日本ではインスタントコーヒーとクリープが有名であるが、世界的にはもっともおおきな食品会社である。

亜鉛は味覚を正常に保つのに必要であるとともに、皮膚や粘膜の健康維持を助けるとともに、たんぱく質・核酸の代謝に関与して、健康の維持に役立つ栄養素である。
銅は、赤血球の形成を助けるとともに、多くの体内酵素の正常な働きと骨の形成を助ける栄養素です。

1パック中の栄養成分
熱量:100kcal、たんぱく質:2.5g、脂質:0g、炭水化物:22.5g、亜鉛:10mg、銅:1.0mg、リン:225mg
アルギニン:2.5g、水分:107g


アルジネード・ウォーターを検索してみると、

ベッドで同じ姿勢でいることの多い方が、手軽にアルギニを補給できる。
アルギニンは、からだの中でたんぱく質を作る重要なアミノ酸の一種で、寝たきりの栄養管理に大切な栄養素です。肉類、ナッツ類、大豆、玄米、干しぶどう、牛乳、かになどに多く含まれていますが、たくさんの量を摂るには工夫が必要です。


というようなことが書かれていた。
こういう飲料もあるんだと知った次第である。ちょっと飲んでみたらけっこうおいしい味がしていた。いよさんも「おいしい」と言って飲んでいる。

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2011年11月20日

凍裂(とおれつ)北の森でおこる強烈さ

札幌にいる義妹からこう聞かれた。
「お義兄さん、凍裂って知っていますか?」
「知らない、なにそれ?」
「北海道の人しか知らない森の現象です。森の木の中の水分が凍って幹が縦方向に弾けるように避けるんです。その時の音が強烈で森中に響きます。その音は聞いたことがありませんが、−25度以下で起きるのすが、森のあちこちからその悲鳴のような音が聞こえるのだそうです。」

touretsu2

「それで、その木は枯れてしまうのですか?」 
「そこがすごいところです。枯れずに木が自ら裂けた部分を修復していくんですね。痛々しくあとは残るので、その木が凍裂のあった木であることは見る人が見れば分かります。」
「どういう木に起こるの?」
「トドマツとかスギとかが有名ですが、ナラ、ニレ、ドロノキ、ヤチダモ、ヤナギ等の広葉樹にも発生することが報告されています。富士山の麓の樹林帯でもシラビソとかオオシラビソの木で見られるみたいです。東北では日本海側よりも太平洋側に多く見られるとか。」
「へえ〜、知らなかったな。」
「他にも北海道でしか見られないいろいろな現象があるんですよ。ダイヤモンドダストとかサンピラーとか、けあらしとか。それを実際にこの目で見てこの耳で聞いてみたいと思っているんですが。
 実は、凍裂をテーマに人形を作りました。どうですか?」

Tooretsu

「いや、これは痛々しいな。」
「そうなんです。これを展示しておくと見る人が後ろ向きにしてしまうんです。あまりに痛々しいからでしょうか。」

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2011年11月13日

いよさんのお勉強の時間

この1週間は大変だった。
いよさんが札幌から帰ってきたあとの10月29日に「胃潰瘍」で入院した。札幌行きが響いたのかもしれない。
そしてさらに入院中の先週の水曜日に吐血した。かなり大量の血を吐血したので、出血多量による「事態の急変」を心配するほどであった。
さいわい、出血は止まり、そのご順調に快方に向かっているようなのでひとまず安心している。
2晩病院に付き添いで泊まり込んだが、いよさんの意識はしっかりしていたのが救いだった。

入院して付き添っているときのベッドに横になっているいよさんとの対話。
「いよさん、退屈だね。何かして遊ぼうか?」
「遊ぶ? 動けないからむりだよ」
「じゃあ、お勉強しよう、あたまはつかえるよね。」
「うん、いいよ。なにするの?」
「じゃあ、最初は算数ね。足し算をしてください」
「簡単なのならいいよ。」
「じゃあね。14+9は?」
「23」
「いいねえ、よくできるね。じゃあ、23+12は?」
「え〜と、35.」
「ぴんぽーん。35+17は?」
「53」
「ぶーっ。35+17だよ。」
「52」
「ぴんぽーん。52+28は?」
「52+28? 70かな。」
「ぶーっ。 じゃあ、28+52は?」
「80」
「ピンポーン」

ともかく頭を使うことを厭わないところがえらい。
「じゃあ、次は国語のお勉強ね。」
「この漢字読める?」といって、100円ショップで買ってきた「今こそ恥じない漢字の読み方1」という本に書かれている漢字熟語を読ませた。
「男気 理解 外来 体裁 礼儀 行脚 素質 図書 工事 修行 気配 解毒 外科 行使 体得 礼賛 素性 図面 工面」
このうちいよさんが読めなかったのは
「行脚 図書 解毒 礼賛」である。いよさんはけっこう漢字の読みには強い。漢字を書くのはたいへんだが。

「じゃあ、次は英語の時間。1から100まで英語で数えてご覧」
 だいたいいえる。
「67は?」「sixty seven」とこの位ならちょっと考えるだけでいえるのである。

「次は社会科の時間。日本の首都は東京。アメリカの首都は?」
「わかんな〜い」
「じゃあ、神奈川県の県庁所在地は横浜。静岡県の県庁所在地は?」
「県庁所在地って何? わかんな〜い」
「日本で一番高い山は?」
「富士山」
「ピンポーン」
社会科は難しいようである。分かるのは日本で一番高い山くらい。

「じゃあ、音楽の時間ね。一緒にお歌を歌いましょう。」
「ずいずいずっころばし。ごまみそずい。つづけて一緒に歌おう」
「ちゃつぼにおわれてとっぴんしゃん。ぬけたらどんどこしょ」
この歌はすらすらと最後までだいたい歌える。
「じゃあ、次はこの歌歌える? 夏も近づく八十八夜♪」
「のにもやまにもわかばがしげる♪」
「あ、うたえるうたえる、すごーい。おぼえているんだ」
「あれにみえるはちゃつみじゃないか♪ あかねだすきにすげのかさ♪」
「あかねだすきってなに? すげのかさってどんなかさ?」
「わからな〜い」
「じゃあ、このうたは? はしらのきずはおととしの♪ なんのうただ?」
「5月5日のせいくらべ♪ せいくらべの歌だ。」
「5月5日の端午の節句の歌だよね。続いて歌ってご覧」
「ちまきたべたべにいさんが はかってくれたせいのたけ♪
きのうくらべりゃ なんのこと やっとはおりの ひものたけ♪」
「うたえるね。」
「じゃあ、今ごろの秋の歌。あきのゆうひに♪」
「てるやまもみじ こいもうすいも かずあるなかに………♪」
5分前の記憶を完全に失ってしまう記憶障害とはとても思えないくらいによく覚えている。
その他にいよさんが1番の歌詞をそらんじていて歌える歌は次の歌であった。
「もういくつねるとお正月」
「年の初めのためしとて」
「ゆーきやこんこん」
「さぎりきゆるみなとえの(冬景色)」
「あかりをつけましょぼんぼりに」
「はーるのおがわは」
「はるがきた」
「どんぐりころころ」
「いらかのなみとくものなみ」
「うのはなのにおうかきねに」
「なのはなばたけにいりひうすれ」
「あめがふります」
「うみはひろいなおおきいな」
「むらのちんじゅのかみさまのきょうはめでたいむらまつり」
「しずかなしずかなさとのあき」
「みかんのはながさいている」
「はこねのやまはてんかのけん」(これがけっこう歌えるのには驚いた」
「しょうしょうしょうじょうじ」
「とおりゃんせ」
まだあるだろう、歌える歌を発見していくのは楽しい。
いよさんが「しらな〜い」といって歌えなかった歌
「あんたがたどこさ」
「いちかけにかけでさんかけて」
「どこかではるが」
「なかよしこみちはなんのみち」
「あのこはた〜れ」
つぎに、いよさんの青春時代、昭和10年代にはやった歌をiPad で見ながらきいてみた。
「青春日記」「高原の旅愁」「青春パラダイス」「新雪」「純情の丘」
これらは全滅。いよさんは「しらな〜い。きいたことな〜い。」
戦後の「りんごの歌」「青い山脈」のほうがまだよく歌える。

それほど歌好きではなかったし、自分で口ずさんでいるのはほとんど聞いたことはないのだが、「ずいずいずっころばし」をうたっているいよさんはたまらなくかわいい。今度ビデオに撮っておこう。
テレビの歌番組は好きでよく聞いていたが、この頃の歌は何も覚えていない。

こちらにもあります


 





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2011年11月07日

安土往還記にみる信長とキリシタン宣教師たち

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辻邦生の「安土往還記」という短編小説がある。
この文庫本の裏表紙には次のような紹介があった。

争乱渦巻く戦国時代、宣教師を送りとどけるために渡来した外国の船員を語り手とし、争乱のさ中にあって、純粋にこの世の道理を求め、自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする“尾張の大殿(シニョーレ)”織田信長の心と行動を描く。ゆたかな想像力と抑制のきいたストイックな文体で信長一代の栄華を鮮やかに定着させ、生の高貴さを追究した長編。文部省芸術選奨新人賞を受けた力作である。


この小説に信長がなぜキリシタン宣教師たちに好意を寄せていたのかという心情がみごとに描かれているところがあった。

大殿(シニョーレ)はこうした現実の問題を処理する立場の人間として、tらえず「事が成る」ための力を必要としていた。事を成就せしめぬような知識はがらくたに過ぎなかった。彼は目を光らせ、渇いた人のように、事を成就させる知識を求めたが、同時にそうした知識を造り出す態度の厳しさに関心を持ったのだ。
「キリシタンの僧たちが大海に乗り出すように、その同じ勇気をもって、仕事に当たれ」
大殿は近習たちと雑談の折、そんな言葉を漏らしたと伝えられている。確かにオルガンチノをつかまえて、大殿は「あなたはなぜこのような遠くの国まで、危険な大海を渡って航海してくるのか、それが知りたい」とよく言っていた。彼は布教のためであれ、その他の目的であれ、生死のぎりぎりの地点にたち「事が成る」というただそのことに力を集中して生きるその厳しさ、緊張、生命の燃焼に強い共感を持っていたのだ。
大殿は「事が成る」ために目的のすべてを−自分の思惑、感情、惰性、習慣、威信、自尊心までを犠牲にした。そしてそうした態度をあえて他の武将、将軍、大名にも要求した。このことに関しては大殿は徹底的な献身を要求した。「事が成る」ために誰もが自分を殺し、自分を乗り越え、「理にかなう」方法を遂行しなければならなかった。


なるほど。信長は「事が成る」ための不屈な精神とおなじものを宣教師たちの中に認めていたわけである。秀吉はそれを怖れていたのだが………。

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2011年11月04日

札幌のヤマボウシの実と紅葉

私が札幌の弟の家に母を連れて訪問したのは、10月24日から27日までだった。紅葉はもうすこし早いほうがよかったようだが、それでも私の住んでいるところとは違う紅葉のあざやかさあでやかさには心うたれる思いであった。「晴れていたらもっと輝いているんですよ」とは義妹のひとこと。

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「そういえば家の玄関のところに実をつけているのはヤマボウシですか。なかなかみごとですね。あれって実は甘いんですよね。ジャムにするとか果実酒にするとかしてみましたか?」
「おにいさん、あれがヤマボウシってよくご存知で。実が売れるとあのまま地面におちてべちゃってなるんで始末が悪くて。たしかに甘い味はするけれど、種やら皮やらがざらざらして食感があまりよくない。」
「インターネットで調べたらきっとジャムの作り方がのっていますよ。ちょっとチャレンジしてみたら」

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で、さっそく調べて見たらいくつか見つかったそうです。でも私がいる間にジャムづくりははじめませんでした。

弟の家の近くに西野緑道という散歩道があります。なかなかいい散歩道で、特にこの紅葉の季節はいいです。植えてある木が特にこの紅葉の季節を意識して選ばれているようで、彩りがなかなかみごとなのです。
近くに琴似発寒川が流れています。

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対岸の急斜面の紅葉もみごとです。

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普通の家の庭も紅葉を意識して木が植えられています。

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こちらは写真付きです
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2011年11月03日

札幌市資料館の正門

遠友夜学校記念室のあった札幌市資料館はなかなか興味ある資料館だった。

まず、正面玄関。ここの車寄せ上部のひさし部分に書かれてある「札幌控訴院」の文字。独特の書体である。ここはもと「控訴院」という名の裁判所跡だった。
その左右には、公平を表す秤と正義を表す剣を組み合わせた文様が刻まれていて、上部中央にはギリシャ神話の目かくしをした女神がおかれている。
さらに奥壁の左右には真実を照らす鏡も彫り込まれていて、いかにも裁判所らしい「法の権威と公正の原則」がいかめしく表現されている。

ところで、この「目かくしされた女神」はなぜ目かくしをしているのかが、話題になったので調べてみたら、これは法の女神テミスで、目かくしは予断を排除して公正な裁きができるように目かくしをしているらしい。この法と正義の女神はイケメンの男に弱かったにちがいないと思わせる『目かくし』である。
こんな解釈もあった。

目隠しについて長尾龍一は正義の実力的側面に着目し、「正義の女神は娼婦であり、戦いの結果が明らかになった段階で勝者の胸に抱かれる。また闘争が起こり勝者が入れ替わると新たな勝者の胸に抱かれる。正義の女神は腕づくで押さえこまねばならない」点の寓意したものと解釈する[3]。


この長尾龍一先生は、そういえば私が所属していた弁論部の顧問だった。こんなところでお目にかかるとは。

ところで、この札幌市資料館には、遠友夜学校記念室とともに「おおば比呂司記念室」も常設されていて、そこも見学した。独特の味わいのあるイラストを描いている画家で、そういえばこの人の絵を広告やパッケージデザインでけっこう見ているのに気がついた。

そとにでたら大通公園の紅葉がとても美しかった。この日は曇っていたのだが、晴れていたらもっと輝いて色鮮やかに見えたであろう。

こちらは画像付きです

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2011年11月02日

遠友夜学校と新渡戸稲造

札幌に行ったついでにぜひ訪れてみたかった遠友夜学校記念室にいった。札幌市資料館にこの10月に新しく設けられたという。

この遠友夜学校は、明治24年に母校札幌農学校(今の北大農学部)の教授として札幌に戻った新渡戸稲造が、その2年後に創設した私立の夜学校である。
妻の萬里子夫人(メリー・P.エルキントン)にアメリカの実家から1000ドルの遺産が届いた。この遺産で稲造の夢であった、学校に行こうとしても行けなかった子どもたちのための夜学校が実現した。

校名の由来は論語の「友あり、遠方より来たる。また楽しからずや」で、遠い国から届いた遺産を役立てたことの喜びが表現されている。
この学校のモットーは「学問より実行」であり、また「何人にも悪意を抱かず、すべての人に慈愛の心を持って(Wth malice toward none, With charity for all)」というリンカーンの言葉であった。

この学校の教員たちは、北大の学生たちがボランティアで無償であたっていた。
また1909年から1914年には有島武郎が代表を務めていたこともあった。この学校の校歌は有島武郎の作詞である。気概のこもった校歌である。

遠友夜学校校歌
作詞 有島武郎

沢なすこの世の楽しみの
楽しき極みは何なるぞ
 北斗支ふる富を得て
 黄金を数へん其時か
  オー 否 否 否
  楽しき極みはなほあらん

剣はきらめき弾はとび
かばねは山なし血は流る
 戦のちまたのいさほしを
 我身に集めし其時か
  オー 否 否 否
  楽しき極みはなほあらん

黄金をちりばめ玉をしく
高どのうてなはまばゆきに
 のぼりて貴き位やま
 世にうらやまれん其時か
  オー 否 否 否
  楽しき極みはなほあらん

楽しき極みはくれはとり
あやめもたへなる衣手か
 やしほ味よきうま酒か
 柱ふとしき家くらか
  オー 否 否 否
  楽しき極みはなほあらん

正義と善とに身をささげ
慾をば捨てて一筋に
 行くべき路を勇ましく 
 真心のままに進みなば
  アー 是れ 是れ 是れ
  是こそしき極みなれ

日毎に業にいそしみて
心にさそふる雲もなく
 昔の聖今の大人
 友とぞなしていそしまば
  アー 是れ 是れ 是れ
  是こそ楽しき極みなれ

楽しからずや天の原
そら照る星のさやけきに
 月の光の貴きに
 心をさらすその時の
  アー 是れ 是れ 是れ
  是こそ楽しき極みなれ

そしらばそしれつづれせし
衣をきるともゆがみせし
 家に住むとも心根の
 天にも地にも恥ぢざれば
  アー 是れ 是れ 是れ
  是こそ楽しき極みなれ

衣はやがて破るべし
えひぬる程もつかの間よ
 朽ちせて止まじ家倉も
 唯我心かはらめや
  アー 是れ 是れ 是れ
  是こそ楽しき極みなれ


遠友夜学校は昭和19年に閉校したが、その後遠友塾という自主夜間中学校として今もその精神を受け継いで存続している。

こちらは動画付き

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