田中美知太郎先生はプラトンの「ポリテイア」を「国家」と訳された。ギリシャ語の「ポリテイア」とはポリス(都市国家・市民国家)のあり方、組織・制度の意味である、と言われているから「国家」とは正しい訳なのである。
この「ポリテイア」を、古代のローマ人は「レス・プブリカ」と訳していた。イタリア語のレパブリカ、英語のリパブリックの語源となるこのラテン語は、共同体とか公共を意味し、ひいては君主政体以外の政体をとる国家を意味したから、「レス・プブリカ」も正しい訳語なのである。
著者は「レス・プブリカ」の訳として日本では「共和」とか「共和国」とか訳されることに違和感をもっている。
「レス・プブリカ」とは、公共の利益を重視することである。この目的を達成するための手段を大別すると「民意優先派」と「公益優先派」に分かれる。
民意優先派は、市民が共同体の主柱であることに特質を持つ。ギリシャのアテネなどのポリスで市民全員の投票で決める直接民主制がその例であろう。
公益優先派は、公益こそ何にもまして優先されるべきで、民意の反映は必ずしも公益の向上をもたらすとは限らない。ローマの「貴族制」は「衆にすぐれた人、つまりエリート」を選んでエリートたちが公益優先の政治を行うという制度であった。
前者は「性善説」にたち、後者は「性悪説」に立つという人もいる。
アメリカの2大政党制の「民主党」と「共和党」もまさにこのような違いを際だたせているといえよう。日本の場合もそうなりつつあると言っていいのかどうか?
「保守と革新」という対立の軸が消えて「民主派」と「共和派」が時代の求めに応じて、政権を交代するという図式になっていくのであろうか?