話しは1969年、安田講堂陥落後の3月の話しである。
高校時代の親友であったS君は私より1年あとに私と同じ学部に進学してきた。ところが彼は学部自治会の副委員長となり、私の立場とは激しく対立する党派に属していたのである。いわばかつての親友も敵味方同士になってしまい、学生大会では激しく応酬する関係となってしまった。政治的な対立が、二人の友情を引き裂いてしまったのである。
このことは悲しいことであった。そこで、私は当時本郷聖書センターにいたイエズス会のR神父に「彼と和解したい」と相談した。R神父は「それなら、彼をここに呼んできなさい。3人で『和解のミサ』をあげよう」といってくれた。
さっそく彼に連絡をしたところ、彼も喜んでそれに応じてくれた。もっとも彼は「こんなことで友情にひびが入るわけがない」と言っていたことに感動した。敵対していたというのは私の思いこみに過ぎなかったらしい。
聖書センターの和室で3人だけのミサが立てられた。そのミサがどんなミサでR神父がどのような説教をしたかは憶えていない。
しかし、その後は彼と再び親友の関係を取り戻すことができてとても嬉しかった。
その彼は私と同じ時に大学を卒業し、しばらく県庁で福祉関係の仕事をしていたが、やがて彼は東京のカトリックの高校の教員となった。私も彼のあとを追うように神奈川のカトリック学校の教員となったのである。
「イトスギ」の話しでは「告白(ゆるしの秘跡)」であったが、私たちの場合にはミサであった。いずれも秘跡(サクラメント)」の秘跡たるゆえんに関係していると思われる話しである。