加藤登紀子の「百万本のバラ」にはモデルになった画家がいたという。ニコ・ピロズマニ(1862〜1918)がそれである。
かれはグルジアの貧しい画家で、グルジアの農村風景やそこに住む人たちの姿を好んで描いた。一日の酒と食料のために居酒屋やレストランの壁に描いた絵は今でも残っているという。
ある日その地を訪ねた有名な画家の目にとまり、モスクワに行くことを薦められるが、中央の画壇はこの田舎作家の作品に冷たく、プリミティブな彼の画風について新聞で幼稚な作品と酷評され、失意のうちにグルジアに帰ってくる。生前はほとんど認められることなく、貧困と放浪のうちにその画家としての生涯を終える。
また、ある時はその地を訪れたフランス人の女優に一目惚れし、その愛を示すために彼女の泊まっているホテルの前の広場を赤いバラの花で埋め尽くしたという。
この話しはアンドレイ・ヴォズネセンスキーの詩によって有名になり、歌となってヒットした。加藤登紀子の「百万本のバラ」に歌われる貧しい絵描きは、彼をモデルとしたものと言われる。
また晩年ピカソに認められ、ピカソはこの貧しい画家をモデルにした絵を残している。
さらにこの画家の名前を冠した赤ワインも売られている。