2013年09月28日

「プレイフル・シンキング」上田信行著を読んで私はとってもプレイフルだと思いました。

 「プレイフル・シンキング」(上田信行著 宣伝会議 2009年7月刊) 
をよみました。
 こんな問いかけからこの本は始まっています。

上司から「今度こんなプロジェクトがあるけど、やって見ないか」と、新しい仕事を打診されたとしよう。
あなたの心にとっさにおもいうかぶのは、次のどちらに近いだろうか。
1.Can I do it? わたしにできるだろうか?
2.How can I do it? どうしたらできるだろうか。
この2つは、あなたがどれだけ仕事を楽しむ姿勢をどの位持っているかどうかを知るためのバロメーターである。


 これを読んで私は紛れもなく、後者だと思った。自分にそれができるかどうかということをほとんど考えない人だということを始めて知ったのである。すぐにそれはどうしたらできるかと方向に考えが進んでしまう。
こういう思考をすることを著者は「プレイフル・シンキング」と呼んでいる。「プレイフルとは、物事に対してワクワクドキドキする心の状態のことをいう」とも書かれている。

教育学でいう「まなび」とは、これまでの学校教育では、大人からこどもへ知識を伝達する「インストラクション」が中心だった。
それに対して今大きな潮流となっているのが、学びとは子供が何かを体験し、その体験を振り返るプロセスを通して自ら構築していくものであるという考え方だ。それを、インストラクションに対して「コンストラクション」という。知識とは他者から与えられるものではなく、みずから創り上げていくもの、つまり「創造するもの」であるという考え方である。教育学ではこのような学びのことを「コンストラクシナル・ラーニング(構成主義的な学び)」という。


そのほか、興味を持ってマーキングした所を抜き書きしてみよう。

プロフェッショナルとしても存在価値は、専門的な知識や技術を持つことにあるのではなく、むしろそう言った蓄積されたのにも安住することなく、状況に応じて自分を進化させ、イノベーションを生み出すことにある。
物事に積極的に関わろうとする知的好奇心にあふれる自分と、それを俯瞰してながめるもう一人の自分を持つこと、その両輪をうまく回しながら革新を生み出すことがプロフェショナルであるということである。

プレイフルとは
真剣に向き合うこと
柔軟であること、
協調のためのエンジン
実現できそうな予感にワクワクすること。

Fixed Mind-set と Growth Mind-set
  固定的知能観 と 成長的知能観
  よく見せたい と よくなりたい
   失敗は過ち と 失敗は自己投資
    自己防衛 と 課題挑戦

ライブ感とインプロビジョン(即興性)
可鍛性 鉄鋼を熱して叩いて鍛えると強度や強靭性(粘り強さ)が向上していく。
malleable 目標の再構築

発達の最近接領域 ビゴツキー
大人が手を貸したり、有能な仲間と仕事をすることで、自分ひとりの力で到達できるレベルよりも高次の問題解決が可能となる。子供一人で解決できる現時点の発達レベルと大人のサポートがあれば解決可能となる潜在的発達レベルと大人のサポートがあれば解決可能となる潜在的発達レベルとの間に存在する領域である。
憧れの最近接領域
あの人とだったらできそうだ。という他者含みの自信。
プレイフルな対話。
何をやるかよりも誰とやるか。


 とまあ、こんなことが書かれている本でした。新しい考え方を教わるというよりも、自分がしてきたことはこういうことだったのかと教えてくれた本でした。
 この著者が奈良県吉野川のほとりに作っている実験的に行っているネオミュージアムというプレイフルな創造空間におおいに興味を持ちました。いつかいってみたいと思っています。

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2013年09月17日

「いのフェス」のために「チャレンジ!聖著クイズ32」を作りました。

9月14日に早稲田奉仕園で「いのフェス」なる集いが行われました。この様子はここに書いている人がいます。
このイベントにわが SIGNIS Japan も協賛していてブースを開きました。そのなかでわたしは「もっと聖書が読みたくなる チャレンジ!聖書クイズ32」なる小冊子を作って売っていました。

SeishoQuiz1

50部限定出版で13部売れたとのことです。ほとんどは「みうち」が買ってくれたようです。同じブースで「YOUCAT」を売っていた若者たちにこの聖書クイズにチャレンジしなさいとすすめましたが、「10問しかできませんでした」と報告してくれた青年がいました。
これは聖書(特に新約聖書)について、32問の4択問題を、センターテストふうにつくってみたものです。例えばこんな問題です。

SeishoQuiz2

人名や地名などの断片的な知識を問う問題はできるだけ少なくして、聖書をよく読み込まないと解けない問題を多く造ったつもりです。こんなことが書いてあるのかと知るとたまらなく聖書のその箇所を読みたくなるはずです。
とりあえずこのフェスティバルに間に合うように、まだ32問しかできていません。旧約も含めて、少しずつ拡充していき、100問くらい作ってみようと思います。
また、e-Learningソフトを使ってインターネット上でも展開していこうと考えています。
そしてあわよくば「聖書検定コース」を作ろうかなどと目論んでいます。

ま、とりあえずのこの聖書クイズをご希望の方は郵送料とも180円でおわけします。ただしあと30部です。
pdfでもいいと言われる方には無料で添付してお送りします。ただし完成した暁にはご購入いただきます。

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2013年09月05日

4つの福音書のシンボル

「カトリック生活」9月号の特集「教会のシンボル大集合!」を読んでいて、4人の福音史家が4つのシンボルで描かれるということがおもしろかったので、少し調べてみました。

マタイは、キリストの系図をたどり人間性を強調することから、翼を持った人(天使)がシンボルである。
MatAngel

マルコは、キリストの王としての威厳を伝えることから、翼を持ったライオンの姿である。これはベネチアの守護の聖人象としても有名である。
LIONMark

ルカは、キリストの犠牲を強調するため、古代のいけにえの獣になぞらえて翼を持った雄牛のすがたである。
LukaUSHI

ヨハネは、天の神秘を誰よりも深く見通し、神の言葉で豊かな霊感で記述したことからわしの姿で描かれる。
JOHNWASHI

人間イエスをもっともいきいきと描いたのはマルコじゃないかとか、ルカのいけにえはなぜ羊じゃないんだとか疑問がおこってきたが、これには実は出典があるらしい。

エゼキエル書1章1-28節に出てくる四つの有翼の生き物(10節によると人間、獅子、牛、鷲)とそれも踏まえた黙示録4章1-11節に出てくる同様の生き物(7節によると獅子、雄牛、人間、鷲)がやがて教父たちにより、四福音記者のシンボルとして解説されるようになる。
2世紀末のリヨンの司教イレネウス(エイレナイオス)は、上述の四つの生き物をまず神の救いの計画の四つの次元を表すものと考えた。獅子はキリストの王としての姿、雄牛は大祭司キリストの奉献、人間はキリストの人としての来臨、鷲は教会に降る聖霊のシンボルと考えた彼は、さらに獅子をヨハネ福音書、雄牛をルカ福音書、人間をマタイ福音書、鷲をマルコ福音書のシンボルとした。
その後、教父により四つの生き物のあてはめ方が多少変わるが、4世紀のヒエロニムスは、人間をマタイ、獅子をマルコ、牛をルカ、鷲をヨハネに当てはめた(エゼキエルの生き物の順と福音書の順も一致)。
マルコが獅子である理由として、荒れ野で回心を叫ぶ洗礼者ヨハネを念頭においているらしい。ヒエロニムスが西方教会では教会博士としての権威を持つことから、彼の適用法が絵画表現の伝統ともなる。


なるほど、こういう教会の伝統から定められたことなんだと妙にナットクした。今日の入門講座で「教会のシンボル」をとりあげてみよう。教会はこういうシンボルだらけであり、これを読み解いていくのはけっこう楽しい。

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