2006年10月28日

選挙参謀と遊説隊長をしたことがあります

 私は選挙の応援をしたことがある。時は1975年、統一地方選挙の東京都品川区の区議会議員選挙。まだ美濃部革新都政の時代であった。
 わたしはそのころ、「池上線」という西島三重子の歌がヒットしていた頃、池上線沿線にアパート暮らしをしていた。製本工をしていた頃で私はまだ20代であった。若かった。
 候補者は近藤栄子さんというおばさん。彼女は立会川という川を暗渠化した時にその上を道路ではなく、公園にしようという住民運動をしていた。
 彼女と知り合ったのは、品川区の区民大学。品川区の社会教育課が企画していた住民主役の企画で、私はここに出入りしている時にこの候補者と知り合った。なかなかバイタリティのあるユニークなおばさんであった彼女と知り合って、その人柄に惹かれた。
 彼女が区議会選挙に出るというので「手伝ってもいいよ」と返事したことから、この選挙運動は始まった。彼女は社会党から立候補。といっても社会党からの応援はほとんどなかった。彼女の応援に集まったのは若者ばかり。もちろん選挙運動などしたことがない素人ばかり。結局自分たちで選挙運動をやるしかないということで、若者中心の選対による「しっちゃかめっちゃか」選挙が始まった。
 私は選挙運動の副参謀。遊説隊長ということになった。選挙運動期間は2週間。私はそのうち10日間会社を休んでおもに遊説をする役割を担った。
 そのときの選挙スローガンは「今、品川、私たちこそ!」というものであった。私たち市民が主役。社会党公認ではあったが、社会党にはたよらずじぶんたちの選挙をしようということになった。
 朝のビラ配りに始まり、朝の駅頭での挨拶、電話での勧誘、そして選挙カーでの遊説。私たちは「辻説法」と呼んでいた。私は大学時代に「弁論部」というところに所属していて「学生弁論にこの人あり」といわれていた(?)遊説能力が買われたことになる。「辻説法」は200ヵ書にも及んだ。
 候補者も演説がなかなかうまかったが、途中で声をつぶしてしまい、はりをうちながらの演説であった。

 区議会議員選挙は品川区全体が選挙区で、選挙カーは品川区全域を駆けめぐったが、結局票がでたのは地元しかなかった。結果は1280票で落選。1800票の当選ラインには手が届かなかった。
 別の社会党候補からは、組織も地盤もないのによくこれだけ票を集めたとほめられ、他の「革新」政党の候補からは地域へのビラ配布の行動力に怖れられたりした。この政党は投票日前日に私たち陣営を批判するビラを一斉に配っていた。

 わたしは、このあと品川区から転居してしまい、候補者の近藤栄子さんとは縁遠くなってしまったが、彼女は次の区議選で今度は無所属で再度立候補したらしい。このときは1000票にも届かなかったということである。
 その後彼女は、政治への夢はあきらめ、「ネパール教育基金」をつくり、教育ボランティアの活動を始めた。ネパールに味噌造りを普及するということに熱心になって、今でも精力的に活動を続けている。著書に『本もの手づくり12ヶ月』『作って食べようシリーズ・味噌の本』という味噌造りの本がある。
 彼女とはその後会ってはいないが、手紙はよく来る。相変わらず精力的なおばさんである。ウェブを彼女の名前で検索したら、こんな紹介がでていた。

 私にとっては忘れられない体験である。
posted by mrgoodnews at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の体験から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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