私の座っている左側では「スタディアム」が話題となっていた頃、右側では「父たちの星条旗」と「戦場からの手紙」が話題となっていました。
ベテランの社会科教員氏がこんな話しをしてくれました。
「擂鉢山の頂上に星条旗が掲げられた写真は有名ですが、あれは次の朝には実に日章旗に変えられていました。」
「生きていた日本兵の仕業ですか?」
「そうらしいですね。アメリカ軍はあわててその日章旗を再び星条旗にするのですが、翌朝またも日章旗に変えられていた。今度はその旗の日の丸は血染めであったというのです。もう日本兵は日の丸の旗を持っていなかったのでしょう。」
「擂鉢山は2度日本兵に奪還されたというのですね。」
「それはすごい話しだ」
さっそくまたまた家で「硫黄島 星条旗 日章旗」で google しました。出てきました。それによるとこの話しは週刊文春に紹介された話しとかです。
組織的抵抗が乏しくなってきたある日、北部方面の栗林壕(司令部跡)に火炎放射器を持ったアメリカ兵が壕内に侵入してきて、兵団長栗林忠道と思われる将校を見つけたそうです。その将校は、くぼみの出来た穴にある狭い机に向かい何かを書いていました(敵に気づいていない)。そのアメリカ兵は攻撃をしようと思いましたが、栗林と思われる将校のなんともいえない威圧感に体が硬直し、攻撃できませんでした。そして将校に別の兵が毛布をかぶせに来ました。アメリカ兵はその状況を見て静かに壕をあとにしたそうです。
この話は「散るぞ悲しき」とう小説に出てきます。「十七歳の硫黄島」克明に記されているので、よかったら見てください。