2012年01月28日

情報化が教会にもたらす危機 Church's Crisis by Information Technology

IC2012の基調講演の中で、ライス神父(パウロ会)は、急速なる情報化の進展についていけない教会の危機を次のように指摘していました。

その「危機(crisis)」とは次のような性質を持っています。

Boiled Frog Problem
「Boiled Frog Problem」とは「カエルは熱湯に入れられるとすぐに死んでしまうが、水から徐々に温めていくといい気持ちになってでもそのまま茹で上がって料理になってしまう」ということを言います。「真綿で首を締める」みたいなことをいうのでしょう。
The far horizon problem
これはまだまだ遠くの世界で起こっていることで自分には関係ないと思っていることでしょう。
The Pace of change Problem
一方でこれは変化が速すぎてとてもついていけない問題ということです。

そもそも最大の危機は
Are we in crisis?
つまり、その危機に気づいていないことにあると言えるでしょう。

その「危機」とは次のように表現していました。

●Sexual abuse Crisis 性的濫用の危機?
  Loss of trust
  Loss of credibility
  Loss of resources bankruptcy 資源の破産状態?
●Vocational Crisis 使命感の危機
  precipitous drop in numbers of priest and religious
  Inability in stuff schools,parishner,hospital
  教会や学校や施設で働く司祭や修道者がこれについていけない
●Catechesical crisis 教えを伝えていく上での危機
  We have largely failed to pass on our faith
  Faith seems irrelevant
  Faith seems shallow
  信仰が浅く、現実離れしていく
●Attrition crisis 衰退の危機
  not became angry but became boring
  怒るのではなく退屈になる
●Leadership crisis リーダーシップの効き
  Shifting roles for bishops,clergy,laity
  司教、司祭、信徒の役割の変化
●Disunity crisis バラバラの危機
  We are no longer one church?
  Who's really Catholic?
  Ideology has replaced mission
  もはや一つの教会とは言い難い。誰がほんもののカトリックなのか?
●Victimology crisis 迫害と殉教の危機
  We are under attack by the media, the liberals, the government
  メディアや自由主義者や政府からの迫害を受けている?
●Resources management crisis 資源管理危機?
  Consolidation,redistribution
  Empty urban churches
  Encumbered by useless facilities
  意味のない道具で足手まといになっている


雰囲気がわかるでしょうか。ライス神父の話はとてもユーモラスで笑に満ちていました。
そのユーモアの意味はなかなかわからずに、疎外感に襲われるのですが、その雰囲気はわかるような気がします。
ただし、この話は次のように終わりました。

Even if true,so what?
Diminishes our responsibility


もしそれが本当だとしても、それがどうなんだ。
そういう問いに答えるかのごとく、かれはこう言って、話を明日につなぎました。

Crisis = danger plus opportunity
Why do we see only danger.


こちらもどうぞ




posted by mrgoodnews at 13:15| Comment(0) | キリスト教の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月22日

Interactive Connection 2012 に出発します。

今日22日午後7時の飛行機でアメリカに行きます。フロリダ州オーランドで1/22〜26日に開かれる Interactive Connection 2012 という集会に出てきます。Interactive Connection とは「双方向の交わり」とでも訳したらいいでしょうか。
今回のテーマは前にもお知らせしたとおり、"Incarnating Gospel into the Digital World" です。私の関心にぴったりのテーマです。
この集まりのなかでどんな Learning Session があるか、ちょっと紹介しましょう。スミマセン。英語で。

Technology at the Service of Catechesis
Zingers! 7 Free Resources to Catch Your Students Attention
Mobile Technologies In Your Ministry and Church
Teaching Social Justice Interactively Using the Internet

Putting the TECH into CaTECHesis
21st Century Catechists: Sharing the Faith in a Digital World
What Makes a Great Church Website
Discovering Who Your Organization is Online

Digital Storytelling and Marketing Techniques
Parish Websites: Tools of Evangelization
The Parish – A Social Network
Technology in Catechesis: What’s Going On?


4つのセッションが併行して同時に行われます。ということは4つのうちの一つを選ばなければなりません。どれに出席するか、悩んでいます。
向こうに行って余裕があれば、レポートすることにしましょう。

こちらもどうぞ

posted by mrgoodnews at 02:03| Comment(0) | キリスト教の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月20日

日経元旦トップ「C世代駆ける」

 元旦の新聞はとてもお得な買い物だといつも思う。広告もいっぱいあるけれどその広告にも見るべきものがたくさんあるし、各社が記者の総力をあげてよみがいのあるメッセージや記事や特集で満載だからである。
 ふだんあまり日経は読まないのだが、それだけに日経の正月版もなかなか読み甲斐がある。
 今回は1面トップ記事となっていた「C世代駆ける」という特集シリーズ記事の第一回目が目に入った。
 見出しである。

 
開かれる知 つながる力
 動き出す「チーム・グローバル」
 社会の課題次々と挑戦




 記事の内容は、電気自動車のテスラ・モーターズの工場の取材から始まる。そして「電気のないアフリカの村に安全で便利な暮らしを届けるために、太陽電池で動くランプ兼懐中電灯をつくれないか」というような問いを出して世界中からアイディアを集め、それを製品化しようとする動きを紹介する。

「仮設住宅にふれあいの場がほしい」という呼びかけに応じて、実際に南三陸町の仮説建設プランとして採用されたのは、アメリカのハーバード大学やMITの学生たちのプランだった。プロもアマも日本も外国もない。復興の最前線で「チーム・グローバル」が20年後の街の姿に目をこらす。
 共鳴する世界は国を超え、若い世代を巻き込む。同じ価値観や使命感を抱く人びとが自由につながる.押しつけでない分、秘めるパワーは大きい。新世代が次代のルールで動く。古い秩序って窮屈じゃないですか。

 コンピューター(Computer)を傍らに育ち、
 ネット上で知人とつながり(Connected)
 コミュニティ(Community)を重視する。
 変化(Change)をいとわず、
 自分流を編み出す(Create)
 ジェネレーションC、未来を駆ける


 この記事を読んで、私もまぎれもなく「ジェネレーションC」であると思った。

こちらもどうぞ
 



posted by mrgoodnews at 17:23| Comment(0) | 人、生き方、思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月19日

Virtual Choir(バーチャル聖歌隊)を見つけました

1月23日から26日までの Interactive Connection 2012 に参加するので、アメリカのカトリックSNS の Digital Catechesis をみていたら、Virtual Choir(バーチャル聖歌隊)なるものが YouTube 上にあることが紹介されていたので、さっそく見てみた。



 12カ国から135人が参加して243トラックを使用して作られたという。指揮者兼コンポーザーは、Eric Whitacre なるかたである。
 こういうものができることを想像するのは簡単だが、実際にするとなると大変であろう。
こういうことの可能性を探るのも今回の参加の目的である。

 ちなみに今回のIC2012 のテーマは Incarnating the Gospel in the Digital World! である。日本語にすると「ディジタル世界に福音を受肉する」というようになる。 Incarnation というとキリスト教用語では「託身」とか「受肉」とか訳し「神が人となってこの世界に生まれる」ということを意味する言葉である。

 さてどんな出会いと発見が待っているか、ワクワクしながら22日に成田を発つ。

こちらもご覧ください

posted by mrgoodnews at 17:29| Comment(0) | 宗教教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月18日

「みずくさい」という言葉の関西と関東

先日、関東と関西の文化の比較の話しをしていたら、関西出身で今はこちらで生活している神父さんがこんな話しをしてくれました。

「みずくさい」という言葉があるけれど、関西では「味が薄い」とか「だしがきいていない」とか「みずっぽい」とかいう意味で使われる言葉なのだけれど、関東では「他人行儀だ」とか「よそよそしい」とかいう意味で使われているんだね。関西では「他人行儀」とかの意味ではほとんど使われないし、関東では「味が薄い」という意味ではほとんど使わないよね。


すかさず、わたしがこう付け加えました。

 なるほどね。関東風の意味だと「おれとおまえはもっと関わりの濃い関係だったのではないか、そんな関係じゃなかったはずだ」というような言い方となり、関わりの薄さを嘆くという意味ではやはり「みずくさい」ということになるんだ。
 これは「大発見」のブログものだな。


というわけで、このブログに登場しました。
この「関西と関東」という文化の違いに関するテーマは、いつもなかなか盛り上がります。とくに両方の人がいるとよけい盛り上がります。
このときは、他に「うどんとそば」「なっとうととうふ」「かきごおりのよびかた」「アイスコーヒーとレイコー」などの話が出ました。

関西では「きつね」はうどん、「たぬき」はそばなのに、関東ではそば屋のメニューに「きつね」のしたに「そば・うどん」とかかれ、たぬきの下に「そば・うどん」と書かれてどちらの組み合わせもありなんですね。きつねそば、たぬきうどんは関西にはなかったのです。


という話なのですが、関西のかたいかがでしょうか? 今でもそうですか?

こちらにもあります


posted by mrgoodnews at 12:29| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月17日

与えるとき人は「絆」の中に立つ

 私は曽野綾子という作家は保守的すぎてどうも好きになれないのだが、正月の産経新聞の記事に書かれたことには、大いに賛同する。彼女もなかなかいいことを言うと思うようになったのは、私も年取って考え方が保守的になったということかもしれないが………。
 その記事は、昨年大震災を機に「絆(きずな)」という言葉がもてはやされるようになった状況に苦言を呈している記事である。抜粋してみよう。

 (むかしは)あらためて絆などと言わなくても、生きると言うことは濃厚な絆のただ中にいることだった。地震や津波を体験したから、その大切さに気づいたというのでは遅すぎる。
 絆の第一歩は、年老いた親や親戚縁者や友人を、災害の時には引き受けるということだろう。そもそも絆の基本は、親と同居することだ。自分にとって頼りがいのある人との関係を持つことが絆というのだと考える人がいるとしたら、それは功利以外の何ものでもない。
 ………………………………
 人間にとって故郷とその絆は、懐かしくもあり、うっとうしくもあり、悲しくもあり、胸うずくものでもある。日本人だけではない。どの民族も同じような矛盾を感じている。絆はなくなってみると悲しく、結ばれている間は辛いときがある。その双方の思いを受け入れるのが絆なのだが、最近の絆への思いは「ご都合主義」の匂いがしないでもない。
 絆はそれによって得をするものではない。相手のすべての属性を受け入れるということである。
 ………………………………
 絆は、むしろ苦しむ相手を励まし、労働によって相手を助け、親切に語り、当然金銭的な援助さえするものである。受けるだけの関係など絆ではない。むしろ本当の絆の姿は、与えることなのである。自分が与える側に廻ることを覚悟するとき、人は初めて絆の中に立つ。
 ほんものの絆は、相手のために傷つき、血を流し、時には相手のために死ぬことだと私は習った。………………絆は自分の利益のために求めるものではない。むしろ自分の安全や利益などを捨てたときに、人間は絆の深さを示して輝くのである。
 私たちはいつのまにか、ごく普通にコンピューターの画面の中だけで世界や人間を知ったつもりになっていたが、これからは生身の人びとのまっただ中に自分を置き、そこから学ぶという姿勢を知るべきなのだ。それは多くの場合、決してきれいごとでは済まない。摩擦、対立、相克、忌避、誤解、裏切り、などあらゆる魂の暗黒を見せつけられるが、その苦悩の結果として、深い連帯感という幸福の配当も受けるものである。
 私にとっては、物心ついてから今まで、濃厚な対人関係こそすべての歓びと苦悩の種だった。私の廻りは常に絆だらけで、私はそれが。良くも悪くもある人生そのものだと考えて生きてきた。テレビの画面でヴァーチャル(現実に対して架空)な、従って薄っぺらな人生だけしか見てこなかった人たちの意識を、悲惨な地震と津波が濃密な現世に引き戻したとしたら、それは我々の人間性復活のための大きな贈り物と考えたい。


 引用が長くなったが、こういう論調である。いかにも産経や読売好みの保守的な論調であるが、でも「絆は与える側に廻ることを覚悟するとき、人は初めて絆の中に立つ」ということは真理だと思う。
 前に曽野綾子を引用したら、厳しいコメントを寄せたかれが再び厳しいコメントを書き込むかもしれないが…………………。

このブログのトップへ


posted by mrgoodnews at 18:03| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月15日

今求められるジョブズのような「ビジョナリー」

2012年1月4日の朝日新聞に「指導者交代の年 国際社会の構想を競え」という社説が掲載されていた。
今年はアメリカ、ロシア、中国、韓国などかなりの国で指導者の交代があるかもしれない年である。その新しい指導者に求められる資質として、こんなことが書かれていた。



 世界が必要としているのは、沸騰する国民感情に迎合する甘言ではない。歴史の転機にふさわしい共存の論理であるはずだ。
 ………
 新しい秩序は、力だけでは生まれない。あるべき世界の姿を描く論理が不可欠なことを歴史は示している。
 昨年亡くなったアップルの創始者スティーブ・ジョブズは「ビジョナリー」と呼ばれた。
 未来を予見し、構築する人という意味である。魅力的なアイディアを新しい商品に具現化し、人びとの心をつかんだ。
 領域は違うが、世界の指導者に求められるのも、同じ資質ではないだろうか。
 地球上のどこに住もうとも、人びとが求めるものがある。
 人間らしい最低限の生活、言論の自由、人種や宗教で差別されないこと、戦争や暴力で命を奪われないこと。
 どの国の人びとも、自分たちの力だけではそういう目標が達成されないこと、世界の運命が分かちがたく結びついていることを知っている。
 人びとのこうした願いをたばねて、新しい国際社会の構想を示す必要がある。
………
 欠けているのは、こうした目標に向かって進むべきことを、魅力的な言葉とわかりやすい論理で説明し、国民を説得する指導者の力なのである。
 それが政治で求められるビジョナリーではないか。
 今年、世界の選挙や指導者の交代で、そういう構想を競い合ってほしい。


この「ビジョナリー」という言葉を初めて知った。ネットで調べてみるとこんな説明に出会った。

 ビジネス分野におけるビジョナリーとは、先進的・独創的なビジョンを現実化し、社会に大きな影響(貢献)をした経営者のことである。つまり、現存する市場や商品、サービス、技術を駆使して経営するのみでなく、新たな市場や商品、サービス、技術といったものを模索〜具現化することで成功し、更にそれが社会的にも影響力を与え、尊敬される経営者である。


 こういう企業をビジョナリーカンパニーとも言われている。スティーブ・ジョブズはまさにこういう人物であった。
 私もこういう人物にはずっとあこがれてきた。そして私自身がそうなりたいと思ってきたわけであるが、これがなかなか。

こちらもどうぞ


posted by mrgoodnews at 17:08| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月12日

「退室前の魔法の言葉」が通じるのは病院だけではない

1月11日の毎日新聞の記事にもう一つの「魔法の言葉」を紹介していた。「診察室のワルツ−16−」というシリーズの医療コミュニケーション研究者の岡本佐和子さんの記事である。

今回は、新年からでもすぐにでも病院で試していただきたい「魔法の言葉」を紹介したいと思います。掃除や事務の担当者から病院長まで、病院の誰でもが病室での用事が終わって退室するとき「他に私ができることはありますか?」と、患者に声をかけてみてください。
「メガネが遠くて手が届かないけれど、そんなことでナースコールはできない」「布団の裾を直してほしい」「点滴の針がちょっと痛い」小さなことですが、言わないで我慢する患者には、大きなストレスになります。フラストレーションがたまると、攻撃的な言動にもつながります。
 ………
治療とは別に、医療者からのあいさつや日常的な声かけは、病気と、それに抱えた生活に大きな不安をもつ患者には、このうえない助けや安心につながります。医療者に話しかけにくいと感じている患者に「話すこと」を期待するより、医療者から「何かお手伝いできますか?」と言葉をかけることで患者も話しやすくなります。
 米国のある病院では、医師や看護師をはじめ、職員全体が「他に何か今できることは?」と退室前に声をかけるようになってから、患者の転落・転倒やナースコールの数が激減したと言います。また、職員から声をかけるようになって、患者が気持ちをため込むことが少なくなったようで、感情むきだしの苦情も減ったそうです。


 なるほど「他に私が今できることはありますか?」が病室の「魔法の言葉」なのですね。とても納得します。こういわれると、確かにちょっと頼みにくいことも気軽に頼みやすくなります。これってとても大切なことなのですね。遠慮してなにもいわないことで、ストレスをためたり、知らず知らずのうちにいらだちを強めたり、何もしてくれないという気持ちを募らせたりしやすいものです。

 ところで、これって、病院以外で、たとえば教育現場でも、けっこうつかえる「魔法の言葉」なんだと思います。何か困っていそうな状態にある人、問題を抱えている人、自分に重荷となっていることを抱えている人にとって、とくにとても頼みにくいような場合には、この言葉はやはり「魔法の言葉」でしょう。
 日本語で「何かしてほしいことがありますか?」「何かしてもらいたいことがありますか?」こういう表現だとちょっと恩着せがましくなったり「上から目線」になってしまうけれど「何か私にできることがありますか?」というと同じ目線にあります。
 そういえば、英語ではこういう表現はよく使いますね。
 What can I be of assistance to you?
What can I do for you now?

この魔法の言葉、これからもちょっと意識していろいろな場で使ってみようと思います。

こちらにもあります

posted by mrgoodnews at 00:00| Comment(0) | 教育・学校・授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月11日

「え〜!?」です、これは。大発見、もうひとつの「世界一間違えやすい計算」

毎日新聞の今日(1月11日)の「水説」(潮田道夫氏担当:この人の「水説」はいつも楽しみにして読んでいる)にこんなことが紹介されていた。
ともかく、これはすごい! 正月一の発見である。カーネマンさん、そして潮田さん、ありがとう。

「バットとボールがある。あわせて1ドル10セント。バットはボールよりも1ドル高い。ボールはいくらでしょう?」

実際に考えてほしい。さあ、答えはいくらだろう?






続きを読む
posted by mrgoodnews at 15:08| Comment(0) | 科学のおもしろさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月10日

あなたがたの神を拝ませてください

イエズス会十二所日本殉教者修道院の Facebook にこんな話が載っていました。

―あなたがたの神様を拝ませてください―ご公現の日によせて

イエスの誕生を訪ねて遠い国から旅をしてきた3人の博士は、もちろんユダヤ教ではありませんでした。旧約聖書でいうならば、「異教の神」を拝む人々です。昨夏、被災地で聞いた本当の話をわかち合います。

大船渡の津波の被害は、それは大変なものでした。しかし、震災翌日から、続々と日本だけでなく海外からも重装備の救援部隊が駆け付けてきたのだそうです。

カトリック大船渡教会のある信徒は、朝、そんな部隊を運んできた大型バスに遭遇しました。すでに隊員は働きに出かけていて運転手さん一人だったのですが、少し話してわかったことは、彼らにはカップめんがひとりひとつだけしか残っていない、という厳しい食糧事情でした。彼女は急いで自宅に戻ると、あるだけのお米を炊いて、おにぎりを作り、それをバスまで持って行きました。

夕方になって、ひとりの重装備の大男の兵隊さんが大船渡教会を訪れました。
彼は、朝のバスの部隊の隊長さんだったのだそうです。
そして、神父様に今日の差し入れのお礼を言ってから、こう言ったのだそうです。

「あなたがたの神様を拝ませてください」

彼は重装備だったため、聖堂の中には入らず(大船渡教会は畳敷きのこじんまりとした聖堂です)、聖堂の入口で手を合わせると、ぶるぶると肩を震わせすすり泣き始めました…
いかつい、大男が、(彼にとっては)異教の神の前で。
…朝から過酷な任務を通して彼が何を見て、なにを感じたのか、知る由はありません。
彼はしばらく祈ってから、帰っていきました。

その部隊は、台湾から来た人たちのようだった、ということでした。


これはすぐに英文に訳されました。

"Please let me worship your God"-- In remembrance of Epiphany

The three magi who traveled from the East to witness the birth of Jesus were surely not Jews. In the terms of the Old Testament, they were the people who worshipped pagan gods.
Let me share with you the true story that I heard when I visited the tsunami stricken area last summer.

The damage caused by the tsunami in Ofunato was beyond description. However, starting from the day after the disaster, heavily-equipped relief forces kept coming in to the area, not only from within Japan, but also from overseas.
One morning, a member of Ofunato Catholic Church ran into a bus which was carrying a relief force. The troop had gone to work, and
only the driver was there. As she talked with the driver, she found out that their food supply was running out: they had only one cup
of instant noodles for all of them to share. So she hurried back home, and cooked all the rice she had, prepared rice balls, and
brought them back to the bus.

Later that day, a soldier visited Ofunato Catholic Church. He was the captain of the troop she met that morning.
He thanked the priest for the food, and then he said,

"Please let me worship your God."

Because he was donning heavy equipment, he did not go into the sanctuary (Ofunato church was a small church with tatami-mat floor). He

just stood at the entrance. As he put his hands together, he started sobbing, his shoulders trembling.

A big, stern man, sobbing in front of the pagan god (for him)....

Who would know what this soldier might have seen and felt, as he worked hard all day in such a terrible disaster stricken area.

He prayed for a while, and left.

I heard that the troop was probably from Taiwan.

(Translated by Sachi Nakamura)


1月8日は教会では、3人の博士たちがベトレヘムで誕生したイエスをたずねたことを記念する「ご公現」の日です。教会ではこの日にクリスマスの飾りを片付けます。
「ご公現」というのはこういうことだったのでしょうね。

こちらもどうぞ

posted by mrgoodnews at 12:26| Comment(0) | 聖書から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月07日

「ウォール街を占拠せよ!」の仕掛け人インタビュー記事

正月の新聞記事や広告の中から、面白いものを紹介しよう。その第1弾。

 1月1日の朝日新聞の「壊れる民主主義」という特集記事のなかの「カオスの深淵」という記事で、昨年、アメリカのウォール街占拠事件の仕掛け人となったカレ・ラースンという人物のインタビュー記事が載っている。
 この人は、エストニア生まれ、東京で会社経営のあと、カナダへ移住。80年雑誌「アドバスターズ」創刊。この雑誌は商業広告を退治しようと呼びかける隔月月刊誌である。「ノーバイデイ」(今日1日は何も買わないで済ませようという1日)や、「デジタル解毒デイ」(デジタルに魂を抜かれないように今日一日はデジタル製品に触れない日としよう)を呼びかけている。



−占拠参加者たちの求める直接民主主義とは?
 それはウォール街占拠よりも前にスペインの若者がすでにやってきた。どこの国でも若者は政治に幻滅している。かれらは代議制民主主義がどこの国でも失敗したのだから、ぼくらは直接民主主義で行く。リーダーを擁しない。統一目標や綱領も作らない。そのかわり、参加者全員が平等の発言権を有する。時間がかかっても話し合いで物事を決める。

−キャッチコピーの「私たちは99%だ」は誰が考えだしたのですか?
 ニューヨーク在住のある大学教員が考えました。ウォール街占拠の立ち上げに加わった男性です。1%の大金持ちが富を独占していることを鋭くついた言葉で、世界中の人びとが格差感を端的に表現してくれました。社会運動史に残る名作だと思います。



−今後選挙運動はどこへ?
 春になったら、また新しい仕掛けをしていきます。まず「ロビン・フッド税」の実現が目標です。お金を右から左へ動かすだけの投機的な国際取引に対する課税で、それには投機的な取引の総本山である米国を巻き込まないと行けません。押収には賛成するリーダーが多いのですが、かたくなに反対しているのは、米国と英国。


 これも昨年チュニジアに始まった若者の運動と同じように、Facebook を通じて呼びかけられたアメリカの運動である。
 これまでのベトナム反戦運動やアースデイを巡る運動、反核運動などの若者の運動とも異なった、しかしどこか共通点がある運動である。
 この運動が、アメリカの大統領選挙にどういう影響を与えるのか、注目されている。

このブログのトップへ


posted by mrgoodnews at 22:55| Comment(0) | 歴史のおもしろさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

このままだと、ずっとこのままかもしれない

このままだと、ずっとこのままかもしれない

電車の車内広告で見つけたコピーです。
さてこのコピーはなんの広告でしょうか?
いつかはしなければならないと思いながらもなかなかできないことです。

続きを読む
posted by mrgoodnews at 17:00| Comment(0) | ことば | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月03日

スヌーピーの小さな幸せ探し展 Happiness is ......

横浜そごうで「スヌーピーの小さな幸せ探し展 Happiness is SNOOPY」なる展示会を行っていたので、いってみた。けっこう親子連れで賑わっていた。
そこには「 Happiness is ......」という「小さな幸せ」の数々がスヌーピーのイラストと共に紹介されていた。
snoopy1
案内のチラシにはその趣旨についてこう書かれている。

本展は、チャールズ・M・シュルツさんの世界的ベストセラー「Happiness is a warm puppy」を五感で味わっていただけるように造り上げたものです。ユーモアを含んだ真実の言葉と、生き生きとした絵の組あわせでつくられたカラフルな絵本の森を迷子になりながら探検すると、知らず知らずのうちに、かれらの仲間になっていることに気づかれるでしょう。どうぞ、会場で小さな幸せをたくさん見つけてお持ち帰りください。
      監修:大月ヒロ子(ミュージアム・エデュケーション・プランナー)


snoopy2

「Happiness is ...... 」つまり「幸せとは…………………」についての答えのいくつかがパネルとして紹介されている。
たとえば
snoopy5

Happiness is a thumb and blanket.
Happiness is a warm puppy.
Happiness is gathering witrh your friends over a great meal.
Happiness is sailing with your friends.
Happiness is getting a little dress-up.
Happiness is having a favorite song with your loved one.
Happiness is a stack of books.
Happiness is a fuzzy sweater.
Happiness is having someone to watch your favorite TV show with.
Happiness is your first kiss in the rain.
Happiness is an umbrella and a new raincoat.
Happiness is getting together with your friends.


snoopy3

私はこれを見ながら考えた。
私だったら、どの「幸せ》がもっともステキであるかの参加者の人気投票をする。
「Happiness is .....」についての来場者の答えを書いてもらう。けっこういい定義が生まれるのではないか。できたらイラストも添えられたらいいし、それも来場者の人気投票に加えたらいい。
この展示会の本当の狙いは、ひとりひとりが自分の身の回りに「小さな幸せ」をつくりだしてほしいという願いにあると思うとしたら、ただ見るだけの受け身の参加ではなく、能動的に幸せを見つけ出し、つくりだすところにこそあるのではないか。

ところで、私が「幸福とは…………」を考えるとしたら、次のようなことが思いついた。



幸福とは、助けを求めているひとに助けを与えられて感謝されたとき
幸福とは、決してひとりだけでは味わえないもの
幸福とは、まわりに不幸な人がいるときに、それを共に悲しむこと
幸福とは、冷蔵庫に残っているものだけを使っておいしい料理ができたとき
幸福とは、自分が心配している人の笑顔を見たとき
幸福とは、自分に与えられた喜びをできるだけ多くの人と分かち合えるとき
幸福とは、どうしようもない深みにはまってぬけられなかったときに手を差し伸べて助けられたとき
幸福とは、どうしようもない深みにはまって抜けられなかった人に手を差し伸べて助けられたとき
幸福とは、自分よりもっと恵まれない境遇にあるひとから、励まされたとき
幸福とは、自分の大好きな人から好きですと打ち明けられたとき
幸福とは、自分の嫌いな人から好きですと打ち明けられたとき
幸福とは、笑顔がステキと言われること
幸福とは、悲しむ顔もステキと言われること
幸福とは、自分の軽蔑している人から誉められ感謝されたとき
幸福とは、自分を軽蔑している人から誉められ感謝されたとき
………(まだまだでてきそう)


みなさんも皆さんの「幸福とは………」の答えを探してほしい。きっと幸福で満ち足りた気分をあじわうにちがいない。
これを考えていたら橘曙覧の「独楽吟」を思い出した。

たのしみはまれに魚煮て子ら皆がうましうましといひてくふとき
たのしみはそぞろ読みゆく書(ふみ)の中に我とひとしき人を見しとき
たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよるとき
たのしみはとぼしきままに人集め酒飲め物を食へといふとき
たのしみは小豆の飯の冷えたるを茶漬けてふ物になしてくふとき


こちらにもあります




posted by mrgoodnews at 17:10| Comment(0) | 宗教教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月02日

元旦初詣巡礼 教会→総持寺→熊野神社

昨日の元旦は、朝9時頃教会に行き、教会のまわりを清掃して、10時からのミサにあずかりました。ミサの後の教会賀詞交換会に出てから、ひとりで総持寺に初詣に行き、JR鶴見駅で元日の新聞を買い込んでから近くの熊野神社へ巡礼をしました。
これは毎年恒例です。

soujiji4

総持寺に行って楽しみにしていることは、総持寺白字会発行のちらしをただでもらえることです。昨年もらったものは部屋に張っておいたら、ほとんど毎日のようにいよさんが読んでいました。
今年は「利行」と題するものでした。
なかなかいいメッセージだと思います。私も今年は特に心がけたいと思うようになりました。
それで、初詣にならんで入った仏殿の中には、こんな祈祷項目が貼ってありました。毎年思うのですが、この祈祷項目には「世界平和」がないのですね。せめて「震災復興」というのはあってもいいと思いますが、祈祷料を払ってまでしてそういう祈願をする人がいないということなのでしょうか? そんなはずないと思うけれどな。

soujiji

「利行」というなら、祈りも先ず自分のためよりも人のために祈ることが先ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
総持寺の正門入り口のところの看板は、こういうのが出ていました。こちらの方は難しくて意味がよく分からないのですが、解説を書いた紙が用意されていて、それには次のように書かれていました。

soujiji3

あの困難に際して、各地で他のために敢然ときわめて厳しい状況に立ち向かった人びとが無数に多く現れました。我が身を省みずに他を救わんとして命を落とした方も和限りありません。
残された私たちは多くのことに気づかされ、多くのことを教えられました。ろうそくの芯は自らが燃えて、熱い思いをしながら光を放ちます。このたびの震災で、命がけで他の命を救おうとした方々の行為によって、日本国中の人びとの心がどれだけあかるくてらされたことでしょうか。
表題の言葉は、螢山禅師のお言葉です。お釈迦様の尊い教えが絶えることなく、受け継がれてきたありさまを示されております。………だからこそ、あの震災の危機的状況の中で自分だけが救われることを望まず、先ず他人をお救いしたいという自未得度先度他の仏の行いが実践されたのです。


こちらもどうぞ






posted by mrgoodnews at 22:34| Comment(0) | こんなところに行きました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月01日

喪中ですが Happy New Year!

昨年母が帰天したので、今年の正月は喪中で「おめでとう」をいえずにおります。
いつもは900枚出していた年賀状も、今年は出さずに喪中の挨拶状を出しました。
さびしいです。

ですが、このブログではやはり Happy New Year! と叫びたいです。
昨年どんなに不幸な災害があっても、いやだからこそ新しい年をめでたいのです。

そこで、年賀状のかわりにこんな YouTube 動画をお送りしましょう。



なかなかステキな画像と歌です。
ユニセフがつくったと書かれています。
これは英語版ですが、日本語版もありますよ。

こちらもどうぞ
posted by mrgoodnews at 17:35| Comment(0) | 本、映画など感動のメディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする