2015年01月11日

松葉杖をつかう生活で気づいたこと

この10日間松葉杖のゴヤッカイとなりました。その使い方もマスターとまではいかないまでも、一応ひととり使いこなすことができるようになったと思います。
階段ののぼりおりには目から鱗の感じさえしました。作業療法士さんに感謝です。

ところで病院の中で松葉杖の生活をしてみて、いろいろと気づいた点がいくつかあります。これらの多くは実際に松葉杖にゴヤッカイになる生活をしないとわからない、してみて初めて気づく性質のものでしょう。

その第一は松葉杖を立てかけるところについてです。
病室のベッドに来ると松葉杖はどこかに立てかけなければなりません。その場所がないので、壁に立てかけたりするのですが、不安定で倒れやすいのです。せめて壁にぶら下げるためのフックがあればいいのですが、外科の病室でさえないのです。
そういえば松葉杖を立てかけなければならないところは結構あります。トイレ、洗面所、ロビー、待合室、食堂、どこにもありません。
これは結構不便ですが、病院でさえ気付かないのですね。
ロビーや食堂にはスマートでセンスよくデザインされた傘立てみたいなものがあるといいですね。
できたら松葉杖に付属して杖と一体化できて、必要なときにとりはずして使えるものがいい。これができたら特許ものですよ。きっと。別に松葉杖でなくても普通の杖にも言えることです。これはそのうちどこかのデザイナーさんが考え出すよね。

その2です。
松葉杖をおいて作業をしなければいけないところがいくつかあります。中でも洗面台、公衆電話のまえ、シャワー室、玄関での靴を履くとき、そういうところは片足だちしなければならないのですが、これが不安定だし、つかれるし.....。そこに小さな丸椅子があると便利です。この病院では結構あちこちに丸椅子がおいてありました。これはありがたいことでした。
でも、それを使って気づいたことがあります。洗面台の前です。丸椅子に座ってヒゲソリをしようとしたとところ、鏡が高い。座ったママだと鏡が見られないのです。車椅子用の洗面台はさすがそういう配慮はされているのですが、

その3です。
これは退院してからのことです。入院中はいいことです。台所です。両手をつかうから座って作業をする必要があります。でも、この椅子は普通の椅子より高いものが必要ですね。どのくらいのたかさがあるといいのでしょうか。これは普通の家具屋にあるのでしょうか。あったとしてお店でどのくらいの高さが適当なのかを確かめられるのでしょうか。
やはりこういうのは福祉専門店で相談してみるのがいちばんなのかもしれません、
それに厄介なことは松葉杖が不要になるとこの椅子も不要となります。そのときのためにレンタルの対応ができるかどうか。
家の場所として気になるのは、他にもトイレ、玄関、浴室です。これは実際に家に帰ってから考えるとしましょう。

その4です。
両手で松葉杖をつかうとものが運べません。そうすると必要なのはせおいぶくろ、ナップサックみたいなものです。いや待てよ。別に背負う必要はないですよね。フタも必要ない。前掛けタイプの方が出し入れが簡単です。ぶどうをつんだらいれるかごみたいなものでもいいですね。でも、探してみるとこういうのが意外に見つからない。
これも考えてみると松葉杖に限らず普通の場合にもあったらいいものになるかもしれません。最近は赤ちゃんを前に抱っこするタイプのものもあります。あれと同じように前に抱っこするようなタイプのナップサックみたいなもの、満員電車の中でも安全です。何よりもものを出し入れできるところがいい。これもスタイリッシュにでデザインされたものが出てきたら買いですね。

その5
松葉杖をもっとスタイリッシュにかっこよいものにすることはできないか。杖はけっこうオシャレなものがあるけれど、松葉杖にもあっていいと思います。
松葉杖に別な機能をつけた複合機能はどうか。たとえばナビ付きの松葉杖。スマホを置くことができて見たり聞いたりできたら役に立つかもね。これも行けるかもしれない。
折りたたみ笠やワンタッチ傘が着脱できたらいいかも。両手の松葉杖だと傘がさせません。だから松葉杖に一体化できるアタッチメントがあればいいんですよね。でも、どういう構造にしたらいいのかのイメージが今ひとつうかんでこないけれど、これも実現できたら特許ものだよね。

考えてみるとまだまだいろいろとアイディアが浮かんで来そうです。「必要は発明の母」というのは本当ですね。

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Freedom Writers ......Their Story, Their Words, Their Future

入院中の暇に任せてお見舞いに来てくれた友人が貸してくれたDVDを見ている。
これまでに「ホテルルワンダ」「パッション」「レミゼラブル」「ダウト」を見た。さらに今日見たのは「Freedom Writers ......Their Story, Their Words, Their Future」だった。なかなかよかった。おもしろかった。

ストーリーである。

【ストーリー】

◆銃の替わりにペンを持ったとき、未来は僕らのものになった
ロス暴動から2年後の1994年、ロサンゼルス郡ロングビーチ。

さまざまな人種が通うウィルソン高校では、登校も下校も命がけだ。カリフォルニアの青い空など、見上げている余裕はない。「ロングビーチでは肌の色がすべて。浅黒いか、黄色か、黒か。一歩外に出たら戦場なの」 学校に着いても問題は同じ。みな肌の色ごとに徒党を組み、人種間の憎しみをむき出しにする。バッグには銃かナイフ。誰もが18歳まで生きられれば、十分だと思っていた。

そんな203教室に理想に燃えた国語教師がやって来る。彼女の名はエリン・グルーウェル、23歳。弁護士になるはずが、「法廷で子供を弁護するのでは遅過ぎる。教室で子供を救うべきだ」と教師になった変り種だ。しかし、支配階級である白人の女教師など、生徒たちには別世界の住人でしかない。彼らの拒絶にショックを受けつつも、エリンは夫スコット(パトリック・デンプシー)に支えられ、詩の教材にラップを取り入れるなど努力を重ねていく。ある日の授業中、ラティーノのティコ(ガブリエル・チャヴァリア)が黒人のジャマル(ディーンス・ワイアット)を馬鹿にした絵を描いた。「こんな絵を博物館で見たことがあるわ。黒人とユダヤ人は下等だとね」 ─ エリンは、第二次大戦のホロコーストがこうした差別から生まれたことを説明する。だが、驚いたことに、生徒たちは、ホロコーストも「アンネの日記」のことも知らなかった。銃で狙われた経験はあるというのに……。教育の大切さを改めて実感したエリンは、教材として「アンネの日記」を読ませようとするが、キャンベル教科長(イメルダ・スタウントン)に予算の無駄だと拒絶されてしまう。「あの子たちに知的興味を持たせるなんて無理よ」

次の授業で203教室に配られたのは、日記帳だった。「今思うこと、未来のこと、過去のこと。何でもいいから毎日書いて。そして読んでほしいときは棚に入れて」 ─ 最初に日記を書いたのは、おとなしいブランディーだった。徐々に、生徒たちは日記帳に本音を綴るようになってくる。「16歳で葬儀屋より多くの死体を見た」「難民キャンプで父は人が変わった。母や私を傷つけるようになった」「俺のダチはストリートの兵士だ」「銃を突きつけられると体が震える」 ─ 生々しい言葉の数々。兄は服役中で、母からも見放されているマーカス。カンボジア移民のシンディ。誰もが出口のない日々を送っていた。彼らの言葉に心揺さぶられたエリンは、本を買ってあげたい、とデパートでパートを始め、さらに週末はホテルでも働き始める。

数週間後、エリンはパートで貯めたお金で生徒全員をホロコースト博物館へと連れていく。父スティーブ(スコット・グレン)も渋々ながら運転手役を務めてくれた。ホロコーストの生存者に対面した生徒たちは、生への、そして知への欲求を高めていく。「彼らのことを忘れない。すべてミスGのおかげだ」

夏休みが明け、全員がなんとか2年生に進級。目立たなかったミゲル(アントニオ・ガルシア)が、日記を朗読する。貧しいミゲル母子はアパートから追い出されていた。「家もお金もないのに、なぜ学校へ行くのか? 服もボロボロで笑われると思ったけど、クラスのみんながいると気づいた。そして、グルーウェル先生が希望を与えてくれた。ここが僕の家なんだ」 203教室がひとつになった瞬間だった。だが、エリンの熱意が高じるにつれ、キャンベル先生ら学校側との対立が深まり、スコットとも距離が生じていく。さらには、コンビニ銃撃事件で、エバが目撃者となり黒人生徒のグラントが逮捕されてしまう。だが、服役中の父親の言いつけで、エバは仲間をかばっていた。「重荷は全部私が背負うの……?」 逆風が吹く中、203教室の生徒たちとエリンは、無事卒業の日を迎えることができるのだろうか。


いかにもアメリカの教育実践の話だと思った。こういうことができたのはすばらしい。教育にはこういうことができるのだと希望を持たせてくれた。でもこれはこうやってみろといわれてもなかなかできるものではないとすぐに考えてしまうのは教員の悲しい性か。
そのなかにクラスが変わるきっかけをつくった事件があった。人種的な偏見を元に描いた似顔絵がそのきっかけになった。
そして次にラインゲーム。「この歌を知っている人はラインまで進んで」「この本を読んだことのある人」という質問から初めて、「最後は銃で狙われたことのある人」「友人が銃で殺された人」という質問までして該当する生徒はラインまで進む。みんな無言のうちにそれを進める。
その後にみんなに「日記帳」が配られた。「何でも思うこと感じることを書いて。私に読んでもらいたい人は戸棚に入れておいて。後で読むから」。この日記帳が生徒たちを変えていくのである。

日本にも「綴り方運動」や「やまびこ学園」みたいな実践があるが、これはもっとすさまじい。
書くこと、表現すること、自分の言葉で語ることって、すごい教育力を持つものだと感心した。

この話は1994年に実際に起こった事件の時に、生徒たちが書いた「Freedom Writers Diaru」が原作となってつくられた。これは教員に見てほしい映画である。

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わが、骨折、入院、手術、松葉杖、リハビリ体験記

2014年12月29日に亀甲山の坂を駆け下りようとして、ぬれたマンホールのふたに足を取られ滑って転んでしまいました。結果は足首脱臼骨折。

実は骨折事故を起こしたときに駆け込んだのは近くの病院でした。でもそこでは手術ができなかったために、そこでギブスをしてもらい、松葉杖のかんたんな講習を受けて家に帰されました。ベッドルームが2階にあるために2階に上るのが大変でした、後ろ向きに階段に座り、腕と右足を使って一段ずついざり上がっていくことで大変な思いをして階段を上がりました。

松葉杖を借りました。松葉杖を使用するにあたり、注意を受けたことが2つありました。それは体重を支えるのは両腕であり、脇で支えてはいけないということと、けっして骨折した左足に荷重を加えてはいけないということでした。
実際使ってみるとそれはよくわかります。脇で支えることなんてできるわけがありません。

近所のその病院では手術ができないというので、手術のできる病院を紹介してもらいました。ところが年末、大きな病院はすでに休みに入っていました。やっと今いる病院がみつかりました。ここは30日午前中の受信が可能だということでさっそく30日の朝弟に頼んで車で送ってもらい、受診しました。

前の日にはめられた仮のギブスをとって、レントゲン写真を見ながら整形外科医のドクターはわたしの足首をさわったあといきなり「えい!」とばかりに足首をねじります。あまりの痛さに「ぎえーっ、イテテテテ−」と悲鳴を上げてしまいましたが、それを何度か繰り返し、そのたびに悲鳴を上げながら、だいぶたって「これでよし」といってすぐに今度は前よりも堅く固定してギブスを巻き始めました。
骨折した部分がうまく接合しないうちに固定してしまうとまずいので、できるだけ折れた部分が前の状態のように接合した上で固定する必要があるわけです。
レントゲン写真をみてそのドクター「よし、うまく固定できた」と満足そうでした。

でも「手術は年明けの6日までできないので、それまで入院してもらいます」ということで正月を病院でむかえることとなりました。昨日も痛くてあまりねむれなかったけれど、この日も同じような痛さです。でも耐えられないほどではなかった。
基本的には移動は2本の松葉杖です。最初はなれずにあぶなっかしかったものも、だんだん慣れてきました。

さて運命の手術の日です。何でも金属製のプレートを折れた部分にビス留めして固定する手術なんだそうです。
下半身麻酔で行うということでしたが、意識がはっきりしているというのもなんだしというので意識がもうろうとする薬を処方してもらいました。
手術は1時半から、麻酔医と整形外科医、看護師が二人という態勢の手術でした。
麻酔は背中から脊椎へ注射するのだそうですがその前に痛み止めの注射をするのですが、「この痛み止めの注射がいちばんいたいんだな」と看護師殿がもらしていましたが、笑うに笑えず。
気がついたら3時半頃、手術は終わっていました。
でも下半身は麻酔がきいていて感覚もなく、動かすこともできません。

問題は10時頃。麻酔が切れてくるとともに痛みがこみ上げてきます。それがじんわりじんわり、じんじんじんじんとくるのです。波状的だったらまだしもずーっと同じ痛みが果てしなく続く感じです。これはつらいです。何度も寝返りを打って少しでも楽な姿勢をとおもうのですが、どこも同じです。
ついに堪え切れずにナースコール。痛み止めの
座薬をうってもらいました。

私は前に「尿路結石」で苦しんだことがあります。あのときも痛かった。あれは文字通り七転八倒です。でもあの痛みは波状的でした。あちらの方が痛かったような気もします。実際あのときは耐えられずに救急車を頼みました。しかも救急車が待ちきれず外に出てもだえながら救急車が来るのを待っていたくらいです。「患者はどこですか?」「わたしです。わたしです。う〜」
救急士だったらこれは結石だなってわかったのでしょうね。受け入れ先の病院を探しましたが、結局すぐ近くの病院に運ばれました。ものの1分とたたない搬送でした。
翌日見舞いにきた友人は「世界でいちばん短い距離を救急車に乗った人」とか「七転八倒したらつく距離」とかいわれました。

あれが七転八倒なら今回のは輾転反側、これは必ずしも痛みの表現ではなく、悩みや不安で寝られずに何度も寝返りを打つ様のことを言います。でもやはりこんな感じです。
今回は座薬がきいてきたのかなというそのとき思いつきました。そうだこの痛さを Facebook で発信してみようと。少しは痛さを忘れるかもしれないし、みんなの哀れみを乞うのも悪くないような気がしたのです。
スマホで何とか入力はできました。きました。きました。次から次へと励ましのコメントがつきました。これについては実際の Facebook の方をチェックしてみてください。結局50以上のコメントがついたような気がします。
私は一人一人のコメントに応答するのはしませんでしたが、痛みが治まってきたとかいう途中経過はメッセージとして書きました。
Facebook にはこういう使い方があるんですね。

結局ほとんどまんじりともしないうちに夜が明けました。生涯で一番長い夜だったかもしれません。Facebook のおかげですこしその長さを忘れさせてくれたような気がします。


でも朝になってだいぶ痛みが和らいできました。
朝すぐに9時頃、リハビリの担当が呼びに来てリハビリがはじまりました。

初日(7日)のリハビリは松葉杖の使い方でした。左足に荷重をかけずに両腕で体重支えるというこれまでやってきたことのおさらいでした。実はこれが一番大変だったんですね。

8日は、左足に少し荷重をかける練習をしました。それぞれの足を2台の体重計にのせて左足にどれくらい体重をかけられるのかをはかりました。この日は20kgでした。そのくらいを左足に体重をかけて歩いてご覧と言われて、やりだしました。まず松葉杖と左足を同時に前に出して少し進めます。次に右足を左足の横に持っていきます。また杖を2本そろえて、左足を20センチ前に進めます。

9日(3日目)はまず体重計に乗って左の足に荷重をかけます。今日は40キロまで力をかけても平気でした。
そうしたら、右松葉杖1本でするようにいわれました。まず左足と右松葉杖を同時に前に出します。そのあと右足を左足の横まで持っていきます。そしてまた右松葉杖と左足を同時に出します。思ったよりずっと簡単でした。
次は階段の上り下りに挑戦です。これはおっかなそうです。
「けんけんで片足上がりや片足下りをするのはまだこわいです」
と言ったら
「これもそう難しくはありません。まず上がるところからやってみましょう。
両手に杖を抱えて足と杖を揃えます。まず右足だけを一段上にあげ、その力と杖の力で左足と杖をいちだんあげて右足の横に持っていきます。こうすれば左足にそんなに荷重がかからない。また右足をいちだんうえにあげて同じことを繰り返します。
次ぎに下りです。まず杖と足を揃えて準備です。まず左足と杖を下の段に動かします。次に右足を下の段にもっていき、左足の横に並べます。次に杖と左足を一段下へ動かし、繰り返します。
ほらそんなに難しくないでしょう。上がり下りともに左足と杖を一緒に動かすのです。
最初は緩やかな傾きの階段で始め次に少し傾斜を急にしていきましょう。」
なるほど、なるほど。わりと簡単にしかもみるみるうちに上達してできるようになっていくのがうれしい。
「では病室まで右の杖だけで帰りましょう。ゆっくりでいいですからね。ドクターの了解がとれたら今日から杖1本で歩いてください。」
部屋まで着いたら
「実はもう杖なしでも歩けます。ベッドまでつえなしで歩いてみましょう。ほらできるでしょう。でもまだこれはしないでくださいね。また明日。じゃ、これで。」

自分でもこんなに回復が早いとは思っていなかった。もし一人でこれをするとなるととうていできない。たぶん、一つは失敗するのがこわいからだろう。うまくいかずに倒れ込んだりしたら、またあの痛い目に遭わねばならないからとおもうと行動は慎重にならざるを得ない。「羮に懲りて膾を吹く膾を吹く」である。
これが回復を遅らせる重要な理由の一つだ。
もう一つある。リハビリのための正しい指導法、何ができて何ができないかを知った上で次にするべきことを一つ一つできるようになるまで教えていく。これである。普通はこれがわからない。作業療法士の存在が不可欠なのである。
これはリハビリに限らないだろう。教育にしても介護にしても全く同じことがいえるのではないか。
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posted by mrgoodnews at 15:53| Comment(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする