米テキサス州中央部のアビリーン市の約80キロ南にコールマンという町がある。夏の暑い午後、そこのある家族がゲームを楽しんでいると、一人が言った。「そうだ、みんなでアビリーンへ夕食を食べに行こう」
「それはいい」。みんなはそう言って車で出かけた。だが、道中は暑く、ほこりっぽい。夕食もひどかった。疲れ果てて家に帰ると、誰もが口々に言った。「みんなが行きたいようだったから行ったけれど、わたしはほんとうは家にいたかったんだ」
この「アビリーンのパラドックス(逆説)」として知られる小話は集団思考の危うさを示すたとえだ。「やめよう」との一言が出ず、周囲に流されて愚行に走るのは日本人だけではない。我の強そうに見えるテキサス人も集団の空気で身を誤るらしい。
「余録」はこのあとテキサス州出身のブッシュ大統領の、9.11同時テロ後のイラク戦争開始に話をつなげていく。
WIKIPEDIA にはこうある。
集団が構成員の実際の嗜好とは異なる行動をおこすという状況をあらわすパラドックスである。実際には構成員が望まないことであるにもかかわらず、構成員が反対しないがために、集団が誤った結論を導くという現象である。
こういう状況はわたしたちの日常生活にもよくあるのではないか。みんなが気が進まないにもかかわらず、「やめよう」が言えなくて、結果が悪く出ると実は自分はやりたくなかったということがみなの口から不平となって出てくる。
ノーを言うことはとても大事なことなのである。