何年か前のカトリック新聞のクリスマス号で紹介されていた写真つきの記事です。
富士山弘願寺は「知的障害者や弱きものを第2本尊として弱きもののためにささげる生き方を実践。カトリックの祈りや歌も取り入れている。
この説明を読まれたでしょうか?
こんな寺があるんだとびっくりして、富士宮に行って探してきたのですが、残念ながら見つかりませんでした。
そこでインターネットで「富士山弘願寺」でgoogleして探しましたら、出てきました。
その説明にこう書いてあります。読んでまたびっくり!
弘願寺はいわゆる既成教団に属する仏教寺院ではなく、キリスト教会でもない。おそらく世界に一つしかないユニークなものだ。第一本尊はお釈迦さま、イエス・キリスト、老子の3人、第二本尊は清僧さんとなっている。清僧さんとは、心の清らかな僧侶の意味で、実際は知的障害者の人たちだ。祭壇には三体の仏像があり、十字架が柱の梁にかかり、老子も祀られている。本堂などの敷地を取り巻く垣根には、韓国の国花である真っ白なムクゲ(無窮花)が満開だ。
「お釈迦さまだけでも、イエスさまだけでもちょっと寂しい。老子も大好きである。こんな宗教のデパートみたいののは聞いたこともないと言われたが、私の直感できめた」
またここに住むお坊さんたちには知的障害者がいて、このお坊さんたちが「ギャーテーズ」というバンドを組んでいて、なんとCDまで出しているというからまたまた驚きの連続です。
ほんとにこんな福音的な寺があるんですね。
どなたでも富士宮にいったらぜひ探訪してレポートしてください。
でもちょっとコワいですけど。
「清僧さんとは、心の清らかな僧侶の意味で、実際は知的障害者の人たちだ」
これはすばらしいことだと思います。
知的障害の子供は「生きている価値があるか」とある人にきかれた時、知的障害の人にしか持っていない宝物があるんじゃないか、みたいなことを答えたことがあるのを思い出しました。
その一方で「障害者=心が清らか」というような考えを私たちがしがちなのは偏りがあるように感じます。
障害者にも悪人がいていい。汚いことも考えるし意地悪もする、そういうことが「普通だ」とおもえる世の中の方が私は好きです。
ところでgoodnews氏の職場の在学中に骨髄移植を受けて、今、元気に頑張っている後輩がいます。ご存知ですか。