4月19日の朝日新聞「be on Saturday」の「うたの旅人」にわたしの大好きな西島三重子「池上線」が紹介されていた。
わたしが西島三重子のファンであることは
以前このブログでも紹介した。 1972年わたしが結婚して2年ほどちょうどこのうたの舞台となった池上線沿線の品川区荏原というところでアパート暮らしをした。確かこのころにこのうたと出会ったと思うのだが、このうたがLPレコードのなかの1曲として発売されたのは1975年9月、シングルカットされたのが1976年5月のことであったとこの記事には記されていた。
池上線
佐藤順英 作詞
西島三重子 作曲
古い電車のドアのそば
二人は黙って立っていた
話す言葉をさがしながら
すきま風にふるえて
いくつ駅を過ぎたのか
忘れてあなたに聞いたのに
じっと私を見つめながら
ごめんねなんて言ったわ
泣いてはだめだと胸にきかせて
白いハンカチを握りしめたの
池上線が走る街に
あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら
今日も帰る私なの
終電時刻をたしかめて
あなたは私と駅を出た
角のフルーツショップだけが
灯りともす夜更けに
商店街を通りぬけ
踏切渡った時だわね
待っていますとつぶやいたら
突然抱いてくれたわ
あとからあとから涙あふれて
後姿さえ見えなかったの
池上線が走る街に
あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら
今日も帰る私なの
YouTube には
うた付きの映像がいくつもある。
また
ここには歌詞とギター演奏がある。 この歌詞の中の駅とはどこなのか、わたしにはとても興味があったことである。
私の住んでいたところの戸越銀座駅には「角のフルーツショップ」があって、終電車の時間になっても明かりをともしていた。だからここではないかともおもえたのだが、残念なことに戸越銀座駅の近くの商店街を抜けたところに踏みきりはなかったので、ここではないなという感じもした、たしかに池上線沿線にはこのような駅がいくつもあった。
この新聞記事では、作詞家の佐藤順英氏が、この駅は池上線の池上駅であり、作詞家の体験をもとに書かれた詩であると紹介されている。
この記事を読んで、永年の疑問が解けた。
またこの記事には、当時この曲のキャンペーンのために東急に協力を依頼したが、東急は「古い電車」の「すきま風」が会社の方針に合わずにことわられたということも紹介されていた。池上線を走る電車は東急東横線のお下がりであったのである。
そしてこの「古い電車」は青森県の十和田観光電鉄で今も元気に走っているということも紹介されていた。
「池上線」や「のんだくれ」「ジンライム」を作詞した佐藤順英氏は現在山形でベンチャー企業の社長をしているという。
この記事のおかげで、あのころがよみがえってきてとても懐かしくも嬉しくもあったことを感謝したい。
posted by mrgoodnews at 22:56|
Comment(5)
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詩、歌、祈り
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ここにも懐かしむ方がおり、うれしくなりました。
私にも30数年前の思い出があります。
歌とともにその思い出を大切にしましょう。
活躍されている様子。。。がんばってください。 20代の時に聞いた
思い出の曲です。
がんばってください。
佐々木隆文
活躍されている様子。。。がんばってください。 20代の時に聞いた
思い出の曲です。
がんばってください。
佐々木隆文
コメントをありがとうございます。
わたしもあの新宿厚生年金でのコンサートに行きました。
なつかしさがよみがえってきました。
でも最近テレビでも中継があったなんて知りませんでした。
見逃したことを悔しく思っています。
もっとも私の家では衛星放送は見られない……………。
ライブで、西島さんは池上線とは縁が無く、目白通り・千歳橋に佐藤さんを連れて行って作詞をお願いし、歌が生まれたたとも語っていました。