2012年06月27日

Finding God Video Contest というのを見つけました。

SIGNIS の友人が教えてくれました。さすが、キリスト教国アメリカです。
Loyola Press というイエズス会系の出版社が企画したビデオコンテストのようです。



英語で何を言っているのかわからないけれど、アメリカの「宗教」の授業がどういう雰囲気なのかがわかります。
日本でもこういうビデオコンテストをやれたらいいねと SIGNIS の仲間たちと話しています。
このサイトは他にも興味あることがいろいろとのっています。
私が気に入ったのは Ignatian Spirituality というブログの写真でした。
写真で「神を見出す」という面白い試みです。
ほかにも面白いページを探し当てたら教えてください。

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2012年06月25日

サーバント・リーダーシップ

「ビジネスリーダーのためのファシリテーション入門 (DO BOOKS) 」という本を本屋で立ち読みしていたら、「サーバント・リーダーシップ」なる言葉が目に飛び込んできた。


『リーダーである人は、「まず相手に奉仕し、その後相手を導くものである」という実践哲学をサーバント・リーダーシップといいます。サーバント・リーダーは、相手に対し奉仕する人です。相手への奉仕を通じて、相手を導きたいという気持ちになり、その後リーダーとして相手を導く役割を受け入れる人なのです。』


ということらしい。リーダーシップというと、昨今大阪の市長になった人のような「強いリーダーシップ」が望まれている風潮が強いが、そういう時だからこそじつは「サーバント・リーダーシップ」が望まれているのだろう。
「リーダーは部下が仕事がしやすいように貢献尽力する(サービスする)」というわけである。「リーダーにカリスマはいらない」とも述べている。
実は、このモデルは福音書の、最後の晩餐の前に弟子たちの足を洗ったイエスなのである。イエスはこの後弟子たちに向かって「互いに使えるものとなりなさい」と述べた。

「サーバント・リーダーシップ」の教えを広めている「グリーン・リーフセンター」アメリカ本部の所長であるラリー・スピアーズ氏はサーバント・リーダーシップの「属性」として、以下の10項目をあげている。

 (1)傾聴(Listening)
相手が望んでいることを聞き出すために、
まずは話をしっかり聞き、どうすれば役に立てるかを考える。

(2)共感(Empathy)
相手の立場に立って相手の気持ちを理解する。
人は不完全であることの前提に立ち相手をどんな時も受け入れる。

(3)癒し(Healing)
相手の心を無傷の状態にして、本来の力を取り戻させる。
組織や集団においては、欠けている力を補い合えるようにする。
一緒にいると元気になる。安心できる。

(4)気づき(Awareness)
鋭敏な知覚により、物事をありのままに見る。
自分に対しても相手に対しても気づき得ることができる。
相手に気づきを与えることができる。

(5)説得(Persuasion)
相手とコンセンサスを得ながら納得を促すことができる。
権限に依らず、服従を強要しない。

(6)概念化(Conceptualization)
大きな夢やビジョナリーなコンセプトを持ち、それを相手に伝えることができる。
思いの深さ、志の高さ。

(7)先見力、予見力(Foresight)
現在の出来事を過去の出来事と照らし合わせ、そこから直感的に将来の出来事を予想できる。

(8)執事役(Stewardship)
自分の利益よりも相手の利益を考えて行動できる。
一歩引く事を心得ている。謙譲の美徳。

(9)人々の成長への関与(The growth of people)
仲間の成長を促すことに深くコミットしている。
一人ひとりが秘めている力や価値に気づいている。

(10)コミュニティづくり
愛情と癒しで満ちていて、人々が大きく成長できるコミュニティを創り出す。


 もう20年ほど前に、CLC(Christian Life Community) がエド・ネメッシュ神父と共に「霊的リーダーシップ(Spiritual leadership) について皆でアイディアを出し合ったことがある。この時に出し合ったものと酷似しているということを思い出した。
「イエス弟子たちの足を洗う」という場面から「お互いに仕えあう」ということの重要さを出し合ったことをしみじみと思い出した。

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2012年06月24日

チャドクガのコロニーは気味悪いけれどユーモラス

わがやは3方を生け垣で囲まれていますので、その木を切るのがとても大変でなかなか木の生長に追いつかない状態です。
その生け垣はサザンカ、レッドロビン、マサキ、アジサイ、ゲッケイジュ、トベラ、アオキ、カエデ、ボケ、アオギリ、カポック、ムクノキ、キョウチクトウ、ツルバラと実に種種雑多でその他にも名前の分からない木もあります。
ササも茂っていますし、ヒガンバナも咲き出します。それにあの、ノアサガオが巻き付いてきて、さながら小さなジャングルのようです。

この時期にいやなのは、サザンカやツバキの木のチャドクガの発生です。これはケムシでもあるいは蛾になっても体を覆う小さな毛にふれると皮膚がかぶれるという毒性をもっています。
それで、見つけると殺虫剤でシューシューして駆除します。吹き付けると面白いようにコロコロと葉っぱから落ちていきます。大量虐殺者の気分です。



見つけるのがけっこうたいへんですが、密集してきれいにならんで体を寄せ合って生きているので、なれるとすぐに見つけられます。でも体を寄せ合って生きている姿がちょっとユーモラスというか、かわいいというか、気味が悪いというか、駆除するのにちょっと気が弾けるのですが、そこは心を鬼にして殺虫剤を振りかけます。

もう一つイラガの仲間がいます。これは密集してはいないのですが、皮膚に触れると激痛が走ります。まもなく出てくるので、みつけたらまた紹介しましょう。

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2012年06月21日

教会の庭のカラシダネが満開です。

17日の主日の福音はマルコ4章の「カラシダネ」のたとえでした。
「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それはカラシダネのようなものである。土に蒔くときには地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

私の教会(カトリック鶴見教会)の庭には「カラシダネ」が黄色の花をつけています。




聖書の「カラシダネ」は「カラシナ」の仲間の「クロガラシ」だという説もある。
しかし、ここではなす科 、たばこ属の一種である「カラシダネ」とする。種子は大変細かく、クロガラシの100分の1より、まだ小さい。しかしこれは元来南アメリカ原産のもので、イスラエルに古くからあったものではない。しかし、あまりにも細かい種子であるので、今日ではこれがそのからし種だと言い伝えられている。黄色い筒形の小花をたくさんつけ、観賞価値もある。これは灌木状になり 、3〜4メートルに生長する。

タネが収穫されたら、またその小ささぶりを紹介することにしよう。

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2012年06月20日

アジサイについてのウンチク

アジサイについてのウンチク。





アジサイは日本原産の樹木である。それが中国を経由してヨーロッパに渡り、さまざまな品種が生まれた。西洋アジサイと呼ばれるのは、人びとの長い丹精のたまものだ。
アジサイにはいろいろの名前がつけられてきた。日本名は、小さな青い花を集めるという意味だろう、「集真藍(あづさい)」が転じたようだ。
漢字では「紫陽花」名付け親は玄宗皇帝と楊貴妃の悲劇を歌った「長恨歌」などで知られる東大の詩人白楽天である。
赴任先の杭州の寺に咲く花の名を誰も知らなかった。紫の色を愛でて、自ら命名した。ただ、実際にはアジサイではなくライラックだったという説もある。
江戸時代、オランダ東インド会社の医師として来日したシーボルトもアジサイに関心を寄せたひとりである。
帰国後、出版した植物死の本でアジサイに「ハイドランジア・オタクサ」名前をつけた。
この「オタクサ」の意味が分からなかったが、長い研究の末、大正時代に判明して驚かされた。
シーボルトが滞日中の恋人が、長崎丸山の遊女「お滝さん」。花の名に仮託することで彼女を偲んだか。
そうした縁もあって、長崎市の市の花にはアジサイが選ばれている。




本当に風情のある花である。

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2012年06月13日

プロポーズ動画という感動

Facebook で紹介されたものをシェアします。
あちらの国ではこういうプロポーズ動画が結構人気を博しているそうです。いかにもアメリカ的というか………。



そういえば日本にもこういう動画がありました。でもこれは「恋をしましょう」という動画だから少し違うか。でもこのシリーズもなかなかいいと思います。



こういう動画がどんどん流れていて、それをFacebook でシェアするところが、いかにも YouTube であり、Facebook なのかもしれません。

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2012年06月12日

防災パックJC-AID はなかなかいい発想から生まれたと思う

友人の友人の藤沢市議に紹介してもらったと、その友人は私に教えてくれた。
「全く新しい防災システムJC-AID」「自分だけでなくまだ見ぬ全国の被災地も助ける」というシステムである。

先ずこれを見てほしい。



その特徴として次のようなことを上げている。
パッケージに一揃えの支援部室を盛り込むので仕分けが不要。また配りやすく、家族人数ごとに対応可能。
有事の際にすぐ使える、すぐに送れる。
外箱のサイズが均一なので積み込みや取り出しが簡単。保管時のデッドスペースもなくせる。
全国にネットワークがあるJCのスケールメリットをフルに活用できる。

つまり自分のところが被災地になったときはそれを使えばいいし、他の地域が被災した場合には被災地へ支援部室としてすぐに送れるというわけである。

中味は


学校などでの備蓄品として、これはな感か合理的であると思う。すぐに被災地へ送れるというのがいい。
JC(青年会議所)もなかなかやるもんだと思った。
そんなこと学校ではとうの昔にやっているのかもしれないが………。

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2012年06月01日

念力は存在するか、実験をしてみました。

 今、聖心女子大学にいって「キリスト教学」の講義を担当している。正規の講師の先生が産休をとっていて、その代用として5回の講義を担当することになった。
 正規の「キリスト教学」では、「宗教と音楽」というテーマでグレゴリアンやバッハからテゼーの音楽までを聞かせながら講義をするというスタイルであったのだが、私にはそれはできないので「宗教音楽」とは切っても切れない関係にある「祈りとミサ」というテーマで行うことにした。

 1回目の講義(5月18日)は、日本人の祈りを考えながら「祈りとは何か」ということを考えた。
 「日本人はどういうときに祈るか?」という問いに始まり、「日本人は何を祈るのか」「祈りのスタイルとツール」を受講している学生たちに次々に応えを出してもらった。
 そして最後に「祈りの方法と種類」をあげて終わった。

 2回目の講義(5月25日)では、「祈りの実習」と称して、いくつかの祈りのエクササイズをした。
 その1として行ったのが、これから紹介する「念力サイコロのエクササイズ」である。
 その2も「念力パワーのエクササイズ」
 その3は「1分間エクササイズ」
 その4は「瞑想とawareness exercise」
 学生たちはけっこう楽しんでいたようである。

 さてその「念力サイコロのエクササイズ」である。
 この授業のために先ずサイコロを人数分そろえた。受講生は70人だからその数のサイコロをそろえた。幸い100円ショップで4個入ったものが見つかったが、それでも数をそろえられなかったので、いくつかの100円ショップを探し回った。
 それから記入用紙を作った。
 その記入用紙とサイコロを配って、こう説明した。
「1が出るように念じながらサイコロを100回ふって出た目を記入用紙に記入してください。その記入用紙は回収して統計を取ります。はたして念力パワーは存在するのか、これは実験です」

 さて、その結果は次の通りになった。この実験に参加した人は全部で64人だったので、サイコロを振った合計は6400回ということになる。
   1のでた回数(%) 1140(17.81%)
   2のでた回数(%) 1070(16.72%)
   3のでた回数(%) 1058(16.53%)
   4のでた回数(%) 1016(15.88%)
   5のでた回数(%) 1028(16.06%)
   6のでた回数(%) 1075(16.8%)
 う〜ん、微妙な結果になった。たしかに1のでる率は他のものに比べると高い。けれどこれは有意差をもっているのかどうか、微妙である。
 もっと回数を多くして精度を高める必要があろう。

 もっとも出現率が高かった生徒は、100回のうち26回を出した学生がいた。「あなたはひょっとすると念力パワーを持っているかもしれないから、もっとサイコロを振って試してご覧。1万回ぐらいやって有意差がはっきりと表れたら、確実だから」といっておいた。さてその学生は実際に試したかどうか?

 私は、この念力実験の結果がどうあれ、「1がでるように」と念じるこころが「祈り」に通じるものがあるのではないかという解説を加えておきました。

 明日の講義で、この結果を発表する。学生たちはなんと判断するだろうか。
 私の友人のつくば大学教授(哲学、倫理学)に話したら、「それがほんとのサイコロジーだ」としゃれていた。

 この実験は、高校の化学の先生がこんなことを言っていたことから、いつか試してみたいものだと思っていたことで、やっと実現した。
「君たち、念力の存在を信じるかね。サイコロをある数がでるように念じながらふるとどうなるか。100回や1000回ではだめだな、少なくても1万回以上ふってみると、結果が表れるよ。ウソだと思ったら自分で試してみるといい。」
 あの学校のことだから、実際に試してやってみた生徒がいたはずだと思うけれど、その結果は聞かなかったことがいまさらのように悔やまれる。


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