2006年09月12日

書道を習っていた日々と自分の字をフォントにする夢

 私が横須賀市追浜にいた頃、つまり小学4年生から中学1年生の時代に、毎週日曜日になると書道を習いに行っていました。追浜の南町から追浜東町まで、40分くらいかけて通っていました。
 先生は確か、浜岡見山という書家だったように記憶しています。妹も一緒に通っていました。妹のほうが筋がよかったらしく、先に上達してしまったので、あまりやる気にならずにだんだんさぼりがちになりました。
 本当の目的は実は、順番を待っている間にマンガを読むことでした。席が空いて順番が来て名前を呼ばれても、マンガに夢中だった私は返事をしなかったので、いつも最後になっていました。
 最後になって待っている人がいなくなると、しぶしぶ席について、書道の練習をするのですが、それでも硯に水を入れて、墨をすり出すと、すみの香りが漂ってだんだんと墨が濃くなっていくのは好きでした。
 お手本を見ながら、何枚も課題となっていた字を半紙に書き続け、いい作品ができたと思ったら、先生の所へ見せに行くと、先生は朱を入れて直してくださいました。それを見ながら、再び字を書き直します。それで満足がいくものができると、提出しておしまいでした。
 一月くらいすると、その結果が発表され、いい作品が描けると段位が上がるというような仕組みだったようです。初級から初段までは何とかいったのですが、それから先はなかなか上達せずについにそのくらいでやめてしまったように思います。家が追浜から鶴見に引っ越してしまったこともやめた理由だったのですが、もしもあれを続けていたら、私はどこまでうまくなっていたか? あるいはまったく進歩が止まってしまっていたのかもしれません。

 母は字がうまくてなかなかいい字を書きます。女学校時代に習字をみっちり仕込まれたそうです。その時の先生は尾上紫舟先生だったということです。この先生の名前は歌人としてもけっこう知られていた方です。
 女学校時代のクラスメートから母宛にくる年賀状を見てみると、みな字が似ているのです。同じ習字の先生から習っていたからだそうです。

 書道はあの時にやめてしまったけれど、字を書くことは今でも嫌いではありません。決してうまい字とは言えないけれど、読みやすい字を書くとよくいわれます。けっこう自分の字が好きなのです。
 写真植字をやっていた頃もありましたので、あのころから自分の字をフォントにして写植文字にしたいという夢を持っていました。写植ではその夢はかないませんでしたが、ワープロを使うようになって、それができそうになりました。パソコンのフォントを自分の文字でできるソフトがあったら、ぜひ自分の文字をパソコンのフォントにしようと思っています。JISの第一水準と第2水準の文字合計8000字余りを手書きで書いて、スキャナーで読み込み、フォントにできたらいいなと思い続けています。
 そういうソフトがありましたら、ぜひご紹介ください。
 
posted by mrgoodnews at 22:14| Comment(1) | TrackBack(0) | 私の体験から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も同じ先生に習っていました。近所の子供はみな同じ先生に習っていました。
大学生の時(平成2年だったと思います)に先生が亡くなられて、
先生の三男にあたる先生に今も習っています。
Posted by けんずい at 2008年07月14日 00:29
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック