その帯にはこう書かれていた。
30歳の日々、ローマでひとり呼びかけつづけた「あなた」への魂のことば ―
没後20年にして新たに発見された詩稿は、須賀敦子が詩人であったことをあきらかにした。祈りと慰めの韻律は、静かに、そして深く、心をゆるがす。
ぼく自身は信仰についてなにも知らないまま、信仰ある人々は常に内心で主に話しかけているのではないかと想像している。祈ることは勝手な欲望を訴えることでなく、まずもって語りかけること、答えを期待しないままに思いを伝えること、それによって結果的に自分を律することではないだろうか。(池澤夏樹「解説」より)
いい詩がたくさんあるけれど、やはりこの詩集の標題となった「主よ 一羽の鳩のために」を含「同情」という詩がいちばんいい。
同情
つめたい秋の朝の
ラッシュアワーの停車場前
がつがつとパン屑をついばみ
せはしげに まばたきして うずまく
青、灰、緑の
鳩の波に
ひとり 背に 首をうづめて
うごかぬ おまへ
セピア色の 鳩よ。
あゝ
わらっておくれ
うたっておくれ
せめて みなにまじって
わたしを安心させておくれ。
(いろがちがうからといって
なにも おそれずとよいのだ。)
主よ 一羽の鳩のために
人間 が くるしむのは
ばかげてゐるのでせうか。
ヴィクトリア・ステーションにて 1959/9/7
(もつことは)
もつことは
しばられることだと。
百千の網目をくぐりぬけ
やっと
ここまで
ひとりで あるいてきた私に。
もういちど
くりかへして
いひます。
あなたさへ
そばにゐて
くだされば。
もたぬことは
とびたつことだと。
1959/6/25
あとの詩は、わたしに須賀敦子を紹介してくれた人にすすめたい詩である。
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