2012年10月24日

巡礼中に読んだ「ジパング島発見記」に描かれたルイス・アルメイダ

巡礼中に「ジパング島発見記」を読んだ。なかなか面白かった。


この本は次のような内容である。


戦国時代、西洋人が初めて見た日本の姿とは?
フランシスコ・ザビエル、ルイス・フロイスら、16世紀、海を越え、鉄砲やキリスト教を日本に伝えた7人の西洋人の目を通し、「日本が西洋文化と初めて出会ったとき」を描く短編集。(解説/安倍龍太郎)

種子島に鉄炮を伝えた女難の美男ゼイモト。冒険商人ホラ吹きピント。キリスト教を伝えに来日した耳鳴り持ちのザビエル。日本初の病院を作ったアルメイダ。語学堪能で記録癖のフロイス。東洋人を極端に蔑視するカブラル布教長。天正少年使節団を遣欧したヴァリニャーノ。大航海時代、西洋人7人が発見した最果ての島国―織田信長ら戦国武将の実態、珍妙な文化や風習を描く画期的な戦国歴史小説。


フランシスコ・ザビエルやルイス・アルメイダ、ルイス・フロイス、カブラル、ワリニヤーノなどのイエズス会宣教師について、それぞれの生い立ちや個性を異国日本における宣教師活動と絡めながら描き出している歴史小説である。
著者はクリスチャンではないので、宗教的な過剰の尊敬をこめずにありのままの人物像を描き出している。

私が特に興味を持ったのは、ルイス・アルメイダであった。アルメイダは裕福な商人の子としてリスボンに生まれた。王立の医学校を卒業して、外科医の資格を取得したが、そのまま医者になるのはつまらないと思って、インドに行って商売をすることとなった。商人の父親が貸してくれた元手をもとに、ゴア、マラッカ、モルッカ諸島を行き来して香辛料や木綿の貿易をして莫大な利益を上げた。
お金を手にしてもちっとも満たされなかった彼は、ザビエル神父のいた日本に行くことにした。山口でけがをした子供の手当てをすることになったかれは、医者として人のために働く使命に目覚め、それでイエズス会に入会する。彼の儲けたお金はそのままイエズス会への持参金となった。
イエズス会は本部を戦乱の舞台となった山口から豊後の大友氏の府内に移動する。府内でアルメイダは貧しい人たちのための病院を作った。ここではハンセン病の病者たちの入院設備も拡張され、また日本で初めての外科手術をおこなったり、また悪魔祓いをしたりもした。

この小説では、アルメイダについてはここまでしか記されていない。イエズス会が大分から長崎へと本部を移転するに伴い、アルメイダも長崎へ移動した。そこでかれは病院をつくるとともに「慈悲の組(ミゼリコルディア)」という病院活動を支援するための信徒たちのボランティア組織を育てるのだが、そのくだりはこの小説には描かれていない。
かれは、その後1580年にマカオで司祭に叙階され、再び日本に戻って、医療と宣教活動に従事し、あるいは木綿などの貿易への投資も積極的に行った。1583年10月に天草の河内浦(熊本県天草市)で没した。
冒険商人から無償奉仕の医師へと転身し、病人と乳児、ハンセン病者に尽くした波乱の生涯であった。

大分には、アルメイダを記念したルイス・アルメイダ病院がある。これはキリスト教系の病院ではなく、大分医師会立の病院である。

この本に描かれたルイス・フロイスやワリニヤーノについても紹介したいのだが、それはまた次の機会にしよう。

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2012年10月22日

復活したイエスがペトロに3回「私を愛しているか?」ときく

今回の巡礼で、ミサをあげたところの一つにガリラヤ湖畔のペトロの首位権教会があった。
ここは、復活したイエスがペトロに指示して釣った魚を焼いて弟子たちと朝食をしたところを記念して作られた教会である。この岩の上で魚を焼いたというその岩が残っていた。
その朝食の後にイエスがペトロに3回「あなたは私を愛しているか?」と聞く。ペトロは3回とも「私があなたを愛していることはよくご存知でしょう」と答えるところがある。ペトロがそう答えた後に「私の羊の世話をしなさい」とイエスはいっている。
この「私の羊の世話をしなさい」といわれているところから、ペトロを教会のリーダーとしての首位権を確認した箇所である。
ちなみに、ここともう一つペトロの首位権を認めたところがあるのだが、それについては次に述べようと思う。



巡礼ガイドの河谷さんが、ここのところをこう解説してくれた。
イエスは一度目の「私を愛するか?」という質問の時に、アガペオーという動詞で聞くのだが、ペトロはフィレオーという動詞で答えている。
二度目も同じで、イエスはアガペオーと聞くのに対して,ペトロはフィレオーと答えるのである。
ところが三度目、イエスは今度は「フィレオー」で「私を愛しているか?」と聞くのである。イエスは三度目に「愛のレベル」を下げて聞いているわけであり、ペトロはあいかわらずフィレオーと答えているのである。

アガペーというのは、神の愛のことで、無償の愛という意味で福音書では使われている。これに対して「フィレオー」は友愛を意味していて、ギリシャ語ではもっともよく使われる動詞であろう。
なぜペトロはアガペオーではなく、フィレオーで答えたのかなぜイエスは3回目に愛のレベルを下げて聞いたのだろうか? このことはどう解釈したらいいのだろうか?

聖書協会訳ならびに新共同訳聖書の日本語では、いずれも「愛しているか」で、統一されているのだが、たとえばリビングバイブルでは「アガペオー」は「愛しているか?」に対して、フィレオーは「あなたの友」と訳している。つまりこの動詞を区別して訳しているのである。Living Bible の英語版でも「Do you love me?」に対してペトロは「You know that I am your friend.」と答えている。
山浦さんの「ガリラヤのイシュー」では、イエスの問は「お前はこの俺大事に思っているか?」ときき、ペトロは「この俺はお前さまに惚れておりぁす」とこれも区別して訳している。三度目にイエスは「お前はこの俺に惚れこんでんのが?」と聞くとペトロは「俺がお前さまに首ったげなのァ知ってのとおりでがんす!」と答えている。さすが山浦さん、ちゃんと区別して訳している。

新共同訳などでは、どちらも「愛する」と訳しているので、ここが違う動詞であることは分からないわけであるが、ここは原文に忠実に訳語を変えて訳したほうがいいと私は個人的に思うが、みなさんはどう思われるだろうか?

この話は神学講座で聞いた記憶があるが、誰が述べたことかは覚えていない。それを今回のガイドさんの河谷さんが説明された。河谷さんはとてもよく聖書を読み込んでいるとあらためて尊敬した次第である。

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2012年10月19日

ワジケルト聖ジョージ修道院@ユダの荒野

今回のイスラエル巡礼で、私にとってもっとも強烈だったのは、ユダの荒野にあるワジケルト聖ジョージ修道院の存在であった。
ユダの荒野は、エルサレムからエリコに向かう途中にある砂漠というよりも岩山というか、木が一本も生えていない岩山の地帯。
アフリカ大陸やアラビア半島の砂漠気候地帯や乾燥地帯の各地にある、流水のない「涸れ川」(かれがわ)、雨季の一時的な豪雨のときのみに水が流れるところを「ワジ」と呼ぶが、ユダの荒野にあるワジの一つがこの地ワジケルトとよばれるところ。ホントに木が一本も生えていない谷底に僅かに緑があるところのがけになんと修道院がある。ギリシャ正教の聖ジョージ修道院である。
考えてみたら、この地はイエスが40日間の修行をして悪魔に試みられたところであり、そのイエスの姿にならって荒野で修行をする修道士たちが現れるのもムリはない。



この修道院がカトリックではなく、ギリシャ正教であるところもまたとてもいいと思う。
ここでどのような修行をするのであろうか?

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I Did It. あなたはどのステップですか?

しばらく(10/9〜17)、イスラエル巡礼にいっていました。そのうちに少しずつその報告をしていきます。
が、今回は Facebook 上でシェアされてきた画像を紹介します。



何かを決意して実行していくときの心のプロセスをよく表現しています。

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2012年10月03日

公共広告機構CM『屋上の少女』を見てどう思いますか?

このCMについてどう思いますか?
 
う〜ん。
でも、このCMを見て感じたこと、考えたことを話し合うのはいいことかもしれないと思いました。

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