まず暮鳥の詩をいくつか紹介しよう。彼の詩は国語の教科書にもよく紹介されるから、その名前はよく知られているだろう。
彼の代表作は「風景 ー純銀もざいく」という詩である。こういう詩である。きっとどこかで読んだことがあるに違いない。
風景純銀もざいくいちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしゃべり
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな
「いちめんのなのはな」という言葉の繰り返しの詩である。最初に読んだときには「なんだこの詩は」と思われるだろう。「いちめんのなのはな」という言葉のリフレインの間に第1節には「かすかなるむぎぶえ」第2節には「ひばりのおしゃべり」第3節には「やめるはひるのつき」という句がそれぞれはさまれている。
さらに菜の花ならば「純金もざいく」とするべきではないか、なぜ彼はこの詩を「純銀モザイク」としたのであろうか?
此の世界のはじめもこんなであったか
うすむらさきのもやのはれゆく
海をみろ
此のすきとおった海の感覚
おお此の黎明
此の世界のはじめもこんなであったか
さざなみのうちよせるなぎさから
ひろびろとした海にむかって
一人のとしよった漁夫がその掌をあわせている
渚につけた千鳥のあしあともはっきりと
けさ海は静穏かである
早朝の穏やかな海の日が昇る前のとき、「此のせかいのはじめもこんなであったか」と「天地創造」について思いめぐらす。それに向かって「一人の漁夫が手を合わせて祈っている」。
この詩を読むと暮鳥はやはりクリスチャンなのだと思わせる。
友におくる詩
何も言うことはありません。
よく生きなさい。
つよく
つよく
そして働くことです。
石工が石を割るように
左官が壁を塗るように
それでいい
手や足を動かしなさい
しっかりと働きなさい
それが人間の美しさです
仕事はあなたにあなたの欲する一切のものをあたえましょう
「人間が美しく生きることの原点は手や足を動かして働くことにある」という言葉に共感を覚えます。ところがこういうように働く美しさを人間は忘れつつあるのも現実である。
平易でわかりやすい詩だが、その奥に秘められている意味は奥深い。
暮鳥の詩は晩年になるほど。平易で短くなり、ひらがなで書かれたものが多くなる。
わたしは高校時代からこの詩人の詩が好きだった。山村暮鳥詩集という文庫本をよく読んでいた。特に好きだったのは次の「沼」という詩だった。
沼
やまのうへにふるきぬまあり、
ぬまはいのれるひとのすがた、
そのみづのしづかなる
そのみづにうつれるそらの
くもは、かなしや、
みづとりのそよふくかぜにおどろき、
ほと、しづみぬるみづのそこ、
そらのくもこそゆらめける。
あはれ、いりひのかがやかに
みづとりは
かく、うきつしづみつ、
こころのごときぬまなれば
さみしきはなもにほふなれ。
やまのうへにふるきぬまあり
そのみづのまぼろし、
ただ、ひとつなるみづとり。
しかし、暮鳥という詩人がより好きになったのは実は今から10年ほど前にこの文庫本に載っていない一つの長編詩に出会ったときからであった。その詩は「荘厳なる苦悩者の頌栄」という題の詩であった。
この詩については改めて紹介したい。
教えてくださって
うれしい!
ありがとうございます^ー^