かれが政敵との抗争に勝利して樹立した新秩序のモットーはこの「寛容(クレメンティア)」であった。凱旋式挙行を記念してつくられた記念銀貨にはこの「クレメンティア」の文字が彫り込まれていた。
カエサルの政敵との戦いは、できる限り血を流さないやり方で成し遂げようとした。同胞同士が血を流し合う内戦の悲惨さを可能な限り回避しようとしたのである。
また彼は自分と立場をともにしない人びとは抹殺されてしかるべきだとは考えなかった。殺そうと思えば殺すことのできた捕虜や投降してきた敵兵に対しても「勝利者の権利」を行使せずに釈放した。その人が再び彼に敵対するであろうことも充分に予測しながらも放免したのである。
「わたしが自由にした人びとが再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心を煩わせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自分の考えに忠実に生きることである。だから他の人もそうあって当然と思っている」
これは人権宣言にも等しい。個人の人権を尊重する考えは、後代の啓蒙主義の専売特許ではないのである。
この時代は、戦争で負けて捕虜になったり、降服してきた兵や住民は、殺されるか、あるいは奴隷として売り飛ばされたり、略奪されるのが「勝利者の権利」として当然のこととされていた時代である。
カエサルはその「勝利者の権利」を行使しなかった。
そのもっともよい例は、政敵であることを貫き通したキケロとの関係であっただろう。カエサルとキケロについてはまた改めて書きたいと思っている。