「神様の食卓」(デイヴィッド・グレゴリー著 西田美緒子訳 ランダムハウス講談社刊)を読んでとても不思議な感じにとらわれた。こういう小説もあるんだ!
平凡なサラリーマンのニックのもとに、夕食会の招待状が届く。
場所は町一番のイタリアン・レストランで、差出人は「ナザレのイエス」を名乗っている。半信半疑のまま招待に応じてみると、現れたのは30代のスーツ姿の男だった。男は優しく深い語り口でニックを魅了し、疲れた心を癒やしていく。
男は本物のイエスなのか? 読み手の心まですっとほどいていく不思議なファンタジイ。『ミステリー・ディナー』を改題、文庫化。
文庫本のカバーにはこのような紹介がのっていた。
主人公ニックは、イエスと名のる男に、常日頃疑問に思っていたことを次から次に質問していく。男はそれに丁寧に応える。
たとえばこんな質問である。
「なぜ神は人の前に姿を見せないんです?」
「十字軍はどうです? セーレムの魔女裁判は? スペインの異端審問は? プロテスタントとカソリックの間の百年戦争に、北アイルランドの紛争は? キリスト教の人たちはいつだって激しく争っている」
「キリスト教にはなぜそんなにいろいろなものがまじりあっているんです?」
わたしもニックと同じ立場に立つならば、似たような質問をしたであろう。「まさに等身大のニックの反応がこの本の魅力になっている」のである。それらに対するイエスの答えは、なるほどと思ったり、これじゃ納得できないなと思えるものもある。ただイエスの答えは、ニックの心の中の悩みや小さいときの思い出に触れながら応えていく。ニックは話していくうちに、この男の不思議さに気づいていくのであり、さらに話していくうちに解放された気持ちになっていく。
そして別れるときに「またあなたと食事を共にしたい」と願うようになるのである。そのときにイエスはニックの名刺の裏に連絡方法を書く。その連絡方法として「黙示録3/20」とだけ書いてあった。
ニックは、家に帰り、大学を卒業してから一度も開くことのなかった、聖書を探し出してさっそくその箇所を読んでみた。
見よ、わたしは戸の外に立って、扉を叩いている。
誰でもわたしの声を聞いて戸を開けるなら
わたしはその中に入って彼と食を共にし、
彼もまたわたしと食を共にするであろう。
この本の著者デイヴィッド・グレゴリーは、北テキサス大学でMBAを取得し、テキサス・インスツルメンツ(TI)ほか数社で10年間、ビジネスマンとして活躍。北テキサス大に戻り、コミュニケーションと社会学の修士号を取り、執筆活動を始める。ダラスの神学校で修士号を
得て、小説を書きはじめ、本書が初めての著作。米国では2作目の 「A Day witha Perfect Stranger 」が出版された。
この2作目は、日本ではまだ翻訳されていない。翻訳が出版する前に、amazon で英語版を手に入れてもいいかな?という気にさせる内容の本であった。
英語版お読みになりましたか?