この「今を生きる(カルペ・ディエム Carpe Diem)」ということばが気になったので、最近原作本(クラインバウム著 白石朗訳 新潮文庫)を読みました。原作よりも映画のほうが良かったかなという印象でした。
この言葉は、ロビン・ウィリアムス演ずる国語の新任教師のキーティング先生が、最初の授業で紹介する詩の中にあった言葉でした。
その詩はロバート・ヘリック(1591〜1674)というイギリスの抒情詩人が作ったものでした。
薔薇の蕾をつむのならいま
時の流れはいと速ければ
きょう咲きほこるこの薔薇も
あすは枯れるものなれば
そしてこの詩に歌われた感情を「カルペ・ディエム」と説明します。
そこで、この言葉で今度は調べてみました。
そうしたら、ローマ時代の詩人ホラティウスが出てきました。
神々がどんな死を僕や君にお与えになるのか、レウコノエ、そんなことを尋ねてはいけない。
それを知ることは、神の道に背くことだから。
君はまた、バビュロンの数占いにも手を出してはいけない。
死がどのようなものであれ、それを進んで受け入れる方がどんなにかいいだろう。
仮にユピテル様が、これから僕らに何度も冬を迎えさせてくれるにせよ、
或いは逆に、立ちはだかる岩によってテュッレニア海を疲弊させている今年の冬が最後の冬になるにせよ。
だから君には賢明であってほしい。酒を漉(こ)し、短い人生の中で遠大な希望を抱くことは慎もう。
なぜなら、僕らがこんなおしゃべりをしている間にも、意地悪な「時」は足早に逃げていってしまうのだから。
今日一日の花を摘みとることだ。明日が来るなんて、ちっともあてにはできないのだから。
(carpe diem, quam minimum credula postero. )
Carpe とは「摘む」という意味の言葉(Carpo)の命令形なので。正確に訳すと「一日を摘め」ということになる。
ところが、この言葉はさらにさかのぼる。ヘレニズム哲学のエピキュロスが「今を生きよ」と述べているのである。
エピキュロスは「エピキュロスの園」という「庭園付きの学校」をつくり、そこでは世俗と離れて「隠れて生きよ!」というのがモットーであった。彼の哲学は「快楽主義哲学」などと呼ばれているが、「快楽」の意味が今のそれとはまったく異なっているのである。
かれはまた自然哲学者であるデモクリトスの影響を受けている唯物論者でもあった。エピキュロスは魂の不滅を信じないし、また死後の世界などないとする。だから「今を生きよ!」なのである。
さてこの言葉はギリシャ語ではなんといっているのか、また調べてみることにしよう。