2008年01月04日

「祈り」と「宿題」谷川俊太郎

 谷川俊太郎の詩集「二十億光年の孤独」のなかに「祈り」という詩がありました。いかにもこの人らしい詩だなって思いました。

祈り


一つの大きな主張が
無限の時の突端に始まり
今もそれが続いているのに
僕等は無数の提案をもって
その主張にむかおうとする
( ああ 傲慢すぎる ホモサピエンス 傲慢すぎる)

主張の解明のためにこそ
僕らは学んできたのではなかったのか
主張の歓喜のためにこそ
僕らは営んできたのではなかったのか

稚い僕の心に
( こわれかけた複雑な機械の鋲の一つ)
今は祈りのみが信じられる
( 宇宙の中の無限小から
  宇宙の中の無限大への)

人々の祈りの部分がもっとつよくあるように
人々が地球のさびしさをもっとひしひし感じるように
ねむりのまえに僕は祈ろう

( ところはすべて地球上の一点だし
  みんなはすべて人間のひとり)
さびしさをたえて僕は祈ろう

一つの大きな主張が
無限の突端に始まり
今もなお続いている

そして
一つの小さな祈りは
暗くて巨きな時の中に
かすかながらもしっかり燃え続けようと
今 炎をあげる


 特に「稚い僕の心に(こわれかけた複雑な機械の鋲の一つ)今は祈りのみが信じられる( 宇宙の中の無限小から宇宙の中の無限大への)」という部分もいいと思うし、「人々の祈りの部分がもっとつよくあるように
人々が地球のさびしさをもっとひしひし感じるように
ねむりのまえに僕は祈ろう」というところもとてもいい。
 クリスチャンの祈りとは違うものを感じます。「宇宙の中の無限大」というのが「神さま」なのかな?

 ついでにおなじ詩集の中につぎのような詩もありました。

宿題


目をつぶっていると
神様が見えた

うす目をあいたら
神様は見えなくなった

はっきりと目をあいて
神様は見えるか見えないか
それが宿題


 やはり祈りは目をつぶってしなければいけないのですね。でもなんで「宿題」なのかな? この宿題はいつまでにしなければいけないのだろうか?
posted by mrgoodnews at 23:49| Comment(0) | 詩、歌、祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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