この本は次のような内容である。
戦国時代、西洋人が初めて見た日本の姿とは?
フランシスコ・ザビエル、ルイス・フロイスら、16世紀、海を越え、鉄砲やキリスト教を日本に伝えた7人の西洋人の目を通し、「日本が西洋文化と初めて出会ったとき」を描く短編集。(解説/安倍龍太郎)
種子島に鉄炮を伝えた女難の美男ゼイモト。冒険商人ホラ吹きピント。キリスト教を伝えに来日した耳鳴り持ちのザビエル。日本初の病院を作ったアルメイダ。語学堪能で記録癖のフロイス。東洋人を極端に蔑視するカブラル布教長。天正少年使節団を遣欧したヴァリニャーノ。大航海時代、西洋人7人が発見した最果ての島国―織田信長ら戦国武将の実態、珍妙な文化や風習を描く画期的な戦国歴史小説。
フランシスコ・ザビエルやルイス・アルメイダ、ルイス・フロイス、カブラル、ワリニヤーノなどのイエズス会宣教師について、それぞれの生い立ちや個性を異国日本における宣教師活動と絡めながら描き出している歴史小説である。
著者はクリスチャンではないので、宗教的な過剰の尊敬をこめずにありのままの人物像を描き出している。
私が特に興味を持ったのは、ルイス・アルメイダであった。アルメイダは裕福な商人の子としてリスボンに生まれた。王立の医学校を卒業して、外科医の資格を取得したが、そのまま医者になるのはつまらないと思って、インドに行って商売をすることとなった。商人の父親が貸してくれた元手をもとに、ゴア、マラッカ、モルッカ諸島を行き来して香辛料や木綿の貿易をして莫大な利益を上げた。
お金を手にしてもちっとも満たされなかった彼は、ザビエル神父のいた日本に行くことにした。山口でけがをした子供の手当てをすることになったかれは、医者として人のために働く使命に目覚め、それでイエズス会に入会する。彼の儲けたお金はそのままイエズス会への持参金となった。
イエズス会は本部を戦乱の舞台となった山口から豊後の大友氏の府内に移動する。府内でアルメイダは貧しい人たちのための病院を作った。ここではハンセン病の病者たちの入院設備も拡張され、また日本で初めての外科手術をおこなったり、また悪魔祓いをしたりもした。
この小説では、アルメイダについてはここまでしか記されていない。イエズス会が大分から長崎へと本部を移転するに伴い、アルメイダも長崎へ移動した。そこでかれは病院をつくるとともに「慈悲の組(ミゼリコルディア)」という病院活動を支援するための信徒たちのボランティア組織を育てるのだが、そのくだりはこの小説には描かれていない。
かれは、その後1580年にマカオで司祭に叙階され、再び日本に戻って、医療と宣教活動に従事し、あるいは木綿などの貿易への投資も積極的に行った。1583年10月に天草の河内浦(熊本県天草市)で没した。
冒険商人から無償奉仕の医師へと転身し、病人と乳児、ハンセン病者に尽くした波乱の生涯であった。
大分には、アルメイダを記念したルイス・アルメイダ病院がある。これはキリスト教系の病院ではなく、大分医師会立の病院である。
この本に描かれたルイス・フロイスやワリニヤーノについても紹介したいのだが、それはまた次の機会にしよう。
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