2006年12月06日

江川太郎左右衛門と韮山と防災用非常食

 先日学校で「防災用非常食」の放出があった。
 学校では防災用として非常食用のライスや乾パンを生徒数分備蓄しているが、これを定期的に入れ替えることになっている。
 今回放出されたのは、「防災用非常食スティックパン」であった。製造年月日が2000年12月で、賞味期限が7年とある。

 そのパッケージに書かれていたことから、意外な歴史を発見した。
この「スティックパン」が製造されたのは、静岡県の韮山町、現在は伊豆の国市とある。
 韮山といえば江川太郎左右衛門が反射炉を作って、製鉄技術と大砲製造を日本で始めて行ったところとして有名である。
 太郎左右衛門は全国から、3000人ほどの若者を集めて「韮山塾」をひらき、西洋の製鉄技術や砲術を教えた。そのときにかれは兵糧食としてパンを製造した。1842年のことで日本人で始めたパンを焼いた「パン祖」であるという。
 それは現在の「乾パン」みたいなもので、「韮山町まちづくり会議」はこの「乾パン」製造を町おこしのプロジェクトとして復元して製造したのが、この防災用非常食「スティックパン」というわけである。当時と同じ製法でこのパンを作ったという。

 韮山町といえば、俳優の藤田弓子さんが住んでいて、町を挙げての「町民オペラ」を企画した「韮山時代劇場」の話しは、いつかNHKFMの「日曜喫茶室」で藤田弓子さんが語っていたのを聞いたことがある。
 なかなか面白い町である。
 

posted by mrgoodnews at 21:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育・学校・授業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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