2012年03月31日

名曲ベストヒット歌謡60's & 70'sにみる「おんなうた」の多さ

録画してあった「名曲ベストヒット歌謡60's & 70's」(120329木 7 channel 午後7:58〜10:48)を妻とともに見た。1960年から1979年までの歌謡曲ヒット曲のベストファイブを次から次に聴かせる3時間近い番組でした。
私はそのほとんどすべての曲を知っていました、この番組は明らかに私の世代つまり団塊の世代を対象にした番組だなといっしょに見ていた妻と共に話していました。
妻はこの種の歌謡曲の番組とか素人のど自慢が大好きです。そういえばこういう番組がまたふえているのかもしれません。

これらの歌謡曲を聴いていて、あることに気づきました。
女の気持ちを男の歌手が歌う「おんなうた」、男の気持ちを女性歌手が歌う「おとこうた」がとても多いのです。外国にはこういう歌はそんなに多くはないらしく、日本の演歌の特長の一つだとも聴いたことがあります。
最近の若い歌手の歌にもこのような「おんなうた」「おとこうた」は少ないですね。

このあたりをどなたか分析して解き明かしてくださるとありがたいのですが………。

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2012年03月27日

高山右近列福祈願溝部司教講演10分短縮バージョン

2012年2月5日に大阪玉造教会で行われた『ユスト高山右近列福祈願シンポジウム』から溝部脩司教の基調講演『現代に響く高山右近の霊性』を10分にまとめたものです。
主催企画 大阪教区高山右近列福推進委員会 撮影編集 SNN(SIGNIS GOODNEWS NETWORK)です。



私もこの講演会を取材・撮影しに大阪に行き。実際にビデオで講演を撮影に預かりました。溝部司教さんの話はなかなか内容が豊かで充実した講演でした。
この10分バージョンもなかなかみごとな出来映えです。よくぞコンパクトにまとめてくれました。SNN に感謝です。
個人的に、荒木村重事件の時の右近のとった態度についてお話しされたところがとてもよかったです。
ちょっと心配なのは、あまりにコンパクトにまとめられているので、1時間版を見なくてもいいと思ってしまいそうなことです。もっともっとたくさんいいことを話されているから、ぜひ1時間バージョンも見てほしいのですが、そこまで導かれるかどうか?

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2012年03月25日

BEAT Seminar に参加しに東大に行きました。

BEAT Seminar に行ってきました。
懐かしの東大本郷キャンパスの赤門近くの福武ホールで、東大情報学環とベネッセが主催するセミナーでした。福武ホールというのはベネッセが寄付してできたホールなのか?それとも昔福武直という社会学の先生がいたけれど、その先生を記念して作ったホールなのか………。調べてみたら前者でした。
まそれはともかく、今回行ったセミナーは「ソーシャルラーニングとこれからの人材育成」というとても興味あるテーマに引かれて参加しました。
1月にフロリダ州オーランドで開催された Interactive Connection 2012 とどこか共通しているようなテーマでした。
参加者は150人くらい、見渡したところ私が最年長だったかもしれません。

最初に3つのプロジェクトが紹介されました。
一つ目は、Facebook 上で行うゲームアプリを使って数学学習支援をするというものです。
二つ目は、小論文学習をやはり Favebook を使ってするプロジェクトです。
三つめは、高校生の進路選択を Facebook を使って支援するプロジェクトです。
つまりいずれも Facebook 上に、学習コミュニティを作って、学習者同士、または外部のサポーターやファシリテーターとの対話のもとに学習を進めるというプロジェクトで、そのツールとして Facebook を使うというものでした。なるほど、こういうふうに使えるんだと目がひらかせられた思いでした。

休憩後に、妹尾堅一郎さんの「先端人財育成モデルのイノベーション」という講演がありました。とても刺激的な講演でした。日本の企業が海外でどんどん競争力を失っているのは、これまでのImprovement モデルでは対応できなくなり、Innovation モデルへの転換に失敗したからであるといい、その Innovation モデルを創造できる人財をどのように育てるのかという話しでした。
ともかくいろいろと刺激的なトピックスをいくつか仕入れました。それについてはおいおいと紹介していこうと思っています。

島根県隠岐の島島前高校の藤岡慎二さんから、海士町の地域興し、高校魅力化プロジェクトの紹介もありました。隠岐の島の海士町というのは前に紹介したことがあるが、五島列島小値賀島とともに離島振興のモデルとなっているところです。これもとても惹きつけられました。

パネルディスカッションも面白かったです。とてもレベルの高いディスカッションだったと思います。
学習のためにあるいは学習者のネット上のコミュニティを作るために Facebook などのソーシャルネットワークをどう使ったらいいのか、私も問い続けていきたいと強く思っています。
学ぶことがとても多かったので、次回もまた参加しようと思いました。

東大の赤門付近はとても変わって新しい建物がたくさんあったが、私がかつて学んだ教育学部の建物はずっと昔のままだった。時間がなかったので中には入らなかったのだが、今度行くときには教育学部をたずねてみよう。考えてみたら、これは教育学部が行っているのではないのですね。お株を奪われているみたいです。


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2012年03月24日

アイディアに行き詰まったときにはオズボーンのチェックリストがいい

何か問題解決に取り組んでいるときに、行き詰まったら、オズボーンのチェックリストによって考えてみたらいい。
それは以下のような点について、思い巡らしてみることである。

オズボーンのチェックリスト法のやり方

アイデアのテーマや対象を決めて、以下のチェックリストの項目のそれぞれに対してアイデアを出していきます。より詳しく発想していきたい場合は、上記の詳細なリストを見ながら発想を膨らませていきます。

・他に使い道がないか?
・他に似たものをさがしてみたら?
・変えてみたら?
・拡大したら?
・縮小したら?
・置き換えたら?
・配置や並びを換えてみたら?
・逆にしたら?
・組み合わせてみたら?

また、このオズボーンのチェックリスト法をボブ・イバールが改良したSCAMPERという7つの質問リストもあるので、ここで紹介しておきますね。このSCAMPERというのは、それぞれ質問のキーワードの頭文字をまとめたものです。

・Substitute(入れ替えたら?)
・Combine(統合したら?)
・Adapt(応用したら?)
・Modify(修正したら?)
・Put to other uses(使い道を変えたら?)
・Eliminate(取り除いたら?)
・Rearrange/Reverse(並び替えたら?逆にしたら?)


「オズボーンのチェックリスト」というのをキーワードにして探すとけっこうたくさんのサイトが引っかかります。
 私は以前「オズボーンのチェックリスト」についてどこかで聴いたことがありましたが、私がかつてたずさわったことのある「情報」の教科書を出版している会社のメールマガジンの「編集後記」に紹介された内容でふたたび教えられました。
 いつもこの「編集後記」からはけっこうたくさんのブログネタをもらっています。
 これからもどうぞよろしく。

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2012年03月22日

「までい」というステキなことばを知りました

「までい」という福島県のことばはステキな意味を持っています。

”までい”とは・・・ 「真手(まて)」という古語が語源で、左右揃った手、両手の意味。それが転じて、手間ひま惜しまず丁寧に心をこめて つつましく という意味で現在では東北地方で使われている方言です。


特に福島県飯舘村が震災前からこのことばをスローガンに町づくりをしてきたとのことです。そのHPによればこの村は「までいライフ宣言(the Declaration of MADAY LIFE)」をしていて、MADAY というのは MOTTAINAI と同じように国際語になっているらしいです。

その宣言は次の5つからなっています。

宣言1 人と地域の繋がりを“までい”に
宣言2 からだと大地を“までい”に
宣言3 家族の絆を“までい”に
宣言4 「食」と「農」を“までい”に
宣言5 人づくりを“までい”に


ね、いいことばですね。この震災がこんなステキなことばを発掘してくれました。

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2012年03月18日

釜石ベース「フィリア」への提案

たった3日の滞在なのに、こんな生意気な提案をする失礼をお許しください。
釜石ベースでのフィリアの活動は私にはとてもステキな体験でした。それで、それをもっとステキにするためにいくつか思いついたことを書きます。

まず第一に、仮説のフィリアでお食事会を企画してはどうでしょうか? 昼食でも夕食でも、カレーパーティでも焼きそばパーティでも、豚汁パーティでもみんなで美味しく食べられることがサイコーのご馳走です。食事を一緒にしながら傾聴するという訓練が必要かもしれません。
最初はベースのほうで準備するのでしょうが、そのうち料理をもちよってくれたり、そのうち料理に参加してくれるように、さらに自分たちでこういう交わりを企画できるようになれたらいいとおもいます。

第2に、きょうはキルトを作ります、今日は誰でもできる手品をします、きょうはカラオケをしますというように、目玉のアトラクションをできるようになるといいですね。戸別訪問のときにさそいやすくなります。「そんならいってみようかな」という気にさせるものは何でしょうかね。

第3に、ひとりひとりが小さなパーツをコツコツとつくっていって、それをつなぎあわせて何か大きいものを作るというのはとてもいいことです。いわば、パッチワークですね。もうすでにキルトでやっていることなのかもしれません。

第4に、第3で書いたことの延長です。どこかで災害があったときに、被災者への励ましになるものをみんなでつくっておくるといいとおもいます。そのときに自分たちがこういうものやことが嬉しかったとか、こういうものが欲しかったというものが見つかればそれを作ればいいわけです。「被災地」だからできることですね。

第5に、おばあちゃんに郷土料理の作り方を聞いたら、すぐに次の会にその材料を揃えて、実際にそれを作るというのはいいとおもいます。昨日私たちは、日向みなしで「みずきだんご」と「しっとぎ」なるお菓子をおそわりました。とても美味しそうでしたので、このつぎには実際にそれを作るように材料を準備してできたらいいと思います。

どうでしょうか?
実際にそれをするのは私ではないという気楽さと無責任さでこれを言っています。お聞き苦しかったら、ごめんなさい。
私はかならずまた行こうと思っています。今度は夜行バスにするかな。

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2012年03月16日

釜石で体験したこと

3月13日から、17日まで釜石にいきました。釜石教会にあるカリタスジャパンの救援ベースを拠点にいくつかの支援活動にさんかしました。

14日は被災地の視察にいきました。大槌町、陸前高田、大船渡をたずねました。大槌町では大槌城址に登って町を一望しました。陸前高田では津波に襲われた体育館がそのままの形で残されていました。そしてあの一本松はすっかりかんこうちのひとつになって観光バスがひっきりなしに訪れていました。
また、九州の教会が応援して設けた大槌ベースと大阪の教会が支援している大船渡ベースにもよりました。北海道の教会が支援している宮古ベースにもいきたかったのですが、そこまで足を伸ばせませんでした。

15日は、写真洗浄の仕事に参加しました。といっても洗浄の仕事をしていたわけではなく、洗浄した写真を展示している会場の受付にいました。ほとんどが津波で家を押し流されたり、家族をなくしてしまった人なのでしょう。身寄りの人の写真をいっしょうけんめいさがしておられました。
会場にこられた方々が身寄りの方の写真を見つけたときのうれしそうな表情が印象的でした。

16日は、日向(ひかた)みなしのフィリアにいきました。地域の集会所で開く「お茶っこサロン」に住民の方をお招きして、一緒にお茶を飲みながらおしゃべりしました。お茶の道具だけでなく、手芸用品や子供のおもちゃを持っていって、一緒に楽しむ集まりです。
ここは仮設住宅ではなく、普通の団地なのですが、被災地のかたが多く移り住んできた土地です。それだけになかなか難しいところがありました。。
私ともう一人の女性は組みになって団地を戸別訪問して、お茶っこサロンでお待ちしていますとお伝えしました。
半数の家からはなんらかの応答がありました。ドアフォンで「カリタスジャパンです。こんにちは。本日集会所でお茶っこサロンを開いています。どうぞお出かけください」とご案内しました。
ほとんど半数の家からは応答がありましたが、実際に集会所にこられたのは15名くらいでした。そのうち子どもは4人でした。
午後、わたしは子供達の相手をしていました。持っていった「カンタン笛アラカルト」を使って子どもたちと遊びました。

こんなことを言うと不謹慎かもしれませんが、わたしは釜石での生活をエンジョイしたと思います。被災地の方とのふれあい、ボランティアとの出会い、釜石教会での祈りとミサ、そしてベースでの美味しい食事、さらに言えば往きの東北道での自動車事故さえも実はエンジョイしたとも言えるような気がします。
また来ようとおもっています。

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2012年03月15日

釜石に行く途中東北自動車道で

事故は東北自動車道宮城県南部の村田インターのちょっと手前で起きた。被災地の釜石に向かう途中の12日午後4時ころのことである。親友とふたりでスズキのスイフトというクルマに乗っていた。運転していたのはその親友のほうで私は助手席にいた。
2車線の左側の車線を高速で走行中、タイヤがスリップしたのか、突然ハンドルがぶれ出して蛇行をはじめ、ついに一回転、中央分離帯に衝突して止まった。
ちょうど遊園地にあるぐるぐる回るコーヒーカップに乗っているような感じだった。
身の危険を感じ、生きた心地がしなくて、この親友と死なばもろとも一蓮托生の運命で私の一生はここで終わりかという思いが瞬間的に頭をよぎった。
幸い横に車がいなかったし、後続の車も追突を避けてくれたので、大きな事故には至らず、乗っているふたりにも怪我はなかった。
車が止まったときに、ふたりで顔を見合わせ、生きていることを確認して胸をなでおろしたものである。
さて、中央分離帯に追突した車をどうしたものか。このままの状態でいるのは危険である。ここでも幸運なことが重なった。まず、車は前を向いてとまっていた。そしてエンジンをかけたらエンジンがかかり、ノロノロと動きだし、なんとか道のはじまで持っていくことができたのであう。
そこでエンジンは動かなくなった。ともかくも乗っている人を安全なところまで連れていくまではとエンジンが最後の力を振り絞って働いてくれ、それを無事に果たして息たえたという健気さに感激した。
幸運に幸運が重なって、私たちが生きながらえたことは、奇跡的というか、「お前たちをここで死なせるわけにはいかないんだ。まだまだ働いてもらわなければならないのだから」という神さまの特別な配慮を感じたのである。

すぐに警察に連絡し、次に JAF にレッカー移動を頼み、つづいて保険会社に連絡をした。
事故は午後4時ころ起きた。警察がやってきたのは4時半くらいだったか、待っている間に雪が振り出した。

警察はまずクルマをより安全なところに押して移動させ、交通規制の標識を置いて発煙筒を炊き、衝突した現場を見て事情聴取をした。
レッカー車が来たのは5時半頃。受け入れてくれる修理工場を探して連れていってくれた。
事情聴取をされて、事故を再現するたびに、ぞっとする思いと生きながらえた幸運さに感謝する思いが交錯した。

事故処理をしてくれた警察官も、車をレッカー移動してくれたJAF の運転手さんも、そして修理工場の人も、レンタカーを運んできてくれた人も、私たちが釜石の被災地支援に向かう途中だったということを知って、とても親切だったことも印象に残っている。

保険会社が手配してくれたレンタカーが修理工場まで届けられたのは午後8時。これから釜石に向かうと到着が深夜になるし、雪が降っている慣れない道の夜間走行はやめようと、修理工場の人に近くの温泉を紹介してもらってそこで一泊することにした。

山の中に入るほど激しくなった雪の中を、宮城県柴田郡の笹谷温泉一の湯に到着した。
この大雪。明日が思いやられる。

ここ笹谷温泉一の湯は、芒硝鉄泉なる珍しいミネラル温泉なんだそうで、硫酸ナトリウムを主成分とする芒硝泉、二価鉄イオンを含む鉄泉、カルシウム、カリウム、マグネシウムなどを含む塩化土類泉からなると書かれている。飲むと胃腸の働きを促進させるのだそうだ。


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2012年03月13日

谷崎神父の教会黙想会は歌もよかった

3月11日、鶴見教会で恒例の黙想会があった。だいたいどこの教会もクリスマス前の待降節とイースター前の四旬節に黙想会を行う。
だいたいが指導する司祭を招き講話を聴くというスタイルで、今回はコンベンツアルのフランシスコ修道会の谷崎新一郎神父さんが指導司祭であった。
第一講話では、ヨハネ15章1~10節「私はぶどうの木、あなた方はその枝である」という箇所を解説しながら、鶴見教会の年間テーマ「私たちの教会」の姿をめいめいが描けるように導かれた。
第2講話では、十字架の下にいるマリアをイメージするためにフランシスコの「祝福された乙女マリアのあいさつ」という祈りを紹介され、マリアを教会の母とする「新しい家族」のあり方について話された。
講話もよかったのだが、特によかったのは講話の最初と最後に歌われたギター弾き語りの歌であった。全部で4曲紹介されたが、いずれもシンプルでとても歌いやすく覚えやすく、いい歌であった。
なかでも「アシジのフランシスコの思いに乗せて」という副題の「あなたは愛」は最高の曲であると思った。これはあの塩田泉神父作曲の「キリストのひかり」にも並ぶ傑作だと思う。
同じメロディを言葉をすこし変えるだけで何度もくりかえして歌うことのできる歌いやすさ、輪唱風にわかれて歌えることがとてもいい。
谷崎神父が歌ってくれた後半の2曲はビデオにとったので、許可を得て近いうちにYouTube にアップできるが、一番最初のこの歌は残念ながらとりはぐれたので、音符画像を添付することにする。

谷崎神父さんにCDを出していませんかと聞いたら、残念ながら出していないとのこと、どなたかプロデュースしませんか?

ちなみにこの谷崎神父さんは、歌の作曲、ギターの弾き語り、そして、声のよさだけではなく、イラストも文章もとてもお上手です。本人は若い時に総合芸術家になりたかったと言われるくらいですから。現在は「聖母の騎士」という雑誌の編集をされております。中学や高校の女子校にもおすすめです。

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2012年03月07日

「授業で使える20のウェブ教材」は使えそうです

アメリカの友人から、こんなウェブサイトの紹介がありました。このなかには授業などで使ったら、とても面白そうなものがたくさんありそうです。
1月にフロリダのFETC(Florida Education Technology Conference)にいったら、こういう「授業に役立つ10のウェブサイト」とかいう報告がとても多かったです。

20 Little-Known Web Resources For Teachers

AWW(A Web Whiteboard), Twiducate(Twitter in the classroom), ZooBurst(Digital Story Telling), BO.LT,などなど、とても面白そうです。
こう言うのを気軽に使えるようになると教育現場の IT もホンモノだと思うのですね。

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2012年03月05日

聖アウグスティヌスの愛の祈り または「泣かないで」の祈り


死はとるにたらない。私は別の側に移っただけ。
私は私だし、あなたはあなたのまま。
私たちは、私たちがお互いにとってそうだったものであり続けます。
私を、あなたがこれまで呼んでいた名で呼んで。
私にこれまでのように話しかけて。
いつもと違った調子で話しかけないで。
私たちを笑わせたことを笑い続けて。
祈って、ほほえんで、私のことを考え続けて、私といっしょに祈って。
私の名前がうちのなかで、重々しい調子や暗い調子でなくて、
前と変わらず呼ばれますように。
人生は、これまでと同じ意味を持ち続けます。
これまでどおりです。糸は切れていません。
どうして私があなたの思いの外へ出てしまうことがあるでしょうか。
どうして私があなたの目の見えないところにいるというだけのことで。
私は遠くにいるわけではありません。
道の反対側にいるだけです。
ほら、すべてうまくいっているでしょう。
あなたは私の心をまた見つけるでしょう。
その中で純化した優しさといっしょに。
涙を拭いて。もし私を愛しているなら、泣かないで。
  出典「ヨーロッパ死者の書」(竹下節子著 ちくま新書 12P)


私の母の死を知らなかったと言って、友人から贈っていただいた『祈り』である。
この祈りはフランスでも葬儀の時に読まれるそうです。
英語訳も紹介してくれました。



? Death is nothing at all, I have only slipped away into the next room.
I am I, and you are you.
Whatever we were to each other, that we still are.
Call me by my old familiar name, speak to me in the easy way which you always used, put no difference in your tone, wear no forced air of solemnity or sorrow.
Laugh as we always laughed at the little jokes we shared together.
Let my name ever be the household word that it always was.
Let it be spoken without effect, without the trace of a shadow on it.
Life means all that it ever meant.
It is the same as it ever was.
There is unbroken continuity.
Why should I be out of mind because I am out of sight?
I am waiting for you, for an interval, somewhere very near, just around the corner.
All is well. ?


竹下節子さんはブログでこんなことも書かれています。
死は「新たな出会いである」というメッセージを含んでいるところにとてもとても共感しました。

その『ヨーロッパの死者の書』を書いてから現在までの間に私は両親を次々と亡くしましたが、両親が別の形ですぐそばにいてくれることは実感しました。生前、日本とフランスにわかれていた頃よりもずっと近くの感じです。
私には死者が勝手に千の風になって吹き渡るとは思えませんが、互いに思いを残した者同士が想起し合うとき、生きていた時のさまざまな障害(距離とか病気とか老いとか・・)を越えてより親密な深い場所で何かが起こるような気がします。両親との「別れ」はその意味で「新しい出会い」でもありました。その「出会い」からずいぶん力をもらえたようにも思います。


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2012年03月02日

「生きた、愛した フランシスコ・ザビエルの冒険」を読んだ

「生きた、愛した フランシスコ・ザビエルの冒険」(矢代静一著 角川春樹事務所刊 1996年)を大学の図書館から借りて読んだ。なかなか読み応えのある作品だった。

「Book」データベースには以下のような紹介が載っている。

 人間、ザビエルの波瀾万丈の生涯。バスク、ローマ、パリ、リスボン、ゴア、マラッカを経て鹿児島へ。16世紀の大航海時代にたった一人で西洋の「心」を東洋へ運んだ男の生涯を描く、渾身の書き下ろし。


 著者は、最初ザビエルを日本に連れてきたアンジェローという日本人が気になり、彼を主人公にして戯曲を書こうとしたという。このアンジェローはヤジローともアンジローともいわれ、鹿児島で人殺しをして逃亡のために日本を脱出した男である。しかし、アンジローを描こうとすると当然ザビエルも描かねばならない。最初は聖人は苦手だと思っていたが、書いているうちにザビエルの個性にひかれていき、ザビエルを訪ねる旅に出た。そしてすっかりザビエルの虜になって、書いた小説であるという。

 ザビエルはここでは、純朴でガンコでカタブツではあるが、俗っぽいところがほとんどない人物として描かれている。そしてその周辺にいる人物もそれぞれ個性が浮き彫りにされる。いずれもザビエルと出会わなかったら、どうということのない人生であったにちがいない。ちょうどイエスを囲む弟子たちみたいな存在がザビエルの周辺にいるような感じである。

 私がこの本で興味を持ったところは、やはりイグナチオ・ロヨラとの出会いとイエズス会の結成、そして「イグナチオの霊操」について書かれたところであった。
 「霊操」についてこの書ではなんとミケランジェロにかたっているのである。

「尊敬する友人、イグナチオ・ロヨラに導かれて。僕は『霊操』を行っています。3年前からです。」
「霊操とはなんのこった。耳馴れない言葉だ。」
「スピリチュアル・エクササイズ。霊的練習のことです。ま、祈りの手引き書と言ってもいいと思います。ロヨラは軍人であることをやめたのち、マンレサの村はずれの洞窟でなんと1年も祈りと苦行に徹し、ついに神秘的体験をし、霊操を編み出したのです。」
「具体的に頼む。」
………………………………
「まず、第1週。邪悪な欲望を取り除くため、これから生活の反省をします。第2週、清められた心で貧しいキリストに倣うことを誓います。次に王たるキリストに従う私たち兵士は、第一にこの世の富に対しての、清貧、第2に現世の空しい名誉に対しての軽蔑、第3に傲慢に対して謙遜を武器として団結し、「悪霊の国」と戦う決意をします。そして第3週、キリストが生涯、とくに受難に際して、清貧、軽蔑、謙遜の道をどのように歩み、十字架上で死去なさったのかを黙想します。最後の第4週では、キリストの復活を黙想し、永遠の国をめざして旅立つので、以上であります。」
 ミケランジェロは子どものように手を挙げた。
「よく飲み込めませんが、それで、先生はその1か月の修行のあと、キリストの兵士になれたのでしょうか?」
 ザビエルはつらそうな表情になって、首をゆるやかに横に振った。
「おやおあ、正直なお坊ちゃんだ」
 軽口こそたたいたが、さびしい表情でザビエルを見つめた。
「いずれにせよ、聖書を直い心で読んで、ルカ伝ならルカ伝の第1章を読み終えたら、いろいろと思い巡らすことだと思います。そして、書かれている背後に映る神の愛、寛大さなどを心の目で見る。いいえ、神に見せていただく、これが観想ではないでしょうか。僕はまだ迷える小羊ですから、霊操の神秘性についてはこれ以上のことは申し上げられません。」


 ザビエル(1506〜1552)はミケランジェロ(1475〜1564)と同時代人だから、ローマにいたときに交わりがあっても不思議ではない。この小説ではミケランジェロとザビエルとが不思議な縁で結びつく。
 娼婦マリーとの会話の部分もザビエルらしい。

「あたいは神様のことなんか教えてもらいたくないね。教えてもらいたいのは、あんたの心だ。いや、体だ。売ってくれるのかい、あんたのからだをあたいに!」
 必死になって返事を求めているのが、彼女の息遣いから分かった。沈黙。サビエルはやっと答えた。
「………あのね、僕の君に対する愛情はアガペなんです。」
「アガペ? 何語よ。スペイン語?」
「ギリシャ語です。献身的な藍というか、賛美というか、謙虚というか、無償というか、つまり自分で言うのはおかしいけれど、自分を低くして、君に対してすべてを奉仕しようとする純白の愛情です」
「むずかしくてよく分かんない」
「つまり、あくまで形而上的な愛情なのです」
「要するに抱いてくれないっていうわけね」
「………うん、まあ、そうだと思いますが、………分からない」
 それは23歳のうぶな若者の本心だった。
「あんた、あたいのこの気持ち、まるで分かろうとしない。自分のことしか考えていないんだ。こんな煮え切らない男って大嫌い、弱虫!」
 マリーは平手打ちをザビエルの頬に何遍もくれた。ザビエルは目をとじた。耐えた。痛みに対してではなく、おのれの優柔不断についてだ。
 マリーのすすり泣きが聞こえる。やがてそれも終わった。


 私は、その場面が入門講座や授業などでそのままプリントにできるようにと、できるだけ原文の味を損なわないように引用している。それで引用が若干長くなることがある。これも2度入力しなくてもすむようにするサービスのつもりである。

こちらの方もどうぞ。


 
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2012年03月01日

「ハビアン ー藍は藍より出でて」を読む

 前に「不干斎ハビアン−神も仏も棄てた宗教者」(釈徹宗著 新潮社刊 2009年1月刊)を紹介した。この人物には興味を持っていたので、大学図書館で見つけた「ハビアン ー藍は藍より出でて」(千草子著 清文堂 1991年刊)を見つけたときはうれしかった。

 『天草版平家物語』の作者である不干ハビアンは、“転びイルマン”の烙印をおされ数奇な運命を辿ったというということは前述のブログを見てほしい。
 この書の物語は、彼が著すキリシタン護教書『妙貞問答』に資料を提供する清原枝賢の娘「雪」を軸に展開する中で彼の人生を解き明かす。
 ただし、この書はハビアンが「妙貞問答」を書き上げるまでで終わっている。つまり彼がキリスト教をすてる場面はここにはない。

 この書の副題「藍は藍より出でて」は「妙貞問答」の「神道之事」に出てくる言葉から取ったものである。普通は「青は藍より出でてて藍より青し」であるのだが、作者は原文のままを使っている。「藍」は「愛」に通じると思ったからであると述べている。
 著者は国語学者。国語学的に「妙貞問答」を研究しているうちにハビアンに引かれて小説を書きたくなったということである。

 ともかく、この書は続きが書かれなければならない本である。ハビアンがなぜキリスト教を捨てたのかというのが私の最大の関心だったのだから………。いつまでもこの本だけだと欲求不満に陥りそうである。

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