その4人とは
パウロ
蓮如
ルター
フランクリン
です。さてこの4人の共通点がわかりますか?
前3人は宗教者ですが、フランクリンはちょっと異質です。
一つの共通点は「手紙」です。この4人は手紙が好きでした。たくさんの手紙が残っています。
パウロは聖書の中に多くの手紙が残っています。
蓮如は「お文」とか「御文章」とかいう布教のための手紙が残っています。
ルターも手紙好きで、なかでもエラスムスとの間には頻繁なやりとりがあったようです。またドイツ語の聖書を翻訳し、それをグーテンベルクの活版印刷機で印刷して流した。
フランクリンは「ガゼット」という新聞を作るのですね。
もうひとつは、彼らはいろいろなところに小さな自律したコミュニティを作り、それを相互に結びつけてネットワークを作ったというところにあります。
この「情報イノベーター」という本には、彼らはネットワーク型オピニオン・リーダーであると説明がありました。以下「情報イノベーター」という本からの4人の紹介です。
パウロは「グローバルなネットワークを築くことによるコミュニケーション活動を展開」した。アンティオキアを拠点として3度にわたる伝道の旅をおこない、信仰共同体である教会を次々に設立していく。その教会が拠点となって、地方同士を連携させ、ヘレニストユダヤ人という既存の組織から外側へネットワークを広げ、ローマ社会の多様性に適応していった。
蓮如は、当時農民の自治組織として発達しつつあった「惣」のうえに信仰共同体である「講」をつくり、これの横のつながりを作り出す。一般の民衆にもわかりやすくするために「和讃」や「御文」を通じて、信徒が自発的に信仰心を深めていく場を共有することを薦めた。彼は社会の変化を敏感に見極め、世論の大きなうねりを作り出す術をよく心得ていた。
結果的に彼の影響を受けた門徒たちは、一向一揆の大きな民衆のエネルギーを作り出し、戦国の世に「百姓ノ持チタル国」つまり農民たちの自治共和国を加賀に100年近く存続させるのである。もっとも蓮如はこの一向一揆を直接指導したわけではなく、一向一揆のリーダーたちに吉崎御坊を追い出される形になるのだが。
ルターは、15世紀に発明された活版印刷術を最大限に利用した。ヴィッテンベルクの教会に張り出された「95か条の論題」はラテン語で書かれていたが、3つの印刷業者がこれを直ちに翻訳印刷し、わずか1ヶ月の間に全ヨーロッパの知るところとなった。彼のドイツ語訳聖書をはじめとする著作
は、1517年から1520年の間に、30刷、30万部以上の売れ行きを示したという。彼のメッセージは、家長を説教者とする家庭礼拝の際のメッセージとして読まれ、教会の知り合いの家族から家族へと伝搬していった。
ただ、ルターは自分の影響で起こった農民戦争には批判的でむしろこれを弾圧した結果になったことは、どこやら蓮如と似ているともいえるだろうか。
フランクリンは、独立戦争時のアメリカで革命派の新聞「ペンシルバニア・ガゼット」を主宰し、世論を糾合した。更にヨーロッパ中を回り、アメリカの独立戦争への義勇軍を募集し、義捐金を集めた。彼はまたアメリカで、生命保険の代理店システムをつくり、今のフランチャイズ・システムと呼ばれるネットワークを考案する。フランチャイズ・システムという言葉はフランクリンに由来するという。これも各代理店の自発性を尊重したあたらしい組織論でもあった。
ここからは、私の考えとなります。
つまり、この4人の共通点は
1.手紙や活版印刷、新聞などのあたらしいメディアを活用したこと
2.各地方に自立した共同体を結成し、それらの相互のネットワークを作り上げた
3.民衆のニーズを把握し、これをあたらしい民衆運動へと育て上げている
というところにあると言えるでしょう。
「ネットワーク型のオピニオンリーダー」であり「情報イノベーター」といわれるゆえんです。
この本では取り上げられていないのですが、私はイエズス会の創始者のイグナチオ・ロヨラを加えたいと思います。
かれは、全世界に送り出したイエズス会士に1年に1回以上の手紙を本部に送ることを義務づけました。全世界に送り出した会員たちがローマの本部に届けた手紙は、その国のそのときの社会を表現する貴重な歴史文献となって保存されています。日本に来た宣教師ルイス=フロイスの手紙は「日本史」という歴史文献となっているのはご存じの通りです。本部のイグナチオから各地のイエズス会士への指示は少なかったのですが、それぞれ自分の判断で自立して布教活動を繰り広げていきました。