イエズス会総長が、日本管区から選ばれたのは、先々代のペドロ・アルペ神父についでいる。ペドロ・アルペは終戦当時広島にいて被爆した。
私がニコラス神父にあったのは、1974年来日して間もないころであった。新進気鋭の神学者として、世界的に注目されていたが日本に来ることを選んだということを聞いたことがある。彼と一緒に「解放の神学研究会」をつくり「解放の神学への招き」という書を出版した。彼から教わったことに、ちょうど大学時代に丸山真男の講義を聴いたときのような知的興奮を覚えたものである。
ニコラス神父と幼なじみだというI神父の終生請願のときに、ニコラス神父はモーニング姿のチャップリンのパントマイムを演じていたが、これが実にみごとであったことが印象に残っている。
また、1987年(だったか?)に東京でアジア司教総会(FABC)が開かれたときに、かれは私の参加した「信徒の霊性」分科会のコーディネーターをしていたが、この分科会のまとめぶりがまたみごとであった。いろいろな意見を整理して論点をはっきりさせ、そしてそれらを図式化して統合していくあざやかなすすめかたに舌を巻いたものである。
彼のコーディネーターとしての才能は、日本の福音宣教推進全国会議(NICE)をはじめとする大事な会議や国際的な集まりでいかんなく発揮され、ついには世界の2万人いるイエズス会のトップの「コーディネーター」となったわけである。
ニコラス総長率いるイエズス会に今後も注目していきたいと思っている。
「イエズス会」という組織はとても興味深い組織である。私自身、イエズス会の経営する中学校高等学校で学び、在学中に洗礼を受けた。当時一学年に180名の生徒が在学していたが、卒業したころには3分の1以上の生徒が実に洗礼を受けたのである。1965年ころである。
それからいろいろなところでイエズス会の神父たちと一緒に行動した。ともに行動すればするほど、このイエズス会という組織の魅力にとらわれていくのである。
これについてはまた改めて書くことにしたい。