古事記では櫛名田比売ですが、日本書紀では奇稲田姫と書かれています。
この稲田姫誕生の地が、実は妻の実家の奥出雲町(旧町名横田町)稲田だと伝わっています。ここには稲田姫をまつってある稲田姫神社があります。
稲田姫の両親はアシナヅチ・テナヅチといい、8人の娘がいました。ところが娘たちはつぎつぎにヤマタノオロチに食われてしまい、一番下の稲田姫だけがスサノオに救われました。
その稲田姫の母親のテナヅチがこの地を訪れたときに、急に産気づいて稲田姫を生んだのです。
近くには生まれた稚児を産湯に使わせた「産湯の池(稚児が池)」があり、またあかんぼうの「へその緒」切るために近くにあった竹をつかったといわれ、その竹藪には「笹の宮」という名が付けられています。