その頃の四旬節を表す「40日間の期間」は、ラテン語で「クワドラジェシマ・テンポラ」(Quadragesima tempora)と呼ばれていたようです。この特別な期間、つまり「テンポラ」には肉を食べないで、その代わりに油で揚げた野菜と少々の魚を食べる習慣がキリスト者の間に定着したのです。当時、日本では油で揚げる料理は少なかったそうで、キリスト者は南蛮の料理をおいしくいただいていたのではないでしょうか。本来、節制のためのテンポラであったのに。こうして四旬節の期間を示すテンプラが今は和食として定着し、健康な食事として世界の人々から受け入れられているということは実に不思議な感じがします。
2007年07月21日
テンプラの語源
和食の中でテンプラといえば、好物だという方も多いかもしれませんが、一説によれば、その起源は四旬節と深い関係があるといわれています。江戸時代になってからテンプラは江戸で花開いた料理です。しかし、その起源を辿ってみると意外にも長崎の南蛮料理に端を発しています。フランシスコ・ザビエルによって日本にキリスト教が伝えられた後、関が原の戦いまでの50年の間にキリスト教は広く日本に広まり、多くの日本人がキリスト信者になり、キリスト教の典礼も定着していました。
その頃の四旬節を表す「40日間の期間」は、ラテン語で「クワドラジェシマ・テンポラ」(Quadragesima tempora)と呼ばれていたようです。この特別な期間、つまり「テンポラ」には肉を食べないで、その代わりに油で揚げた野菜と少々の魚を食べる習慣がキリスト者の間に定着したのです。当時、日本では油で揚げる料理は少なかったそうで、キリスト者は南蛮の料理をおいしくいただいていたのではないでしょうか。本来、節制のためのテンポラであったのに。こうして四旬節の期間を示すテンプラが今は和食として定着し、健康な食事として世界の人々から受け入れられているということは実に不思議な感じがします。
その頃の四旬節を表す「40日間の期間」は、ラテン語で「クワドラジェシマ・テンポラ」(Quadragesima tempora)と呼ばれていたようです。この特別な期間、つまり「テンポラ」には肉を食べないで、その代わりに油で揚げた野菜と少々の魚を食べる習慣がキリスト者の間に定着したのです。当時、日本では油で揚げる料理は少なかったそうで、キリスト者は南蛮の料理をおいしくいただいていたのではないでしょうか。本来、節制のためのテンポラであったのに。こうして四旬節の期間を示すテンプラが今は和食として定着し、健康な食事として世界の人々から受け入れられているということは実に不思議な感じがします。
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