彼は最初「皇上帝」あるいは「上帝」と「神」を呼んでいた。「皇上帝」とは宇宙の主宰者であり、無限の霊妙不可思議な能力を持っているものとした。天地万物の創造主である。儒教を形成した敬天思想の影響があるが、彼の持っている「皇上帝」は超越的な人格神であるところが、儒教の「天帝」とは異なっている。
「皇上帝」は常に人間の行いを見ていて、人間に生まれつきの運命を賦与し、善と悪の道徳的な審判を下す人格神である。
さらに彼は、道教を学び、そこから「太乙神」への信仰を持つに至る。神を祭り、礼拝し、感謝するべき存在となる。人間は「太乙神」の命ずるように誠意を持って生きていくことが説かれている。
そして彼は日本の神道のなかに、この「太乙神」信仰と似たものを見つける。人間にとっての大始祖は皇上帝・太乙神であり、ついでの大父母は天神地祇、そして両親がある。神道の神々も皇上帝・太乙神が生育したとする。
この「神」はキリスト教の神に近い。すでにキリスト教は厳しい禁教下にあり、それを公けにすることはできなかったが、おそらく藤樹はキリスト教の教えをある程度理解していたものと思われる。
ただ藤樹の「神」思想のなかには、キリスト教の神が持つ人間と神の断絶やあるいは罪とゆるしの考え方はない。何よりも愛の神の姿は見出されない。
内村鑑三は、その著「代表的日本人」の書の中で中江藤樹を、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、日蓮らとともに「代表的日本人」として紹介している。
ただし、この書には、藤樹が「神」を信じていたことについては触れていない。