マタイ5章3節の「真福八端」の「心の貧しいもの」という表現が気にかかる。
本田神父(フランシスコ会)から聞いたところによると、新共同訳の翻訳チームはこの部分について、「心の貧しいもの」という表現とは異なった訳を提言したそうであるが、日本聖書協会は「心の貧しいもの」という訳が定着しているからという理由でこれを変えなかったということである。
この「心の貧しきもの」という表現は日本語の一般的な用法とは異なっている。日本語では「経済的には豊かでも心が貧しい」というような否定的な意味で使われるのが普通であり、ここを教えるのには苦労する。
私はここを高校生たちに教えるときや入門講座で取りあげるときには、聖書のいろいろな訳をもってきて、どれが一番わかりやすく、かつイエスの考えをもっとも適切に表現したものかをとともに考えることにしている。
そこで今手に入る聖書のいろいろな訳を集めて比較してみた。
1.「心の貧しきもの」系
聖書協会文語訳
「幸福(さいわい)なるかな、心の貧しきもの。 天国はそのひとのものなり。」
聖書協会口語訳
「こころの貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである。」
ラゲ訳文語聖書
「幸いなるかな心の貧しき人、天国は彼らのものなればなり。」
バルバロ訳聖書
「心の貧しい人はしあわせである。天の国は彼らのものである。」
(註 物質的にも貧しく、精神的にも金銭の富を求めない人。)
聖書刊行会新改訳
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」
要するに旧い訳はみんな「心の貧しいもの」なのですね。
2.「自分の貧しさを知る」系
フランシスコ会訳
「自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人のものだからである。」
(註 「自分の貧しさを知る人」は一般には「心の貧しい人」と訳されているが、直訳では「霊において貧しい人」。人を幸福にするものは、自分の力で手に入れられるこの世の富ではなく、祈りによって神から与えられる恵みだけである。)
リビングバイブル
「自分の貧しさを知る謙遜な人は幸福です。天国はそういう人に与えられるからです。」
3.その他
共同訳
「ただ神により頼む人々は、幸いだ。天の国はその人たちのものだから。」
小さくされた人々のための福音(本田哲郎訳)
「心底貧しい人たちは、神からの力がある。天の国はその人たちのものである。」
岩波聖書
「幸いだ、乞食の心を持つ者たち、天の王国は、その彼らのものである。」
(註 直訳すれば「霊において乞食である者たち」自分に誇り頼るものが一切ない者の意。)
4.英語の訳
聖書協会対訳英語
「Happy are those who know they are spiritually poor; the Kingdom of heaven belongs to them!」
Jerusalem Bible
「How happy are the poor in spirit; theirs is the kingdom of heaven.」
Good News Bible
「Blessed are they who knows their spiritual poverty, for theirs is the kingdom of heaven.」
The Living Bible
「Humble men are very fortunate! For the Kingdom of Heaven is given to them.」
要するに英語の訳もいろいろとわかれているということである。
さ〜て、皆さんはどの訳がもっとも適当であると思われるだろうか?
ギリシャ語の原典では「霊において貧しい人」というような訳であるらしい。その限りにおいては「心の貧しい人」という訳も間違えとは言えないだろう。しかし、今使われているん日本語の意味からはこの訳が適当であるとはどうしても思えないのである。
イエスは何をここで表現したかったのか? あるいはマタイは何をいいたかったのか?
この記事を最新ブログリストで見つけた時から気になっておりました。
聖書の言葉の解釈などに興味を持っていたからです。
ただ、私はクリスチャンではないので、コメントをさせて頂くことには躊躇していました。
特定の宗教は信仰していない立場なので、自分の礼儀作法などに自信がなかったからです。
しかし、どうしてもこの記事の言葉の解釈が気になりまして。
どの訳が適当であるかどうかは、私には判断が付かないので、
そのような訳で思い浮かべる心の状態のことを意味するなら
一番素敵な言葉に聞こえると、私が感じた訳が下の二つです。
「精神的にも金銭の富を求めない人」(バルバロ訳聖書の註)
「自分の貧しさを知る謙遜な人」(リビングバイブル)
mrgoodnews 様の、この表現に対する更なるお考えをお伺いできましたら幸いに思います。
山浦先生は、この個所を次のように出されています。
「頼りなぐ、望みなぐ、心細い人ァ幸せだ。
神様の 懐 に抱がさんのァその人達だ。」
心の貧しい人のギリシャ語原文にもう一度さかのぼると、他の訳も可能で、「息のよわよわしい人」という訳が可能なのだそうです。
日本語で「鼻息の荒い人」という言葉ありますね。権力やお金、なんだかの影響力・支配力を持っている人をさします。
その反対に、なんの力もなく、支配されている人が「息のよわよわしい人」と表現されてもなんの不思議はありません。
イエス時代の社会は、現代の日本の社会では想像出来ないぐらい、貧富の差が激しかったことを考えると、貧困にあえぎ、虐げられている人々に向かって、イエスが大胆な宣言をしているのがわかります。
イエスの言葉がリアルなものとして迫ってきます。
山浦先生の訳も、「息のよわよわしい人」という訳からの解釈も、
素敵だなと思いました。
また、イエス様の生きていた時代については良く知らなかったので、
「大胆な宣言をしている」とのお言葉を見て、
イエス様は、それまで私がイメージしていたよりも、もっと力強い方だったのだなと感じました。
私の調べたものが参考になると幸いです。