ちなみに「青山」とは「木の青々と茂った山(で自分の墓を作るところ」(新明解)「樹木の青々と茂ったところ」と「骨を埋めるところ。墳墓の地」(広辞苑)とありました。広辞苑には蘇軾詩の「是処青山可埋骨」を出典として紹介しています。
「人間」は「にんげん」ではなく「人間の住む世界」を意味しているので「じんかん」と読むのだそうです。人間はどこで死んでも、骨を埋める場所ぐらいはあるということ。大望を達するため、郷里を出て大いに活動すべきであるということがこの言葉の意味でしょう。
人間の世界にはどこに行ってもその場が骨を埋める価値のある青山があるものだと私は解釈します。
この言葉の出典は、漢籍にあるのではなく日本人のつくった漢詩にあります。作者は幕末の尊王攘夷派の僧月性です。1817〜58。字は知円。号清狂。周防の妙円寺の住職。仏道、詩文を学び、京都、江戸に出て吉田松陰、梅田雲浜ら多くの志士とまじわる。海防を論じ、尊王攘夷論を主張。
「男児立志出郷関」の詩のなかにこの一句があります。
將東遊題壁
釋月性
男兒立志出郷關,
學若無成不復還。
埋骨何期墳墓地,
人間到處有�山。
将(まさ)に東遊せんとして 壁に題す
男児 志を立てて 郷関を出(い)づ
学 若(も)し成る無くんば 復(ま)た還(かへ)らず
骨を埋むる 何ぞ期せん 墳墓の地
人間(じんかん) 到る処 青山(せいざん)有り。
「月性」という名を聞いて思い当たる人もいるかもしれません。しかし、西郷隆盛と入水し、隆盛は助かるのですが、死んでしまったひと「月照」は別人です。月照も月性もともに幕末の尊王攘夷派の僧で、西郷隆盛は友人でありました。
ちなみに僧「月照」は、幕末の勤王僧忍向の字。1854年大老井伊直弼が勅許を得ないままに日米修好条約の締結に対し、朝廷より水戸藩に密勅が下り、忍向らは諸藩に伝達した。これを機に京都を中心に各地の反幕運動が激化して、忍向は西郷隆盛と京都を脱出し、薩摩藩主島津斉彬をたよって大阪より船出をする。しかし、藩主既になく、幕府の追求きびしく、一夜隆盛らと月下船上に小宴をはり、歌を詠じ、相擁し、錦江湾に入水す。隆盛は命をとどめるが、忍向は寂した。ときに安政5年11月16日。年46歳。
ついでに僧月照の辞世の歌。
「大君のためには何か惜しからむ薩摩の瀬戸に身を沈むとも」
「曇りなき心の月の薩摩潟沖の浪間にやがて入りぬる」
絶望して身投げをしてしまうひとが「人間到るところ青山あり」と歌うのは矛盾していると思うのですね。