2008年05月20日

榎本武揚という「万能人」

 榎本武揚という人物がおもしろい。
 5月18日の毎日新聞に「近代日本の万能人・榎本武揚」という本の書評が載っていたのを読んで知った。

 榎本武揚といえば函館五稜郭の戦いで大鳥圭介や土方歳三らとともに官軍と戦い、黒田清隆の説得で降服したことと、旧幕臣でありながら維新政府の要職を務め、黒田清隆に認められ北海道開拓使で働いたり、外務大臣として条約改正交渉にあたったことで日本史に登場する人物である。

 この書では、榎本の「万能人ぶり」が紹介されていたが、こういう人物であることは知らなかった。

 彼は行政官であり、外交官であり、政治家であり、また多くの学会を創設した学者でもあった。「維新政府最良の官僚」とも言われている。

 少年の時から昌平坂学問所に学び、ジョン万次郎から英語をまなび、さらに海軍伝習所にて西洋の学問に接する。彼の万能ぶりは、特に1862年から5年間のオランダに留学したときに身につけたという。
 軍艦について学ぶことから関連して造船、砲術、化学、物理学、地学、金属学、数学などを学ぶ。プロシア=オーストリア戦争においては観戦武官として近代戦争を知る。地学や国際法、農学にも強い関心を持つ。

 北海道開拓使時代には、硫黄、石炭の調査をし、爆薬を用いて土地を開墾する手法を実験した。
 外交官としては、対ロシアとの間に樺太・千島交換条約を成立させた。
 逓信大臣として電機産業の育成につとめ、函館海底電線工事を完成させた。「〒」のマークを採用したのも彼である。
 農商務大臣としては足尾鉱毒事件の現地視察をおこない、鉱毒調査委員会を設置した。
 また民間のメキシコ殖民事業をはじめた。
 地学協会、電気学会、気象学会、工業化学会などの会長を務め、また東京農業大学の前身である徳川育英黌農業科を設立した。

 かれは「三現主義(現場、現物、現実)」を掲げた実証的な工学者ではあったが、富国強兵論者ではなかった。むしろ「国利民福」の思想を持ち平和的な殖産興業を主張した。

 福沢諭吉は、彼を「無為無策の伴食大臣。二君に仕えるという武士にあるまじき行動をとった典型的なオポチュニスト。挙句は、かつての敵から爵位を授けられて嬉々としている「痩我慢」を知らぬ男」と罵倒している(『痩我慢の説』)。もっとも福沢は榎本がとらわれの時代にあったときに、彼の有能ぶりを認め、助命嘆願をしたひとりではあったが……………。

 江戸期から維新期にかけて、彼のような「万能人」を探してみると、けっこうおおいと思う。
 キリシタン時代の宣教師たちたとえばルイス・アルメイダ、新井白石とヨハン・シドッチ、平賀源内、渡辺崋山、高野長英、佐久間象山、江川担庵、緒方洪庵、さらに福沢もそのなかにあげられるであろう。明治期の宣教師ド・ロ神父もそのなかに加えたい。
 
posted by mrgoodnews at 23:31| Comment(0) | 人、生き方、思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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