父の遺品の中からこんなものも出てきた。
題して「マッカーサー元帥への嘆願状」である。祖父土屋修が和紙に筆で書いたものである。祖父については3冊の著作があることも前に書いた。その祖父である。祖父の人柄と個性がよく表れていて、とても興味深い。
健全なる自作農助成のために農地法の真趣旨の宣示につきての陳情請願の件
本 籍 静岡県賀茂郡稲梓村椎原××番地
現住所 神奈川県横浜市鶴見区生麦町××番地
請願人 土屋修 明治17年8月6日生日本進駐軍聯合軍司令長官
マッカーサー元帥閣下
日本国民にデモクラシー思想を涵養せんとして終始懇切に周到に指導監督の労を厭はれることなき閣下に対し、現今、田舎の農地委員らが此の転換期に乗じて、彼の無産階級が有産者層に挑まんとする共産主義的思想を以て横暴を逞しうせんとする実情を陳情し、以て是が是正の途を講ぜられんことを請願する次第である。
請願人は本籍地に父土屋萬平より譲渡せられたる一町三反歩の田畝を所有し、右萬平(85歳)、妻こう(63歳)及び親戚より預かれる孤児石川智恵子(19歳)の三人の手に叶ふ二段七畝歩を自作し、其の他を小作せしめたり。
昨年九月帰宅せし三男誼(31歳)に本年一月迎えたる其の嫁ユキ子(23歳)との若き働き手を得たるとそれに伴ふ飯米の需要から、二反五畝内外の小作地回収を得、合計五段歩ほどの自作農家として健全家政を建てたいと希望してゐる。
然るに該村稲梓村の農地委員らは
戸主土屋修がたまたま稲梓村に在住せざるを以て農地法の「不在地主」なりとし、此の回収希望が不正なるものと認める。
といふ裁量の下に今や強制買い上げの断定を下さんとしてゐる。惟ふに農地法が(イ)自作農の助成を小作人より作るものとのみ局限した見解に堕して、(ロ)小地主殊に事情のため休耕態度にあった地主が事故止めて自作農に復帰せんとする者の正当なる権利を阻碍するものといふべく、而も(ハ)地主といふ字句の使用せられてあることを××(判読不能)として無産階級に阿附迎合し、以て共産主義乃至は××思想の培養に便ぜんとするものならずや、とも推量される。
輩らはデモクラシーの本義は、此の種小地主が現有地までも減少せしめて、明年度より自家用米までも不足せしむるが如き無慈悲なる強制買い上げをなす(ニ)事故のため一部休耕態度にあった小地主が、今や其の事故消滅によって自作農に復帰せんとする正当なる権利までも阻碍せんとし、しかも(ホ)「地主」といふ字句の末に拘泥して、家族の在住且つ小規模ながら継続農業を営みつつある実情を無視して「不在地主」といふ法令文句を盾取って、一部の小作人に利益を与へ以て共産主義乃至は××思想に類する反動思想の培養に便ぜんとするものに非ざるなきかとも憂慮せられる次第に御座候。
茲に全智全能なる神の摂理を代行し給ふ地位と権勢と掌握したまへる貴官は必ずや此の不条理が貴館の監督の下に強行実現せらるるを黙視し給ふものにあらぬことを信じるが故、政務ご多端のところを恐縮ながらもなほ何分の御返信を戴き得るものと信じてその御親情に甘へ申度××仕り候や
八月二日 土屋 修
この書状に対してGHQのHUBERT G. SCHENCK という Natural Resources Section の Chief からの8月27日付の返書が添付されていた。それによると、この訴えは日本政府の農林省に出しなさいとされている。
この書状が手元にあったということはこれが農林省には提出されなかったということであろう。別に農林省あてに書き直したかはあきらかではないが、結果的にはこの訴えは認められなかったということである。
祖父は其の翌年1948年5月に亡くなっている。
実は、番組制作で、このような嘆願状の撮影をしたいと考えています。
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ご検討の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。