2006年01月10日

「呼び水」の逆説

子どものとき、私の家はまだ井戸でした。
水道がひかれたのは小学3年くらいだったか。
ちょっと鉄の味がした井戸水の味がなつかしく思い出されます。
井戸の前にはコップ一杯の水がいつも置いてありました。
そうです。「呼び水」(「誘い水」ともいう)なのですね。井戸を使うときに最後に必ずコップ一杯の水をとっておかなければならなかったのです。

こどもごころにこれはとても不思議でした。水をだすのに、水を井戸の上から注がなければならない「逆説」を感じていたのです。
多くの水をアウトプットするためにわずかの水をインプットしていたわけです。

こういう「逆説的な現象」というのは結構ありますね。
たとえば、マジックインキでプラスチックやガラスに書いたものを消すときに、消そうとするところをもう一度黒く塗りつぶします。
そしてまだ乾かない内にふき取ると前に書いたことを消すことができるのです。
一度書いたインクをもう一度塗ることによって溶かして、それを拭き取るときれいになるわけです。
これも、消すために書くという逆説的なことです。

「毒をもって毒を制す」というのも同じ原理でしょうか。
前に書いた「自分の重荷を軽くする方法は他人の重荷を背負ってあげることだ」というのも同じかもしれません。

こういう「呼び水効果」みたいなものがまだあったら、教えてください。
この記事へのコメント
はじめまして。
路上ミュージシャンの賽銭箱? などが似ているかもしれません。
ミュージシャンが演奏しているとき、賽銭箱? に小銭が
まったく入っていないと、お客さんはあまり入れようとしませんが、
あらかじめいくらかのお金を入れておくと、どういうわけか入れてくれる人が増えるらしいです。
街頭販売の「サクラ」が人間心理を動かす、というのは、
ちょっと呼び水に似ているかもしれません。
Posted by yomi_nuxx at 2009年07月19日 01:37
yomi nuxx さんへ
コメントをありがとうございます。
なるほど、「路上ミュージッシャンのお賽銭箱」や「街頭販売のサクラ」も確かに「呼び水効果」ですね。
「賽銭箱」にはいかほどか入っていた方が後の人が入れやすいでしょう。
Posted by mrgoodnews at 2009年07月22日 01:27
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