カエサルという人物が話しが面白く、文章もうまく、政治家としても軍略家としても天才的な能力を持っているということが、実によく描かれている。
カエサルが殺されたときは、だから悲しかった。こういう気持ちは司馬遼太郎の「龍馬がいく」で坂本龍馬が暗殺されたとき、吉川英治の「三国志」で孔明が死んでしまったときに味わったものと同じであろう。
カエサルは女性にもてた。彼と対立していた元老院派のなかで妻を寝取られたのが実に3分の1もいたとかいう。
カエサルがポンペイウスとの戦いで凱旋したときの軍団兵の行進で、彼らは一斉に大声で、その日のためにと決めておいたシュプレヒコールを唱和した。それは「市民たちよ、女房を隠せ。禿の女たらしのお出ましだ!」というものであった。
それではあんまりではないかと、カエサルは抗議したのだが、カエサルと12年間も苦楽をともにしてきたベテラン兵たちは、敬愛する最高司令官の抗議でも聞き入れなかった。凱旋式に何を唱和しようとも、それは軍団兵の権利だというのである。確かにそうでいい気になりがちの凱旋将軍の威光に水をかけるシュプレヒコールは、神々が凱旋将軍に嫉妬しないようにとの理由で、ローマの凱旋式の伝統でもあった。人並み以上にユーモアのあるカエサルだけに、このときの抗議も、いつものヒューマン・コメディの一例であったかと思われる、ただし、禿、というのだけは気にかかったらしい。このころには額の後退のとどまるところを知らなかったカエサルの、唯一の泣き所であったからだった。元老院は、カエサルの10年間の独裁官就任を可決した際に、カエサルだけは特別に、凱旋式以外の場所でも月桂冠をつけることを許している、これはカエサルが大変に喜んで受けた栄誉だった。月桂冠をつけていれば後退いちじるしい額も隠すことができたからである。
こんなにもてたカエサルでも、女に関するもめ事がなく、訴えられたこともないところが不思議である。
なぜそんなにもてたのだろうか。
この書によると、先ず彼の女性へのプレゼントが実にうまく女心をとらえたのだそうである。
そして会話が実にうまかった。ユーモアに溢れ、機知に富み……とある。
そんなにハンサムでもなかった。禿げてもいた。ハンサムといえば少年時代のアウグストスは実に美少年だった。それがカエサルがオクタビアヌスを養子にした理由の一つだったともいわれている。カエサルが持っていなかったものを持っていたこの少年に対するあこがれを物語っていたのであろう。