2015年05月23日

日本の巨木はどの木が多い?

「樹木ハカセになろう」(石井誠治著 岩波ジュニア新書)を読んでいたらこんなことが載っていた。

「地上から130センチの位置で幹周が300センチ以上の樹木」が巨木とか巨樹とか呼ばれるものである。
円周が300センチということはほとんど直径1メートルである。
環境庁の1988年の調査では日本全国でこのような巨木が約5万6000本で、2000年の調査では約6万8000本あったそうだ。

ところで統計で巨樹として残っている数のおおい樹は何でしょう。



スギ、ケヤキ、イチョウ、クスノキ、スダジイがトップ5になる。これらの樹はなじみであろう。

では次のトップ10になると、

タブノキ、ムクノキ、モミ、エノキ、クロマツ

クロマツ以外ははたしてどんな木か思い描けるだろうか?
巨樹ナンバー1は、鹿児島県姶良郡蒲生町の蒲生八幡神社境内にある大クスである。
九州四国から太平洋側にクスノキの大木が多いのは、これが神社の境内に植えられたからだと予想される。

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2015年05月12日

老年は魂で世界をとらえる

遠藤周作が、1992年3月15日の朝日新聞「万華鏡 命のぬくもり」というエッセイでシュタイナーの次の言葉を引用していた。

人間は青年時代は肉体で世界を捉え。
壮年時代は心と知で世界をとらえるが、
老年になると魂で世界をつかまえようとする


遠藤周作は自分もその三番目の魂の年齢になったと述懐している。
わたしはどうなのか、まだその域には達していないような気がするが。

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生きることの意味

もし私がそれをしなければ、誰がするだろうか?
私が今、それをしないなら、いつ、それをすべきであろうか?
もし、私が自分自身だけのためにそれをするのなら、わたしとはなんであろうか?


こういう感じはミッションの意識である。
えらそうだけれど、私にはその感覚がとても強いと思うが、それに自分自身が応えられなくて、あせることしばしである。

この文章は、2010年6月21日の毎日新聞にのった編集委員河谷史夫の「閑話休題 生きているということ」から引用した。そのなかで河谷氏はこう述べている。柳澤桂子著「意識の進化とDNA」という本を紹介していて、そこに引用された文章である。
生物学はもとより、ユングや般若心経から「夜と霧」のフランクル、ナチに抵抗して処刑されたディートリッヒ・ボンヘッハーなどを随意に引用して語られる「生の意味」に遭遇し、私は性根を入れ替えることができた。

冒頭の文章は、あるユダヤ人が述べた言葉であるとして、この文章のあとに書かれていた。

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愛する人を亡くしたとき

悲しみの諸相

親の死 あなたの過去を失うこと
配偶者の死 あなたの現在を失うこと
子どもの死 あなたの未来を失うこと
友だちの死 あなたの人生の一部を失うこと

「愛する人を亡くしたとき 」(E.A.グロルマン著 春秋社)


この配偶者の死が、現在を失うことだというのに、感銘を受けた。まさにそういう感じだ。
グロルマンは、ユダヤ人宗教科で、アメリカのグリーフ・カウンセラー。
これは、2010年6月23日毎日新聞 朝居朋子「いのちに寄り添って」という記事の中で見つけました。

今年は東京医薬専門学校で「医療倫理」を週1回教えています。その関係で今までの新聞の切り抜き週を読むことが多くなってあらためて発見することが多くなりました。

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