2008年のNo.155は「特集 食を考える」で「知の交差点」は結城登美雄氏と島村菜津氏との「食がつなぐもの」というテーマの対談であった。
その対談の中にこんな話が紹介されていた。
結城 僕が東北の村々を歩いていて興味をひかれるのは、なぜこの人たちは割が合わないのにずっとここで暮らしているのだろうということです。…………では残っている人は何がよくてここに残っているのだろうかと、そこには当然、世の中の価値基準となっている便利さとかお金などに代えられない良さが何かあるはずなんです。それが何かなかなかわからなかった。
その疑問があるとき、90近いじいちゃんに出会って氷解したのです。
そのおじいちゃんはとてもいい人で丁寧ないい仕事をする。でもお酒を飲むと愚痴っぽくなるのす。…………「いやー、百姓くらい馬鹿馬鹿しい仕事はないな」「こんなことやっていても金にならねえしな」とかいうわけです。…………ある時僕も飲んじゃったのでつい、「じいさん、おかしいよ。あんたね、いつも飲むと『百姓くらい割があわねえものはない』というが、そんなに割があわねえならやめちゃえばいいじゃないか」って言ったんですよ。
そうしたらうっと言ったきり黙っちゃった。そして立ち上がって隣の部屋に引っ込んだきり出てこないんです。…………きまずいし、帰ろうとしたら、おじいちゃん手に野菜の種が入った茶袋をもって出てきたんです、そして座るなり袋から種を出してこう言うんです。
「この種な、うちの前の畑にまくだろう。蒔くと気になるものだ」
「だから朝起きたら先ず畑を見回りに行くんだ」
「蒔いた種は5日とか1週間するとものによっては芽が出るよ」
「蒔いた種の芽が出てくると今度は間引きをしなければならないと思う」
「この間引きというのが難しいものだよ。90になったっていいのを間引いた気がしてしようがないものだ」
とかいろいろ言うわけ。そして間引かれなかったやつには「ちゃんとしろよ」って声をかけると、そうやって毎朝その芽を見ているとある朝、
「ポッと双葉が開く瞬間にでくわすんだよ」
「あれは何とも言えないものだ。思わずあーっと声が出る感じがする」
というわけです。
「おれは、あの『ポ』にだまされて90まで百姓やったのかもしれないな」
僕は各地をまわっている間にいろいろないい話をきかせてもらったけれど、このじいちゃんの「ポ」は何か涙の出る話でね。なんで涙が出るのかわからないけれど、そうか「ポ」にだまされて、じいさん愚痴を言い言いここまで来たんだ、と思ってね。
そういえば双葉が開くときに「ポ」という音がするというのは朝顔をみていても感じる。
双葉だけでなく花のつぼみが開くときにもそういう音がしそうな花がある。たとえばハナミズキ。明日ハナミズキの蕾の写真をとらなくては。もうじき花開きそうだから。